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きょうの沖縄タイムスは一昨日の慰霊の日の大発狂からまだ
覚醒していない。
自分が捏造した「残酷非道な日本軍」というウソを押し通すため狂い続けている。
沖縄タイムスが拡散した「沖縄戦で住民を虐殺した日本軍」という捏造報道を押し通すためには、永久のこのような自衛隊憎悪の報道を続けるだろう。
それにしても沖タイの常識と全国民の常識が年々かけ離れていく。
これでは読者が減るのも無理はない。
陸自 黎明之塔を参拝 陸幕が「熟慮」求める中 旅団長「私的」を強調
沖縄の陸上自衛隊トップ、佐藤真第15旅団長ら幹部3人が23日午前5時前、日本軍の牛島満司令官らを祭る糸満市摩文仁の黎明(れいめい)之塔を集団参拝した。陸自中枢の陸上幕僚監部(陸幕)が昨年以降、15旅団に対して「地域の住民感情に十分配慮し、今後はより熟慮の上で対応するように」と継続的に注意していたことも判明。その後初めて迎えた慰霊の日も、集団参拝を続けた。
沖縄戦で住民を虐殺した日本軍を自衛隊が顕彰することへの批判、批判を受けても参拝を止められない理由について本紙が質問したが、佐藤旅団長は「私的参拝だ」と説明を避けた。
牛島司令官は午前4時半に自決したとされ、ほぼ同じ時間に参拝した。昨年は約30人が集まったのに対し、今年制服で訪れたのは旅団司令部総務課長、最先任上級曹長を合わせた3人だった。
参拝規模が小さくなったことについて、佐藤旅団長は「(新型コロナウイルス)緊急事態宣言下でそれぞれが考慮して行動したと思う。指示はしていない」と語った。他に私服姿の幹部らが同行し、メディアの取材を規制した。
佐藤旅団長らはしづたまの碑、島守の塔も参拝した。「沖縄戦で亡くなられた全ての方にご冥福を祈るために来た」と述べたが、全ての犠牲者を祭る国立沖縄戦没者墓苑は通り過ぎてしまい、引き返さなかった。
陸幕の指導は、立憲民主党の小西洋之参院議員が集団参拝の問題点を指摘したことを受けて昨年8月などに実施された。小西氏は「国民を守る自衛隊が住民に犠牲を強いた日本軍を参拝すれば誤解を受ける。指導を受けたのにまた参拝したのは残念だ」と語った。県平和委員会も抗議文を郵送した。
15旅団は集団参拝続行が「住民感情に十分配慮した対応」に当たるかどうかを尋ねる本紙の取材に「私的参拝であり答えられない」と述べた。
(写図説明)黎明之塔に献花する陸自第15旅団の佐藤真旅団長=23日午前4時51分、糸満市摩文仁
沖縄タイムスが恥を知るという事は、「沖縄タイムスが沖縄タイムスでなくなる日」
https://www.youtube.com/watch?v=KskKBAs6EQM&t=3700s
厳粛な慰霊に、土足で侵入、罵声を浴びせる行為は許し難い
平和祈念式典で「安倍帰れ!」と叫んだサヨクと同根=あれって「タイムスの職員」だった?のかと訝る昨今だ
・タイムスは潰れて「産経・沖縄」に吸収される。
・新報も潰れて「読売・沖縄」に吸収される。
●どっちが先か・先陣争い
これで沖縄も平和に、、、おっと、、これ、「平和はサヨクの常套句」だっけ??
●平和・島ぐるみ・平和学習・市民・県民大会・子や孫の為辺野古へ・・・ときたら、共産党・沖縄サヨクが絡んでいないか・FACTチェックが必要だ
共産党 それらしーい
キャッチをつけて 人だまし
オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」除く)。
「容赦なかった大名町の戦闘」の那覇市・友寄賢二さん(70)は、2月6、20日、3月14日、4月10日、5月5、25日、6月7日に続き今年8回目の掲載。
「今日も一日 幸せ見つけ実行」の那覇市・川平和江さん(72)は、昨年10月2日以来の掲載。
「感染収束せず五輪開催 反対」のうるま市・仲本正雄さん(80)は、3月18日、5月22日に続き今年3回目の掲載。
「よく見つけるカードの忘れ物」の恩納村・渡口佑弥さん(28)は、1月12、24日、3月9、21日、4月2、20日、5月30日、6月3、13日に続き今年10回目の掲載。
「断ち切れない金権腐敗政治」の宜野湾市・松本久雄さん(64)は、昨年11月28日以来の掲載。
「『南洋戦』の戦後補償 誠意ある立法措置期待」の糸満市・岸本定政さん(73)は、1月15、22日、2月17日、3月7、14、26日、4月10、17、27日、5月10、16、27日、6月5、16日に続き今年15回目の掲載。
「旗立岩って?」の浦添市・松田勝夫さん(77)は、昨年9月29日以来の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
うるま市・仲本さんは一昨日の琉球新報にも投稿が掲載されている。
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本来は沖縄防衛に失敗した現場司令官たちを叱責するべき参謀が、逆に死後昇進や栄転させたこと。
そうすることで、沖縄防衛失敗責任を軍法会議で糺すことが出来なくなり責任が糾されないからだ。
すなわち、天皇陛下に結果を上奏する責任も、原因が参謀の無策に在ったことがばれないからだ。それだけのことだった。
このやり方が、陸軍最悪の悲劇インパール作戦惨敗後も行われた。
最悪無能な南方軍司令官が、なぜか昇進栄転した。
そして、草生す屍4万体が残ったままで在ること。厚労省が遺骨回収すら着手しない。
なお最悪無能な南方軍司令官を、最前線から独自判断で本部に帰還した旅団指令官が、【貴殿は馬鹿の四乗で在る】と詰り倒したことを、戦後、アメリカ軍が解いて表した。
インパール作戦に続いて沖縄地上戦でも、参謀が戦略なき戦いに暴走した理由を、戦後、アメリカ軍が【その前から参謀に兵站出身の将校が一人もいなくなっていた。みんなイケイケどんどんの現場上がりだけだった】と解析したこと。
ここを指摘します、軍隊として在り得ない戦略が皆無の戦いを強いるなら、現場司令官は白旗を掲げて部下と住民を守るべきで在ったこと。そう言う降伏は軍人として勇気在る行動と後に賛辞される。
そう言う降伏を後世に於いて蔑む理由は在りません、蔑むのは玉砕を強いた参謀の方で在ること。
然し、選択を執らなかった悪しき参謀、現場に責任を負わせた参謀、犠牲になった現場司令官、様々な結果の理由が戦略そのものが無かったことだ。
参謀の兵站担当将校 この役務者が、前線と後方支援の運用を担う全ての責任者で在る。
戦略を組み戦術部隊の活動を支援する立案をする。兵站こそが物資配給整備・兵員充足・施設や環境や衛生の護持の大もとで在ること。
これを失くした参謀が執る戦術は単なる掛け声の【大和魂】だけで在ること。
アメリカ軍が戦後、日本軍の暴走原因を調べたらこれが原因で在った。
だから、インパール作戦行軍前に兵士一人に渡されたのが200発入銃弾一箱だけで在った、最期の自決用手榴弾も無い。兵装も食料も足らない分は大和魂で補えとするわけだ。
なお、無能な南方軍司令官を【貴殿は馬鹿の四乗で在る】と詰った旅団指令官、参謀が当然のことだが軍法会議送りにせず終戦まで東京本部で軟禁状態に置いたこと。精神異常に在る理由とのこと。