狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「判検交流」、三権分立を壊死させる裁判制度

2022-11-21 11:05:38 | 政治

 

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ブログ「狼魔人日記」を開設以来17年余の星霜が過ぎ、ブログ人気ランキングの中でも古株になった。その間数多くの行政訴訟の原告になったり、原告応援団を務めてきた。民事訴訟に関して言えば、ブログ開設以前から自分で会社を経営していたので、数件の民事訴訟を経験してきた。

筆者は法律の専門家ではないが、過去の訴訟の実体験で関連案件では無能な弁護士には勝るとも劣らない法知識を得たと自負している。

裁判の実体験の前には、弁護士は依頼人の有利な弁護をするため必ずしも正義の実現者とは限らない、という程度の知識はあった。しかし、裁判官は弁護士とは異なり、あくまでも法の下に公正を貫く”正義の人”と勝手に信じていた。

ところが刑事訴訟において一旦検察によって起訴された公訴の99・98%は勝訴と言われる。裁判官は検察の公訴に逆らって「無罪」判決を下すことは検察という強大な国家権力を敵に回すことになる。その結果、裁判官は検察の公訴を追認する下請け機関の役割に甘んじることになる。

つまり検察は「勝てる起訴」しか行わないし、裁判官は「検察が起訴するくらいだから起訴は正しい」という予断を持つ、ことになる。

こうなると日本の裁判制度は容疑者に対し、検察による「起訴・不起訴」の予備裁判を潜り抜けた容疑者が裁判官の前に立つという、検察主導のいびつな法制度になる。

これでは三権分立の精神が踏み躙られることになる。

さらに「判検交流」という聞きなれない制度が導入されたら、日本の裁判制度は死んでしまう。

 

【おまけ】

公訴について
(2002.2.1)
わが國の刑事訴訟法は、「公訴は、検察官がこれを行う」(247条)と定めております。これは、国家機関である検察官に刑事事件の訴追を行わせ、私人による訴追を許さないものです。これを国家訴追主義といいます。歴史的には、私人による訴追の建前(私人訴追主義)がありましたし、イギリスでは今日でも、私人訴追が認められています。

わが國の法律は、国家機関の中でも原則として、検察官に限って公訴を認めていますので、とくに起訴独占主義といいます。起訴独占主義の唯一の例外は、公務員の職権濫用等の罪について不起訴処分になったときの準起訴(付審判)手続です。この場合には、裁判所の指定した弁護士が検事の役割を行う等の規定があります。

 さらに、刑訴法は、「犯罪の嫌疑があり訴訟条件が備わっていても、犯人の性格・境遇・犯罪の軽重・情状・犯罪後の状況より訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」(248条)としています。すなわち、検察官は、起訴するかどうかの裁量権をもっているのです。このような諸事情を考慮して被害者を起訴しない処置を、起訴猶予処分といいます。検察官に起訴猶予処分をする権限を与えているこのような建前を起訴便宜主義と呼びます。その反対は起訴法定主義です。

 しかし、検察官の起訴・不起訴の判断は、現実に、常に適正であるとは限りません。そこで起訴便宜主義や起訴猶予処分の弊害を防止するため次の二つの制度があります。

1.処分の通知義務
告訴等のあった事件について、起訴・不起訴等の処分をしたときは、検察官はその旨を告訴人等に通知しなければならない(260条)。不起訴処分のときは、告訴人から請求があれば理由を示さねばならない(261条)。
2.検察審査会
不起訴処分に不服のある告訴人等は、その処分の当否について検察審査会に審査の申立をすることができます。検察審査会で処分不当の議決をしたときは、検事正はそれを参考にしなければなりません。

 以上のように、わが國の法律では検察官の権力は絶大です。そのため、犯罪者の訴追において、被害者の願いや気持ちが、くみ取られているとは限りません。犯罪被害者の会は、この点の是正に向けて頑張っています。法律改正を要するものはそのための運動を広め、運用で解決できるものは交渉を重ねています。犯罪被害者の願いや気持ちが、犯罪者の訴追に反映するよう努めることが大切です。

 

まさかの法的トラブル処方箋

“三権分立”の精神に反する裁判所と検察庁の人事交流 「判検交流」のリスクとは (1/2ページ)

上野晃

 法制審の審議について不安に思う理由

 

 判検交流がもたらすリスク

 判検交流という言葉を聞いたことあるという人はあまりいないのではないでしょうか。かなりマイナーな言葉ですよね。多くの人は、その実態を知らないと思います。判検交流とは、裁判所と検察庁の人事交流制度のことです。つまり、裁判官がある一定期間検察官になったり、検察官がある一定期間裁判官になったりするのです。検察官は、法務省の人間ですから、裁判官が一時的に法務省の官僚として法務省に出向するということになります。

 こうした制度、海外にはないと思います。少なくとも私は聞いたことがありません。おそらく日本独特の制度だと思います。

 実は、今回の家族法改正に関する法制審議会においても、この判検交流により法務省に出向している裁判官が2名、委員等として参加しているんです。法務省に出向していない現役の裁判官も2名参加しているので、法制審には合計で4名の裁判官が参加していることになります。36人のうちの4人です。

 ふーん。で? 何が悪いの? そんな疑問を抱かれる方も多いかもしれません。しかし考えてみてください。今回の法制審議会は「家族法改正」がテーマなんです。

 なぜ家族法が改正されようとしているのでしょう? なぜ今、家族法改正が必要なのでしょう? それは、家庭裁判所の運用に問題があることと無関係ではありません。というか、関係大ありです。これまでこのコラムでも取り上げてきたとおり、家庭裁判所の現在の運用実態は、多くの当事者から支持を得られていません。

 むしろ、多くの当事者は不満を募らせています。当事者の多くの人は、家庭裁判所の運用が、現在の離婚の実態、親子関係の実態とマッチしていないと感じています。あまりにも時代遅れだと感じています。それどころか、家庭裁判所が公然と人権侵害をし続けていると感じている人も実は相当数いるのです

 そうした社会的背景の下、今回、家族法改正の審議となっているのです。そして、その改正審議を取り仕切る人に、裁判官がいる。しかも4人も。これって、違和感ありませんか? タバコを規制する法律を作る場に、タバコ業者の人を入れるようなものです。フツーに考えて、無理ありませんか? この人たち、自分を守ろうとしやしないかと不安になりません? 今まで自分がやってきた判断を真正面から否定し、自らを非難するような法改正に本当に取り組むの? 私が法制審に不安を抱く理由、分かっていただけました? 皆さんも不安になりませんか?

法制審への不安と期待

 そもそも判検交流って、三権分立違反だと思うんです。違反してないって言う人もいます。というか、違反してないという前提でこの制度は今なお行われているわけで。けど、やはりおかしいと思うんです。どう考えても三権分立の精神に反しているんですから。

三権分立っていうのは、国の権力を立法と行政と司法に分けた制度です。なんでこんな制度作ったのでしょう? それは、権力が一人に集中すると、その権力者が権力を濫用するからなんです。それを未然に防ぐために権力を分散させた。それが三権分立です。つまり、この制度の根底にあるのは、「権力者に対する不信」なんです。権力者という「人」を信じすぎてはいけない。むしろ、人は権力を持つと堕落する、そう考えないといけない。そういう信念が、この制度の根底にはあります。

一方、判検交流を肯定的に捉える人は、こんなことを言います。

 「裁判官が法務省に来て、立法過程に携わってもらうことで、多くの政治家や官僚が裁判官から多大な知的示唆を受けることができた。これは得がたいことであり、判検交流があるからこその財産だ」

 うーん、これって、権力者である裁判官という「人」を信じすぎじゃないですか? 裁判官が、司法と行政を股にかけて行き来して、「多大な知的示唆を受けることができた」なんて諸手を挙げて称賛するって…。だったらいっそのこと、三権分立なんて、廃止しちゃったらいいんじゃないですか? 立法も行政も司法も裁判官に任せれば、もっともっと「多大な知的示唆」を受けられるんじゃないでしょうか。私は反対しますが。

 私は法制審の今後の審議の方向性に不安を持っています。と同時に、希望も持っています。なぜなら、現状を変えてくれる可能性があるのですから。前回と今回のコラムで私が法制審への懸念をいろいろと書き連ねたのは、法制審のことをまるっきり信じないからということではありません。ただ、今の段階で、全面的に信じ切れていないのは事実であり、その理由をここで述べさせていただきました。内心では、期待もしているんですよ。きっと私の不安を良い意味で裏切ってくれると。私がこのコラムで述べた懸念が杞憂であることを心から願います。

神奈川県出身。早稲田大学卒。2007年に弁護士登録。弁護士法人日本橋さくら法律事務所代表弁護士。夫婦の別れを親子の別れとさせてはならないとの思いから離別親子の交流促進に取り組む。賃貸不動産オーナー対象のセミナー講師を務めるほか、共著に「離婚と面会交流」(金剛出版)、「弁護士からの提言債権法改正を考える」(第一法規)、監修として「いちばんわかりやすい相続・贈与の本」(成美堂出版)。那須塩原市子どもの権利委員会委員。
 
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[スキャナー]「離島防衛の要」も投入、南西諸島で緊迫の演習…日米「キーン・ソード」終了

2022-11-21 08:04:35 | マスコミ批判

 

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ひろゆき氏に反基地活動家の大嘘を曝露され、面目丸潰れの沖縄タイムス阿部岳記者、何度反基地運動のいかがわしさを指摘されても、懲りずこんな記事を書く理由は、生まれつきの大バカなのか。
 

大弦小弦]「すめらみくに」

2022年11月21日 07:23

 琉球弧の有事ムードを次の段階に高めて、日米の軍事演習「キーン・ソード23」が終わった。期間中、基地の外から訓練を撮影していた琉球新報の写真記者を自衛官が制止し、撮影データの消去を求める事態が起きた

▼取材に対して、自衛隊は法的根拠なく規制した非を認めた。一方で、「秘密保全の観点」「お願いベースで」などの言葉もあり、規制したい本音がのぞく。戦前は、軍機保護法などで撮影を禁止できた

▼「軍機」が真実をのみ込み、惨禍を招いた戦争の後、自衛隊は日本軍とは別の組織として出発した。現実はどうだろう。音楽隊は軍歌を受け継ぎ、今も「軍艦マーチ」などを演奏している

▼「悠遠なる皇御国(すめらみくに)」というレパートリーもある。現役自衛官が3年前に作った曲で、「皇御国」は天皇が統治する国を指す。自衛隊による演奏は、天皇は象徴、主権者は国民、と定める憲法に反するのではないか

▼疑問を投げかけると、陸上幕僚監部は「違憲かどうか判断する立場にない」と答えた。「令和の新時代の始まりに、皇室の伝統文化や平和への思いを受け継ぎたいと隊員が作曲した」のだという

▼「新時代」に、琉球弧は最新の兵器で埋め尽くされようとしている。使う人間の方は戦前回帰の指向が見える。自衛隊はどこに行くのか。どこに、私たちを連れて行くのか。阿部岳

 

【おまけ】

[スキャナー]「離島防衛の要」も投入、南西諸島で緊迫の演習…日米「キーン・ソード」終了

配信

読売新聞オンライン

離島防衛

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継戦能力

他国との連携

住民不安も 説明丁寧に

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    10年前と比較して、南西諸島で実際に有事が起こる危険は大幅に高まった。 そして、10年後は確実に、今より危険が高まるだろう。 南西諸島の人々は、今のウクライナ国民の悲惨な状況が、将来、 自身や家族の身に降りかかる可能性を、もう少し真剣に検討すべきだと考える。

     
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    現在の状況を考えれば南西諸島防備を堅めることは当然であり、むしろ中国がなし崩し的に進める侵略行為に危惧を感じることなく自衛隊に危惧を感じる玉城知事の発言に危惧を感じる。

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    中国の行動を脅威と「感じる」とした人が9割もいるのに現知事は再選したんですね。いかに知事選の焦点がずれていたのかがよくわかります。安全保障の語れる、現実的な県知事の出現を強く望みます

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