狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

見直したぞ!佐藤栄作 強かな愛国者

2008-12-24 08:31:14 | 歴史

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会見場に詰め掛けた新聞記者たちに向かってギョロ目をむいて退場を迫る佐藤栄作元首相の風貌は、見方によっては西郷隆盛をも思わせた。

事実をそのまま放映するテレビはともかく、事実を歪曲して報道する新聞の取材は拒否するというのだ。

偏向新聞に媚をうる今時の政治家とは大違いだ。

やはり佐藤栄作は只者ではなかった。

少なくとも並みの政治家ではなかった。

前に、文学賞、平和賞などの文系のノーベル賞はいかがわしいから廃止せよと書いた。

発端は佐藤が「非核三原則」で、ノーベル平和賞を受賞したときからだ。

「平和憲法」に屋上屋を設け、「平和団体」が感涙に咽ぶような「非核三原則」で彼らに媚びる姿に、ノーベル平和賞のいかがわさを感じたからだ。 

そしてそのとき、あらためて「平和の念仏」で平和は得られない、との感を強くした。

それ以来佐藤は、沖縄返還とお笑い系俳優佐藤B作 のパロディの対象としてしか認識しなくなった。

だが、今回の外務省文書公開で、佐藤は日本の政治家の中ではA級の政治家であったことが判明した。

ギョロ目で偏向新聞を恫喝するだけではないA級の、佐藤A作であることが証明されたのだ。

 

「日中戦争なら核報復を」 佐藤首相、65年訪米時に

2008年12月22日3時1分

写真佐藤栄作氏

写真マクナマラ元米国防長官

 1965年1月に訪米した当時の佐藤栄作首相がマクナマラ国防長官との会談で、その3カ月前に中国が初めて実施した核実験をめぐり「(日中で)戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と表明、核戦争を容認していた様子が、22日付で外務省が公開した外交文書で明らかになった。

 長官との会談は1月13日に行われた。前年10月に実施された中国の核実験をめぐり、長官が「今後2~3年でどう発展するか注目に値する。日本は今後、核兵器の開発をやるのかやらないのか」と迫ったのに対し、首相は「日本は核兵器の所有、使用はあくまで反対」と米国の「核の傘」の下にいる立場を強調した。

 続いて首相は「核兵器の持ち込みとなれば、これは安保条約で規定されており、陸上への持ち込みについては発言に気をつけて頂きたい」と断ったうえで「(中国との)戦争になれば話は別で、米国が直ちに核兵器による報復を行うことを期待している。その際、陸上に核兵器用施設をつくることは簡単ではないが、洋上のものならば直ちに発動できると思う」と述べた。長官は「なんら技術的な問題はない」と応じた。

 このやりとりは、60年1月の日米安全保障条約改正時の密約が前提にあるとみられる。「洋上」は艦船を指し、核を搭載した米艦船の寄港は、密約によって日米間の事前協議が不要とされていた。

 一方、その前日のジョンソン大統領との会談では、首相が「中共(中国)の核武装にかかわらず、日本は核武装は行わず、米国との安全保障条約に依存するほかない。米国があくまで日本を守るとの保証を得たい」と求め、大統領は「保証する」と述べた。

 この会談で首相が「中共が核を持つなら日本も持つべきだと考える」と発言したことが98年、米国の公文書で明らかになっている。今回公開された外交文書でこの発言は確認できなかった。

 ただ、マクナマラ長官に対しては「技術的にはもちろん核爆弾をつくれないことはない」「宇宙開発のためのロケットを生産している。これは必要があれば軍用に使うことができる」と発言している。

 「日本は核武装できる」としながら「核武装せず米国に期待する」と表明した佐藤氏はその後、「非核三原則」などが評価され、74年にノーベル平和賞を受賞した。(石塚広志、稲田信司)

     ◇

 米国在住のマクナマラ元国防長官(92)は、朝日新聞の電話取材に応じた。65年1月13日付の佐藤首相との会談録にある日本の核軍備への言及の真意について「中国の核実験に対し、日本がどう反応するか懸念を抱いていた。日本が軍拡競争に巻き込まれていたら核が地域に拡散していたと思う」と述べた。

 また、日中が戦争に陥った場合に米国に核による報復を首相が求めた点については「発言は確認できない」としながら、「中国の核開発に脅威を感じ、米国が日本を守るという確約を得たかったのではないか。中国にも米国の核抑止力を知ってほしいと思っていたのかもしれない」と語った。

     ◇

 〈菅英輝・西南女学院大教授(日米外交史)の話〉佐藤首相は「核は戦争を避けるため」という建前を超え、「核で報復を」と踏み込んだ。当時の国内世論のもとでこうした発言が表面化すれば、政権は吹っ飛ぶ可能性すらあった。米国が日本の核武装を懸念していることを佐藤首相はよく知っており、相手に警戒心を持たせる意図で核武装をほのめかしている。中国の核保有が現実となっていく中で、より確実な安全保障を取りつけるための外交カードの意味合いが強い。

     ◇

 〈核持ち込みをめぐる日米密約〉60年1月の日米安保条約改正時に、日本国内での核兵器貯蔵・配備は日米間の事前協議が必要としたが、秘密合意で核兵器を積んだ米艦船の寄港、航空機の領空の一時通過などの場合、事前協議は不要とした。00年に米政府の公文書で明るみに出た。日本政府は密約の存在を否定している。

     ◇

 外務省は22日付で、60年代を中心とする外交文書を公開した。76年から始まった公開の21回目となる今回は、日本の首相訪米▽国連への各国加盟状況▽核実験停止会議、などに関する資料がある。22日から東京・麻布台の外交史料館で閲覧できる。

                                               ◇

時計代わりに見ている、「みのもんた朝ズバ!」(聞いていると言った方が正確だが)によると、当日の各紙朝刊は朝日を初め一面トップで、佐藤栄作元首相の「核報復」の記事で埋めていたようだ。

コメンテーターが「こんなことが当時漏れていたら、内閣はブッ潰れていただろう」と、「非核三原則」を標榜しながら、とんでもないことをしていたといったニュアンスのコメント。

そりゃそうだろう、アレから44年も経っているのに、未だに「核保有」どころか「核議論」さえ許さない「平和ボケ日本」のマスコミ論調だ。 

当時は学生運動の盛んだった60年代のこと。

内閣がひっくり返るだけでは済まず、過激派学生による「首相暗殺」だって起こりえただろう。

憲法九条の縛りにもかかわらず、日本が「軍隊」を保持していることは国民共通の認識である。 同じく「非核三原則」の縛りにもかかわらず「持ち込み」を知る人は知る。

そして、核の傘の下にいながらも、有事の際に米国が核で守ってくれるかどうかが、常に日本の不安の種でもあった。

だが、「平和憲法」を守るよりも、日本国の安全保障を第一に考える佐藤は

、時の米大統領ジョンソンから日本が核攻撃された場合の「核報復」の確約を取っていた。

「卵が先か鶏が先か」の謎はともかく、「核報復確約」が先か「非核三原則」が先かを調べてみたら、佐藤の強かな「瀬戸際外交」が浮かび上がってくる。

一連の核関連外交を時系列で拾うと、こうなる。

①佐藤は先ず、60年にはジョンソン大統領との会談で、「中共(中国)の核武装にかかわらず、日本は核武装は行わず、米国との安全保障条約に依存するほかない。米国があくまで日本を守るとの保証を得たい」と求め、大統領の「保証する」の言質をとっている。

65年、前年の中国の核実験を受け、佐藤は「(中国に攻撃されたら)米国が直ちに核兵器による報復を行うことを期待している。その際、陸上に核兵器用施設をつくることは簡単ではないが、洋上のものならば直ちに発動できると思う」と述べた。長官は「なんら技術的な問題はない」とここでも米国側の言質をとっている。

③そして、佐藤は1967年(昭和42年)12月11日、衆議院予算委員会の答弁に際し、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の、いわゆる非核三原則を表明した

佐藤の動き
60年・ジョンソン大統領の言質⇒65。年マクナマラ国防長官の言質⇒67年・「非核三原則」

お見事!

佐藤は、いわゆる「平和ボケ」で何の担保もなく、「非核三原則」を述べたのではなかった。

強かにも「日本は技術的にも経済的にも核を持つちからはあるが核は持たない。だからお前(米国)がそう(日本の核放棄)望むなら核を持ち込んで核報復を保証せよ」と米大統領と国務長官に迫り、それぞれ確約を得た。

そしてその後の「非核三原則」だったのだ。

ところが最近では「非核三原則」に、「議論せず」を加えて「非核四原則」だといわれている。

一連の外交文書公開で明らかになったことは、佐藤栄作は「非核三原則」を根拠なく唱える「非核論者」ではなく、リアリストとして平和を模索する実質上の「核武装主義者」であった。

彼は、核を持つという外交カードでアメリカを牽制しながらアメリカとの同盟関係を維持していた。

彼に与えられた「ノーベル平和賞」は「夢想平和主義者」としてではなく「現実的平和主義者」としての彼の政治活動に与えられたのだろう。

「みのもんた朝ズバ!」の与良解説員(毎日新聞論説委員)の佐藤批判の言葉が、逆に佐藤の正しさを証明しているようで興味深かった。

与良解説員:
「(佐藤の行為は)健全な核アレルギーを黙らせる行為」

アレルギーとは病的症状をいう。

病気に健全も不健全もない。

語るに落ちたぞ・・・「核アレルギー」はビョーキなのだ。

そして与良は、こうもいった。

「カマトトといわれようと、青臭いといわれようと、書生くさいといわれようと、核兵器反対!」

そう、彼らの「核兵器反対」は、「カマトトであり、青臭く、書生くさい理想論、いや夢想論」である。

これをを病人自ら吐露してしまったわけだ。(爆)

佐藤栄作は日本の安全を、そして平和を真剣に考えていたA級の政治家である!

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コメント (3)