「真景累ヶ淵」取り組みが遅れていますが、我がライフワークとしてとらえています。
前半部分が落語や芝居や映画で上演されていますが後半部分はそういうことにはなっていないようです。桂歌丸師匠が後半一部を纏めとして噺されてますが全部ではないようです。この噺は前半後半が繋がって三遊亭圓朝師匠の世界が全体像として訴えていると思います。そのことに魅了されてやりたいと決意したわけです。
この噺は圓朝師匠が幕末から明治に替わるときに書かれています。大きな時代の変革期、迷信から理屈の世界に替わるときと言っても良いかもしれません。そんな時師匠が書かれて自らが高座にかけられたことも気になるところです。
私は古希をむかえ我が人生を振り返り幾度か試錬に遭遇し、この師匠の作品をお借りして因縁因果の世界を表現してみたいと決意した次第です。どんな不幸なことと思って直面する出来事も、ある気付きによって大きく向きを変えていきます。
師匠のこの作品は象徴的に人を殺し殺されという展開で持って最後の最後に因縁因果の終着点に辿り着きます。