「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

カンボジアでのスタディーツアーに向けて準備を始める

2015-06-16 22:04:49 | 小村ゼミ
8時過ぎの新幹線で東京へ。20年近くお世話になっている四谷の歯科医院にて歯の治療。

ストレスが内臓に行かない分、無意識に歯を食いしばっていたのでは、とのことで、歯がボロボロ。
(そういえば、中米滞在中の1年は、歯医者に通う必要性を感じていなかった。
それだけ、日本の生活はストレスに満ちている、ということ、なのだろうか???)

大きな出費はあったものの、おかげさまでかなり持ち直す。
ただまぁ、素人判断でもあと3本、何とかしなくてはならないものあり。
しばらく通わざるを得ないよなぁ……。
まぁ、でも、しっかり治しておきなさい、ということ、なのであろう。

2時間を覚悟していたものが有り難いことに1時間弱で終了。
で、空いた時間に早稲田にオフィスを構える旅行会社へ向かうこととした。

「旅の坊主」が最初に海外に出たのが大学3年の時。

パスポート取得はもちろん初めてだが、飛行機に乗るのもその時が最初。
しかも、いきなりの1ヶ月の一人旅。航空会社は悪名高きPIA。
(Perhaps I arrive なのか、Perhaps I aliveなのか、未だに釈然としていないのだが。)

現地着は深夜なれどその夜のホテルも決めずに出国、というところから始まる、
デイパック1つ、ジーンズ2本、Tシャツ3枚という貧乏旅行だった。
思い出しても刺激的な旅、今につながる大きな転機でもあった。

大学教員になってから、学生には途上国体験をさせたい、とずっと思っていた。
ただ、スタディーツアーの意義にピンと来る学生に恵まれず、
また、引率してのツアーとなると万一の責任も問われる訳で、なかなか具体化出来なかった。

中米から帰って新生小村ゼミが始まった2012年9月、
ようやく機会を得て、6名の学生をカンボジア・シェムリアップに送ることが出来た。
残念ながらこの年は、「旅の坊主」自身は仕事の都合で参加出来なかったが、
2013年9月、2014年9月と、彼の地を踏むことが出来た。

一昨年は、全員の顔と名前、人柄を理解した上の引率だった。
だが、昨年は、添乗員付きツアーであることが災いしてか、何か勘違いしたのかは知らないが、
顔と名前が一致していない学生まで、参加してしまった。
(断ればよかったって?後から考えればその通り。)

海外も含めて一人旅に慣れた身にとっては、
学生を引率する責任はあるものの、出国から帰国まで添乗員さんがついてくれる旅は本当に楽だ。
ただ、学生にとっても話は同じ。
旅行の全行程で日本語が使えるし、文字通りの観光旅行として行くことが出来る。

これでは、教育効果はないな、と、思うようになった。
海外に出ようというのだから、多少の英会話くらいは身に着けておいてもらいたい。
さらに、カンボジアに行くのであれば、この国の歴史について、
特にキリングフィールドと呼ばれるものがなぜ生まれたのか、それなりの考えは持っておいてほしい、
そんなことを思っている。

そのことを踏まえ、今年は、現地集合・現地解散のツアーにしようと思っている。
で、過去3年、現地シェムリアップでの受け入れを担当して下さったOさん、
この方は、カンボジア現代史の生き証人であり、日本のカンボジア支援の最前線を陰で支えていた御仁なのだが、
この方の会社に頼もうと思い、早稲田まで足を伸ばしたような次第。

急な訪問だったが、オフィスには、シェムリアップのホテルでOさんと共に酌み交わしたSさんがおられた。
当方の要望を伝えた上で、具体的なプランを練ってもらうことをお願いする。

大学への帰路、学生への告知用のメールを書き始める。
現地集合・現地解散がハードルとなり、参加学生数が極端に減ってしまうかもしれない。
(注:シェムリアップへは直行便がないため、どこかの空港で乗り継ぎをしなくてはならない。
最低限のトラベル英語がわからないと、International Connecting Flightは、ちょっと厳しいかも。)
まぁ、それはそれでありかな、とも思う。
この機会に、本気で英語を勉強してくれれば、それでよいのだから。

過去3年、富士にある旅行会社にお世話になった。地元であるし、ご縁は切りたくない。
行ってみたいという学生クンが出てきたら、ランドオンリー部分はさておき、
現地へのフライトや保険等々については「まずはこちらを訪問してみなさい」と言うつもり。

さて、人数が集まるか、なのだが、こればかりは「ふたを開けてみないと」、であろうな。