「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

4年生B君によるWWⅠ~WWⅡまでの世界史概説に感謝を!

2015-06-25 23:51:21 | 小村ゼミ
木曜日午後は3、4年向け正規ゼミの日。
といっても小村ゼミは1、2年生にも開放しているので、下級生有志も参加。

ゼミが始まる前、4年生B君が4面ある黒板全体に、第一次世界大戦以降、日本の敗戦までの世界史について、
(「自分の勉強も兼ねて」と言ってくれたのだが)一通りのことを書いてくれた。

というので、彼にも手伝ってもらい、まっとうな社会人であれば備えておくべき、
一次大戦から二次大戦(日本の降伏)までの近現代史の常識について、一通りおさらいをすることになった。
個人的にも良い機会となった、と思っている。

3年生の一人が、遅まきながら本を読むことの重要性に気付いてくれたのか、
3冊目に取り組んでいるのが、歴史探偵こと半藤一利氏による、あの『日本の一番長い日』。
玉音盤を奪取してクーデターを起こしたところで、その先に何があるのか。
それは、過日話をした、マクロ経済的に勝ち目のなかった戦争になぜ踏み込んだのかにも共通するテーマ。
また、昨日書いた、「避難について議論するがまちづくりについては議論しない」防災への取り組み、
広く言えば、物事への近視眼的な取り組み、広く遠く見通すことに価値を置かないことにも通じるものがある。

歴史を、現代の感覚で解釈することが好ましくないのは当然のこと。
ただ、(時間的にも空間的にも)広く深い視野を持つことの必要性は、変わるものではない。
なぜ、そのような近視眼的な発想でモノを決めてしまったのか、そのことについて、
教訓を探るような姿勢はあってしかるべき、と思う。だから、歴史を学んでほしい、と!

中途半端に日本人論を繰り広げたくはない。
「真実は細部に宿る」のであり、本質的な議論を行うには、細部にわたっての詳細な議論が求められる。
ただ、大づかみな理解は、「健全な常識」があれば、そんなに難しいことではない。

なぜ、ワイマール憲法下のドイツは、ヒトラーへの全権委任法を産んでしまったのか。
なぜ、昭和10年代の日本は、泥沼化した中国戦線の幕引きをせずに、英米との戦闘を始めてしまったのか。
なぜ、太平洋戦争において、勝ち目がなくなった時点で、講話を提起できなかったのか。
等々。

近現代日本史を専攻とする訳ではない「旅の坊主」が、週2時間という限られたゼミの時間を用いて、
なぜ、ゼミ生とこの種の議論をしているのか、我ながら不思議に思う時もある。
それでも、これらの「なぜ」を我が物としてくれるならば、自立(自律)した市民へ、
多少なりとも近づいて行ってくれるのではないか、と思っている。

ただ……。

会期の大幅延長により、新たなる安保法制を成立させようという動きが抗しがたくなっている中、
徴兵制の復活も本気で危惧せざるを得なくなりつつある中(もちろんその背景の一つは少子化!)、
「旅の坊主」よりも長く生きる学生諸君の現実理解能力には、本気で危惧の念を持たざるを得ない。

「弾除け」に使われるのは若い人間であるだ、ということが明らかであるにも関わらず、
現実社会に関心を持たない一部ゼミ生を見ていて(「自分は大丈夫」「自分には関係ない」と思っているらしい)、
学力の低下は、生命維持の次元で取り組むべき課題になってしまっている、との識者の言葉を、
改めて考えさせられてしまう。

来週、昨年春に卒業したゼミOBが、ゼミを訪問してくれると言う。
働くとは何か。社会人とは何か。彼には大いに先輩風を吹かしてもらいたい、と思っている。
そして、その先輩風を受け、現役のゼミ生が、また下級生が、何かを考え始めてくれればよいのだが。


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