中米時間 2011年6月23日(木)
日本時間では昨日の話になるが、
この日6月23日は、
亡き昭和天皇が「忘れてはならない日」と言っていたという、
3つの日付の一つ、沖縄戦の慰霊の日。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
大田實海軍中将の決別電といって、ピンとくる者は、
本学の学生クンの中には、残念ながら一人もいるまい。
(そう思ってしまう自分が悲しく、そして多分事実であろうことは、
もっと悲しむべきであろうが……。)
『沖縄県民斯ク戦ヘリ:大田實海軍中将一家の昭和史』を
光人社NF文庫版で読んだのは、何年前のことだったか。
長男は広島で平和教育の第一人者となり、
三男は自衛隊による国際貢献のさきがけとなる。
一家の歴史がそのまま昭和史の一コマとなるような一家も、
そうはあるまい。
大田中将が長柄町、旧制千葉中学出身ということもあり、
千葉県民の一人としては、その生き様を覚えておきたい、
いつかは、摩文仁の丘に行き、平和の礎(いしじ)に行ってみたい、
そんなことを思っているが……。
それはさておき。
今回の2泊3日のコスタリカ行きも最終日。
8時半にホテルをチェックアウト、まずは国内に4つある国立大学の一つ、
UNED(国立通信教育大学)の付属施設、
直訳すれば「地域開発と地方自治体振興・能力開発のための研究所」へ。
(実のところ、UNEDのどこに連れて行かれるかまでは聞かされていなかった。
結果的にはベストの場所に連れて行ってくれたようで、本当に何よりであったが。)
コスタリカでBOSAI活動を展開させるにあたり、
CNE(国家災害緊急事態委員会)にがんばってもらうのは当然として、
これから先、力を入れるべきは、やはり国内に81+αある市の存在。
彼らがDIGのノウハウを身に着けてくれるならば、
土地利用について、また、住民向け教育について、
何かを変えることも期待できるだろう。
そのためにも、
自治体職員向けの教育もやっているというUNEDと、
一緒に活動が出来ればナンボ、という話。
先方としては、「旅の坊主」の見極め、という話もあるのだろう、
まずは7月15日(金)に2時間ほどの講義をすることで話がまとまる。
ここから先、どこまで面白くできるかは、こちらの腕次第、しゃべり次第、か。
一旦、JICA事務所に戻り、今後の活動予定の整理、昼食などの後
現地コーディネーターDさん、事務所のSさんと共にCNEへ。
いろいろと欠点もあるが、何だかんだ言ってもモノを考えているD氏との話は、
やはり楽しいし、刺激的でもある。そして話が決まるのも早い。
向こう3ヶ月、帰国までのコスタリカでの活動予定がほぼ固まる。
(比較してはいけないのだろうが、
パナマやホンジュラスでこういかないのはなぜなのだろうと、
考えざるを得ない……。)
予定は15時からだったが、20分ほど押して、
新任のナンバー2に挨拶が出来た。
サンサルバドルに戻る飛行機の時間の関係で、
十分な話は出来なかったが、
事情を知っているメンバーが同席していてくれたから、
あとのフォローはしてもらえるだろう。
駆け足だったものの、多くの手応えを感じることができ、
まずまずの出張であった。
自分へのご褒美に、ネルの袋で入れるコーヒーのセットを買う。
手入れが大変なことは十分理解しているが、
気分転換にはそれも良かろう。
空港には、ドライバーのMさんが待っていてくれた。
特に渋滞もなく、20時前には自宅に戻れた。
外に出ることも考えたが、結局、あり合わせでの夕食、
その後メールなど。
(中米時間6月25日夜 遡って記す)
日本時間では昨日の話になるが、
この日6月23日は、
亡き昭和天皇が「忘れてはならない日」と言っていたという、
3つの日付の一つ、沖縄戦の慰霊の日。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
大田實海軍中将の決別電といって、ピンとくる者は、
本学の学生クンの中には、残念ながら一人もいるまい。
(そう思ってしまう自分が悲しく、そして多分事実であろうことは、
もっと悲しむべきであろうが……。)
『沖縄県民斯ク戦ヘリ:大田實海軍中将一家の昭和史』を
光人社NF文庫版で読んだのは、何年前のことだったか。
長男は広島で平和教育の第一人者となり、
三男は自衛隊による国際貢献のさきがけとなる。
一家の歴史がそのまま昭和史の一コマとなるような一家も、
そうはあるまい。
大田中将が長柄町、旧制千葉中学出身ということもあり、
千葉県民の一人としては、その生き様を覚えておきたい、
いつかは、摩文仁の丘に行き、平和の礎(いしじ)に行ってみたい、
そんなことを思っているが……。
それはさておき。
今回の2泊3日のコスタリカ行きも最終日。
8時半にホテルをチェックアウト、まずは国内に4つある国立大学の一つ、
UNED(国立通信教育大学)の付属施設、
直訳すれば「地域開発と地方自治体振興・能力開発のための研究所」へ。
(実のところ、UNEDのどこに連れて行かれるかまでは聞かされていなかった。
結果的にはベストの場所に連れて行ってくれたようで、本当に何よりであったが。)
コスタリカでBOSAI活動を展開させるにあたり、
CNE(国家災害緊急事態委員会)にがんばってもらうのは当然として、
これから先、力を入れるべきは、やはり国内に81+αある市の存在。
彼らがDIGのノウハウを身に着けてくれるならば、
土地利用について、また、住民向け教育について、
何かを変えることも期待できるだろう。
そのためにも、
自治体職員向けの教育もやっているというUNEDと、
一緒に活動が出来ればナンボ、という話。
先方としては、「旅の坊主」の見極め、という話もあるのだろう、
まずは7月15日(金)に2時間ほどの講義をすることで話がまとまる。
ここから先、どこまで面白くできるかは、こちらの腕次第、しゃべり次第、か。
一旦、JICA事務所に戻り、今後の活動予定の整理、昼食などの後
現地コーディネーターDさん、事務所のSさんと共にCNEへ。
いろいろと欠点もあるが、何だかんだ言ってもモノを考えているD氏との話は、
やはり楽しいし、刺激的でもある。そして話が決まるのも早い。
向こう3ヶ月、帰国までのコスタリカでの活動予定がほぼ固まる。
(比較してはいけないのだろうが、
パナマやホンジュラスでこういかないのはなぜなのだろうと、
考えざるを得ない……。)
予定は15時からだったが、20分ほど押して、
新任のナンバー2に挨拶が出来た。
サンサルバドルに戻る飛行機の時間の関係で、
十分な話は出来なかったが、
事情を知っているメンバーが同席していてくれたから、
あとのフォローはしてもらえるだろう。
駆け足だったものの、多くの手応えを感じることができ、
まずまずの出張であった。
自分へのご褒美に、ネルの袋で入れるコーヒーのセットを買う。
手入れが大変なことは十分理解しているが、
気分転換にはそれも良かろう。
空港には、ドライバーのMさんが待っていてくれた。
特に渋滞もなく、20時前には自宅に戻れた。
外に出ることも考えたが、結局、あり合わせでの夕食、
その後メールなど。
(中米時間6月25日夜 遡って記す)
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