「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

第20回日本集団災害医学会に参加して

2015-02-28 23:08:51 | 危機管理
一昨日から今日まで、東京・立川で日本集団災害医学会が開催中。
早いもので、今回で20回という記念の大会を迎えた。
JICA専門家として中米に派遣中の1回を除いて皆勤という、「旅の坊主」が軸足の一つを置いている学会。

阪神淡路大震災の記憶も鮮明だった1996年1月、神戸で産声をあげた。
当時は日本集団災害医療研究会という名称だった。
この機会に、ネット上に残っている記録を確認したのだが、
第1回総会は招待講演1題のほか演題数18。生まれたばかりの小さな学会だった。
ちなみに「旅の坊主」、第1回総会では「自衛隊の災害派遣の展望」の演題で報告している。
アブストラクトが残っているが、今読み返しても、
我が事ながら、まともなことを言っているではないか、と思える出来。
(今日でもまったく遜色なく通用するというのは、良いのか悪いのか、ではあるが……。)

(ご関心ある方、以下をご参照下さいませ)
http://square.umin.ac.jp/jadm/kaisi/abst1.htm#AB1_11

15年前、同じ立川で開催されたこともあった。
その時点で学会員約500名、総会参加者は約200名だったとのこと。
会員相互の顔が見え、活発な議論が展開されていた学会だった。

東日本大震災から4年が経過しようとしている今日、再び立川で学会が開催されたのだが、
学会員3000名超、参加者2000名超という、大きな学会に育っていた。

20年が経ち、若い会員も増えれば、オールドメンバーが相対的に少なくなくなるのも道理なのだろうが、
知らない顔ばかりになったなぁ、というのが偽らざるところ。
まぁ、若い世代が増えていること、世代交代が進んでいることは歓迎すべきこと。
当方にも「昔話をするようになっては終わりだ」とのプライドもある。
次世代が育っていることを素直に喜ぶようでなければならないのだろう。

それはそれとしても、どこかに違和感があった。その原因を考えている。
(これだ!という答えは、しばらく見つからないのでは、との予感はあるが……。)

東日本大震災があり、DMATの活躍に触発された方々も多いだろう。
訓練、研修、新しいデバイスの開発、南海トラフ巨大地震・首都直下地震等々、
新しい発表ネタは幾つもある。
隣接学会とのコラボという新しい取り組みも行われるようになった。
数年経てば、落ち着くところに落ち着いていくもの、なのかもしれない。しれないが……。

ただ……。
相変わらず医療人が中心であり、相変わらず災害対応が中心である。
どうやれば被害を減らせるのかという観点からの議論は少ない。
災害医療の世界だけでなく、周辺世界へと目線が広がりつつはあるのだろうが、
20年前以上からそれを実践してきた身としては、
複数の学会の者を集めれば「事足れり」「素晴らしい取り組みでした」とは言えない。

通訳者の不足というべきか、共通の話題を立て損なったというべきか、
お互い相手の世界を知らないがゆえに的外れな議論も出てくるのも当初はやむを得ないとしても、
ともかく「話が噛み合っていない」となる。
「○○と△△を組み合わせれば、こういう面白い結果が出るだろうに……」というのが、
見えているだけに、もどかしい。

で、考える。50歳を超えた者が果たすべき役割は何だろうか。
やはり、災害医療の世界が目指すべき方向性はなにかを、
具体的なものとして見せること、ということになるのだろう。

医療機関の立地の再検討、危険な場所にある施設の長期的計画立案による移転、
私人としての自分と医療人としての自分との社会的衝突をさけるための自宅の安全性確保、
医療人による耐震性確保のキャンペーン、
「災害時に医療機関に助けてもらいたかったら、災害時は医療機関を助けなさい」という
コンセプトの具体化、
等々。

やるべき課題はすでに幾つも見えている。
とすれば、それらをうまくまとめて、一つの物語として提示するようにすること、
それが50代を迎えた、業界23年目の者に求められること。
学会での議論を聞いていながら、そんなふうに思ったところ。

医療現場の実務担当者向けDIG実施のポイント

2015-02-06 14:52:06 | 危機管理
我ながら、昨日の「震災対策技術展」での講演準備が相当のストレスだったようだ。
幸いにも立ち見も出る盛況のうちに終えることが出来、仲間との飲み会で元気ももらい、一晩寝て、
すっきりした状態で次の仕事に取り組めていることがありがたい。

で、ようやく明日の看護学生向けDIGの準備に本格的に取り組めるようになった。
過去に何度もやったことではあるが、改めて当日の進行&準備の勘所は何か、
メモを作っているところ。

「心を鬼にして、被災した家族を置いて病院に行きました」を
決して美談にしてはいけない。

そのためにも、自宅と立地と構造の確認、さらに家具・家電の転倒防止は何より重要。
さらに、幾つかしかるべきお役立ちグッズとローリングストックの備蓄食料も、
という訳で、まずはこの辺りの状況を確認するワークを行う。

ついで、災害時、医療機関がどうなるかをイメージさせる必要がある。
今まではグループワークを中心に考えていたが、明日は新規の取り組みとして、
①外来棟、②手術棟、③一般病棟、の3つの現場についてそれぞれ、
まずは個人作業による問題点の洗い出しとみえる化をやらせてみようと思う。
(改善策の検討については、従来同様グループワークでもよいかな、と思っている。)

第三段階は、医療機関周辺の被害についての見積もり
これについては標準的なワークシートもある。いつも通りで行けるだろう。

第四段階は、院内の被害と医療機関の立地、周辺の被害を前提とした上での、
初動対応マニュアルをまとめさせること。
この場合、指示を仰ぐのではなく、特別な指示がない限りは「(規定通り)○○をやります」と、
別命ない限りこちらから動くことが大原則であることを、徹底する必要はあろうが。

ここまで作り込んでおけば、多少のブレはあろうが、大きく迷うことはない。

さて、拙ブログにお付き合いいただいている皆さま、
こんなところで、医療機関向けDIGのイメージは伝わりましたでしょうか?

DMAT隊員として災害対応に従事する医療人向けには、
別途プログラムを作る必要があると思いますが、
それ以外の、一般の医療人向けであれば、こんなところかな、と思っています。
コメントや質問など、歓迎します。遠慮なくどうぞ。

後藤健二さんの死から私たちは何を学ばなければならないのか(その1)

2015-02-01 23:51:07 | 危機管理
後藤健二さん殺害の報に接し、謹んでご冥福をお祈りすると共に、
ご家族に心からのお悔やみを申し上げます。

後藤さん(と湯川さん)の拘束映像が流れてから、
かつて国際関係論を学び、また防衛庁(当時)の研究機関に勤めていた者として、
この問題について何を言えばよいのか、ずっと考えていた。

その際、我が身に言い聞かせていたことは、
人質解放に向け関係者は必死に活動しているであろうから、
(現在進行形のうちは)「岡目八目」「床屋政談」のようなことは言うまい、
ということであった。

不幸な結果が出てしまった今、その戒めを解いてもよかろう。
ただ、以下に記すのは疑問でしかなく、「旅の坊主」に答えを出す力はないのだが。

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論点1 なぜ、安倍首相は、イスラエルの地で「日本は中立的な立場だ」との宣言をしたのか。
その意図は何か。外務省はそれをなぜ止めなかったのか。

イスラエルについてのガイドブックを読めば誰でもすぐに分かる話だが、
「パスポートにイスラエル入国のスタンプがあれば
他のアラブ諸国から入国を拒否されることがある」と書いてある。

(ちなみに、「旅の坊主」がイスラエルを訪ねた時は、
帰国までに経由するアラブ諸国は穏健派のエジプトのみで、
かつ、パスポートの期限切れが近く、期限切れの前に他のアラブ諸国に行くことはない、
との判断で、普通に入国スタンプを押してもらったのだが。)

イスラエルに入るということ自体、アラブの世界では中立とはみなされないということは、
地球の歩き方の読者レベルでも常識だろうに、と思っていた。
外務省がそのことをわかっていないはずがない。

そして、ここは想像だが、「日本人二人が人質になっている」との情報が
外務省に入っていなかったとは思えないのである。

とすれば、この「ご本人としては中立と言いたいのだろうが、
客観的には誰がどう見ても中立とは受け入れられない」首相の記者会見を、
事務方として、なぜやってしまったのか、なぜやらせてしまったのか。
その思いが否めない。

「強行した場合、彼らにつけ込まれる口実を与えかねないのですが……。」
程度の意見具申が出来ないような組織であるならば、それは相当の危機的状況。
しかし、「官邸からの圧力でどうしてもエルサレムで記者会見を設定せざるを得なかったのだ……。」
というならば、まだ同情の余地がない訳ではないが……。

それとも……。
そのようなことは「百も承知、二百も合点」、つまりは織り込んだ上で、
「ご主人さま」に、「私達は中東の一部でも貢献しますのでどうぞよろしくお願いします」
そういうメッセージを伝えたかったのだろうか……。

「テロリストを決して許さない」との言説で誰を排除しようというのか。
誰を「敵」として位置づけようとしたのか。

「国際社会と連携」という言説で一緒に組んでやろうという相手が誰なのか。
その結果、(国際益なる抽象的なものではなく)どのような国益を得んがためであろうか。

疑問しか浮かばず、答えを持っている人とは接しようのない「旅の坊主」ではあるのだが、
ともあれ、しっかりと目を見開いて見極めなくてはならないことだけは間違いない。

論点2以降は、改めて。