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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

大湯ストーンサークル

2019-10-27 09:19:30 | 縄文への旅

<大湯ストーンサークル>

 

話は青森県のお隣・秋田県へと移りますが、

各々の縄文遺跡の状況などから見ても、

北部秋田や北部岩手の一帯が、

青森と同じ文化圏に属していたのは明らかです。

ちなみに秋田県は、全国で最もたくさんの

ストーンサークルが見つかった場所でして、

その数はなんと70か所以上。

中でも、青森県にほど近い鹿角市の

「大湯ストーンサークル」と呼ばれる環状列石群は、

日本を代表するストーンサークルとして知られています。

 

実は、今回の旅の中で、最後まで予定に入れるか

どうか悩んだのが、この大湯のストーンサークルでした。

といいますのも、青森全体に散らばる縄文スポットを

巡るとなると、思った以上に移動距離を取られるため、

十和田湖の南に位置するこのストーンサークルが、

どうしてもルートから外れてしまうのです。

しかしながら、北東北の縄文時代を俯瞰する上で、

この魅力的な遺跡を無視するのは忍びなく……、

ツアー最終日にまでさんざん迷いつつも、

他の予定を後回しにし、立ち寄ることを決心いたしました。


縄文集落の変化

2019-10-26 09:09:49 | 縄文への旅

<大湯ストーンサークル>

 

縄文中期から後期へと移るに従い、

多くの集落は人々の居住地外に「儀礼の場」を設け、

目印となるモニュメントも「ムラ」の外へと移されました。

恐らくそこ至るまでには、様々な経緯があったはずですが、

そのひとつが縄文中期後半に起こった

地球の寒冷化だといわれております。

 

何でも、温暖だった気候が極端に涼しくなったことで、

森や海の生態系が変化し、大規模な集落を維持するだけの

食料が確保できなくなったのだとか……。

そのため、人々は他地域への分散・移動を余儀なくされ、

日本最大の規模を誇った三内丸山遺跡も、

この頃には姿を消したと聞きます。

 

そして、それと入れ替わるようにして登場したのが、

「ストーンサークル」と呼ばれる謎の環状列石です。

もちろん、それ以前からストーンサークルは

存在しましたが、縄文後期に出現するストーンサークルは、

三内丸山などに比べて不自然なほど大型であると同時に、

数百年以上に渡り繰り返し石を運んでいた形跡が

見られるなど、様々な謎を残していたのでした。


縄文尺

2019-10-25 09:06:28 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡>

 

三内丸山遺跡の6本の掘立柱には、「縄文尺」

という長さの単位がふんだんに用いられており、

この時代の人々が「数」に強いこだわりを

持っていたことを示す証となっています。

ちなみに、縄文尺といいますのは、

35㎝を基準にした計測法のことで、

三内丸山遺跡だけに限らず他の遺跡に関しても、

この35㎝を一単位として、柱穴の間隔、幅、

深さなどを定めた形跡が随所に見られるのだとか……。

 

個人的に「35」という数字を目にしたとき、

真っ先に思い浮かんだのは、古神道や神道系の

宗教とも関連する三五(あなない)という言葉でした。

実はこの数字は、古代ユダヤとの関連も伺われる数で、

強い力を秘めたスペシャルナンバー

だという話を聞いたことがあります。

もし仮に、縄文人が「35」という数を

意識し集落を作っていたとすれば、

いったい何を根拠にその数字を選択したのか……、

非常に気になるところですね。


太陽ネットワーク

2019-10-24 09:00:59 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡>

 

日本一有名な縄文遺跡といっても過言ではない

青森市の三内丸山遺跡は、なんと1,500年もの長い間、

いわゆる「ムラ」の形式を保ち続けた場所なのだそうです。

これは、縄文時代全体を見渡しても極めて稀なケースであり、

これだけの長期間に渡り、繰り返し人々が暮らしてい

た痕跡が見られるのは非常に珍しいのだとか……。

恐らく、歴代の三内丸山の人々が

この地にこだわった理由のひとつが、

昨日ご紹介した6本の掘立柱である可能性も高いのでしょう。

 

通常であれば縄文後期になるに従い、

このようなモニュメントは集落外へと移され、

日常の場と非日常の場とが分けられる傾向が強いと聞きますが、

三内丸山の人々が最後まで集落内に、

これらの「信仰の聖地」を維持し続けた背景には、

6本の掘立柱(が示す太陽軌道)を動すことが

できない重要な理由があったと推測されるのです。

もしかすると、三内丸山遺跡の掘立柱は、

「他の巨木・巨石信仰の遺跡」ともつながる、

太陽ネットワークの一大拠点だったのかもしれませんね。


太陽と木柱

2019-10-23 09:57:57 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡>

 

掘立柱の遺跡と聞きますと、

思い浮かぶのが北陸地方の環状木柱列です。

何でも「木の柱」を要する遺跡というのは、

東日本の日本海側に集中して見られるそうで、

北陸地方の木柱列は、交流があった東北北部の

「掘立柱」に対抗する意識で造られたともいいます。

 

ちなみに以前、能登の真脇遺跡に関する記事を書いた際、

「木柱列の中で祭祀を行っていた」

という説があることをご紹介しましたが、

三内丸山遺跡の掘立柱に関しても、個人的にはやはり

「祭祀のために造られた」という見解に心が動きます。

といいますのもこの建物は、柱と柱の間に冬至の太陽が沈む

(逆から見ると夏至の太陽が昇る)ような設計になっており、

「太陽信仰」のモニュメントとして建てられたのではないか

という話に、非常に納得する部分があったからなのですね。

 

各地の「神社」の配置を見てもわかるように、

古くから人々は太陽の動きを熟知し、

太陽の動きに合わせて「聖地」を定めてきました。

三内丸山遺跡を始めとする縄文遺跡は、

「神社」が創建される遥か昔から、

「太陽信仰」が人々の意識に根付いていたことを

教えてくれる貴重な遺構なのかもしれません。


三内丸山遺跡

2019-10-22 09:53:12 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡>

 

いわずと知れた「キングオブ縄文遺跡」の三内丸山遺跡は、

縄文前期~中期にかけて青森県を中心に繁栄した

「円筒土器文化圏」を代表する場所です。

当時、この一帯はいわゆる「縄文の大都会」でして、

特にこの三内丸山遺跡の周辺には、

現在の県庁所在地に匹敵するほどの

「大規模集落」があったと聞きます。

 

ゆえに、この巨大遺跡から発掘された出土品は、

なんと段ボール箱4万個分、

土偶だけでも2千点以上にも及ぶのだとか……。

つまり、私などの微々たる知識では、

到底太刀打ちできないレベルの規模でありますので、

興味のある方はぜひ現地に行かれるか、

専門書をお読みいただくかして下されば幸いです。

 

で、三内丸山遺跡と聞いてまず思い浮かぶのが、

この遺跡のシンボルでもある、

6本柱の大型掘立柱建造物でしょう。

この建物については、「灯台」

「物見やぐら」「宗教施設」「御柱」など

様々な説が取り沙汰されているものの、

やはり未だに結論は出ていないようなのでした。


縄文遺跡へ

2019-10-21 09:09:04 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡>

 

現代人が縄文時代に思いを馳せるとき、

どうしても「縄文時代を現代に引き寄せる」

という癖を排除できないものです。

つまり、私たちが縄文人に気持ちを添わせるのではなく、

縄文を「現代の常識」から解釈しようとするため、

「精霊?」「宇宙人?」「そんなバカな……」

といった感覚に陥りやすいのかもしれません。

 

ただし、現代人が精霊や宇宙人を感知できないからといって、

絶対に彼らが存在しないとは言い切れず、

「その可能性も捨てきれない」と考えたほうが、

縄文の風景がよりリアルに迫ってくるのも確かでしょう。

そんなわけでして、解決したような解決しないような、

モヤモヤとした気持ちを抱えたままではありますが、

ここで一旦土偶の世界から離れ、

次の遺跡へと目を向けてみたいと思います。

 

続けてご紹介したいのは、「縄文遺跡の王」

として君臨する青森市の三内丸山遺跡です。

とにもかくにも、規模の大きさがハンパない

この遺跡には、現在「縄文村」が復元されており、

当時の生活を体験できる施設として整備されていました。


縄文人の対立

2019-10-20 09:52:21 | 縄文への旅

<是川縄文館>

 

縄文の人々がいわゆる「呪い」をかけていた相手とは、

実は「身内」や「同じ部族の人々」だったという話があります。

何でも、お互いの意見や主張が食い違ったとき、

腕力や話し合いで解決することが難しい対象であるがゆえに、

「呪術」という禁じ手を使い、

相手を改心させようとしたとも考えられるのだとか……。

これを縄文晩期の頃に置き換えれば、

遮光器土偶を崇拝対象として崇める人々に対し、

遮光器土偶を崇拝対象として崇めたくない人々もいたことから、

両者の間で激しい呪術合戦に発展したとも想像できるでしょう。

 

ちなみに、遮光器土偶が大量に造られていた時代、

同じ青森県内において、遮光器土偶とはまったく

異なるタイプの土偶が制作されておりました。

女性的な表現が際立つこの是川縄文館所蔵の作品は、

遮光器土偶にも似た顔の造作を持ちながらも、

身体には文様がなく手足もしっかりと装着されております。

あたかも古き良き縄文に回帰したようなその素朴なルックスは、

「遮光器派の人々」とは別の信仰を持つ人々がいたことを、

私たちに教えてくれているような気がしてならないのですね。


呪術合戦

2019-10-19 09:45:32 | 縄文への旅

<是川縄文館>

 

一説に、縄文時代というのは、他の時代に比べると

「海外との交流が極端に少ない時代」だったそうで、

縄文後期から晩期のあたりに渡来人が上陸するまでは、

いうなれば「ガラパゴス」に近い環境だったと聞きます。

縄文文化という地球上で唯一無二の文化が花開いたのも、

この「孤立状態」があったからこその収穫で、

縄文時代の人々は目に見えない

(しかし縄文人には見えていた)神や精霊、

そして「宇宙的な存在」とダイレクトに関わりながら、

その創造性を磨いて行ったのかもしれません。

 

逆にいえば、そういった存在と直接コンタクトが

取れていたがゆえに、「他国」「他国人」の

干渉を必要としない部分もあったのでしょう。

いずれにせよ、縄文人の間で行われていた呪術合戦とは、

他の外国のように、明らかなる「敵」が対象でない

ケースも多かったと個人的には考えております。

だとすれば、自らの土偶を媒介役にしたり、

相手方の土偶を奪い去ったりしながら、

「黒い」駆け引きをしていた相手とは、

いったい誰だったのでしょうか……。


吉凶混合の用途

2019-10-18 09:33:50 | 縄文への旅

<つがる市・木造駅>

 

青森県つがる市出土の遮光器土偶

「しゃこちゃん」を眺めておりますと、

自然と目が行ってしまうのが

「欠けている片足」の部分かもしれません。

「身体の一部が欠落してる」という現象は、

土偶全般に見られる特徴ではありますが、

それらの姿を目にするたびに、

やはり落ち着かない感覚を抱くもので、

もぎとられた片足の行方と、

もぎとった「誰か」の意図に思いを馳せるたび、

この時代に起こったであろう

「縄文らしからぬ出来事」が

蘇ってくるような気がするのです。

 

一般的に「土偶の一部を壊す」という行為は、

不具合のある部分を削り取ることで、

ケガや病気の治癒を願ったものだろう

という説が有力視されています。

一方、これらの破壊行為には、

それら白魔術の側面だけでなく、

相手の不運を願うという「黒魔術」

の要素があったとの噂もあるのですね。

もちろん、すべてがネガティブな道具

として使われたわけではないものの、

土偶は常に「吉凶混合」の存在だったと

考えるほうが自然なのでしょう。


人型の呪術効果

2019-10-17 09:24:16 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡・縄文時遊館>

 

以前、雄略天皇についての記事の中で、

「ドッペルゲンガー(分身)」

という現象についてお話しましたが、

実は縄文時代の土偶にも、

この「ドッペルゲンガー」につながる

厳しいルールが存在したと、

個人的には睨んでおります。

 

秀でた美的センスと超絶技巧を

合わせ持つ縄文時代の人々が、

あえて写実的な形象を避け、

土偶の顔をデフォルメしたのは、

人間を「生き写し」にすることで、

モデルとなった人物の魂が吸い取られて

しまうのではないかと恐れたのでしょう。

 

つまり、縄文人が人間以外の生体を模写したのも、

そして顔や身体の精密表現を避けたのも、

根底には「人型を造ってはいけない」という

暗黙の了解が存在していたような気がするのです。

 

そう考えると、縄文草創期~前期にかけて

制作された顔なし土偶が、

非常に理にかなったものであったと同時に、

中期以降に登場する土偶たちに関しても、

綿密な計算の元にギリギリの線を狙って、

造形を施されていたことがわかります。

 

恐らく、私たちがイメージする以上に、

「人型」には大きな呪術効果があり、

縄文人たちはその影響力を知っていたからこそ、

一貫して「人であって人ではない存在」の姿を、

土偶に反映し続けたのかもしれません。


縄文の掟

2019-10-16 09:17:13 | 縄文への旅

<是川縄文館>

 

縄文草創期~初期に造られた土偶には、

顔の表情はもちろん頭の部分さえ

存在しないような作品が散見されます。

その後、縄文中期に入ると、

ようやく簡素な顔のパーツを持つ

土偶が登場し始めますが、なぜか表現が

写実的になる風潮にはつながらず、

縄文晩期になっても、

一向に「人間の顔」は現れませんでした。

 

ちなみに、私たちが絵画や造形物などを見て、

「人間だ」と認識するのは、

その作品の中に「目」や「口」のような

ものが描かれているからだと聞きます。

それを前提に考えれば、

私たちは土偶の「目」や「口」に気を取られ、

自動的に「人間だ」と判断しているだけで、

本来は人間以外をモデルにした

可能性もあるのでしょう。

 

つまり、精霊や宇宙人を表すためには

顔が必要である一方、顔を正確に

表現することで人間と間違われてしまう……、

という矛盾を解消するために、

苦肉の策としてあの土偶特有の「奇妙な顔」

が出来上がったとも想像できるのですね。

さらには、もうひとつ重要な点として、

「土偶で人間を造ってはいけない」という

「縄文の掟」があったと推測されるのです。


土偶のタブー

2019-10-15 09:04:09 | 縄文への旅

 

<是川縄文館>

 

考古学的な面から考えれば、

胸部・臀部の膨らみや女性器を思わせる刻みなど、

「女性」「妊婦」などを示す

「証拠」が多々見られる縄文土偶を、

「豊穣や子孫繁栄を願うための造形物」

と推測するのは自然の流れです。

ただし、縄文時代の人々は、

あえて「人型」のキモである

「精密な顔の造作」を徹底的に避け、

宇宙人説まで囁かれるような

奇妙な風貌の偶像を造り上げました。

 

もし仮に、制作者たちが妊婦の

「安産」を祈ろうとしたのなら、

対象となる妊婦の女性に似た顔立ちや、

極めて人間に近いスタイルの

造形を選んだことでしょう。

また、当時の縄文人の技術を以てすれば、

現代彫刻に匹敵するような、

写実的な表現を極めることも容易だったはずです。

 

ならばなぜ、縄文の人々は

自らのスキルを封印してまで、

人間の「リアルな描写」を

拒もうとしたのでしょうか……。

もしかすると、縄文の人々の共通認識として、

「人間の顔を描いてはいけない」あるいは

「人間の形を正確に写し取ってはいけない」

という決まりがあったのかもしれません。

千差万別なデザインの土偶を眺めておりますと、

「何らかのタブー」を犯さないために、

縄文人たちはあえて土偶の輪郭をぼやかし、

曖昧に処理しようとした形跡が透けて見えるのですね。


土偶精霊説

2019-10-14 09:58:27 | 縄文への旅

<是川縄文館>

 

「土偶=宇宙人」説と同様に、

多くの賛同者を集めているのが「土偶=精霊」説です。

まあ、どちらも「人間ではない人間のような生き物」

という意味では同意義ですが、「宇宙人説」に比べると、

「精霊説」のほうが日本人には馴染みやすく、

また縄文前半の「地母神系土偶」の存在を踏まえても、

土偶が精霊を模したという話には、

さほど違和感がないかもしれません。

 

ちなみに「土偶」という造形物を見た当初、

私が第一印象として抱いたのは

「縄文時代には、こんな人たちが

たくさんいたんじゃないか」という感覚でした。

恐らく縄文人は、自らが造り上げた造形物に、

常に深遠なメッセージを込めていたわけではなく、

「当たり前の日常」を素直に

模写したケースも多いのでしょう。

 

彼ら・彼女らの周りには、

当然のように精霊が行き交い、

また頻繁に地球外生物と

交流していたとも考えられます。

もしかすると、現代人である私たちのほうが、

勝手に「見えないものはいない」

という固定観念に縛られているだけで、

実際の縄文時代というのは、

もっと多種多様な生き物が共存する

バラエティーに富んだ世界だったのかもしれません。


土偶異星人説

2019-10-13 09:54:54 | 縄文への旅

<是川縄文館>

 

古今東西、土偶に関する様々な

「噂」が消えては出現する中で、

常に一定の支持を得ているのが、

「遮光器土偶は宇宙人」という説です。

まあ、専門家の立場に立てば、

まったくもって荒唐無稽な話でしょうが、

あれやこれやと想像力を巡らせてみた結果、

個人的には「意外にアリかも」と思っているのですが、

皆さんはどうお感じになられるでしょうか……。

 

ちなみに、月間ムーの過去記事によりますと、

遮光器土偶を目にしたロシアの評論家は、

「古代に地球を訪れた宇宙服姿の異星人がモデル。

頭部にあたる部分はヘルメット。

頭頂部にある角状の突起はアンテナ類。

大きな目は文字通り光を遮るための遮光器だ」

と論じたのだとか……。

その証拠に遮光器土偶のフォルムは、

NASA(アメリカ航空宇宙局)が公表し

た宇宙服と極めてよく似ているのだそうです。

 

日本だけでなく世界各地でも、

「宇宙人」を模したような遺物が

発見されるという事実を踏まえれば、

「遮光器土偶・宇宙人説」を

デタラメ話と一刀両断にする前に、

「仮に宇宙人だとしたら……」という視点で、

遮光器土偶を眺めてみるのも、

新たなインスピレーション得る

きっかけとなるかもしれませんね。