<是川縄文館>
縄文の人々がいわゆる「呪い」をかけていた相手とは、
実は「身内」や「同じ部族の人々」だったという話があります。
何でも、お互いの意見や主張が食い違ったとき、
腕力や話し合いで解決することが難しい対象であるがゆえに、
「呪術」という禁じ手を使い、
相手を改心させようとしたとも考えられるのだとか……。
これを縄文晩期の頃に置き換えれば、
遮光器土偶を崇拝対象として崇める人々に対し、
遮光器土偶を崇拝対象として崇めたくない人々もいたことから、
両者の間で激しい呪術合戦に発展したとも想像できるでしょう。
ちなみに、遮光器土偶が大量に造られていた時代、
同じ青森県内において、遮光器土偶とはまったく
異なるタイプの土偶が制作されておりました。
女性的な表現が際立つこの是川縄文館所蔵の作品は、
遮光器土偶にも似た顔の造作を持ちながらも、
身体には文様がなく手足もしっかりと装着されております。
あたかも古き良き縄文に回帰したようなその素朴なルックスは、
「遮光器派の人々」とは別の信仰を持つ人々がいたことを、
私たちに教えてくれているような気がしてならないのですね。