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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

神宝の行方

2018-02-05 09:55:55 | 剣山・イスラエル

<剣山・見ノ越>

 

剣山のどこかに、「ユダヤに関する何か」が

隠されていたのは恐らく事実だと思われます。

ただし、それが世界中の人々が探し求めている

「契約の箱(ソロモンの聖櫃・失われたアーク

・三種の神器……等々)」なのかと問われると、

何とも言えないというのが正直なところです。

いずれにせよ、当時持ち込まれた宝物は、

現段階ではすでに別の場所に移動したか、

朽ちてしまった可能性も高いのでしょう。

 

一説によりますと、最初にこの阿波の地へと

古代イスラエル人がやってきたのは、

モーゼの時代だったという話があります。

そして、モーゼ一行が来日したあとも、

故郷を追われた古代ユダヤ人たちが、

およそ千年以上もの長い月日をかけ、

次々と日本各地に移住してきたのです。

 

古い時代にたどり着いた部族の末裔は、

すでに日本人として土着化していたため、

新たにやってきた同郷の渡来人との間で、

様々な軋轢が発生したことでしょう。

恐らく、その過程のどこかでは、

各々の部族のシンボルである「神宝」を、

隠したり移動したり、あるいは

奪ったり奪われたりといった場面が、

繰り広げられたのかもしれません。


移動する宝

2018-02-04 09:50:43 | 剣山・イスラエル

<剣神社 つるぎじんじゃ>

 

剣山山頂へと伸びる登山道の玄関口、

見ノ越にある剣神社の一帯には、

「修験」の匂いが強く漂っておりました。

もし仮に、契約の箱(ソロモンの聖櫃)が、

山頂付近に埋められていたとするなら、

聖域を守る修験者たちは、ここを拠点とし、

山へと侵入する許可を得たのでしょうか……。

 

イスラエルの地を離れてから、

日本へとたどり着くまでの間、

古代ユダヤの人々は、立ち寄った土地々で、

幕屋と呼ばれる移動式の神殿を建てながら、

ひとつの場所に長期間留まることなく、

東方へ向け旅を続けました。

 

もちろん、長旅の途中であったため、

固定式の神殿を作ることが難しかった、

という理由もあるのでしょうが、

その裏には「神を一か所に留めるな」という、

「戒め」が含まれていたと感じるもの。

日本という安住の地にたどり着いてからも、

神の依り代であるユダヤの神宝(主に剣)は、

常に移動を繰り返していた可能性もあります。


修験者の役目

2018-02-03 09:44:27 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

剣山登山口の剣神社以外にも、

剣山の山頂周辺には、

大剣神社や宝蔵石神社など、

大小さまざまな社が鎮座し、

巨大な磐座や深い洞窟の類も、

数多く存在すると聞きます。

また、「修験の山」でもある剣山は、

修行のための行場があちこちに作られており、

調べてみたところそのコース内には、

小さなお社や祠が点々と置かれていました。

 

これだけ限られたエリアに、

複数の神域があるのには、

何か特別な理由がありそうです。

もしかすると「秘宝の埋蔵場所」から、

人々の目を逸らすために、

たくさんの「入り口」を設けたのでしょうか……。

ちなみに、修験者独特のいで立ちは、

古代イスラエルとの共通点を示唆する、

よく知られた比較対象でもあります。

 

仮に、日本とユダヤとのつながりを示す証が、

剣山や修験の山に隠されていると想像すれば、

古代神官の身なりを模した修験者は、

「修行」の名目で山々を駆け回りながら、

不審者の侵入に目を光らせていたのでしょうか……。

もしかすると複数の行場を作ることで、

ユダヤの秘宝を守ろうとしたのかもしれません。

「剣」「修験者」そして「古代イスラエル」 との間には、

やはり深いつながりがあるようです。


鶴と亀

2018-02-02 10:13:22 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

剣山(つるぎさん)という名称は、

もともと鶴亀山と表記したそうです。

現在も、剣山山頂付近には、

鶴と亀を模した自然石があり、

その下には明らかに人為的な形跡を残す、

謎の鍾乳洞が広がっているのだとか。

有名な童謡「かごめ歌」の一節である

「鶴と亀がすべった」という箇所も

実は剣山(鶴亀山)のことを指し、

「夜明けの晩に剣山の封印が解ける」

という意味が込められていると聞きました。

 

ちなみに、かごめ歌やさくらさくらなど、

日本に古くから伝わる「歌」の多くは、

ヘブライ語での解釈が可能だとされ、

その意訳を読むと、非常に意味深な内容が

多々含まれていることに驚きます。

もしかすると、鶴と亀という形象は、

古代イスラエルの人々が、目的地である

日本へとたどり着いた喜びの証なのでしょうか……。

それとも、大切な宝物の在処を示す、

重要な暗号として残されたのでしょうか……。


ユダヤの剣

2018-02-01 09:55:37 | 剣山・イスラエル

<剣山・見ノ越>

 

剣山の登山口に鎮座する剣神社には、

「剣」にまつわる伝承が残っています。

また、近隣の祖谷のあたりでは、

「壇ノ浦の戦いで入水したとされる

安徳天皇が、実はこの地にまで落ち延び、

平家の再興を願って剣を奉納した」という、

古くからの言い伝えがあるのだとか。

この山に「剣」の文字が使われた背景には、

それなりの歴史的根拠があったのでしょう。

 

ちなみに、全国の「剣」に関連する神社を

あれこれと調べてみますと、

その多くに「古代イスラエル」の陰が、

見え隠れしていることに気づきます。

よく知られたところでは、

石上神宮、熱田神宮、諏訪大社など、

すべて渡来人との縁が深い場所です。

剣山という名称が指し示しているのは、

いったいどんな「剣」だったのでしょうか……。


古代の知識人

2018-01-31 09:51:22 | 剣山・イスラエル

<夫婦池 ふうふいけ/めおといけ>

 

剣山および四国という土地は、

「ため池」が多いことでも知られ、

その数は数百~数千とも言われています。

雨の少ない瀬戸内側の平野に、

ため池があるのはわかりますが、

標高1000m以上はあるはずの、

剣山頂上付近で見かける「池」には、

何とも不可解な印象を受けるもの。

やはり古代この地には、治水技術に長けた、

「知識人」が暮らしていたのでしょうか……。

 

ちなみに、「剣」という名称とは裏腹に、

剣山山頂のほとんどは「平坦地」であり、

また、山焼きの風習が伝わる近隣の山々などは、

森ではなく「草地」の箇所も多かったようです。

周辺の集落で聞いたところによりますと、

その昔は山を切り開いて農地を確保し、

食料となる穀物を育てていたのだとか。

「何日も泊まり込みで作業するため、

しばらく家に戻れないこともあった」と、

地元のおばあさんは語ってくれました。


人口のため池

2018-01-30 09:39:21 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

四国という地は特に暑い季節になると、

水不足に悩まされることで有名な地域です。

しかし、付近一帯が取水制限を

強いられている時期でさえ、

なぜか剣山周辺には水があふれ、

山頂近くにある多くの滝からは、

枯れることなく水が流れ落ちていると聞きます。

実際、剣山に向かって車を進めている最中も、

たくさんの滝を目にしましたし、

ふもとの道の駅では「剣山の水」なる

ペットボトルが売られていました。

 

普通に考えると、山に蓄えられた水が

滝の流れへと変化するためには、

ある程度の距離・落差が必要でしょう。

しかも、「山頂が平らな土地」という

特殊な剣山の地形を考慮すれば、

山の頂上あたりから水が噴き出る様子は、

想像しにくい現象でもあります。

実は、剣山山頂の地下には、

「人工の水溜めが作られている」

という噂が存在していたのでした。


3の解放

2018-01-29 09:34:45 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋に、

「3つ」のルートが存在しているのと同様、

剣山に向かう主なルートも三か所あります。

「3」という数字は非常に意味深な数字で、

三種の神器、三貴子、三神一体

といった表現にも使われるように、

何か大切なものを「開放・発展させるとき」、

「3」の力を必要とするのです。

 

ちなみに、「3」という数字が表すのは、

陽である「1」と陰である「2」とが

合わさった「陰陽和合」だと言われています。

もしかすると、陰の聖地であった

剣山の封印を解くためには、

3つの鉄の橋と3つの登山道路を

整備しなければならなかったのかもしれません。


4の封印

2018-01-28 09:29:13 | 剣山・イスラエル

<善楽寺 ぜんらくじ>

 

四面楚歌という言葉がありますが、

四国の「4」という数字は、固定・幽閉を意味し、

人の目から何かを隠すためには最適な数字です。

また、四国八十八か所の「8」は、

4の倍数であり「無限」を示すと同時に、

八咫鏡・八十握剣、八坂瓊勾玉、八咫烏など、

古代より呪力を持つ数と考えられてきました。

 

八十八か所という文字をじっくり分析しますと、

「八」+「八」=16という裏読みができ、

皇室の菊の御紋を表す数へとつながります。

また、出雲やスサノオとの縁も深いのが、

「4」や「8」という数字です。

「4」「8」に囲まれた四国という土地には、

どんな呪文がかけられているのでしょうか……。


鉄の橋

2018-01-27 09:26:45 | 剣山・イスラエル

<徳島マリーナ>

 

本州四国連絡橋と呼ばれる、

四国と本州とを結ぶ3つの橋がかけられたのは、

昭和から平成の世へと切り替わる前後の時期でした。

それまで、二つの土地をつなぐ陸路や鉄道はなく、

四国に入るためには、船や飛行機を使うしか、

移動の手段はなかったそうです。

 

ちなみに、四国ゆかりの僧・空海は、

「カネ(鉄)の橋が架けられたとき狐が戻る」

といった内容の逸話を残したと言われています。

何でも四国に狐に関わる昔話が少ないのは、

悪事ばかり働く狐を空海が外に追いやったからで、

それらの狐が「鉄の橋」が出来たことをきっかけに、

海を渡って四国へ戻ってくるのだとか。

 

大本教の教祖である出口王仁三郎も、

「明石海峡に橋が架かれば神の戸が開く」

といった内容の予言を残したと言われており、

空海が予言する「狐」の動向と合わせ、

今後四国の謎がどのように明かされて行くのが、

非常に興味深いところですね。


石の助け

2018-01-26 09:29:27 | 剣山・イスラエル

<穴吹町・田方地区>

 

名もなき磐境が設えられていたそばに、

古いお堂がポツンと建っていました。

阿波の至るところで見かけるお堂は、

「もしや集落ごとにあるのでは?」

と感じるほどあちらこちらに点在し、

この地の風景にしっくりと馴染んでいます。

 

神道、仏教、そしてユダヤ教とが、

絶妙にブレンドされた阿波の地は、

昔から宗教都市としての下地があったのでしょう。

仮に、新しい教えが入ってきても、

元の信仰を潰すようなことはせず、

上手に共存しながら暮らしてきたのかもしれません。

 

石積みの人工物というのは、

神道にも仏教にもユダヤ教にも共通する、

「最も原始的な宗教の型」だと思われます。

古代の人々が、白石を手に聖地へ向かったように、

大切な神の教えを忘れないためには、

「石の助け」が必要だったのです。


名もなき磐境

2018-01-25 09:25:27 | 剣山・イスラエル

<穴吹町・田方地区>

 

磐境神明神社を出てその日最後に訪れたのは、

穴吹川を挟んで反対側の集落にある、

名もなき小さな祭祀場でした。

磐境神明神社の磐境を小ぶりにしたような、

その特徴的な形の石積みは、かろうじて

人ひとりが入るスペースを残すのみで、

腰高ほどの草木が周りを覆っています。

 

民家の隣の空き地に忽然とあらわれた

祭祀場の背後には、山や森などは一切なく、

祭壇の中央付近に一本の木が立っているだけです。

通常このような場所は、山や川の

そばで見られることが多いのですが、

人家が点在する集落の入り口に、

自然信仰の場にも似た聖域が作られた裏には、

いったいどのような経緯があったのでしょうか……。

 

この地の祈りの場所を巡っていますと、

自然そのものを拝むというより、

自然を支配する神への意識を強く感じます。

それはもしかすると、イスラエルを出発し、

日本にたどり着くまでの長い道のりの中で、

草木の育たない大陸の荒れ野に磐境を築き、

祈りを捧げてきた記憶の残像なのかもしれません。


生きた祭祀

2018-01-24 09:23:00 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

磐境神明神社の磐境を見たときに感じた、

ある種の「生々しさ」というのは、

もしかすると、長い間この石積みの

礼拝所の中で行われてきた、

「生きた祭祀」の残り香に

触れたからなのだと思います。

 

古代の人々の思いを凝縮したこの場所は、

単なる自然信仰の場ではなく、

「神と人」との濃厚な接触の跡が、

そこかしこに漂う聖地だったのです。

千年以上もの間、この地を守ってきた

忌部氏とはどんな部族だったのでしょうか……。

 

古代イスラエルの伝承と忌部氏の伝承とが、

背中合わせのように共存するこの剣山には、

人々の目から逸らしたかった裏の歴史、

そして古事記や日本書紀には決して登場しない、

「もうひとつの日本史」が 刻まれているのかもしれません。


乾いた大地

2018-01-23 09:20:42 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

もともと鬱蒼とした森に囲まれていた、

磐境神明神社の参道(および境内)ですが、

現在は落雷の被害により倒れた木と木の間に、

ようやく新たな緑が育ち始めたばかりで、

他の神社の鎮守の杜と比較すると、

ある種無機質な印象を受けます。

 

と同時に、周囲の森が取り払われたせいか、

山全体が人工建造物のような趣を醸し出し、

古代この地に住み、礼拝所を作った人々意図が、

にわかに炙り出されてきたような感覚も覚えました。

 

その昔、剣山山頂を切り開いた人々は、

磐境神明神社を建てるにあたり、

木々を伐採し整地したのかもしれません。

剣山の地に足を踏み入れますと、

目の前の緑の森に重なるように、

アジアの乾いた大地が透けて見えてくるのです。


神の警告

2018-01-22 09:16:26 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

磐境神明神社の周囲の木々は、

不自然に枯れたり根元から切り倒されたりしており、

参道の最上段に立ってあたりを見渡しますと、

周囲の山々や集落の様子までもが一望できる状態です。

何でも数年前に発生した落雷の被害で、

ふもとの白人神社のご神木や鳥居だけでなく、

磐境神明神社の森や鳥居も破壊されてしまったのだとか。

 

ネットで確認した当時の写真には、

まるで神社を目がけて爆撃があったかのように、

石製の鳥居が中央から砕けて石段に散らばり、

参道の木々が赤茶色に焼け焦げている様子が映っていました。

昨今、神社のご神木が倒壊したり、

神社の社殿が壊れてしまったりと、

自然災害による神社の被害が目立ちますが、

磐境神明神社の状況はとりわけ衝撃的です。

 

ちなみに、磐境神明神社の主祭神は、

「国常立大神」だと言われています。

「天から警告」を受ける神社の中に、

国常立大神をはじめとする

国津神系の神社が目立つのは、

果たして偶然なのでしょうか……。

鳥居を壊したこの地の神は、

鳥居を造らないよう強く戒めた、

栗枝渡八幡の神と同じ神なのかもしれません。