新刊をご案内すると、ご注文のメールとともに、近況のご報告が読者の方からあります。
花風社の本を読んでよくなったという方の数は(アンチは信じないだろうけど。一生信じなくていいよ)実は驚くほど多いのですよ。だからこそ、新刊が出ると本を必ず読んでくださる方たちがいるわけですからね。
その多くが、身体アプローチを心がけて、驚くほど障害特性そのものがよくなっていったというご報告です。
一方で嬉しくないご報告もあります。
死んだふり支援の多さです。
多くの方たちが、死んだふり支援の被害を受け、このブログを通じて死んだふりに気づき、そこと距離を置くことを選んで(利用者しつつも自力を優先させるというかたちでも)事態を改善させています。
良くなれば結構。でも無駄になっている死んだふり支援にも皆さんの血税が支払われていることは忘れないでおきましょう。
ギョーカイはイメージ戦略のためか、発達障害とエジソンやアインシュタインをリンクさせようとします。
一方で知的に高い人たちにも、福祉就労と障害者年金のパッケージを押し売りします。
これ、なんでだろうと不思議に思っていたのですが、過疎の地からのご報告を見てわかりました。
要するに知的障害のない人たちを支援の対象に組み込んだとき、新しく勉強する気のない事業体を存続させることを優先させるため、知的障害のない人たちの人生をあくまで縮小再生産に留めて置かないとまずいわけですね、死んだふり支援ギョーカイは。
知的障害の人にも障害者として生きることを勧めるのは、ご本人たちのためではなく福祉ギョーカイ存続のためです。
だからこそ、別に障害があっても、一般枠で生きる道もあるよと私は度々言っています。
それを実現させたちゅん平さんは、最初から一般枠で働くことを否定されると、何のために支援を受けているかわからない、と言います。本当にその通りです。
けれどもここでまた、嬉しいニュースも聞きます。一般枠で、バイトの面接に受かった、とか。
「自閉症だけど頑張ります」と履歴書に書いたら「なんだかわからないけど頑張って」と。世間の認識って、実はその程度にゆるいです。障害があろうとなかろうと、給与に見合った働きをすればいいだけ。
そしてギョーカイから飛び出して、世間の風に当たるとぐっと経験値が伸びます。
ニキさんや藤家さんが浅見さんと出会って良かったと時々言われるのはなんでなのか自分ではわからなかったんですけど、おそらく世界が広がって行くきっかけになったんだと思います。きっかけがあれば、世界は広がっていきます。そして一般社会には、伸ばす力があるのです。