夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ヒメヒマワリ?   知らないことが多すぎる  リバースアダプターのテスト

2008年06月18日 10時50分20秒 |  デジカメ練習帖


ゴッホが花瓶に挿したヒマワリを何点も描いていますけど、あれは「ソレイユ サンプル グラン」という品種なんだそうです。
花の直径が30センチ近いヒマワリだそうですけど、というとあの花瓶ってかなり巨大な花瓶?
なんだかヒマワリの絵を見ているともっと小さな花を想像するのですけど、それは間違いなのでしょうね。

ということで今日は小さなヒマワリ。
花の径は7,8センチしかありません。
こちらも、私はヒメヒマワリはキクイモモドキのことだとずっと思っていました。
ところがよくよく見ていると、多摩川などに自生して、知人には「試食する」って食べられているキクイモモドキは葉っぱも花弁の付きかたもちょっと違うように思えてならないのです。
こちらも間違いなのでしょうか。



恥かきついでに、オールドローズを一品入れておきます。
この花、最近赤みが強く、中のしべがわっと開くのがあります。
花が固まりになって咲くので他のピンクの花のなかに、赤紫の花が一つ、二つとあるとよく目立ちます。
今までのものはこの写真のようにかたまったまま終わりました。
こちらは普通のピンクのほうです。






今日はクローズアップの練習でした。

トップの写真はニッコールマクロ55mmにリバースアダプターを使用。
   1秒、F3.5 

真ん中の同じレンズにクローズアップレンズを使用。
   1/5秒 F22
   プラス1補正

下の写真はニッコールマクロ55mmにリバースアダプターを使用。
   1/2秒 F3.5
   


蛍、 でもただの日記ですよ  (追加しました)

2008年06月14日 22時09分22秒 |  岬な日々


今日は、朝のうちにちょっとしたドライブ。というのか日課のスポットを回ってみましたけど、何もなし、、



最後に国吉のスーパーで昼の食事の材料と酒粕と瓜を買いました。
糠漬けからちょっと遠ざかりましたので、次は粕漬けに挑戦しましょう。
でもあの糠はどうなったでしょうね~ 袋を開けてみるのがちょっと怖い。
ついでに隣の百均によってみて、両手いっぱいの買い物、、、百均ってどうしてこうも魅力的なのでしょうね~

連れが「今日の夕食ではおすしを盛大に食べるから昼は少しだけにする」って騒いでいましたので、隣のカンパーニャを横目で眺めながらしぶしぶ家へ、、



さてさて、夕食はお目当ての大原の「流石」
ご近所さんがとってもおいしいと書いておられましたので、覗いてみました。



今日はすしがお目当て。
普通のすし屋さんみたいにいろんな材料がそろっているわけではありません。
黄色の張り紙を見ると、肉じゃがとか、鳥の手羽焼きとか、ホルモン焼きとか、魚とは関係のないメニューが並んでいて、途方にくれてしまうかもしれません。
でも魚はその上の黒板に書いてありました。
その日に上がった材料、ほとんどが青魚ですけど、が黒板にならんでいます。
でも、なにもここへ来て、遠洋物などを食べる必要がありますか?

私のお勧めは、生本マグロのトロと焼きホタテのすし。
生本マグロは勝浦で上がるそうで、もう少しすると薄くしないとってオーナーはのたまわっておりましたよ。

仕事をしていてまだ懐に余裕があるときでも、貧乏性の私にはおすし屋に入るってなんとなく勇気が必要でした。値段が高いお店もありますけど、それ以上に感覚的に私ごときには贅沢だって気持ちがどこかにあり、それを振り切るのが一つの儀式でした。
店に入っても、私にとって、大トロっていうのはいつまでたっても高嶺の花という気分がぬぐえなくて、、、
大トロを食べたい。でもあんな贅沢なもの、、、って注文を出す前には心の葛藤がひとしきりあり、負けると「中トロください」って、、、それでも清水の舞台から飛び降りるような気分で叫んでいたんです。
ここのマグロのトロは、多分大トロ。でもここは勝浦で上がった生の本マグロを使っていますし、獲れた物を即まな板に載せているのじゃないかな。
熟成をしていないような気がします。
だから大トロのあの、舌の上でとろけてしまうような口当たりはありません。
でも一度この大トロを食べたら、その味に驚かれると思います。
そして病み付きになっても私は知りません。
自己責任ということでお願いしますね。
余計なことですけど、この生本マグロのトロ。4個で1000円でした。

ホタテは本来、それほど好きな食材ではないのですけど、ここの焼きホタテは噛むと味がじわ~っと口に広がって、すごくおいしかった。でも、焼くのは数に制限があるようですので、運がよければお口に入るでしょう。
焼きにまわすほたては高すぎて儲けが出ないんだそうです。

すしを一通りつまんで、上がりに茶碗蒸しでもと注文いたしました。
二つって注文しましたら、一つで十分ですよってことで、一つ頼みました。
やってきました。直径17,8センチもあろうかというどんぶりいっぱいに茶碗蒸しが入っておりましたよ。これじゃ、4,5人いても十分でした。



予備知識では、ものによってすごく量の多いものがあるとのことでした。
握りも、黒板には8個でいくらって書いてあります。もちろん1個でも2個でも注文できるのですけど。
厚焼き玉子は卵を10個使ったものだし、肉じゃがはやはり4,5人前くらいの量があるとのことでしたが、茶碗蒸しもそうだとは聞いていませんでした。

あなたがデートをしようとしていて、お店の雰囲気を重視するなら、この先の大原台の五穀とかその上のイタリアンをお勧めします。
五穀は味も私好みです。イタリアンは以前、国吉のカンパーニャ(昼のスーパーの隣のお店ですね。この辺りでは私のイチオシのイタリアンです)のシェフをやっていた人が入っています。カンパーニャでは地元産の素材の味を重視した調理でしたけど、ここは塩味がかなり強い。私には強すぎると思ってます。でもこの2店は雰囲気はすばらしい。

かっこよりも味ですよって言われるあなたには「流石」はぜったいお勧めの店であることは疑いありません。だけどこの店の紹介記事にはどれをとっても美味しいとは褒めてあっても、どれにも場所を書いていないのですね。だから私も大原の国道沿い、ちょっとだけ表から入るとだけ書いておきます。



帰りしなに、昨日いすみの環境と文化のセンターで見た情報「蛍は5月に終わりました」というのを確かめに、家の前の田んぼに参りました。
いや、すごい、たくさんの蛍が乱舞していました。源氏蛍だと思いましたら、来ている人が平家蛍だというのですね。この辺はちょっと調べてみないと判りません。

追記
  あるHPで源氏蛍は2-4秒に一回ゆっくりと光る、平家蛍は2秒に一回、比較すると早く点滅と出ていました。ということはここの蛍は源氏蛍のようですね。

蛇の足です;
平家蛍は源氏蛍の源氏の対ということで名前がつけられたそうです。
でもその源氏蛍の源氏はというと、これが実に光源氏から来たそうです。
ローラースケートは履いておりませんけど、こちらが本家だそうですよ。


写真のほうは、三脚を立てて30秒で抑えてみましたけど、一枚も使い物になるものはありませんでした。そういえば、去年もここで失敗した後、蛍の撮影を練習しようと心に誓ったのでした。
こちらでは山田の蛍が有名ですけど、数も、車の止めやすさからいってもこちらがベターだとおもいます。
昨年もその話しをこちらの人としていまして、住所などをきちんと書こうかといいましたら、近隣の人に迷惑がかかるから受け入れの準備ができないうちはやめたほうがいいとのことでしたので、これも住所なしの不完全ガイド。



ということで、今日は珍しく、不完全なる完全な日記帳になりました。
いや、珍しく不完全ではなく、、 珍しく完全な日記ということね。念のため。



さよなら、さよなら、さよなら、、、



またまた、二足目の蛇の足

昨日の熊本マリさんの「人生を幸福にしてくれるピアノの話」を受け取った後、マイクロバイオティックで有名で、岬にレストラン(研修所?)をお持ちの中島デコさんの「生きているだけでいいんじゃない」という本を入手しました。
こちらもデコさんからサインを頂き、一日に二冊もサイン入りの本をゲット。
マリさんの本に関しては紹介記事をすでにアップしていますのでそちらをどうぞ。


デコさんの本は斜めに読んだだけですけど、こちらはいすみ(岬)の情報を得るというだけでなく、もっと深い人生のガイドみたいな部分がとても気に入っています。彼女の人や物を見る目のすばらしさが随所に輝いています。
この本に関しては後ほど、紹介いたしましょう。

いけにはちすの 花さきにけり  いすみ市岬町

2008年06月14日 17時35分13秒 |  気になる詩、言葉
いすみ環境と文化のセンターへ行きましたが蓮の華はまだつぼみもなし。
こちらの大賀蓮に一度はお目にかかりたいものと思っていますけど、なかなか難しそうですね。来月の13日には蓮の見学会が開かれるようですので、そのころには咲いていてくれることを念じるばかりです。

ということでトンボの沼の未草を見に行きました。
今年に入ってここの未草をアップするのはこれで二度目でしょうか。



とくに、書くこともなく、枕草子の草でも引用しましょうかと思いましたけど、あちらは紅に咲くって赤の未草。トンボの沼には白花しかないのですね。

   はちす葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、みはずずにつらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に紅に咲きたるも、いとをかし。

以前、昭和堰の赤花の未草をアップしましたけど、去年は堰一面をうずめていた未草、今年はほとんど見られません。工事でもしたのか、それとも誰かが魚でも放したのでしょうか? ちょっと残念。

をのづから 月やどるべき ひまもなく
       いけにはちすの 花さきにけり
                西行

                                   

紫陽花  いすみ市岬町 (これまた追記あり)

2008年06月13日 23時50分56秒 |  岬な日々
去年の6月14日には紫陽花の花を二つの日記にアップしています。
一つは紫陽花の花のアップもう一つは紫陽花屋敷の風景でした。
紫陽花屋敷は茂原から国吉へ向かう広域農道に面してあり、今年もまもなくピークを迎えようとしています。

千葉にはこの紫陽花屋敷を始めとして、紫陽花寺とも呼ばれる本土寺があり、他にももっと大きな花野辺の里、川村記念美術館、マザー牧場、麻綿原高原など4,5万本クラスの紫陽花の名所があります。
うっとうしい梅雨の時期に紫陽花の花で心を癒すのも嬉しいことですね。



今回は、そんな大掛かりな観光地ではなく、ほんとうに家から道へ出るちょっとの間に植えてある紫陽花をご紹介します。



個人の畑の縁に植えてある程度で、数はたいしたことはないのですけど、いろんな花色の紫陽花を植えてあり、アップで撮るには手ごろな被写体になっています。



このような個人の家の敷地の境を飾っている紫陽花、岬にはたくさんあります。
雨の日など、車で通りながら、紫陽花の咲き誇っている垣を見ていると、ほんとうに住む人の心の豊かさ、ゆとりを感じさせられて、いいものですよ。



でも、紫陽花だけではないのですよね、四季折々、いろんな花がいろんな人のうちを飾っている。四季折々、人の心を愛で、花を愛でできる、そんな町が岬なのです。



書くことが思いつかなくなると(って、いつもそうですね)、安直に昔の詩や和歌を引用してしまいます。
ところが、これだけ美しく咲いている紫陽花ですけど、日本の古典では詩に読まれることが非常に少ない花なのです。
このことに関しては、紫陽花の花は色が変わるので、移ろいやすいということで嫌われたということが定説になっているようです。
でもね、私はかねがねほんとうにそうなのだろうかと疑問に思っています。
だって、古今でも、新古今でも、移ろう心をなじったり、悲しんだりしている詩ってずいぶんたくさんあるし、そのときに、花にたとえることもごく普通に見られるテクニックなのですよね。紫陽花だけが駄目というのは説明になっていないように思えてならないのです。



ところで、ヨーロッパに住まわれた経験のある方にお聞きします。
ヨーロッパで青色の紫陽花をご覧になったことがありますか?
本にはヨーロッパの土壌がアルカリ性なので、ヨーロッパの紫陽花は赤かピンクだと書いてあります。



確かに、赤の紫陽花は見たことがあると思いますが、はて、青の紫陽花を見なかったかどうか、どうにも思い出せないのです。
見たことがあるというかたがありましたら、ぜひ、コメントください。




追記;
アップした日記を見ていますけど、紫陽花ってライティングと被写界深度のお勉強には最適な花ですね。
もちろん、私はスタジオでは撮りませんので、あくまで自然の光をどう扱うかということ、でも半歩なり、、、クローズアップの時には1センチでも、カメラ位置を変えると被写体の感じがまったく違って見えることだってありますよね。
そこ、左へ一歩なんて、、、でも足元には注意してくださいね。崖の下に落ちても私は責任を負いませんので、、、

まずはライティング。
トップの写真のように後ろから回り込んで花びらを透かせている光を撮るというようなときに、トップからの光と後ろの光のバランスなんて自分で光の量を調整できないだけにけっこう難しい問題。ファインダーを眺めながらいらいらしている自分が見えたりして。

トップからのライト、角度をつけてスポット的に当たるライト、それが当たる被写体を見つけるのもまた楽しいですよね。

紫陽花は花が大きいので被写界深度には気をつけなければいけない材料。
今日の日記の写真は全部70-300のズームの300側で撮っています。手持ち撮影です。

3番目の額紫陽花。手前の花びらをもう少しシャープに写したほうがよかったでしょうか。絞込み不足?
その次のは後ろの花びらがぼけています。私はこれはこれでよかったって思っていますけど、でもこちらも両方をシャープにしたほうがよかったかな?

花びら全体でのシャープネスを考える以前に、花の手前や後ろから顔を出す葉っぱの処理をどうするのか、ぼかすのか、それならどのくらいぼけたほうがいいのか、、、

なんてことを考えながら、見返していると、つたない写真でもそれなりに勉強になりました。

写真ってほんとうに楽しいですね、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。




あなたが好きです  カルガモ いすみ市岬町

2008年06月13日 18時53分12秒 |  岬な日々


必死に目標に向かって飛んでいる姿には心打たれます。
好きです、そんな貴方。
例え、貴方のお腹が鴨鍋で膨れ上がっていても、
貴方の口の中がオリオール・バラゲのチョコレートで満杯になっていても、

例え、メタボ検診を受けなくても再検査の通知が舞い込む貴方であっても、、、

ひたむきな貴方の姿はとても素敵。。。


人生を幸福にしてくれるピアノの話 少しだけ追加あり。

2008年06月13日 10時41分00秒 | 芸術・文化
ピアニストの熊本マリさんの「人生を幸福にしてくれるピアノの話」という本が送ってきた。肩のこらない、でもそのなかにはとても大切な言葉が埋め込まれたいい本に仕上がっている。

最初のお話が、「ピアノにタッチするということは、自分の好きな人にさわるのと同じこと」なんてばら色の妄想をしてはいけませんよ。ピアノは480キロの巨体を持つ彼氏。それを弾きこなすには体力勝負。食べろ食べろ!ってお話だとおもうと、でもその彼氏がいかに繊細かというような話が前段にあったりして。
よく、ベヒシュタインがどうこうとか、ベーゼンドルファーがああだと、あそこのホールのアクースティックがどうたらとかって私は書いているけど、それは自分が弾かない、企画者の立場からの条件出し。
彼女のように彼氏をとっかえひっかえ触ることがお仕事の場合はもっと細かな条件、状態が重大な問題になってくる。たとえば湿度が上がるとタッチが重くなるというような。
面白いね~
逆に、彼女はソロが多いけど、温度一つとっても、ピアニストは演奏の間にピッチが上がってきてもどうにもならない。それに合わせている周りの楽器やオケもまた人知れず苦労して、その結果がその日の演奏なんですよね。
なんてことを思ったり。。。

あるいは、彼女は基本的な勉強を子供のころにすごしたスペインとアメリカ、イギリスでやってきているのだけど、日本とヨーロッパの教え方の差を書いている部分がある。
ヨーロッパでは多少のミスよりも音楽性、歌うことを大切にする。

友人からこんどそっちの留学生に応募したい生徒がいるから話をしてくれなんていわれるたびに言ってきたこと。小品でいいから自分がちゃんと歌っている曲を提出してよねって。
これだけ弾けますって気違いみたいにがんがん弾いているのを毎日何十となく聴かされるこちらの身にもなってよって言いたくなる。
エチュードを弾く場面と、プロとして、プロを目指す音楽家として自分を見せる場面は違うし、エチュードを弾いているのなんか人に聞かせるもんじゃないと思うけど。
だから日本人の音楽家ってテクニックはあるけど、自分を表現していない。
これは別に音楽だけの問題じゃないけど。
なんてことを以前のブログにはよくこぼしてたのを思い出しました。

ところで、この本の中に楽器の「賞味期限」についてちょっと触れられていた。
そのことと、楽器が生まれてきたヨーロッパとの湿度の違いなどを以前のブログに書いていて、それをこちらに転記したものがあったので、こちらにリンクを張っておきますね。ハモンベジョータとストラディバリウス
2005年7月10日の記事でした。

続きはまた、後で追加しますね。
なんて書いたけど、あまり追加しても仕方がない。皆さん買って読んでくださいよ。
ただ、一つだけ追加するとすれば、彼女がグレングールドからもらった「自分自身をよく知ること、自分を信じること」っていうメッセージは、実にこの芸術・文化のアンダーラインされたノートではありませんか。
それにしても自分に自信がなければ、自分を信じられない。切磋琢磨すること、、、
音楽でも、美術でも、表現者である限り、それは一番大切なことなのでしょうね。


人生を幸福にしてくれるピアノの話
熊本 マリ
講談社

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薔薇ノ木ニ  薔薇ノ花咲ク  北原白秋

2008年06月11日 12時22分36秒 |  気になる詩、言葉




薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク
ナニゴトノ不思議ナケレド






薔薇ノ花
ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレド木ヨリコボルル
光リコボルル



          
     北原白秋 
     薔薇二曲 『白金ノ独楽』より


雨の日の徒然に、花屋でバラの花を一本求めました。
ただのバラの花、そこに咲いていても何の不思議もないのですけど、
そこは独特の世界になってしまう。
気品と優雅さに満ちた世界に。

蝶  Les Papillons  Théophile Gautier

2008年06月11日 10時15分56秒 |  気になる詩、言葉


Les papillons

Les papillons couleur de neige
Volent par essaims sur la mer;
Beaux papillons blaues, quand pourrai-je
Prendre le bleu chemin de l'air.

Savez-vous, ô belle des belles,
Ma bayadère aux yeux de jais,
S'ils me voulaient prêter leurs ailes,
Dites, savez-vous, où j'irais?

Sans prendre un seul baiser aux roses,
À travers vallons et forêts,
J'irais à vos lèvres micloses,
Fleur de mon âme, et j'y mourrais.


雪の色の蝶たち
海の上の雲に飛んでゆく
美しい白い蝶よ、いつか私も
青い空の道に飛んで行きたい


*****


薔薇のキスも受けないで
森や谷間をすり抜けて
貴方の唇に飛んで行き
私の愛の花を捧げられるなら、私は死んでもかまわない。




Théophile Gautier (1811-1872)の詩です。
これにChaussonが曲をつけたものが Les papillonsという可愛らしい歌曲になっています。






蝶は結構撮っています。
この詩もどこかで使ったような記憶があるので、「気になる詩」を見てみましたけど、Hugoの詩はありましたけど、見当たりませんでした。
他のカテゴリーに入れているかもしれません。

訳の方はそちらで適当に補ってくださいね。なんせ私の大昔の学生時代のフランス語の成績は惨めなものだったんですから。

でも、この日の日記のインデックスでわかるように、去年の蝶の方がちゃんと飛んでいるではないですか。飛び物は飛んでないとつまらないって、誰が言っていたのでしょうね? それとも歳をとって、飛び物が苦手になってきた? なんて折角いい気分に浸っているときに変なちゃちを入れないでくださいよ。



空一面に白い紗がかかったような、なんの色の変化がない今日の天気です。
雨のときにしか撮れない被写体があるように、こんなときにはこんなときに適した被写体はあるのですよね。
でも、散歩に出るのはちょっと億劫。
家に閉じこもって、昨日の写真の整理をしています。

蝶の写真を見て、この詩を引っ張り出しました。
この詩があって、蝶を撮ったのではないので、強引過ぎて、ミスマッチもはなはだしい。

でも、それ以上に、激しい愛を激しく詠えるのは若さの特権。
私みたいな老骨が、それをやったら馬鹿と見えるのでしょうかって、
なんとなく若さが羨ましく、白けています。
はい。


心象の発露か、わかってもらうことか

2008年06月09日 22時49分29秒 | 芸術・文化

プロフィールにも書いているけど、最近の私のブログ(この夢幻泡影になってから)は、突き詰めていえば、散歩が必要、そのために写真でメモを撮って、ブログにアップして、散歩に付加価値をつけてということに落ち着いてしまう。

時々、自分がアップした写真をしげしげと眺めることがあるけど、ここの写真は自分がそのときに見た綺麗だな、面白いなというものを撮っているだけ。
まれに、一見心象的なものをアップすることもあるけど、ほんとうに自分の心象に忠実なものだけをアップしようと思えば、今までアップしたものの全てを消してしまわなければならない。

でも自分の心象に忠実なものだけだと、誰にも見向きもされないだろう。
もちろん、メモの写真だって、人に好まれるから、好まれるように写そうという気持は最初から持ち合わせてはいないのだけど。
誰とも共通の価値観での話しのしかたになってしまうのが恐ろしいと思うこともある。

10000枚の写真をアップしても、後で見返して整理すると、その全部を消してしまうかもしれない。
その場での私の個人的心象が、私の中でさえ、いつまでも同じ価値を持っている、そんな物を作ったこともないし。

人の作品を展覧会などで紹介する仕事を重ねてきて、歳を経て、自分の伝えたいメッセージ、好み、撮りたいもの、撮るべきものがある程度はわかっているつもりでもそうなのだから、若い人が、一時の感情、感興だけでの作品で終わってしまっても仕方のないことなのかもしれない。

一万人の人にわかって貰える写真は、自分でも理解できるし、綺麗だと思える。
でもほんとうに自分に忠実な写真は10人の人にもわかってもらえないかもしれない。
プロではないのだから、ほんとうはそれでもいいのだけど、、、、
いくらメモだからといって、ただ綺麗、雰囲気がある、、、、
それだけでは、それでいいのかなと思うことがある。

私が散歩の付加価値と逃げ道を作る理由なのだけど。
でも、撮り溜めた写真を見ながら、私はどこへ行けばいいのだろうと、恐ろしくなる。


いすみ市の小池(大原台入り口)のレストランCafe⑤oceanで写真展があっていました。
内山涼という銚子の写真家さんらしいのですが、波の写真を並べていました。
一枚だけ、私の琴線に凄く触れるものがあった。
もちろん、私なら違うやり方で撮ると思うけど、でも、その写真を見て、自分の写真を改めて考えさせられたのでした。


このブログになってからアップした写真がもうすぐ5000枚になります。
ここらで、一度考えなければね、、、

なんて、雨の日の夜、小人は閑居して、具にもつかないことを考えております。



蛇の足
日記をアップした後(後から調べなおすなんて非常に私的ですけど)、内山涼でググっていましたら、お近くのオールドローズさんのブログがヒットしました。彼女が行かれたのは別な写真が展示されていたときだと思いますが、店内の様子など、素晴らしい写真で紹介されていますので、ぜひご覧になったらと思います。

雨の日のすごし方  追加あり

2008年06月09日 11時03分06秒 | 日記


今やあちこちで梅雨の話で賑やかです。
TBの練習のお題もこれでしたね。

さて、雨の日のすごし方。
私ならお気に入りのカフェに行って、のんびりと外を眺めながら、過ぎし方の甘くせつない思い出に浸る。
そんな時間を持ちたいですね。

何?
そんな思い出を持っているのかですって?
あ~た、何を言っているんですか。
雨の夜は月も出ないんですよ。
まして、最近は真昼間から通り魔が出るんですから。
人の心をぐさっと突き刺すようなことは言わないほうがいいですよ、、、


    (毎度、書いておりますが、日記のカテゴリーの写真は、以前にアップした写真が入っていることもあります)


追伸
さっきトラックバックを送って来た方がありまして、そのトラックバックの先が5月30日の日記「尽日無人看微雨  杜牧  今日も雨たい」でした。
そうか、一日雨を眺めて暮らすって言うのは前にも書いていたんですね。
写真はあまり忘れないんですけど、書くものはあんまりいろんなことを書いているので忘れてしまっていますね。よくない傾向。 喝!