夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

薔薇ノ木ニ  薔薇ノ花咲ク  北原白秋

2008年06月11日 12時22分36秒 |  気になる詩、言葉




薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク
ナニゴトノ不思議ナケレド






薔薇ノ花
ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレド木ヨリコボルル
光リコボルル



          
     北原白秋 
     薔薇二曲 『白金ノ独楽』より


雨の日の徒然に、花屋でバラの花を一本求めました。
ただのバラの花、そこに咲いていても何の不思議もないのですけど、
そこは独特の世界になってしまう。
気品と優雅さに満ちた世界に。


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7 コメント

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百万本のバラ (芝桜)
2008-06-11 17:23:54
私もバラが好きです。
お花屋さんの店先で、いつもどれにしようか迷ってしまいます。近頃バイオの研究が進んで、ブルーやパープルのバラにお目にかかることがありますが、やっぱりバラは天然のものがいいです。

誕生日に年の数だけバラが欲しいと言ったら....
返ってきた答えは、想像にお任せします。
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想像しました (赤い風車)
2008-06-11 18:10:04
>年の数だけバラが欲しい
はい、想像しました。
世界中のバラを買い占めても足りないくらい、、
まぁ、なんてお優しい、、、、
愛されているのですね、、
ちゃんちゃん。
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バラの香り (きゅー)
2008-06-11 19:01:24
大好きな色のバラです♡カメラもいいし腕もいいから余計に花も鮮明に美しく見えますねぇ♪
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またまた、、 (赤い風車)
2008-06-11 19:16:34
きゅうさんみたいに素晴らしい写真を撮られるかたに、自分の写真を褒められると、
ほんとうかな??? 
ほんとうだったら嬉しいんだけど、、、
たぶん、社交辞令だろうな~
って、心の中がどたばたしますよ。
ごほごほごほ、、(埃がたっちゃった)

でも嬉しいです~
ありがとうございました。

やはり、以前のカメラでは出せない質感が出ていますね。
これなら風景でも、空気が写せるでしょうか?

その前に腕を磨かなきゃ。


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(^^)v (きゅー)
2008-06-12 00:24:32
いつも素敵なお写真だなーと正直思っております。ただあまりにたくさんの素晴らしいフォトだらけで、何処にコメントいれたらいいか悩んでコメントし損なったりしてます(汗)とにかく赤い風車さんのフォトファンである事は間違いないです♡
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不思議な体験 (赤い風車)
2008-06-12 08:48:31
>ファン
実は昨日、別な方からもファンですといわれ、私のブログを見始めたのには不思議な体験がありますと書かれていました。それがなにかはわかりませんけど、横浜のジャズの方、怪鳥さん、会うとブログに書いたことを話題にする人が結構います。

いろんな人が見てくださっていて、でもコメントはされないという方は多いみたいですね。

特にMixiのメンバーの方にとっては外部ブログまで見に来るということ自体が面倒なことなので、それを押してまで見に来られている方々にはとても感謝しています。

Mixiに日記を書かなくなる前のアクセスは0とか、極めて0に近い日が長い間続いていました。
昨日のこちらのPVは

日付    閲覧数
2008.06.11(水) 933

でした。この温度差は何なんでしょうね?

ただ、私は構えて何かを訴えたり、書いたりしているわけではありません。コメントを書いてくださる方ももっと気楽に書いてくださっていると思います。
一言でも、「見たよ」だけでも書いてくださるととても嬉しいです。

なんていいながらも、きゅーさんの日記にもコメントしていませんね。どうもMixiには書かないという癖がつき始めているようです。ごめんなさい。

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白秋 色彩 (赤い風車)
2008-06-13 08:04:13
Mixiのフォトアルバムへこのバラと前のドラマティックな月をアップしています。
ドラマティックな月には、あとで白秋の遠樹を追加しましたけど、白秋の詩には色彩を感じるものが多いって、コメントをいただきました。

こちらにそれへの私のレスを転載しておきます。


そういわれれば。
白秋の詩って、色の名前を使っていなくてもその詩全体のイメージをなんとなく色で覚えるようなものが多いのでしょうか。

でも、考えてみていましたら、白秋の同時代人、そしてフランス近代の詩人たちって、意外とその点で共通しているところがあるように思えてきました。

古今や新古今の詩人は色や色を直裁に表現するものを多用しますけど、このあたりの人は行間でそれを示している。あるいは読む人に感じさせるということなのでしょうか。
もちろん、古代の人も、色をそのまま表現しようとしているのではなくて、その色が与える効果を期待しているのは同じですけど。
これは詩だけでなく、フォーレやドビッシーなどの音楽にも同じようなことがいえますね。

これの一番古い形はやはり漢詩なのでしょうか。
なんとなく王維の竹里館を思い出しています。これを初めて読んだとき、多分中学生くらいの、色気たっぷりの男の子だった時代です。日の光がたっぷりとある竹の林ではなく、もっと朧な竹の色と匂いを感じました。気持ちがすっと自分の重心の方へ引き寄せられる気持ちがとても好きだったのを思い出しました。

でも、感激した詩やそのイメージではなく、そのインパクトが自分の中にどう働きかけているのかに興味を持っていたというのは、私はそのころからずいぶんとひねくれていたのですね。
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