夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

薊の花  北原白秋

2009年05月04日 21時46分53秒 |  気になる詩、言葉


今日も薊の紫に、
棘が光れば日は暮れる。
何時か野に来てただひとり
泣いた年増がなつかしや。





白秋の育った柳川には遊女屋がありました。
この詩の中での年増は遊女だといわれています。

薊って、派手な色合いである割には、明るさよりも、静かさを感じさせますよね。
そして、あの棘、、、、葉や茎の持つ攻撃的な色合いというのは、いろいろな苦難、迫害に耐えてきた過去を思わせるものなのでしょうね。


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2 コメント

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Unknown ()
2009-05-07 00:20:16
ふふん

年増の遊女、それは最も罪無き子ではないですか?!
汝ら「罪無き者、石を持て打て」ですわよ

薊は、それは美しくして瑞々しいのですが、庭に出てこられると、がっかりさんでもあります。罪が無いから、摘めませんもの。

仙石の家で、さんざっぱら、山椒を摘んで「ぐつぐつと煮込んで」佃煮作りにせいを出しておりました。
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山椒の佃煮 (赤い風車)
2009-05-07 05:58:47
いいですね~
分けていただきたいくらい。
こちらの庭にも実生で山椒がでてますけど、まだまだ幼くって、、、、

ところで、最近、どうも好みが偏ってきて、、、、
山椒なんて変換しようと思うと、参照になったり、三唱になったり、三升になったり、、、
姐さまの日記を参照して、万歳を三唱して、勢いを買ってお酒を三升飲んだ感じ。

でも徧って探すと出てくるんですね。
松江のお流の「不味い!」も未も、味も、昧も、眛も変換させるとでてくるは、、、
あれじゃ、怒られるのも仕方がないか、、、
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