
昨日のアクセス解析を見ていたら、「あしづかたかし」で来られている方が何人かおられて、その閲覧元を見ていたら、2チャンネルで「島原の乱、芦塚忠右衛門の策と松平信綱」ってのが出てました。
家ではこの忠右衛門が祖先の一人となっているし、もっと面白いのは、鹿児島に、芦塚の名前が残っていて、それは真田の残党だっていうのです。
かごしま検定の参考書にも
> 田原家私有林墓石(鹿児島県南九州市頴娃町牧ノ内の雪丸地区)
真田幸村は、大阪の陣のあと、島津の軍船で鹿児島に逃れ、谷山(今の鹿児島市谷山地区)に上陸した。
鹿児島では、真田幸村は芦塚左衛門と名乗ったが、現地の者は、真田幸村を芦塚大左衛門、その子・真田大助幸昌を芦塚中左衛門、孫を芦塚小左衛門と区別していた。
その後、豊臣秀頼を谷山においたまま、尾根伝いに揖宿郡頴娃村(今の南九州市頴娃町)に潜入し、(牧ノ内)雪丸に居を構え住んだ。
その名残として墓が立てられたが、その墓には何の刻印もない。真田幸村は、頴娃村摺木の百姓娘との間に隠し子をもうけたが、徳川幕府の追及を逃れるため、その娘を(別府)大川の浦人に嫁がせ、生まれた子は瓢左衛門と名づけられた。
その子孫は、幕末になって、名字帯刀を許され、真江田姓を称し、(別府)大川の真江田家・難波家の墓には六文銭が刻まれている。
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この一族の一人が天草の乱に加担したって言うのですけど、
その芦塚忠右衛門が、食料不足を敵方に見破られないために、わざと兵糧をのこして引き揚げた。でも、敵方は、「あいつら、あわてふためいて、兵糧すら残して行った」っとしか判断できなかった。
策を立てるにも、相手の力量を知らなければ、策に溺れてしまうってことなんですね。
(ほんと、黙って教壇に立って、そのまま帰って、学生がにっこり笑って、試験で満点取ってくれて、、、、
期待する方が馬鹿だよね。
せいぜい教務課から呼び出されて、「もっとまじめに授業してください、授業料返せって文句が来てます」ってので終わりだもんね~
客員なんて日雇いだからして、学生が泣けば、地頭が飛んでくるし。
しくしく)
なんて、こんな話、知人の「天下の謀反人の一族が生きながらえることなんてありえないよ」の一言でけりがつきましたけど。

ずいぶん長いイントロがあって、
昨日の知人のFBを見ていたら、シルクのオーガンジーを栗渋で染めたものの写真が出されていた。(FBの写真へのリンクは始めてですので上手くいくかどうか心配ですけど、たぶん大丈夫みたいですね)
実はこれらの作品はずいぶん前に、写真を頼まれたことがあるのですよ。
一目見て、オーガンジーの自由さに目をひかれ、渋染めの暖かい優しさに魅かれて、思い出したのがボッテチェッリーのプリマベーラの三美神たち。
これが頭から離れなくなっちゃった。
なんとかしてこのイメージを込めたいって思ったのです。オーガンジーを風になびかせたり、、、、いろいろやってみたんですけど、いつも頭が先にある。それが邪魔をするんですね。
おまけに、この知人、写真でも賞を撮ったりする方だし、いつも最良を求める方、、、イメージをお伝えするだけでも変な物じゃいけないんだなんて思っていたら、余計にできなくなっちゃって、、降参、できませんってお返ししちゃったもの。
技や頭は、プロにはなきゃいけないもの。でも、作品にそれがでちゃおしまいだよね。臭くなってしまう。
技や頭は目いっぱい使うけど、作品を作る段では、それは放り出して、自分の感性だけが勝負。
そんな意味では、私なんか最近、理想を行っている。
歳とって、体が動かないから技は効かない。
私だれ? では頭も働かない。
あぁ、それ以前に、私にはもともと技も頭もなかったんだった。
号泣、、、
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