夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

鴎荘  いすみ市岬町日在

2009年06月28日 11時54分46秒 |  岬な日々

先日来、森光子の放浪記2000回に引っ掛けて、三門の駅からの三部作を書いておりますね。林芙美子の放浪記梅屋庄吉と孫文、そして森鴎外の鴎荘
写真を追加でアップしようと思っておりましたが、梅屋の別荘跡は、井戸の後に麗々しく井戸の跡という大きな碑が建っているだけで何も残っていません。
そばには別荘の分譲地が開発されています。
2-3階建てにすれば海一望の別荘が建つのでしょうね。
お金があれば欲しいな~ってつくづく思いますけど、私の懐では、、、


鴎外の別荘はお孫さんのお家になっていて、そのままではちょっと掲載をはばかられます。
ということで今日は日在のラグーンの写真。ここに建っている家のなかに鴎外の別荘もあります。

ここはかっていすみ川だったんですけど、川が流れを変えたためにいまではラグーンとして残っているだけです。
ごらんになるとお分かりのように、ちょっと日本離れした、ヨーロッパの別荘地帯みたいな雰囲気がここには残されています。

今はまだ自然が残されていますけど、はたしてこれがいつまで残されるのかどうか。
ここは北限の海亀の産卵地で、鳥などの産卵も多いので、地元の方々の熱心な努力は耳にしますけど、、、、、
やはり一つには水がきちんと流れていないことも大きいかもしれませんね。


昨日、私のブログをすし屋の江戸勘で検索してきた方がおられました。
私のお気に入りのすし屋ですので、何が書いてあるのかなってその方のブログを拝見していたら、飯野晴子というかたの記事へのリンクが貼ってありましたので飛んでみました。
その中に、
「住人がこんなに町のこと考えてるのに、自治体の意識が日本一低いエリアは「千葉県いすみ市」でございます!」って書かれていて、思わず笑ってしまいました。

先日来、災害などでの情報発信がまるでできていないって役所のサービスに文句を書いています。
いすみは大雨などでは洪水はがけ崩れなどが頻発するところなのです。でも、あの防災のアナウンスは雨や風でまずそんなときには聞こえない。普通のときにも山に反射して何を言っているのか分からないのですから。
しかもテレビの電波は山にさえぎられて届かないところが多いのですね。
災害の時には正確な情報をって、政府も役所もやっきになっていますけど、ところがいすみのHPでは、それが唯一の住民への有効な情報源であるのにもかかわらず、そんな危険があるときにもうんともすんとも、ほかの町では避難場所情報などがどんどん出されているのに、、、、

人命の危険があるときでさえこの調子ですから、自然保護や文化の保護なんてことはまずどうにもならないレベル。おそらく飯野さんがいわれているように日本で一番低いエリアなのでしょうね、、、
だからこそ住民が活性化してきたのでしょうか、
自治体と仕事をしてきたときに、住民に火をつけて、役所は、それを手助けするって形でやっていきましょうよなんてよく言っていましたけど、なら、いすみ市の対応も決して悪くはないのかな、、、、とは、思えないのが残念ですね。。。。


鴎荘。
もっとアップになった写真もありますが、それは個人の住宅ということで遠慮しました。




陸奥のしのぶもぢ摺り    川原左大臣

2009年06月28日 10時40分22秒 |  気になる詩、言葉


捩花。昨日、いすみ市の環境と文化のさとセンターに蓮の花を撮りに行ったときに撮ったものです。花がこのようにねじれて咲いていくことからの名前ですね。
別名を捩摺(もぢすり)。一般には福島の信夫(しのぶ)の里で産する染物を捩花の葉や茎を使って摺ったのでこの名前が付いたといわれています。

この写真、実はカメラのピントのテストにと思い、オリジナルの画面の一部をこちらに用意しました。トップはリサイズしたままの画面。こちらはその一部をリサイズしないで切り出したものです。
いつも言っているブレ、ピンボケをテストしようと思ったのですけど、下のオリジナルの画面を見ている限り、そんなに問題になるほどにはボケていませんね。



でも、なんだか全体から見るとシャープでないような気がしてなりません。MicroNikkor 200でマニュアルのフォーカス。手持ち撮影です。
F.8。もう少し絞り込んであげればコントラストもあがってきたかもしれません。
ニコンのサポートではピントよりも、微小なブレかも、シャッター速度を上げて撮ってみたらなんてアドバイスをくれているのですけど、絞り込めばよけいに遅くなってしまう。
ジレンマですね。


ところで、松浦家とオランダ残照の展覧会のときに、因果は巡るってさまざまな「風が吹けば桶屋が儲かる」話を書いていましたけど、その中に松浦家の祖先は蘇我天皇の子供の源融で、光源氏のモデルだって書いていましたよね。
その源融さん、、、、古今集に詩を残しております。

陸奥のしのぶもぢ摺りたれ故に
  乱れむと思ふわれならなくに
       古今集 724

これは河原左大臣となっていますけど、それが源融なのですね。
小倉百人一首では

みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに
  みだれそめにし我ならなくに

と、乱れむと思うの部分が変えられています。
こちらでの「みだれそめ」のそめは 染めると初めるが掛けてあるのですね。
詩そのものはあまりにも有名なので特に解釈は必要ないと思いますので、省略、、



環境と文化のさとでは、捩花をみて、蓮をそっちのけで、こちらを撮っていたのですけど、自分でもなぜだろうな、蓮を撮りにきたのにってそのときには分かりませんでした。
でも、この花を見たときに頭のどこかにこの詩と作者のことがあったのですね、、、そしてそのときには意識しなかったけど、この間の松浦家のことも、、、
この自分では気がついていない、頭のどこかに残っている残滓みたいなもの同士が引き合っての因果関係って結構面白いのかな。それとも単なる後からのこじ付けなのでしょうかね、、、、