先日(5月17日でした)、「葵 葵の紋 葵の上 そして「かれにける葵のみこそ悲しけれ」という題で葵に関したことを書いています。
(私ってやっぱり古いのかな~、、、、タイトルが長すぎるのが優雅で、当たり前みたいに思っているんですよね~
昔はよかった、タイトルが1ページに書ききれなくても、誰も文句を言わなかったけど、今じゃ絶対に許されないでしょうね~)
葵について書きたかったけど、きっかけがないと思っていたけど、ふと気がついたら大多喜の城主、本多忠勝の家紋が葵だったということから、徳川の葵の紋、、賀茂神社の神紋、、、双葉葵、、、、なんて話で始めて、植物分類と常識の乖離なんてことになったり、源氏物語の葵の上に飛んでみたり、新古今の贈答の詩、、、
かれにける葵のみこそ悲しけれ
あはれとみずやかもの瑞垣
と
いにしへのあふひと人はとがむとも
猶そのかみのけふぞわすれぬ
なんてことにまで飛んでいったり、相変わらず私の書くものって、あっちゃいっては、こっちゃいって、まあ、まとまりのないことおびただしいですね~
おまけに、その後に松浦家の展覧会に行って、松浦さんのご先祖様って、光源氏のモデルじゃないなんて、、、、話まで別な日記に書いておりましたな~
ということで、今日はタチアオイ。
いすみの家の下に咲いているもの。先週末に撮ったのですけど、今日やっとリサイズしましたのでご紹介します。
徳川の家紋の葵は葵じゃない。昔は立葵(唐葵とも呼ばれていたようです)がむしろ普通の葵でした。(万葉時代にはまた違いますね。あちらはトロロアオイの方でしたって書いてましたよね)
葵(あふひ)は仰日の意味。葉っぱが太陽を向いていくでしょう、そこから来たらしいですね。
でも、今日は何をご紹介しましょうか、、、、、
万葉も、新古今もご紹介済みだし、、、
先日の松浦さんがらみで。、またまた源氏物語でも引っ張り出しますか。
くやしくぞつみをかしけるあふひ草
神のゆるせるかざしならぬに
若菜
ところでこれは、葵の巻にこんな詩があってそれを受けているのかな?
はかなしや人のかざせるあふひゆへ
神のゆるしのけふを待ちける