夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

6 IT's Tough Getting Old

2006年11月28日 17時08分40秒 | ジョーズなジョーク 
IT's Tough Getting Old

また、「怪鳥」氏からのメッセージ。



80になるお年寄りが検診に行きました。
結果は良好。医者は「全て良好だよ。ところで精神面とか、感情面ではどうだね?神様とはうまくやってるかね?」って聞きました。
「そりゃもう。神様はわしの目が悪いのをご存知だから、夜中にオシッコに起きたときでも、明かりを点けてくれるし、終わって帰るときにはちゃんと消してくれる」
「凄いじゃない」って医者は答えました。
数日して、医者は彼の奥さんを呼びました。
「彼は大丈夫なんだけど、ちょっと神様との関係で貴女を呼んだんです。夜中にオシッコにするときに、明かりが点いて、終わると明かりが消えるって行っていたけど本当かね?」
「まあ、あの人ったら。また冷蔵庫にオシッコしてるんだわ」


An 80-year old man goes for a physical. All of his tests come back with normal results. The doctor says, "Chuck, everything looks great. How are you doing mentally and emotionally? Are you at peace with God?" Chuck replies, "God and I are tight. He knows I have poor eyesight, so he's fixed it so when I get up in the middle of the night to go to the bathroom, POOF! the light goes on. When I'm done, POOF! the light goes off. " WOW, That's incredible" the doctor says. A little later in the day, the doctor calls Chuck's wife. "Ethel," he says, "George is doing fine! But I had to call you as I am in awe of his relationship with God. Is it true that he gets up during the night and POOF! the light goes on in the bathroom, and when he's done POOF! the light goes off? "Oh my God!" Ethel exclaims. "he's peeing in the refrigerator again!

一、二、三、四、五   分相応ということ

2006年11月28日 11時39分43秒 | 芸術・文化
私の友人たちの日記に、「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、そら、道元さんが出てきたって思われるでしょうね。
   僕ちゃん最近親切になってきたので(人間死期が近づくと回りに親切になるのだそうで); 
   道元さんが中国へ留学していたとき、あるお坊さんに「お経ってなんですか」って聞きました。相手のお坊さんが「一、二、三、四、五」って答えたのだそうです。
   つまり、お経(真理)っていうのは一、二、三、四、五って行って十まで、どこにでも、なんにでもあるってこと。真理は探すものではなく、その周りにあるものを確認すること、それが修行だっていうのです。

でも、無知蒙昧な僕ちゃんの日記に「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、次は「たくさん」なんですよ。本当に残念なことですけど。指は5本しかない。手は二組? でも、左手の指を広げて、右手の人差し指で数えるので、右手は使えないのです。孫悟空には私のような低レベルの考え方は理解できないでしょうね。

ここんとこ植物の名前がずいぶんと出てくる。
23日のアウティングの時には、聖路加の辺りで看護婦さんはってきょろきょろしていたら、楓(ふう)の街路樹にぶつかった。それがちょっと行くと楓(かえで)のいろんな種類になったりして、それが紅葉していたので余計に目立ったものになっていた。同行者と、楓の話から柘植、犬柘植の話などへとどんどん飛び火していっていた。

土曜日のドライブで箱根でとった写真に関しては、26日の日記にアップしていたけど、そのトップの写真が千本槍、アザミ、タムラソウなどとさまざまな名前が飛び交っていたけど、情報不足で同定不能。

月曜日の知人の日記には柊の話が出ていた。ず~~~~~~っとお茶やお茶花をやられて来た方が、道を歩いていて柊の花と香りに始めて気が付いたって嘆かれていた。12月には柊を必ず使うけど、それは柊黐なんだというような日記だった。

同じ日の私の日記には柊のお茶碗はいつ使うなんて、相手を見て聞いて欲しいなって嘆きがでるようなコメントが来ていた。柊の季語は秋から冬。でもお茶室の入り口を柊と鰯で飾るのは二月の節分だから二月でもいいのではなんて、不確かな返事をしていたけど、こんなのを信じて恥をかかないようにお願いしますよね。
大体、お茶を知らない私にお茶のことを聞くほうがどうかしている。


何を言いたいかって?
つまりですね、僕ちゃんにはバラの花でOKの時に、エリザベスとか、なんじゃもんじゃとか、違いが判ってその上のレベルでの話をする人がこの世にはたくさんいて、僕ちゃんにはその階段をなかなか上れないってこと。
葉っぱがとがっていれば柊南天でも、柊でも、柊黐でも、僕ちゃんには同じ。
ふうでも、かえででも、紅葉でも、あの子の手でも、僕ちゃんには同じ。
一、二、三、四、五で一杯な人には六以上の会話はちょと無理だよね。

だって、僕ちゃんが密かに先生だと思っている人は「名前に何があるの、バラは別な名前で呼ばれても、ちゃんと甘い香りがするのに」なんていっているくらいだから。「バラ」って言われて、「何種のバラ」なんて会話になったら、千本槍、じゃなかった槍振りも間違っちゃうよ。

でも階段を一つ上がるのがお勉強だろうし、お勉強は必要だし、それは楽しいことだけど。人の一生は短い。一人だけじゃなかなか進まない。いろんな人がいろんなことで手を貸してくれて、だから一歩でも、半歩でも前へ進められればいいな。
でもお返しできないのは辛いかな?



今日の日記を書いたの誰?
僕ちゃんじゃないよね。僕ちゃんの背後霊かな?
僕ちゃんの日記ってこんなんだったけ?