ところでポリーニのショパンのところで音の溜めについてかいていた。
一つのメロディがある。それを弾こうとするときに、最初に同じ長さの音符がつながっていたとしても、だれも音符どおりには弾かない。
演奏する人、聞く人の心のリズムがあって、それが同じ長さであれば、逆に違う長さとして受け止められたりする。それが機械的な演奏ってこと。
今どきの演奏のソフトでも、ある程度のアゴーギクは入れられるようになっているから、機械だってそれ以上の感性にあわせられるそうだ。
ここに一つの上行するフレーズがある。これは一番高いところで、次のフレーズに引き継がれる。とすると普段よく言われるのは、上行の最後の音符の長さをどう弾くかということと、次のフレージングの関係なんだけど、本当はその前の音をどうその最後の音へつなげていくかが大切だと思う。
話はちょっとずれるけど、ここにドンキホーテのCDがある。バレエ用のCDで、ピアニストは正直言ってうまくない。
でも、バレエをやる人はこのCDが好き。
なぜかというと、実際に練習しようとしたときに体の動きとこのCDのリズムが合うから。
つまり、このピアニスト(江藤勝巳)はバレエをずっとやってきた人で身体に、動きのリズムが染み付いている。そのリズムでこの曲を弾いているのでダンサーが踊れるのですよね。
前にも書いたけどフェッテを踊ろうとしても、蹴りだしから、終わりまでが同じ速さで回っているわけではないのだから。メトロノームを置いていても、絶対に踊れない。
話は極端に走ったけど、演奏者も、聞いているほうも、身体にリズムを持っているし、ある音楽を聴く時にもそのリズムはメロディによって振れている。それが100分の一秒くらいの感覚で判るのだろうというのが私の考えだけど。
溜をどういう風に作っていくのか、、、
また、強弱についても同じことが言えるのだろうし。
音色に関してもいえる。
(ピアノなんかでは音色を変えるためにタッチを変えるから、そこからも溜や音色、強弱に影響がでてくる)
いろんなことが混じり過ぎていて、私なんかの及ばない世界へと進んでいくけど、、、、