夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

音の溜め

2006年11月18日 12時54分10秒 | 芸術・文化

ところでポリーニのショパンのところで音の溜めについてかいていた。
一つのメロディがある。それを弾こうとするときに、最初に同じ長さの音符がつながっていたとしても、だれも音符どおりには弾かない。
演奏する人、聞く人の心のリズムがあって、それが同じ長さであれば、逆に違う長さとして受け止められたりする。それが機械的な演奏ってこと。
今どきの演奏のソフトでも、ある程度のアゴーギクは入れられるようになっているから、機械だってそれ以上の感性にあわせられるそうだ。

ここに一つの上行するフレーズがある。これは一番高いところで、次のフレーズに引き継がれる。とすると普段よく言われるのは、上行の最後の音符の長さをどう弾くかということと、次のフレージングの関係なんだけど、本当はその前の音をどうその最後の音へつなげていくかが大切だと思う。

話はちょっとずれるけど、ここにドンキホーテのCDがある。バレエ用のCDで、ピアニストは正直言ってうまくない。
でも、バレエをやる人はこのCDが好き。
なぜかというと、実際に練習しようとしたときに体の動きとこのCDのリズムが合うから。
つまり、このピアニスト(江藤勝巳)はバレエをずっとやってきた人で身体に、動きのリズムが染み付いている。そのリズムでこの曲を弾いているのでダンサーが踊れるのですよね。

前にも書いたけどフェッテを踊ろうとしても、蹴りだしから、終わりまでが同じ速さで回っているわけではないのだから。メトロノームを置いていても、絶対に踊れない。

話は極端に走ったけど、演奏者も、聞いているほうも、身体にリズムを持っているし、ある音楽を聴く時にもそのリズムはメロディによって振れている。それが100分の一秒くらいの感覚で判るのだろうというのが私の考えだけど。

溜をどういう風に作っていくのか、、、
また、強弱についても同じことが言えるのだろうし。
音色に関してもいえる。
(ピアノなんかでは音色を変えるためにタッチを変えるから、そこからも溜や音色、強弱に影響がでてくる)
いろんなことが混じり過ぎていて、私なんかの及ばない世界へと進んでいくけど、、、、

ポリーニ ショパン

2006年11月18日 12時52分01秒 | 芸術・文化
このようなレビューの書き方が許されるのかわからないけど。私はルービンシュタインが好き。そしてその対比でシフラとか、リヒテルも認めている。その目線から言うとポリーニそして彼のショパンはなんとなく自分の好みに合わない。でも素晴らしい演奏だし、いったいどこが「波長」合わないのか、このCDを聞きながら、考えてみている。

ポリーニの演奏ってもしかして、メロディの流れ全体を重視した演奏なんだろうか? 例えば高い音で流れ始めるフレーズの前に前打音がある。前打音の弾き方は別にして、それを受けて始まる高い音の溜めがさらりとしすぎに思えてしまう。

ルバートなどでも、ルバートそのものは違和感がないのだけど、ルバートに入る溜めがさらさらと余分な情緒がない。

逆にこれが私の気に入らない点なのだろうけど、感傷的に流れるのを嫌う人にはいいのだろうね。

演奏の全体? もちろん当代の一流ですよ、それは疑問の余地がない。



ショパン:夜想曲全集
ポリーニ(マウリツィオ), ショパン
ユニバーサルクラシック

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