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教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

学童クラブ兼ねた塾、都内に新設へ 明光ネットワーク

2010年11月22日 21時20分39秒 | 出産・育児

明光ネットワークジャパン www.meikonet.co.jp)は、放課後の小学生を預かる学童クラブと学習塾を兼ね備えた「明光キッズ」を、来年2月に東京都内に開く。勉強を教えるほか、実験や工作の授業もある。共働き世帯が増え、放課後、すぐに家に帰らない小学生が多いことに注目した。これまで弱かった小学生向け事業を強化する。」 2010年11月19日21時16分アサヒコム

進学塾の明光義塾が、学童保育と学習塾の経営に乗り出したと言うことです。これまでにない小学校向けの新しい分野への経営進取と思います。全国的な展開も今後進むと思います。今認可保育所に申し込みながら満員で入所出来ない「待機児童」が都市部で問題になっています。多いので、幼児教育に分野への進出するのも、今後新しい経営開拓になるかも分かりません。進学塾の受験中心のこれまでの経営方針だけでは、子供たちが集らない時代に入ったと思います。

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    「流出」保安官、陸上勤務に 海保「持病悪化」と説明

    2010年11月22日 18時53分09秒 | 国際・政治

    2010年11月22日11時7分

    写真:定期整備を受けるため、造船所へ向けて出航する巡視艇「うらなみ」=22日午前6時5分、神戸市中央区波止場町、堀江昌史撮影定期整備を受けるため、造船所へ向けて出航する巡視艇「うらなみ」=22日午前6時5分、神戸市中央区波止場町、堀江昌史撮影

    『 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件で、流出させたことを認めた神戸海上保安部の海上保安官(43)が21日付で巡視艇「うらなみ」の主任航海士から、陸上勤務の予備員に配置換えになった。第5管区海上保安本部が発令した。神戸海上保安部の宇出津弘昭・管理課長は「異動は持病の悪化を訴え出た本人の希望によるもので、事件とは無関係」と説明している。 また、保安官が流出を認めた10日から神戸港で停泊を続けていた巡視艇「うらなみ」が22日朝、同港を出航した。年1回の定期整備を受けるためで、12月初めにパトロールなどの通常業務に戻る予定。』

    『「異動は持病の悪化を訴え出た本人の希望によるもので、事件とは無関係」と説明している。 陸上勤務の予備員に配置換えになった。第5管区海上保安本部が発令した。』真面目な人なので心労が重なったのでは有りませんか。巡視艇「うらなみ」と同様海の男、保安官も定期検診を受けられて持病を治して早く元気になって下さい。御回復を心からお祈り申し上げます。国家の機密漏洩と言うよりは、内部告発ですよ。【尖閣ビデオ流出】「映像非公開はおかしい」 参院外交防衛委員会理事の佐藤正久氏が石垣海保を訪問2010.11.9 20:10 このニュースのトピックス:産経新聞・尖閣諸島問題訪問を終え、報道陣の取材に応じる佐藤正久氏=9日午後、沖縄県石垣市 参院外交防衛委員会の理事で、自民党の佐藤正久参院議員が9日、石垣海上保安部(沖縄県石垣市)を訪れ、中国漁船衝突の映像流出事件について「映像は問題ない内容で、公開しなかった菅政権の判断はおかしい」と述べた。 佐藤氏は石垣海保の尾崎正宏部長から業務の説明を受けた。佐藤氏によると、映像流出について尾崎部長は「データ管理が若干、甘かった」との認識を示したという。 佐藤氏は記者団に「『流出』というより『投稿』という表現がいいのかもしれない」と指摘。「いかに主権を守るかが一番大事。捜査協力も重要だが、士気が低下して離島警備が二の次になってはならない。」と話した通りでは有りませんか。ビデオ公開により国民に中国漁船の日本の領海侵犯の事実と日本の国家主権の侵害を実証し、日本の領土と日本の国益の大切さを国民に訴えたのですから、立派な勇気有る行為ですよ。国益に寄与し、国民の知る権利を護り、日本の海上保安庁海上保安官の皆さんの命がけ領海侵犯防止の任務の正しさや現実を国民に知らせたのですから、犯罪を犯したことで刑事処分を受けることはおかしいです。今回の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、愛国心無き文化人や評論家は国家公務員の秘密保持義務違反で、処罰せよと言うのは、海上保安庁の海上警備、海防の厳しい現実を理解も認識もしていない愛国心無き日本の文化人や評論家です。戦後の65年,目の日本で、 日本の国家主権や日本の国益や日本の領土についてに真剣に考えない日本人と思います。ビデオを国民に全面公開せず、今回の日本政府の対応を国民頭を下げて詫びない仙谷内閣官房長官、前原誠司外務大臣が集団的自衛権行使論者なら国民に謝るべきでは有りませんか。貴方が頭を国民に下げるより、日本の国益と国家主権を侵害し、日本の外交を失墜させた中国漁船員15名を無罪放免し、国民の知る権利を侵害した罪の方が国家と国民ヘの裏切りで国家反逆罪、国民国家への平成の国賊で重大な罪を犯した日本の国事犯と思います。責任を取らない元人権派弁護士の内閣官房長官として、権利の濫用と強権発動です。国民に対して説明責任と政治責任を総て負うべきです。

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      西岡議長「仙谷長官の責任重い」 中国漁船船長釈放で

      2010年11月22日 17時45分37秒 | 国際・政治

      民主党出身の西岡武夫参院議長は16日の記者会見で、中国漁船衝突事件での船長釈放について「(政権は)検察に全部丸投げした形でこの問題をすり抜けようとしている。仙谷由人官房長官の責任は重い」との認識を示した。同時に「検事が判断して釈放したのか、国会として直接聞くべきだ」として、今国会中の那覇地検検事の国会招致を各会派に働き掛けたい考えを明らかにした。 西岡氏は「(政権は釈放判断を)検察がやったとなお言い通そうとしている。各会派は政府の明快な考え方をあらためて問うべきだ」と指摘。「仙谷氏は弁護士で法廷闘争的な答弁をしているが、政治的には通らない。責任が問われてしかるべきだ」と強調した。 衝突映像に関しても「(流出で)かなりの人が見ているのに、なぜ一般公開しないのか。納得いかない」と批判した。 また、行政刷新会議の「再仕分け」をめぐっても「自民党の概算要求ならともかく、自分で概算要求をつくっておきながら仕分け対象にしているのは言葉もない。論外だ」と酷評した』2010年11月16日22時12分 / 提供:2010年11月16日22時12分>共同通信

      仙谷長官により重い責任=尖閣対応で異例の言及―西岡参院議長
      『西岡武夫参院議長は16日の記者会見で、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の責任について、「官房長官の方が重い。一連の事柄について、責任を問われてしかるべきではないか」と指摘した。与党に推されて選ばれた議長が閣僚の責任に言及するのは異例で、波紋を呼びそうだ。  その理由として、西岡氏は「(中国人船長の)釈放時に仙谷氏は首相臨時代理だった。これは大きな違いだ」と強調した。ただ、責任の取り方に関しては、一般論とした上で、「本来閣僚は自ら責任を取るべきであり、野党から不信任を突き付けられてどうこうするのは、政治家としていかがなものか」と述べるにとどめた。』2010年11月16日(火)22:03[時事通信社]
      参議院の良識の府として西岡武夫 参議院議長は、筋が通っています。国民の声の代弁 をした言えます。豊かな政治のキャリアや大臣を歴任した 西岡武夫議長の指摘です。やはり政務次官から、いろいろな党の主要役職を経験して来た西岡武夫氏と政治経験や大臣経験が無く、いきなり内閣の重要な閣僚に就任したのでは、実際無理が有ると思います。今回のような重大な危機管理の迅速な判断が政府に問われる場合、政治経験が物を言うことになりベテランの政治家を軽んじる頭の良くても民主党の政治経験者の苦言や意見を大事にしなかった結果と思います。経験は宝で無駄では無いと言うことを実証した菅内閣の政治判断のベストでない対応では有りませんか。西岡武夫参議院議長に沖縄県沖尖閣諸島領海を侵犯した中国漁船による海上保安庁巡視船の真相解明を国民に変わってして貰わなければならないこと自体、小沢一郎氏に総理大臣の椅子に座るのが似合わないと言った菅直人総理大臣こそ政権担当能力や外交手腕の無さが国民に露呈した今回の中国漁船衝突事件では有りませんか。今度の総選挙では、民主党の閣僚にももう次は無いと思います。各省庁の官僚を恫喝し傲岸不遜な態度や言動を取る各大臣ばかりで、又自民党政治に戻しますかと言うよりも、国民の目から見ればとても国務大臣の任を果たすだけの人間性や人格も識見の無い、失言大臣ばかりで、5年後に国民に評価されるどころか、戦後最低の菅内閣と国民は評価しています。
      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
      日本の政治家
      西岡 武夫
      にしおか たけお
      生年月日1936年2月12日(74歳)
      出生地長崎県長崎市
      出身校早稲田大学教育学部卒業
      前職長崎新聞社論説委員
      所属政党(無所属→)
      自由民主党→)
      新自由クラブ→)
      (無所属→)
      (自由民主党→)
      改革の会→)
      自由改革連合→)
      新進党→)
      自由党→)
      民主党→)
      無所属
      称号文学士(早稲田大学・1958年
      親族西岡竹次郎
      西岡ハル(
      倉成正従兄
      倉成正和(従甥
      公式サイト西岡武夫のホームページ

      任期2010年7月30日 - 現職

      第112代 文部大臣
      内閣宇野内閣
      任期1989年6月3日 - 1989年8月10日

      第111代 文部大臣
      内閣竹下改造内閣
      任期1988年12月27日 - 1989年6月3日

      選挙区比例区
      当選回数2回
      任期2001年7月 - 現職

      選挙区(旧長崎県第1区→)
      長崎県第1区
      当選回数11回
      任期1963年11月 - 1998年2月

      西岡 武夫(にしおか たけお、1936年2月12日 - )は、日本政治家参議院議員(2期)、参議院議長(第28代)。

      衆議院議員(11期)、新自由クラブ幹事長文部大臣(第111112代)、自由民主党総務会長新進党幹事長、自由党参議院議員会長、参議院議院運営委員長などを歴任した。

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      経歴

      生い立ち

      長崎県長崎市に父・西岡竹次郎と、母・ハルの子として生まれる。海星中学校では同期に美輪明宏がいた。長崎県立長崎東高等学校を卒業後、早稲田大学教育学部社会学科に入学。雄弁会入会。雄弁会の代表幹事を務めた。早大在学中より、父・竹次郎が創刊した長崎民友新聞の経営に携わる。1958年昭和33年)に早稲田大学を卒業。1959年(昭和34年)には長崎日日新聞社と合併し、長崎新聞社を発足。長崎新聞社では常務取締役社長室長、論説委員などを歴任し、長崎青年会議所広報委員長、長崎県青年団連合会の初代会長なども務め、長崎の若手経済人として活動する。無所属~自民党 1963年(昭和38年)11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。自民党青年局長、文教部会長をつとめていた。

      新自由クラブ

      ロッキード事件を期に、衆議院議員の河野洋平田川誠一山口敏夫小林正巳、参議院議員の有田一寿と共に、6人で自民党を離党。1976年(昭和51年)6月25日に「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結党し、西岡は幹事長に就任した。新自由クラブは、結成直後の第34回衆議院議員総選挙で、自民党に不満を持っていた保守層の受け皿になる形で、一挙に17人を当選させた(さらに追加公認1人)。しかし、政策、党の路線をめぐり、野党として革新にも配慮を示す河野や田川と、あくまで保守主義を念頭に置く西岡、山口らとの間に亀裂が生じ、1979年(昭和54年)7月に西岡は単独で新自由クラブを離党した。1980年(昭和55年)12月に自民党に復党したが、1983年(昭和58年)12月の総選挙では落選する。

      自由民主党-新進党

      1986年(昭和61年)の総選挙で当選した後は宮澤派に所属。文教族としてキャリアを積み、1988年(昭和63年)に発足した竹下改造内閣文部大臣として初入閣。続く宇野内閣でも文相に留任した。1989年平成元年)、海部内閣で消費税の見直しが持ち上がった際、辞任した自民党税制調査会長の山中貞則に代わり、後任の税制調査会長に就任する。1990年(平成2年)2月には早稲田大学雄弁会の先輩で、同じ文教族である海部の強い意向で自民党総務会長に就任し、党三役入り。幹事長は竹下派の小沢一郎、政務調査会長は安倍派の加藤六月であった。のちに総裁の海部を含めた四人は自民党を離党し、新進党結党に至るが、この時期にその強い関係ができたと思われる。同年12月、党三役に加藤紘一を送り込みたい宮澤派は西岡に総務会長職の交代を求めるが、これを拒否したため、派閥から除名された。

      政治改革が頓挫したのを契機に海部内閣が総辞職した後、海部を会長とする政治改革推進協議会を自民党に結成。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙では、自民党から立候補し当選するが、政治改革推進派として執行部批判を強め、梶山静六幹事長が党内の混乱を収拾するために「結束前進の会」を作ろうとしたときはこれを「屋上屋を架すもの」と批判した。結局、西岡は同年12月に自民党を再び離党。改革の会代表、自由改革連合事務局長を経て、翌1994年(平成6年)に新進党結党に参画し、海部党首実現に動く。国会対策委員長、幹事長を歴任。小沢一郎を補佐するが、1997年(平成9年)に新進党は解党した。

      自由党-民主党(現在)

      1998年(平成10年)1月、小沢、海部、加藤六月らと共に自由党を結成し、副党首に就任。同年2月、高田勇知事が引退を表明した長崎県知事選挙に党内の慎重意見を抑えて出馬するも、同じく新人の金子原二郎に敗れ落選する。国政復帰を目指し、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で出馬するが、落選。

      2001年(平成13年)7月第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で比例区から出馬し、当選。国政復帰を果たした。党参議院議員会長、参院会派「国会改革連絡会(自由党・無所属の会)」代表をつとめる。2003年(平成15年)、民主党との合流が決定すると、当初不参加の姿勢を示した。しかし最終的には参加を決断し、参院会派「民主党・新緑風会」常任役員・顧問に就任した。2006年(平成18年)、皇位継承問題で、皇室典範改正に慎重な立場を明らかにし、党内の保守系議員を中心に「皇室典範改正を慎重に考える会」を結成し会長に就任した。党内では渡部恒三と共に保守派の重鎮であり、党内の保守系議員で構成される永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会にも参加し、外国人参政権反対を表明している。

      2004年(平成16年)の年金未納問題の際には9年11か月間未納であったことが発覚した。

      参議院議院運営委員長

      2007年(平成19年)8月、議員歴が長く、国会対策に精通している点が評価され、参議院議院運営委員長に就任した。

      同月9日、西岡は「次の国会からクールビズの申し合わせを廃棄し、本会議場、委員会室での議案審議に際してはネクタイ着用を義務化したい」と提案した。「制服を着用して国会見学する子どもがいるのに、議員がリラックスした格好をしているのはいかがなものか」と説明した(8月10日付の各全国紙)。これに対し、すでにクールビズが3年目になり広く浸透していること、参議院先例集にクールビズ以前の1951年昭和26年)8月から半世紀以上にわたり「ネクタイは外していい」という申し合わせが確認されていることなどから、与党のみならず、他野党や身内の民主党内からも批判が出て、この提案を撤回することとなった。

      この突然の提案については、環境大臣としてクールビズの旗振り役を務めたのが小池百合子であったことから、民主党参院国対幹部の見方として「新進党、自由党と行動を共にしながら、自民党に移った小池への意趣返し」ではないかといった見解も報道されている。

      2009年(平成21年)10月23日岡田克也外務大臣が閣議の席で、国会開会式での天皇の「お言葉」について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えて欲しい」と宮内庁に求めたのに対し、「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」と批判した(なお天皇の「お言葉」の文面の検討は宮内庁の業務ではない)。

      2009年(平成21年)11月17日の記者会見で、2008年(平成20年)3月武藤敏郎元財務次官を日銀総裁に起用する国会同意人事案に反対したことについて当時の自公政権と対決するのが主眼であったと説明し、「財金分離を理由に不同意としたのは、今でもおかしいと思っている」と語った[1]。翌18日に江利川毅前厚生労働次官を人事院人事官に起用する政権の方針が脱官僚に矛盾すると批判を浴びていることから、過去の過ちを率直に認めることで、江利川人事案に理解を求める狙いがあったとされた。

      2010年(平成22年)6月16日、国会最終日で野党が提出していた江田五月議長不信任案、菅直人内閣総理大臣問責決議案、荒井国務大臣問責決議案について、与党民主党の意向を受けて委員長職権で本会議を流会とし、国会最終日に参議院本会議が開かれない異例の事態となった。

      参議院議長

      2010年(平成22年)7月第22回参議院議員通常選挙で民主党が大敗し、民主党は参議院で過半数を割り込んだ。しかしなお参議院第一党であり帝国議会以来の慣行では議長を出すこととなっている民主党は西岡を議長に推すものの、前国会での江田参院議長、西岡参院議院運営委員長らの国会運営に反発する自民党執行部とみんなの党は自民党からの議長選出を主張する。しかし野党共闘は不調に終わり、自民・みんなの2党は議長選挙への野党統一候補の擁立を断念。西岡を江田五月の後任の参議院議長とする流れが固まり、自民党は副議長候補を擁立することになった。西岡は21日、議院運営委員長として理事会で国会運営について野党に謝罪した。しかし、通例では全会一致で決まる議長選挙では西岡は過半数の139票を獲得したものの、白票88票、江口克彦(みんなの党)が11票、尾辻秀久(自由民主党、副議長に就任)が1票と異例の投票結果で、参議院議長に就任した。なお、参議院議長就任に伴い離任した参議院議院運営委員長の後任には、自民党の鈴木政二参院国会対策委員長が就任し、議院運営委員長のポストは野党に明け渡すことになった。

      参議院議長として史上初めて記者会見の定例化に踏み切り、「一票の格差」是正等を目指し全党派の代表が参加する会議を新設するなど、参議院の改革に取り組む。

      9月の民主党代表選挙に関し、候補者の出馬表明前の8月23日に「菅直人首相が続投を表明すれば、対抗する候補者は相当の覚悟が必要だ。党を去ることも選択肢に入る。」と発言し小沢一郎の立候補を牽制する。中立性の求められる議長の職にありながら党派的スタンスを表明した理由として「日本の政治には、もう『余白』が無くなっているからだ。」と述べた。ただし自らの投票権は棄権することもあわせて表明した。

      民主党出身ながら、菅改造内閣に対しては参議院議長として是々非々の立場を採る。内閣総理大臣菅直人外交政策について「作戦、展望を持っていない」[2]と痛烈に批判するなど、閣僚らに対し苦言を呈することも多い。衆議院側で国土交通大臣馬渕澄夫内閣官房長官仙谷由人らに対する不信任決議案が否決された際には、「責任は官房長官のほうが重い」[2]と指摘している。さらに、尖閣諸島中国漁船衝突事件をめぐる仙谷の答弁について「法廷闘争的な答弁はしているが、政治的には通らない」[5]と批判した。これを受け、仙谷は「参議院の議長が言っているのだから、重く受け止めたい。別に反論はない」[6]とコメントした。

      人物・エピソード

      • 小学生の頃から父に憧れて政治家志望だったので、小学校5年生から、同級生全員(約300名)に毎年年賀状・暑中見舞いを送っている。
      • 中学校は中高一貫の私立海星中学校に入学したが、選挙の際に役立つよう知り合いを増やしたいと言う理由で、わざわざ高校受験をして、長崎東高校に進学している。高校進学の際には、父の母校である早稲田大学志望と言うことで、東京の高校受験も考えたが、父の「政治家になるなら、いまのうちに、地元にたくさんの友達を作っておけ」との言葉に従い、地元の長崎東高校に進学した。
      • 身だしなみや礼儀に厳格で、国会の本会議場は大変神聖な場所だと言う考えに徹しており、ある若い議員が紺のブレザーとグレイのズボンで議場に入るのを見て、「あれは許せない。神聖な議場には揃いのスーツで入るべきだ」と苦言を呈したこともある。前述のように国会内でのクールビズにもあまり賛成していない。真夏でもスーツとネクタイを着用している。
      • 人前で食事をする姿を晒すのは恥ずかしいと言う考えを持っており、自民党総務会長在職中、選挙の応援や講演で地方に出張した際、時間がない時は移動の乗り物の中で弁当などを食べなければならないが、決まって「僕はいいよ」となるので、同行した党職員も総務会長を差し置いて弁当を食べるわけにもいかずに、困ったことがあると言う。

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        「暴力装置」発言で、仙谷氏「職責全うする」辞任を否定 参院予算委

        2010年11月22日 14時16分47秒 | 受験・学校

        2010年11月22日11時38分

        写真:参院予算委で答弁する仙谷由人官房長官=22日午前9時22分、国会内、飯塚悟撮影参院予算委で答弁する仙谷由人官房長官=22日午前9時22分、国会内、飯塚悟撮影

         仙谷由人官房長官は22日の参院予算委員会で、18日の同委での「自衛隊は暴力装置」発言の釈明に追われた。  佐藤ゆかり氏(自民)が「(発言には)学生時代からの背景がある」と指摘すると、仙谷氏は「東京大学全学共闘会議の救援対策を担っていた。隠しもしない」。佐藤氏に「官房長官の信頼は失墜した。即刻、辞任されたらいかがか」と追及されると、「『全共闘運動をした者が政府の要職に就いたから面従腹背でこれからいくんだ』という考え方で自衛隊が染まるとは思っていない。上官の命令のもとに一糸乱れぬ行動をして頂けると確信している」と述べた。 さらに、仙谷氏が「実力組織と申し上げることが、国会では適切だ」と述べたことに対し、佐藤正久氏(自民)が「国会だからという問題ではない。ことの重大さが分かってない」と反発した。仙谷氏は「『国会では』という部分は撤回する」と述べた。』アサヒコム

        先の中国への日本の「属国化」 発言や自衛隊は「暴力装置」と「ある種軍事組織」文民統制は、自衛隊より菅内閣に必要なのでは有りませんか。上官の命令のもとに一糸乱れぬ行動をして頂けると確信していると発言したのは、は、上官の命令には、絶対服従は、戦前の日本軍の軍律ですね。何か論理的に矛盾しています。どのような根拠で言ったのか真意を明らかに説明すべきです。社会主義政権の内閣の代表者になったような面従腹背の妄想で言論の府と言われる国会で、自分の言動には、政治的責任は持っていないと言う現れです。ロシア、中国、北朝鮮の軍隊は、「暴力装置」には有らず。政府の命令に服従する軍隊なので善と考えているのでしょうか。日本の自衛隊や警察は「暴力装置」と解釈しているのは、昔の東大全共闘時代の思想を受け継いでいるのでしょうが。その当時の闘士も中国の植民地に日本がなることを運動のスロガーンにしていたのではないと思いますが。戦後歴代内閣の内閣官房長官で、日本の中国への「属国化」発言した内閣官房長官は仙谷氏だけで、村山富一内閣の五十嵐広三内閣官房長官でも言わなかったことです。日本政治史上に残る前代未聞の発言です。仙谷内閣官房長官の本音や本性でしょうね。今回の沖縄県沖尖閣諸島中国漁船体当たり事件のビデオを国民に初めに全面公表せず国民を蔑ろにして事実を隠蔽し続けた説明責任も菅内閣は果たすべきです。ビデオを国民に公表した神戸の一海上保安官を国家公務員法の守秘義務違反で処分し「事実解明が先」と言いますが。仙谷内閣官房長官や前原誠司外務大臣の中国漁船船長以下の全員の釈放の法的問題や菅内閣の日本の国益を損なったベストではない対応の政治責任を徹底的に国会で究明するのが先で今の野党の責任では有りませんか。菅内閣の国家や国民に対する政治責任は一切ないと考えをうやむやにし、海上保安庁に責任を転嫁し菅内閣の政権維持と大臣の椅子にしがみ付いてこれから何をしようとするのでしょうか。菅内閣の先は無く、ウルトラCなど有りません。 この無責任菅内閣の国民不在の政治を、誰が仙谷内閣官房長官の言う「実力組織」になりストップさせるのでしょうか。今回の沖縄沖尖閣諸島中国漁船の日本の領海侵犯事件は、『中国漁船に衝突された海上保安庁の巡視船「みずき」の船長らが今月、沖縄県石垣市で自民党調査団の事情聴取に応じ、事件当時、尖閣諸島の領海線上に中国漁船約100隻が陣取り、30隻づつ領海侵犯を繰り返していた事実が明らかになり。命がけで、中国漁船員を公務執行妨害で逮捕した勇気有る海上保安官の任務の大変さも国民が分かりました。www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20101119/plt1011191617006-n1.htm』 海上保安庁は、九州南西海域工作船事件今回の事件を教訓に、現場の海上保安官(乗組員)の生命保護のため巡視船艇の防弾化及び相手船舶を安全な距離から停船させるために高機能・長射程の機関砲の搭載、船艇の高速化、航空機の輸送力アップ等を急速に進めることとなった。また、一部航空基地に配属が進んでいる機動救難士の発足の理由の一つとして、救急救命士資格を持った機動救難士による現場海上保安官の直接救護の目的もある。海上保安官に対しては、性能のよい防弾ベストを支給し、対テロ戦闘の訓練を行わせている。法整備も進められ、停戦を拒否する不審船に危害射撃を可能とする海上保安庁法改正案が提出され、社民党以外の賛成で可決された。日本財団では、この事件をきっかけとして、海上保安協会とともに海上保安庁公認の防犯ボランティア組織「海守」(うみもり)を結成し、工作船への警戒や海の事故への注意を呼び掛けている。海守の会員は、日本全国で約6万人が加入している。極少数の左派団体や左派知識人の中には、漁業法違反という名目での初動捜査や、まだ工作船から武力攻撃を受けていなかったにもかかわらず「先制攻撃的」に船体射撃を行ったことを、法解釈の間違い・違法な戦闘行為と主張している者もいる。だが日本が批准している国連海洋法条約を直接適用できる為、船体射撃は法解釈的にもなんら問題はない。能登半島沖不審船事件より一部出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ような過去の政治的経過を鑑みますと社民党系の流れを汲む今の民主党政権では、日本の海の領海侵犯や海上警備を海上保安庁巡視船が中国の漁業監視船とトラブルを起した場合迅速な対応や政府としての危機管理が出来るでしょうか。日夜命懸けで、任務を果たしている海上保安官の生命と安全を菅政府は護れるでしょうか。保安官の家族の事も考えるべきでは有りませんか。中国様海軍の漁業監視船がいらっして、領海の接続かい士気暴力装置ではなく、実力組織と考えていたのでは、日本を護る為に現場で厳しい任務を遂行している自衛官や海上保安官も「暴力装置」と揶揄されたら謝罪した済むことでは有りません。

        空にやロシア戦略爆撃機、海にや新鋭中国海軍監視船、日本海には北朝鮮武装工作船、「暴力装置」が日本の周りには一杯です。自衛隊を「暴力装置 」と言う菅内閣の仙谷内閣官房長官に海守りや空守り、日本の国は本当に護れるでしょうか。

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