教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

難聴起こすウイルス、新生児300人に1人感染 厚労省

2010年11月03日 20時34分12秒 | 出産・育児

2010年11月2日

図:  拡大  

<script language="JavaScript" type="text/javascript"></script><script src="http://imp.asahi.com/bservers/AAMALL/acc_random=31865014/pageid=35199306/AAMB1/SITE=KENKOU/AREA=RECT2/AAMSZ=300X250/OENCJP=EUC"></script><script></script><script></script>

 胎児の時に感染すると難聴や脳に障害が起きる危険性のある「サイトメガロウイルス」に、新生児300人に1人の割合で感染していることがわかった。厚生労働省www.mhlw.go)の研究班が新生児2万人以上を対象に国内初の大規模な調査をした。抗体のない妊婦が感染すると胎児に感染することがある。通常は幼児期に感染し抗体があるが、最近は抗体のない妊婦が3人に1人程度と増えている。胎児の感染も増加する可能性がある。  研究班は全国25施設で生まれた新生児2万1272人(2010年7月末時点)を調査。尿を採取してウイルスの有無を検査し、66人が陽性と判明した。幼児期に感染しても症状が出ず、胎内感染でも多くは発症しないが、うち15人に難聴や脳の発達異常など典型的な症状が見られた。 今回の調査で陽性だった新生児のうち47人を調べたところ、31人は上に兄か姉がいて多くから同じウイルス株が見つかった。自然に感染した上の子から、妊娠中の母親が初感染し、それが胎児に感染したと推測されるという。  この抗体を持っている妊婦の割合は年々低下している。1986年の国内での調査報告では96%が抗体を持っていたが、今回調査した妊婦4306人のうち、確実に抗体があるのは66%だった。衛生環境の改善などで幼児期の感染が減ったためとみられる。  研究班は先天性感染児への治療ガイドラインも検討。抗ウイルス薬を6週間投与することで改善する例もあり、難聴も早期に発見し補聴器をつけることで言語発達への影響を少なくできるという。  研究班代表の古谷野伸・ 旭川医科大学www.asahikawa-med.ac.jp)講師は、感染したばかりの乳幼児の尿や唾液(だえき)にはウイルスが多く含まれているため、妊婦はおむつを取りかえた後には手洗いし、口移しやキスなどを避けるよう呼びかけている。  サイトメガロウイルスは、同様に胎児に母子感染症を起こす風疹などとは違い、感染しても妊婦にはっきりした症状がないため気づきにくい。古谷野さんは「古谷野さんは「これまで難聴などの障害があっても原因がわからず、遺伝的な病気と悩んでいた家族もいたが、サイトメガロウイルスが原因の場合も多い」と指摘する。』アサヒコム

胎児の時に感染すると難聴や脳に障害が起きる危険性のある「サイトメガロウイルス」に、新生児300人に1人の割合で感染していることが分かったわかったので、早期対応の為に抗体のを持っていない妊婦さんへの検査法が出来ないものでしょうか。「サイトメガロウイルス」に対する予防法も分かり、先天性感染児への治療法ガイドラインも作成して貰い。抗ウイルス薬の投与による効果的な治療法を難聴や脳に障害を防ぐ為にも早急に確立して欲しいと思います。『これまで難聴などの障害があっても原因がわからず、遺伝的な病気と悩んでいた家族もいたが、サイトメガロウイルスが原因の場合も多い」と言うことが医学的に解明されて本当に良かったと思います。遺伝的だと家系因縁と悩んだ人が多かったのではないでしょうか。早く検査法と効果的な治療法が確立されますように願っています。

URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

日本プログ村
    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング
http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436:aLHKF

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

線路に座っていた女児、列車にはねられ死亡、熊本県

2010年11月03日 19時36分13秒 | 出産・育児

『 熊本・宇城市のJRの駅で3日朝、構内の線路に座っていた4歳の女児が列車にはねられ、死亡した。 3日午前6時20分ごろ、宇城市のJR松橋駅を出発して熊本駅に向かっていた上り普通列車の運転士が、約100メートル前方の線路の上に座っていた女児に気づき、急ブレーキをかけたが間に合わず、車体の前の部分で女児をはねた。女児は約1時間半後に病院で死亡が確認された。死亡したのは、事故現場から約100メートルの所に住む柳田紋子さんの長女で保育園児の麗ちゃん。 警察によると、柳田さんは2日夜から友人に子守りを頼んで外出していて、友人は、3日朝に麗ちゃんが家を出たのに気がつかなかったと話しているという。』日本テレビ系(NNN) 11月3日(水)12時11分配信

最近全国的に幼児が、踏み切りに入って線路上電車や列車に跳ねられる事故が多いです、本当に残念なことです。預かった友人の方も責任が有りますし大変ですね。、小さい子供は、大人が眼を離した隙にどこへ出て行くか分かりませんね。一般常識的なことですが、警察署にすぐに届けて置かれたのでしょうか。核家族化で、この頃お年寄りと同居はしていないので子供の面倒を見て貰える肉親や親戚が近くにいないのも最近のこのような事故の要因になっているかも分かりませんね。新聞記事だけでは本当の事実は分かりませんが。保育園でも保母さんに踏み切り事故が起きないようによく注意をし喚起して貰うしか方法はないのかも分かりませんね。今後幼児の踏み切りや線路上での事故が起きないにお祈りしています。。麗ちゃんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

日本プログ村
    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング
http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436:aLHKF

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

競争ない教育は人間の本質を無視」…ノーベル賞の根岸さん、文科相と対談

2010年11月03日 15時10分45秒 | 学問

産経新聞11月1日(月)15時20分

高木義明・文科相(左)と握手する根岸英一さん =1日、東京・霞が関(原田成樹撮影)

『ノーベル化学賞に決定した根岸英一米パデュー大特別教授が1日、文部科学省を訪れ、高木義明文科相らと対談した。文科相からは、日本の若者に対する施策やアジアと比較した日本の研究レベルなどについて考えを聞かれたという。 根岸さんは「若者は競争が好きだと思う。最近、教育から競争を取り除く傾向があるがそれは人間の本質を無視したもので、正しい競争を促進するような方向にもっていった方がいい」と答えた。さらに、「教育・研究は日本の土台の一つ。特に研究は資本だ。今は予算をカットする方向で動いているようだがより良く、多く、正しく投下することで日本の活力を生み出す形にもっていく必要がある」と、政府の研究開発政策に対して注文をつけた。』

蓮舫さん、2位じゃだめです…中国スパコン1位

読売新聞2010年10月30日(土)22:09

 『【ワシントン=山田哲朗】世界のスーパーコンピューターの性能を競うランキングで、中国が初めて1位を獲得する見通しとなった。 米紙ニューヨーク・タイムズなどが報じた。来月正式発表される。 このスパコンは、中国の国防科学技術大が開発した「天河1A」。1秒当たり2507兆回の計算能力を誇る。現在トップの米オークリッジ国立研究所のスパコン「ジャガー」の1・4倍の速度となる。 ランキングは米国の大学などが調べ、半年ごとに発表している。日本が2002年にNECwww.nec.co.jp製「地球シミュレータ」で首位を奪い、衝撃を受けた米国はスパコン投資を増強。04年以降は首位を守ってきた。 日本勢では現在、 独立行政法人 日本原子力研究開発機構 www.jaea.go.jp/i) の22位が最高。昨年の事業仕分けでは、次世代スパコンの開発が削減対象になり、仕分け人だった蓮舫行政刷新大臣の「2位じゃだめなんですか」の発言に、科学界が猛反発した。』と言う事実も日本人科学者として、アメリカから日本を見つめられてきた日本を愛する心からの踏まえられている根岸英一米パデュー大特別教授の御返答ではないでしょうか。海外生活を長く送ると最近の日本の事情も良く分かり、日本の置かれている状況が正しく分析出来るのではないでしょうか。科学者の眼から見た日本を愛する心からの提案と思います。日本に閉じこもらずに海外に出て広い視野から、日本を見つめ直す必要も有ると思います。教育では、経済的理由に左右されずに同じ土俵に立て公正で正しい競争が出来、国が科学研究予算を削減せずに十分確保して研究者が、思う存分日本国内の大學や研究所で出来る条件整備が必要ではないのでしょうか。。野球の夏の高校野球大会でも、最近全国の高校生が参加する文化活動の各種大会でも甲子園大会と名付けられ優勝を目指して、各部門で毎年日本の高校生も頑張っています。先頃の高校生による製菓の全国大会「第3回スイーツ甲子園」で、 私立飯塚高校製菓コース3年の女子生徒3人が2位に与えられる審査員特別賞を受賞したが初の大会となった一昨年が2位、昨年は優勝で、全国で唯一、3年連続入賞の快挙を成し遂げましたが、優勝を目指していたのに2位になつて悔しいと女子高校生言ったのは、まだまだ日本の若い人達も捨てたものでは有りませんよ。ノーベル化学賞に輝いた鈴木章北海道大学工学部名誉教授(80)も10月8日、産経新聞の取材に応じ、「心配すべきは日本の質向上」、『「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかねばならない」と強調した。昨年11月に政府の事業仕分けで注目された蓮舫行政刷新担当相の「2位じゃだめなんでしょうか」との発言については、「科学や技術を全く知らない人の言葉だ」とばっさり切り捨てた。【写真を見る】事業仕分けで話題になった次世代スパコン「京」
 受賞理由となった「パラジウム触媒でのクロスカップリング技術」は医薬や液晶など幅広い分野で実用化されている。それだけに鈴木さんは「日本が生き残るためには付加価値の高いものを作り、世界に使ってもらうしかない」と、科学技術の重要性を指摘。
 昨年の事業仕分けで理化学研究所の次世代スーパーコンピューターの予算が削られたことについては「科学や技術の研究はお金がかかる。研究者自身の努力や知識も大切だが、必要なお金は政府がアレンジしなければならない。(スーパー)コンピューターなどの分野では絶対に必要だ」と政府の積極的な投資に対する理解を求めた。
「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかねばならない」と強調した。昨年11月に政府の事業仕分けで注目された蓮舫行政刷新担当相の「2位じゃだめなんでしょうか」との発言については、「科学や技術を全く知らない人の言葉だ」とばっさり切り捨てた。「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」と厳しく批判。「科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい」と話した。一方、年間の自然科学系論文数が日本の約1・5倍に達するなど科学技術面でも躍進する中国については「人口が日本の約10倍なら研究者も多い。国の総生産もそうだが、絶対的な量で抜かれるのは当然で、問題は質だ。中国人にも能力の高い人はいるが、そのような研究者が日本の10倍もいるわけではない」と指摘。「もっと心配すべきは日本の質を高めること。それなのに2位で良いなどというのは論外だ」と重ねて強調した。産経新聞 10月9日(土)7時57分配信』、ノーベル化学賞を受しょうめさ賞された鈴木章北海道大学工学部名誉教授と同じことを言われています。今回の中国が初めて1位を獲得する見通しとなったスパコン、中国の国防科学技術大学が開発した「天河1A」により鈴木章北海道大学工学部名誉教授の予測が実証されたと言うことです。。科学技術開発の世界では、毎日が日進月歩の世界で1位を目指さないと2位にもなれない世界各国を必死で厳しい競争社会中では敗北を意味し、古い科学技術になり価値がなくなります。日本の先端科学技術開発に携わっている技術開発者は、大企業、中小企業を問わず、物真似ではない科学技術で世界一の技術開発を目指し日夜研究に明け暮れているのが現実です。2位じやいいじゃ有りませんかは、日本の科学技術開発を阻害するばかりか、予算の仕分けで今後ノーベル賞受賞者を日本から消滅させて、日本の若い人達や科学研究者に意欲と熱意喪失させる発言で、産業立国、科学技術立国としての日本を科学技術競争から落伍させ日本の首を絞めさせる工作では有りませんか。内憂外患の今の日本です。北方領土へのロシアのメドベージェフ大統領のと言い、沖縄県沖尖閣諸島での漁船体当たり事件と言い、科学技術開発や国立大学の運営費用交付金や私立大学への私学助成金削減問題言い菅民主党政権の日本国を愛する心の欠如と国益を忘れ、日本国民を蔑ろにする日本人とはとても思えない「属国化は今に始まったことではない」と答えた仙石由人内閣官房長官や沖縄県沖尖閣諸島での漁船体当たり事件の日本政府のベストな対応と発言し二位じゃいけませんかの蓮舫行政刷新担当仕分け大臣の発言は、総て関連性の有る事案で日本の真の国益を損なう現在の菅民主党政権の政治姿勢と思います。国民との温度差も何のその国民との乖離状況も反省せずヒデオも非公開のまま国民に隠蔽し、APECで成功しましたと喜ぶのは、管制権の閣僚だけで、未曾有不況に苦しむ日本国民は評価しますか。『修身(しゅうしん)斉家治国平天下(せいかちこくへいてんか』「礼記、らいき」大学から》『天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。』を中国通の菅直人総理大臣や内閣官房長官や大臣に皆さんにお贈り申し上げます。

 URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

日本プログ村
    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング
http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436:aLHKF

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神木倒れる…「前九年の役」で源義家祈願の神社

2010年11月03日 11時20分35秒 | 社会・経済

読売新聞 11月2日(火)20時29分配信

神木倒れる…「前九年の役」で源義家祈願の神社

根元から折れたご神木(2日、宮城県村田町の白鳥神社で)

 『宮城県村田町白鳥神社( 〒989-1305 村田町大字村田字七小路3-3 ... 村田町役場 郵便番号:989-1392 所在地:宮城県柴田郡村田町大字村田字迫6 .town.murata.miyagi.jp/sangyoshinko/...<wbr></wbr>/kankoshisetsu/shiratori.html)で2日朝、境内にあるご神木のイチョウ(幹回り約10メートル、高さ約30メートル)が根元近くから倒れているのを近所の住民らが見つけた。 同神社は、平安時代に東北地方で起きた戦乱「前九年の役」で、源義家が官軍の戦勝を祈願したとされる由緒ある神社。同町歴史みらい館によると、樹齢800年以上と推定され、神社は「さらに歴史は古い」としている。町の天然記念物にも指定されている。 未明からの強風が原因とみられ、同町から約20キロ南の丸森町では午前0時35分、秒速25・2メートルの最大瞬間風速を記録した。 宮司の村田守広さん(54)は「これまで台風で枝が折れることはあったが、まさか幹から折れるなんて」と驚いた様子だった。』

以前京都市東山区の安井金比羅宮www.yasui-konpiragu.or.jp)にお参りしていて、木の手入れをしていた造園業の人に木にも寿命が必ず有り絶対枯れたり折れたりしないことは無いと教わったことを思い出しました。白鳥神社境内には樹齢約1000年といわれる巨木群が悠然とそびえています。特に藤の木は、大杉に巻き付く姿が大蛇のように見えることから、「奥州の蛇藤」と呼ばれています群が悠然とそびえていますと神社では紹介されています。特に藤の木は、大杉に巻き付く姿が大蛇のように見えることから、「奥州の蛇藤」と呼ばれています御夫婦蛇様が宿っておられると言われる藤の御神木なので根元から折れても、又近いうちに新芽が芽を出すのではないでしょうか。木の生命力の強さやたくましさを今の日本人に教えられているのではないでしょうか。樹齢800年以上と推定される白鳥神社の御神木日本の歴史を風説に耐えて見て来られた歴史の証言者です。本日11月2日は、文化の日で丁巳の日です。プログを書かせて頂いた、「奥州の蛇藤」様に御神徳と御縁を頂きまして、感謝申し上げます。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前九年の役
戦争
年月日1051年 - 1062年
場所奥六郡
結果:源氏・清原氏側の勝利
交戦勢力
源氏
清原氏
安倍氏
指揮官
源頼義
清原武則
安倍頼時
安倍貞任
前九年の役(ぜんくねんのえき)は、平安時代後期の奥州東北地方)を舞台とした戦役である。この戦いの結果、安倍氏が滅び、清原氏が東北の覇者となった。名称の変遷この戦役は、源頼義の奥州赴任(1051年)から安倍氏滅亡(1062年)までに要した年数から、元々は「奥州十二年合戦」と呼ばれており、『古事談』『愚管抄』『古今著聞集』などにはその名称で記されている。ところが、『保元物語』『源平盛衰記』『太平記』などでは「前九年の役」の名称で記されており、それが一般化して現在に至る。これは源頼義が本格介入した年を基準として戦乱を9年間と計算したという説や、「奥州十二年合戦」が「後三年の役1083年-1087年)と合わせた名称」と誤解され、12年から3年を引き、前段について「前九年の役」と呼ぶようになったなどの説がある。また戦乱を13年間としている書物もあり、年数計算については諸説ある。さらに、「役」の表現には「文永の役」「弘安の役」(元寇)同様、華夷思想の影響が多分に見られ、安倍氏が支配した東北が畿内から異国視され、安倍氏自体も「東夷」として蛮族視されていたことを物語る。しかし後世に成立した『平家物語』などでは、安倍氏に同情的な記述も見られる。また、今日では「前九年合戦」という表記がなされることもある。

戦いの経緯

開戦から一時休戦まで

陸奥国の土着の有力な豪族安倍氏[1]は、陸奥国の奥六郡岩手県北上川流域)に城砦)を築き、半独立的な勢力を形成していた。

11世紀の半ば、安倍氏が朝廷への貢租を怠る状態になった為、1051年(永承6年)、陸奥守藤原登任が数千の兵を出して安倍氏の懲罰を試み、両者の間に戦闘が勃発した。この戦闘は、舞台となった玉造郡鬼切部(おにきりべ)の地名から「鬼切部の戦い」と呼ばれている。この戦闘では秋田城介平繁成も国司軍に加勢したが、結果は安倍氏の圧勝であり、敗れた登任は更迭され都へ帰った。

そこで朝廷は河内源氏源頼義を陸奥守とし、事態の収拾を図る。ところが頼義が陸奥に赴任した翌1052年(永承7年)、後冷泉天皇祖母・上東門院(藤原道長息女中宮藤原彰子)の病気快癒祈願の為に大赦を行い、安倍氏も朝廷に逆らった罪を赦されることとなった。安倍頼良は陸奥に赴いた頼義を饗応し、頼義と同音であることを遠慮して自ら名を頼時と改めた。また1053年天喜元年)には頼義は鎮守府将軍となった。

阿久利川事件

頼義の陸奥守としての任期が終わる1056年(天喜4年)2月、阿久利川事件と呼ばれる謎の事件が発生する。『陸奥話記』によると、事件の経緯はこうである。ある時、頼義が鎮守府から国府に戻る為に阿久利川の河畔[2]に野営していると、密かに頼義の元に密使が来て、「(頼義配下の在庁官人)藤原光貞元貞が野営していたところ、夜討ちにあって人馬に損害が出た。」との情報が伝えられた。頼義が光貞を呼び出して事情を聞いたところ、光貞は「以前に安倍貞任(頼時の嫡子)が自分の妹と結婚したいと申し出て来たが、自分は安倍氏のような賤しい一族には妹はやれないと断った。だから今回のことは貞任の仕返しに違いない。」と語った。そこで怒った頼義が貞任を呼び出したところ、頼時は貞任の出頭を拒否した為、再び安倍氏と朝廷は戦いに突入したとされる。

この事件については、過去には頼義による謀略説が唱えられていたが、現在では、藤原説貞(光貞、元貞の父)などの反安倍氏の在庁官人による謀略説が有力視されている。

『陸奥話記』によると、このとき衣川の南にいた平永衡藤原経清(亘理権大夫)は頼義に従い配下の将となっていたが頼時の女婿であり、いつ裏切るかも知れないと疑われる微妙な立場にあった。この時点で永衡が陣中できらびやかな銀の兜を着けているのは敵軍への通牒であるとの讒言をうけ、これを信じた頼義は永衡を粛清した。同じ女婿という立場で将軍に従っていた経清は累が自分に及ぶと考え、偽情報を発し頼義軍が多賀城に急行している間に安倍軍に帰属した。経清の安倍氏帰属により、前九年の役が長引く原因となった。

安倍頼時の死

1057年(天喜5年)5月、頼義は一進一退の戦況打開のために、安倍氏挟撃策を講じ、配下の気仙郡司金為時を使者として、安倍富忠津軽俘囚を調略し、味方に引き入れることに成功する。これに慌てた頼時は、7月に富忠らを思いとどまらせようと自ら津軽に向かうが、富忠の伏兵に攻撃を受け、深手を負って本営の衣川を目前に鳥海柵にて横死してしまう。頼時の跡を継いだのは貞任である。

黄海の戦い

頼義は同年9月朝廷に頼時戦死を報告するも、論功行賞を受ける事が出来なかった。11月、頼義は再び陸奥国府(現在の宮城県多賀城市)から出撃し、貞任に決戦を挑んだ。この時の頼義の兵力は最大に見積もっても国衙の兵2000名程度と、傘下の武士500名ほどであったと推測されている。

貞任は河崎柵(現在の一関市域、旧東磐井郡川崎村)に4000名ほどの兵力を集め、黄海(きのみ、現在の東磐井郡藤沢町黄海)にて頼義軍を迎撃した。冬期の遠征で疲弊し、補給物資も乏しかった上に兵力でも劣っていた頼義軍は大敗を喫し、頼義は長男の義家を含むわずか七騎でからくも戦線を離脱する、という有様であった(黄海の戦い)。この敗戦で頼義は麾下の佐伯経範藤原景季和気致輔紀為清ら有力な武士を失う大打撃を受けた。

清原氏参戦

頼義が自軍の勢力回復を待つ間、1059年康平2年)ごろには安倍氏は衣川の南に勢力を伸ばし、朝廷の赤札の徴税符ではなく経清の白札で税金を徴するほどでありその勢いは衰えなかった。とくに、国衙の兵は鬼切部、黄海の二度の敗戦で補充が思うに任せなかった。そのため、頼義は在京コネクションによって関東、東海、畿内の武士に働きかけを行い麾下の兵力の増強に努めた。

1062年(康平5年)春、任期の切れた頼義の後任の陸奥守として高階経重が着任したが、郡司らは頼義に従い、経重には従わなかったため、経重は帰洛して解任され、再び頼義が陸奥守に任ぜられた。

苦戦を強いられていた頼義は中立を保っていた出羽国仙北秋田県)の俘囚の豪族清原氏の族長清原光頼に「奇珍の贈物」を続け参戦を依頼したとも、朝廷の命令を楯に参陣することを強く要請したともいう。いずれにせよ、これを聞き入れた光頼が7月に弟武則を総大将として軍勢を派遣した。

この時の頼義・清原氏連合軍の陣立ては以下の通り。

  • 第一陣、武則の子である荒川太郎武貞率いる総大将軍。
  • 第二陣、武則の甥で秋田郡男鹿(現男鹿市)(山本郡島、現大仙市強首との説もある)の豪族志万太郎橘貞頼率いる軍。
  • 第三陣、武則の甥で娘婿である山本郡荒川(現大仙市協和)の豪族荒川太郎吉彦秀武率いる軍。
  • 第四陣、貞頼の弟新方次郎橘頼貞率いる軍。
  • 第五陣、将軍頼義率いる軍、陸奥官人率いる軍、総大将武則率いる軍。
  • 第六陣、吉彦秀武の弟といわれる斑目四郎吉美候武忠率いる軍。
  • 第七陣、雄勝郡貝沢(現羽後町)の豪族貝沢三郎清原武道率いる軍。

朝廷側の兵力はおよそ1万人と推定され、うち源頼義率いる軍は3千人ほどであった。

清原氏の参戦によって形勢は一気に朝廷側有利となった。緒戦の小松柵の戦いから頼義軍の優勢は続き、同年9月17日に安倍氏の拠点である厨川柵岩手県盛岡市天昌寺町)、嫗戸柵(盛岡市安倍館町)が陥落。貞任は深手で捕らえられ巨体を楯に乗せられ頼義の面前に引き出されたが、頼義を一瞥しただけで息を引き取った。経清は苦痛を長引かせるため錆び刀で鋸引きで斬首された。こうして安倍氏は滅亡し戦役は終結した。

戦後処理

12月17日頼義は騒乱鎮定を上奏。しかし1063年(康平6年)2月7日の叙目では頼義は意に反して陸奥守ではなく正四位下伊予守となった。貞任の弟宗任らは伊予国のちに筑前国宗像に流された。このことは『平家物語』にも記述が見える。武則はこの戦功により朝廷から従五位下鎮守府将軍に補任されて奥六郡を与えられ、清原氏が奥羽の覇者となった。経清の妻であった頼時の息女は敵の武貞の妻となり、経清の遺児(亘理権太郎。後の藤原清衡奥州藤原氏の祖)共々清原氏に引き取られたが、このことが、後の後三年の役の伏線となる。

文献に見る前九年の役

『陸奥話記』は数々の挿話を交えて本合戦の様子を記しているが、テクストによる異同も多く、その内容を検討するには史料批判が必要である。また既存の漢籍から引き写されたとおぼしき部分も散見される。

なお、本役の性格について、『今昔物語集』第31巻第11「陸奥国の安倍頼時胡国へ行きて空しく返ること」等を踏まえ、蝦夷の反乱に同調しようとしたとの嫌疑を頼義から受けたことに伴うものとの蝦夷側に立った見解が近年出されている。

源氏の神話化の原点としての前九年の役 「前九年の役」における頼義・義家の戦勝は、河内源氏が武門の家の中でも最高の格式を持つ家である根拠として、中世以降、繰り返し参照されるようになった。実際、頼義・義家の家系からは後に源頼朝が出て鎌倉幕府を開いただけでなく、室町幕府を開いた足利尊氏も河内源氏であった。彼らが武門の棟梁の象徴として征夷大将軍を名乗った背景には、頼義が蝦夷を征討した形となったこの戦役がある[3]。頼朝は源義経及び奥州藤原氏の征討に際し、自身が「前九年の役」を意識し、平泉滅亡後もさらに北上して、父祖戦勝の地「厨川(厨川柵)」へ赴き、義家が同地で行なった鉄釘の故事を再現したと記されている。

また、後世、前九年の役の聖地とも言える「斯波郡」を領有した足利氏の分家は斯波氏を名乗り、室町幕府三管領家の筆頭格となった。なお、江戸幕府を開いた徳川家康は河内源氏の新田氏の傍流である得川氏を自称した。

また『宇治拾遺物語』の「白河院おそはれ給事」に見られるように、義家の武芸が人智を超えたものであったとの神話化も行われた。

URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

日本プログ村
    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング
http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<群馬・小6自殺>担任「いじめあった」…学校側と食い違い

2010年11月03日 10時57分04秒 | 受験・学校
『 群馬県桐生市立新里東www.gun-esg.gsn.ed.jp/)小6年、上村明子さん(12)が自殺し、遺族が「いじめが原因」と訴えている問題で、担任教諭が県警の聴取に対し「明子さんへのいじめがあった」と認めていることが1日、捜査関係者などへの取材でわかった。学校側はこれまで「いじめという認識はなかった」と説明しており、学校と担任の認識が食い違っている。 明子さんは10月23日、自宅で自殺した。遺書は見つかっていない。捜査関係者と学校関係者によると、担任への聴取は明子さんの学校での生活や、自殺までの経緯について説明を求めるために行われた。担任はこの中で、同級生が明子さんを無視したり、給食時に明子さんを避けて座るなどのいじめがあったと説明したという。
 同小の岸洋一校長は会見で、「5年生の時に母親から『いじめられた』という訴えがあったことは確認できたが、明子さんの勘違いだった。明子さんからいじめに関する特別な相談はなかった」と説明していた。』毎日新聞 11月2日(火)2時32分配信
学級担任の女性教諭がいじめが有ったと認め、自分の指導力不足と謝った
そうですが。校側はこれまで「いじめという認識はなかったと言っていますが、義務教育の小学校の校長として管理責任と教育者としてどう考えているのでしょうか。1人の小学生が、いじめにより自殺したのです。
学級担任が、いじめで対処出来ないのなら、経験豊かな生活指導の担当の先生と校長も協力して、いじめと取組むべきではなかったのではないでしょうか。今更アンケートを実施しても自殺した上村明子山は帰って来ません。
校長のいじめは認識していませんと言うような言葉は、いじめによる自殺は、無かったいじめを隠そうとする気持も考えられます。
いじめによる自殺を公表するとプログを見た子供たちが動揺すると言うコメントも来ましたが。学校側がいじめを認めずこれまで隠蔽して来た実例は全国的に多く、テレビや新聞で公表しなかったら、第二、第三のいじめによる自殺が起きいじめにより自殺した子供達の霊も浮かばれず、保護者は泣き寝入りするだけです。お宮さんならぬ、いじめによる自殺の迷宮入りです。
教育とは、学力を身に付けて良い成績を取ることだけでは有りません。
現実の矛盾や誤り、不正に目を背けることなく、真実を見つめることも大切です。戦後65年平和な日本で、平和ボケしてしまって命の貴さ事実を見据える 
ことを保護者も忘れているのでは有りませんか。
何度心理カウンセラーを学校に派遣しても動揺している子供達を一時的に救えても学校からいじめ問題やいじめによる自殺は無くならず根本的な解決にはなりません。このようなコメントを書き込んで来たお母さんの子供でも何時いじめに合うか分かりません。いじめを無くすのは、教育現場の先生方の智恵と努力しかないと思います。
この学級、学級崩壊状態だったとか、上村明子さんのお母さんが、フィリピンの人で、容姿や風体で揶揄されていたと言うことも有ったようです。国際化時代の日本で、英語を小学校から教えるよりも、人の立場に立ち基本的人権を尊重する教育をすることが大切です。
偏狭な島国根性を持たずに日本人としての広い心と大らかさや思いやり、人情を忘れているのでは有りませんか。
私の近くの小学校にフィリピン人のお母さんが、お子さんを通わておられますが。日本の学校でいじめに遭わないかか最初心配していましたが、一度も遭っていませんと言われました。通っている小学校側の生徒指導と対応が良いと言いました。日本中の小学校でいじめは皆無とは思えませんが。
学校の先生方が、いじめ問題と向き合い、生徒の人権を尊重し、真面目に生活指導に取組んでいる学校も有ると言うことも事実です。学校側もいじめによる自殺者を出したのですから心が痛むと言われるのなら、亡くなった上村明子さんの御冥福を祈る為にも小学校側が、教育者として誠意と責任を持って真相を解明すべきでは有りませんか。其れが教育者としの責任で、人の道と思います。

川崎市多摩区の市立中学校3年の男子生徒(当時14)が6月、「(いじめから)友人のことも護(まも)れなかった」という遺書を残して自殺した出来事で、
私のブログで取上げさせて頂ました御縁で亡くなられたS君のお父様から テレビ朝日www.tv-asahi.co.jp「報道ステーション」に寄せられたコメントをを再度掲載させて頂きます。
『本件に対して、小生のコメントが紹介されました。実は、昨日の夕方、テレビ朝日から取材の依頼がありまして、本件についてのコメントを求められました。ひょっとするとご覧になったかも分かりませんが、午後10時から放送の「報道ステーション」の中で、本件に対して小生のコメントが紹介されました。
お父様のコメントの内容です。
『このような事件が起こると、学校はいつも決まり文句のように「イジメは把握しておりません。」とか、「イジメはありませんでした。」と言います。ろくに調べもしないで、なぜそのように断言できるのでしょうか。不思議でなりません。イジメは、大なり、小なりどの学校、どのクラスでも存在します。これは紛れもない事実です。イジメは、ありませんでした。」と発言する輩は、公の場で「自分たちに能力は、ありませんでした。」と認めているのと同じです。本当に恥ずかしいことだとなぜ分からないのでしょうか。「おそらくイジメは、あったと思います。私たちは、それを発見することが出来ませんでした。これからは、「その反省を踏まえて徹底的に調査をし、事実解明をしたいと思います。」となぜ言えないのでしょうか。被害者はこの先ずっと一生、愛する我が子を奪われた悲しみと怒りを背負わなければなりません。
何年経てば癒されるとか、「何年経てば忘れることが出来るなどという」ことは決してありません。
更に追い討ちを掛けるように、いわれの無い誹謗・中傷に晒され、反省の無い加害者たちに振り回され、何度も、何度も苦しみを味わうことになるのです。
起こるべくして起こった不幸から、誰もが目を背けることなく、二度とこのような不幸が起こらないように、加害生徒には他の生徒と隔離をして徹底的な教育とご遺族への謝罪を、被害者ご遺族には、心のこもったアフターケアーを、
学校教師、教育委員会には、早急なる真相解明とご遺族への謝罪を、各人が、この問題に対して、真摯に向き合って行ける環境が作られることを切に願っております。
』 と書かれて来ました。
この中学校の先生は、いじめにより自殺を出した学校の教育責任と教育専門職としての「教員の職業意識」の欠如と希薄さを切実に感じられ、教育者として誠意の無い中学校側の対応と教育者の「人間性と命を大切にする心の無さ」を感じられた息子さんをいじめにより亡くされたお父さんの心底からの雄たけびと切なるお気持と思いました。
群馬県桐生市の小学6年、上村明子さんの
『ご遺族のお悲しみが癒える日が来ますことを願ってやみません。
明子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。』
お父様のお気持を尊重する為に原文に句読点と括弧だけを付け加えさせて頂きました。

URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

日本プログ村
    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング
http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県知事選は「逮捕覚悟で」 照屋議員、社民党員前に2010年10月31日

2010年11月03日 01時01分18秒 | 国際・政治

 『社民党県連顧問の照屋寛徳衆院議員は29日夜、県知事選の応援のため来県した社民党員らとの交流会であいさつした際に、「沖縄は『公職選挙法特区』。公選法を守ろうという人は最終便で帰っていい。腹を据えてやってもらいたい」「もし逮捕されたら、私ではなく、弁護士の福島党首を呼んでください」などと述べた。 伊波洋一氏(58)を推薦する社民党は、全国から福島瑞穂党首ら100人近くが来県し、30日には那覇市内でチラシ配りや街頭演説を行った。照屋氏は琉球新報に対し、「一行を鼓舞するつもりでの冗談だ。選挙違反を助長するつもりはない」と述べた。 沖縄の選挙戦は、景観を損ねる違法ポスターが目に余るなど、選挙運動のモラルの低さが指摘されてきた。公職の立場にあり、伊波氏の選挙母体の共同代表も務める立場の発言としては、不適切との批判は避けられそうもない。琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュースryukyushimpo.) 2010年10月31日 <script language="javascript" type="text/javascript"></script><script src="http://badges.del.icio.us/feeds/json/url/blogbadge?hash=4957ddb05ea6003d6d324d7b7e70f935&amp;callback=callBack" type="text/javascript"></script><script src="http://num.bookmarks.yahoo.co.jp/numimage.js?disptype=shortsmall"></script>

社民党県連顧問の照屋寛徳衆院議員は、琉球大学法文学部出身の弁護士で、「沖縄は『公職選挙法特区』。公選法を守ろうという人は最終便で帰っていい」などと言う発言は、弁護士の出身者の衆議院議員として問題発言です。誰が、沖縄は『公職選挙法特区』などにしたのであろうか。恣意的な解釈は許されません。知事選挙に勝つ為には、手段を選ばず公職選挙法を破ったり、違反しても良いと言うのは許されない。菅内閣の仙石由人内閣官房長官と言い弁護士出身の衆議院議員の詭弁や暴言が最近多過ぎます。現職の仲井真沖縄県知事に選挙戦で勝ち抜く為に正々堂々と知事選に勝ち抜かないと当選しても選挙違反で辞めなくてはならなり、努力も水の泡になり無駄になります。現職知事に勝つ為にも公職選挙法を守り、社民党から選挙違反者を出さずに選挙戦を戦い抜いて欲しいと思います。『一行を鼓舞するつもりでの冗談だ。選挙違反を助長するつもりはない。もし逮捕されたら、私ではなく、弁護士の福島党首を呼んでください』と言っても社民党県連顧問の照屋寛徳衆院議員として言葉にも、選挙にも責任を持つべきでは有りませんか。一行を鼓舞するとは、政治家として木を見て森を見ない発想です。冗談では済まされない発言です。照屋寛徳衆議院議員も弁護士出身です。政治家として公職選挙法を守るべきでは有りませんか。選挙違反者が、多数出たら弁護士の福島瑞穂党首を呼んでも沖縄県民が社民党を支持し信頼されなくなるだけです。法治国家の日本、沖縄県も含め法は守るべきもの、法秩序の破壊は許されません。沖縄県選出の衆議院議員として、手段を選ばすに知事選挙に勝ちさえすれば良いと考えて大量の選挙違反者を出し摘発されたら、社民党の看板に傷がつき当選して勝ち取った沖縄県知事の椅子もふいで、選挙後の公約実現も不可能になりますよ。沖縄知事選挙当選は、知事としての第一歩に過ぎませんよ、法律家としてのりガールマインドが、無いのでは有りませんか。政治家の言葉とし責任を持って選ぶべきです。大事な選挙の時にこんな不適切な発言をしたら勝てる知事選挙も勝てなくなりますよ。現職知事に選挙を挑む難しさも政治家として真剣に認識すべきです。

URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

日本プログ村
    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング
http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする