立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

冨山に春一番が吹く。

2024年02月15日 | Weblog
先日からの晴天と朝から気温が揚がり、風も強く吹く。里の庭の花も咲き出す。春一番と言う。
大きく実を付ける梅も新芽が吹き出す。明日にはハナビラが開くね。
梅のハナビラも一部開き気味となる。
池の横にある椿から、ハナビラが池の湖面に漂う。
畑の周りに植えた越前水仙が満開になる。

越前水仙も例年通リ春の訪れを告げている。

つわぶきの花も満開になり飛散寸前なり。


恋の立山

2024年02月13日 | Weblog
連休も終わり、今日は気温が17度まで上がるという。風も吹き始めて立山の尾根筋では雪煙が舞っているのが見える。いよいよ、春の足音が聞こえている日となった。
剣岳、大日岳、立山、鍬崎山、手前に弥陀ヶ原が見える。右側には尖山。

此処からは立山連峰全体が目に入る好きな場所である。

全国高校スキー大会が始まる。

2024年02月09日 | Weblog
地元での大会であり、少しの合間に見に行く。
選手達の元気な姿を拝見する。
あの時を思い出し、ジャンプ台を眺める。「立山シャンツエ」は健在だった。
二〇〇〇年富山国体、南砺国体でも選手達の活躍を支えたジャンプ台に立ち止まって見る。開場には応援の観客の姿があり嬉しい。
多くの競技役員、監督、父兄が見守る中を選手達が滑って来る。斜面にスキー板が着地するパターという音が会場に響く。
 富山の地で、日頃の成果を発揮している子供達の姿を見に、知り合いの方々が子供達の応援に来ている。
「頑張れ・・」と、声援が飛ぶ。


晴れの天気

2024年01月29日 | Weblog
降雪が続きヤット晴れ間が戻る。ゲレンデも多くのスキーヤーが訪れて子供達の元気な姿が見れる。
   サンキッドも家族連れで賑わう。
 ゲレンデはスキーヤーで賑わう。大会もあるが参加者が少ないと聞く。
  駐車場も各種の車が勢ぞろい。




 


立山カルデラ周辺の赤丸。

2024年01月23日 | Weblog
能登半島地震から立山周辺の地震に関心が向くようになった。それも立山山麓の奥には「跡津川断層」が飛騨方面に向けてあるので、気象庁発表の震中分布図を見る事が多くなった。過去には、安政5年の大地震があり冨山は地震に見舞われたことを思い出す。今回の能登半島地震以来この跡津川断層帯に赤丸が付いたり、消えたりしている。特に、能登半島で震度5以上が起こると立山カルデラ周辺の跡津川断層帯に赤丸が付く。
    令和6年1月21日の赤丸。立山カルデラ内と真川。
今回の能登半島地震の大きさが、富山県内にある断層帯にも影響しているのではと思えてならない。 報道では、過去の例から見ると大きい地震の1か月後にも強い地震があるというから注意したい。







能登半島地震が気になる。

2024年01月04日 | Weblog
冨山県内でも氷見、高岡、富山市内等で現在も避難されていると聞き、早く回復することを願うばかりです。
 気象庁の地震マップを見ながら気になった所が増えたので記して見ました。
 立山周囲の活断層も影響を受けたと思われますので震源地の赤丸が、毎日、増えて居ます。跡津川断層の通過している、有峰湖、真川沿い、立山カルデラの薬師側、平地では、才覚地の川沿い、八尾福島周囲、今日は熊野川沿いと赤丸が増えています。

      才覚地、    有峰湖、有峰ダム、真川沿い、
        県内の断層帯・赤色、黄色、
まだ、これからも何が有るかわからないので注意したいと思います。
     
 

「うれ往来・鎌倉街道」の牧の峠ー水須調査終わる。

2023年12月20日 | Weblog
全調査の内、標高110mー標高600mの区間、常願寺川沿いの西側にある尾根筋の約10㌔「牧の峠ー水須間」が天気に恵まれて調査される。
今回は水須から入り、牧の峠迄専門家と共に実施する

 今回の水須ー牧の峠間を調査する。

牧の集落に車を置き、水須まで風邪気味の体で知人が送ってくれる。全員感謝し、右側のり斜面を登ると水平な道跡が続く。

         専門家の皆さんによる調査。

  「うれ往来・鎌倉街道」沿いにある「薬師如来」石仏。

「薬師如来」の横には2m幅の水平動が続く。この付近には畑、水田跡も・・

     向野山峠手前の祠? 石積がの残っている。

    向山野の峠には浅い堀込が続く。

 堀込は笹薮な中へ続く。この先は深い堀込となり倒木も出て来る
沢に着くと平坦な所にでる。これより左側の斜面を登る。今までは沢ぞいに
鉄塔巡視路に辿っていたが見落としていた浅い堀込が判り進む。同行された知人に感謝する。

        大きい杉の大木が目印となる。

鉄塔巡視路と右側の笹薮が会う場所に出る。後は、鉄塔巡視路と道跡が併用されて歩き易い。

     途中にある鉄塔付近への案内看板。平地が続く。

左側に鉄塔がある。真っすぐ進み深い堀込に入る。

        深いが見事な薬研堀である
 熊の糞が道跡に所々見掛ける。縄張りを示しているのが気になる。

  尾根筋に続く道跡は、浅い堀込で、左右の見透視が良い。

 道跡を造り変えた跡もあり、左右の堀込には道へ土砂が入らない様に石積が
されている。突然、道跡が消えて残された木々の間約30mを歩き牧の峠に着く。この下には隧道がある。

 隧道は、牧の集落と穏土集落を結ぶもので周囲の森林整備にと掘られたものであった。子供達も牧の集落学校へ通っていた。

         隧道から林道に着く。

       漸く、車の所に着く皆さん。

 5年掛かりの「うれ往来・鎌倉街道」の区間約10㌔の調査を終えて
 安堵する皆さん、ご苦労様でした。


この2枚の絵図が私達に力添えを与えてくれたものであり、地元の人達も伝承だけで道跡を調べる人が居なかった。戦国時代以前からの道跡であり、幾度か
危険地帯で作り替えた形跡が歴然として残っている。造った人々も居ないし、道跡の経緯も伝承されていないが、山の尾根筋に、深く刻まれた道跡は崩れる事もなく、今も、当時の面影を残し、見る人に感動を与えている。 言伝えでは、有峰の人達が上滝へ生活物資を売ったり、買ったりしていたとの伝承が有るのみで、近隣の人々の山仕事での道として利用されているだけだった。
 書籍に出てくるのが1840年頃からであり不思議な道跡である。ただ、言えるのは小原村の人が記した「廃村へ辿り滅びた村」著者 高田国家氏がこの道跡を記されているのを思い出す。
 ここ迄6年間を共に過ごし、汗を流し、ロマンに託し、導かれる様に少しの時間を割いて戴いた方々に心から感謝します。GPSでの記録として残せた「中滝ー水須」間を今後の後世に伝えたいと思います。
 水須~祐延ー有峰間は始まっていますが難関の区間であり若い皆さんに伝承を伝えて託したい。

























「うれ往来・鎌倉街道」水須への一部に補促。

2023年12月07日 | Weblog
先日、同じロマンを求める仲間のМ皆さんから一部に「未発見の道跡があった。」と知らせて戴く。沢伝いの上にあり、浅い堀込があると言うので現地へ知人と行って来る。    

       


 先日からの降雪で水須山は雪を抱き冬眠に入っている。
 林道から途中の目印の杉林へ入り鉄塔巡視路を進む。
   沢伝いの出会いと鉄塔巡視路が交わるところに着く。
沢の出会いから約50m進んだ所には樹齢200年以上という大杉が鎮座している。この付近では一番太い大木であり、芦峅寺雄山神社内の杉と変わらない立派なもなので記憶に残っていた。 

大杉から約20m過ぎた所の右側の笹薮にテープが小枝に付けてあり、Мさんの切り開いた跡がある。知人と切り開かれた跡を辿る。浅い堀込が続く。
少し進むと、右側に開いた道跡が続くのだが、前の笹薮には浅い堀込が続くので目線を下げて見ると沢の方へ降りて行く。雨で掘れた跡ではない。沢の上を巻く様に続くので間違いないと思い笹薮を刈り込みながら進む。沢の平坦な所に着く。
        上の小杉の間から沢に降りる。
 沢にある平坦な所に着く。対岸は水須から向山野峠越えてこの上で道跡が
突然無くなった場所であり、全員で沢に降りた所だった。後日道跡は途中から谷筋を降りこの沢に着くと判る。その時から気にしていた台地であり数回訪れていたが道跡は崩れて無く、沢沿いにあると信じてしまっていた。
今回の道跡には気づかなかった。これで水須から牧の峠、岡田の尾根筋へと続き「うれ往来・鎌倉街道」が繋がった。
水須で林道工事が続けられる現場を見る。



今年3回目の雪

2023年11月30日 | Weblog
昨日から寒くなり午前9.00頃には雪が降り出す。

3回目の雪が車に・・・・

いよいよ、山沿いは雪が降り出しています。
明日迄、どれだけの降雪があるの判りませんが気になる所もあり行きたいので
すが晴れる日を待ちたいです。


わが家の庭は時期外れの花 

2023年11月11日 | Weblog
池の中に赤い花が目に入る。  クリン草だった。
 池の中に一輪だけ咲いている。先日もニッコウキスゲが咲いていた。
     クレソンが寒さと同時に勢いが凄い。池一面に広がる。

    庭の片隅には茗荷の種
今年は、何だか変な気候に左右されて植物にも異変が見られる。