あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(6)

2011-11-30 10:44:07 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2010-04-06

 

Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

************

【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(4)】

肇は自分自身に問いかけます。

【何のために働いている。

何のために忙しがっている。

何のために友人の仕事を潰した。

何のために妻に呆れられた。

何のために娘から避けられている。

何のために母をひとり放置していたんだ。

何のために俺は俺の人生を消耗させているのだ。】

【肇の見つめる窓の向こうを一畑電車のオレンジ色の車体が通り過ぎていく。空白の中を横切ってゆくオレンジ色。カタタン、カタタン、という音が右から左へ通り過ぎていき、またカタタン、カタタンと今度は、左から右へと通り過ぎていく。一時間に一本の電車だ。その電車を何度この場所に座り続けたまま見送ったのだろう? 自分はここに座り続けて、何をしているのだろう。

空白とは悟りである。何かで読んだことがあった。悟りとは《差を取る》ことゆえに、あらゆる差を取り去った後には空白しか残らない。それをすべての執着を捨てるがゆえに、形あるものの姿が消え失せ空白しか残らない。確かそういう言葉だった。その空白の中に見出した光を「エンライトメント」つまり「悟り」というのだと、その言葉は続いていたように思う。けれど肇が空白の中に見出したのは、巨大な「クエスチョン」マークだけだった。それと一畑電車のオレンジの色。

カタタン、カタタン。

それが数時間の瞑想の果てに見出したもの。】

【どうすれば、自分の価値を自分で実感できる日々を送れるのか、肇は考える。

どこかでバタバタと何かが音を立てている。バタバタ、バタバタ、バタバタ、バタデン。そう聞こえた。

その音のほうに目を向けると、宍道湖の方から吹き込んでくる風に一枚の張り紙がはためいているのだ。《運転手募集》と書かれた一畑電車の告知ポスターだった。その張り紙の、右上の画鋲が外れていて、バタバタと風にはためき、掲示板の板を叩いている。はためく紙の角がなんだか肇を手招きしているように見えた。】

***********

肇はこのとき、初めて自分の心の声をしっかりと聴き取ったのではないでしょうか。瞑想が生み出してくれる「空白」は、私たちが普段自覚していない、ほんとうの自分の心を映し出し、人間の英知を生み出してくれます。このような苦境に立ってしまった肇は、なおさらそうであったのでしょう。

【「今何と言った?」

「私自身をリストラしようと思います。そう申し上げました」】

【「不退転の、決意か」

玖島(専務)が訊く。はい。と肇はうなずく。

そう答えている自分に、いまは戸惑いも迷いも感じていない。本当に久しぶりに正しい決断をした。そんな満足にも似た思いを彼は感じていた。

敵前逃亡ですか。部下にはそうなじられた。一畑電車の運転士募集の張り紙を家に持ち帰って、「会社を辞めて、電車の運転士になろうと思う」と告げたら、倖は「ありえないんですけど」と言った。】

**************

この場面に出会って、私も含め、多くの観衆や読者が、言葉であらわせないような勇気をもらったのではないでしょうか。自分たち自身がもっているジレンマや、自分たち自身を押し殺してまでも守らなければ・・・と感じている部分に、「そうじゃなくてもいいんだよ」という強烈な一撃を与えてくれたような、そんな気がするのです。

しかし、肇は母・絹代には言うことができませんでした。晴れてバタデンの運転士になって、運転席に座っている肇に、手を振ってもらえるようになってから、と思っていました。

【「何か意外なんですけど」

「何がだ」

「そういう自信なさそうなこと言うの。父さんはいつだって俺は間違っていない。俺は正しい。俺のやることは絶対にうまくいくってそういう人だったから」

「そんなこと言ってないだろ」

「言ってたよ。言葉じゃなくて態度で言ってた。物腰でそう言ってた」

「本当に?」

「本当に」

「そうか。だとしたら父さん、すごく嫌なやつだったんだな」

「そうだよ」】

****************

バタデンの面接で、誠心誠意自分自身の気持ちをあらわした肇を、反対する石川部長を説得し、大沢社長は受け入れてくれました。

【「若者が減って年寄りが増えているこの時代だ。四十九歳の新人なんてすぐに珍しい話じゃなくなる。我が社は最先端、二十一世紀の会社というわけだな」

「この歳になってようやく自分の夢と正面から向き合ってみる決心がつきました。よろしくお願いします!」】

****************

入社試験という緊張を味わい、さらに、これからの不安や希望が入り混じった肇は、倖と向かい合いながら、こう考えているのでした。

【自分の存在をアピールするのは、いままでの仕事の上でも常に求められてきたことだが、そこには必ず会社という大きな看板があった。その看板を盾に使い、煙幕に使って、自分の意見を通すことができたし、一目置いてもらうこともできた。けれど、面接試験で、求められたのは看板の大きさではなく、彼の人間としての力だ。これはきつい。会社人間を自認していた彼だからなおさらだ。】

【「ねえ、どうだったの? 面接試験」

「合格だ」

「えっ」

「父さんは合格した」

「嘘」

「嘘ついてどうする。合格したんだ。社長からそう言われた」

「嘘お!」

「だからうそじゃないって」両手で大きく丸をつくってみせる。「といってもまだ正式採用じゃない。研修先の京王電鉄で基礎を学んで、また試験を受ける。筆記の他にいろいろな実地試験もある。それを全部パスして、それでようやく父さんは電車の運転士になれるんだ」

「なんか癪なんだけど」

「何がだよ」

「だって。何で父さんが就活して、内定とかもらっちゃうのかなって」

「そうか、確かにな。お前の就活の心配をしたり、バックアップしてやったりしなきゃならない時期に、父さん勝手なことしてるし」

「京葉電器の取締役なら、試験のときちょっと有利だったかも」

「だろうな。すまない。けど、親の肩書きで採用決めるような会社はやめとけ。ちゃんと人間を見る会社が、これからは強いんだ」

「一畑電車みたいな?」

「あそこは、どうかな」

「研修はこっちでやるの?」倖が訊く。

「いや。最初の一ヶ月は島根で勉強することになっている。だから婆ちゃんのそばにいてやれる」

「婆ちゃん、喜ぶね。お父さんが本当に電車の運転士になるって知ったら」

「ちゃんと運転士になって、制服を支給されるまで、婆ちゃんには内緒にしといてくれるよな」

「驚かせたいんだ?」

「そうなんだ」

頷く肇に、倖のほうが驚く。父さん、何だか子供に戻ったみたい。声が弾んでる。

「しかし何とかなるもんだよなあ」

「そんな運転士さん、ちょっとイヤなんだけど」

倖が言い、肇は楽しそうに笑った。この変化は何だろう。父も娘も互いにそう感じている。肇が家族のためだと必死になっていたとき、娘は父を軽蔑していた。しゃかりきになって家族を守ろうとしていたとき、娘は父に背を向けていた。話し掛けたところで「だから何?」と冷めた声を返されるのが関の山だった。

けれど家族のことはひとまず横に置いて、自分の心のままに自分が楽しいと感じる方向へと進路を切り換えた途端に、娘は父を父として見てくれるようになった。話し掛けてくれるようになった。笑顔を見せてくれるようになった。

子供が幸せであることが親にとってはいちばん嬉しい。絹代はそういうような意味のことを言っていた。自分が好きなことをやりなさい。それがいちばんの親孝行だと。それは子供にとっても同じなのだろう。親が自分の好きな道を進み、そして幸せであるということ。子供にとって、それがいちばん安心できることなのだろう。】

****************

最後のくだりは、長い引用になってしまいました。肇と倖が多分、初めて経験したのであろう父と子の心地よい経験が、肇にとっても、倖にとっても、これからの人生の支えになったのに違いありません。肇は、家族のために一所懸命頑張ってきたと思っていたことは、実は、肇という人間を押し殺した結果の産物であったと言えます。上から押し殺されている人間は、必ず、下だと感じている周りの人間を追い詰めます。しかし、肇自身が、自分自身のために、選択した一畑電車の運転士になるということを見据えた途端、肇自身のあり様が変化をしていきます。自尊感情というものは、まず、自分自身を好きになり、自分自身を受け容れることによって生まれます。そして、その感情は他人に対しても、尊重したり大切にしたりというあり様を生み出していきます。まさに、この場面は、それを如実にあらわしているのでしょうね。

この後、肇はいよいよ一畑電車の運転士としての道を歩んでいきます。そのプロセスにキャリア意識といものの、内実がほんとうに素晴らしく描かれているのです。

(7)へつづく (2011.12.6)

 

 

 

Bataden

 

 

一畑電車HP

 

***********************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

ブログURL:http://aiai-net.blog.ocn.ne.jp/blog/

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(4)

2011-11-11 20:44:10 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2010-04-06

 

Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

*-*-*-*-*

【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(2)】

肇は、エリートサラリーマンだったころ、依存的な生き方をしていました。家族や自分のまわりで起っていることに関して、「自分の与えられた枠組みの中で、一所懸命にやっている」「一所懸命にやっているのだから、仕方がない。」「なぜそんな自分の姿を家族はわかってくれないのか。」という発想をしていたのです。小林弘利さんと錦織良成さんが小説にあらわしている部分は次のような光景です。

*************

工場の閉鎖のために肇と、大学の同期である友人であり、閉鎖される工場の工場長である川平とのやりとりから抜粋しました。

川平「ものをつくるってのがどういうことかお前にわかるか?」

肇 「誰かのためになることだろう。自分が楽になる。誰かの役に立つ。あるいは誰かを楽しませる。物をつくるっていうのはそういうことだ」

川平「なのにものをつくってる会社が工場を閉めていったい何をするつもりなんだ」

肇 「コツコツと良いものをつくってれば商売になった。そういう時代はとっくに終わっちまったんだよ、川平」

川平「終わって、何が始まる? マネーゲームか? それも行き詰って、アメリカがぶったおれたんじゃねえのか? 教えてくれ。これからは何を商売にするんだ? お前は何をつくるんだ。誰を楽にして、誰を楽しませて、社会にどんな貢献とやらをしていくんだ?」

川平「何を急いているだか知らないがな。地方まで足を伸ばしたら、ゆっくりと地酒を飲むくらいの余裕を持てよ。俺たちのつくったもんが世の中を便利にしたのは、人間を走り回らせるためじゃないんだ」

後に、川平から工場の整理が順調に進んでいると聞いて・・・

肇 「ありがとう助かるよ。なあ、川平。専務も了承してくれたよ。だから本社に戻って来い。お前なら、一緒にガンガンやれる」

川平「俺はコツコツといいものをつくり続ける。その芯さえ見失わなきゃ働く場所はどこにでもある。この会社が俺を楽しませてくれないなら、この会社を俺は捨てる」

************

家族との関係で・・・

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

変わってねえな。川平がほっとしたような笑みの中でそう言った。

そうなのかもしれない。変わったつもりでいるのに、本当は何も自分の中では変わっていないのかもしれない。それとも、リストラを断行する冷徹さを保てそうもない自分の企業人としての弱さを認めたくなくて、それで大学生のように理想を語る青さを失っていないのだと、無理に納得してみようとしているだけなのかもしれない。

肇は自宅の玄関ドアを開けるときもそういうことを考えていた。すべてはくらしを守るためだ。自分に言い聞かせる。働くということは、こういう汚れ仕事も引き受けるということだ。会社での地位が上がるということは、利益のためなら誰かの楽しみを奪い取ることにも感情を動かさない術を身につけるということだ。

ドアを開け、まず気づくのは妻の靴がそこにないということだ。つまり、妻はまだ帰宅していない。重いため息をつきながら肇は、靴を乱暴に脱いでドンと音を立てて上がり框に足を乗せた。不機嫌であることをそんな仕草で表現する。毎日三つ指ついて出迎えろと言っているのではない。今日のような日は、帰った場所に妻の気配を感じたかった。家庭というものはそういうものを望んでいいはずの場所じゃないのか。

***********

娘・倖との関係・・・

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

「いたのか」

そう言ってリビングに足を踏み入れ、天井のスイッチを入れる。二度三度と瞬いてから明るい光が室内に投げ下ろされると、驚いたように目を開けて娘はこちらを振り返った。突然の侵入者におびえた顔になっている。

帰宅した途端に実の娘からそんな顔で迎えられるのは心楽しいものではない。肇はさらに不機嫌になる。

「何してるんだ。真っ暗な中で」

「音楽を聴いていたのか」

「だったら何?」

お帰りなさいお父さん。そんな言葉は期待していない。しかし、「だったら何?」というのはあんまりじゃないか。思いつつ、それは言葉にはしない。肇の口から出たのは「母さんは?」という言葉だ。

「母さんはどうした。出かけているのか?」

倖は答えずにまたイヤホンを耳に戻そうとする。自分の言葉が音楽に遮られてしまう前に肇は問いを重ねる。

「母さんはどうした? 出かけているのか?」

倖は答えない。彼女はソファーから立ち上がると、自分の部屋へ行こうとする。

「おい、母さんはと訊いているんだ」

「何であたしに訊くの? 夫婦なんでしょう。電話でも何でもして、自分でどこにいるんだって訊いたらいいじゃない」

「出張から戻ってきたんだ。お帰りなさいぐらい言って欲しいね」

「何甘えてんの」

言いながらも倖は菓子を受け取ると、さっそくその包みを破りはじめる。

「お母さんがハーブの店を始めたことを覚えているよね?」

「当たり前だ」

「だったらどこにいるんだ、なんて訊くまでもないと思うけど」

「どうだ就活は」

「どうだって、何が?」

「もう三年だろう。うかうかしているとろくな仕事にありつけなくなるぞ。もうみんな面接受けたり、コネクションつくったりしてるんじゃないのか? なのになんだお前は。真っ暗な部屋でのんきに音楽か」

「何カリカリしてんの?」

「カリカリなんかしていない。いいか。のんびり遊んでいる人間の面倒を見てくれるほど社会ってところは」

「甘い!」倖が声を上げる。「これ甘すぎる!」

倖は危険物であるかのように菓子箱を自分から遠ざけ、そのままリビングから早足で出て行く。

**************

妻・由紀子との関係・・・

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

「お店の名前、《ハーブトーク》にしようと思うの」

「うん」

「それでいいと思う? お客さん来てくれそう?」

「ああ」

これは会話ではない。だから夫との間に、もう会話はない。会話らしい言葉の応酬があるとすれば、それは喧嘩をしているときだけだ。そのときだって互いに自分の言いたいことを言っているだけで、相手の言葉に耳を傾けているわけじゃない。自分の主張の正しさを申し述べ、相手をねじ伏せることしか考えていない。いや、ただ相手を傷つけるだけならそれでいい。とさえ思っている。違う意見であってもそれを投げ合うことで、互いの一致点を見つけ出していく。そんな建設的で愛情のある言い合いですらないから、こちらも黙ってしまう。喧嘩になるくらいなら、黙っていたほうが互いのストレスが軽減する。そう思う。そしてそんな考え方こそがストレスの最大の源だと気づいたときには、もう夫婦の間には大きな亀裂ができてしまっている。

由紀子は夫の肇との会話のない空白を埋めるためにハーブを使うようになった。そのハーブの持つ芳醇なる沈黙に魅せられて、すっかりハマり、その店まで出してしまった。自分の中の可能性が見えてきた。やわらかな時間、穏やかな会話、香りに癒される人の唇に浮かぶ、微笑み。それを見つめる幸福感。それらはみな、会話のない夫との関係が発端となって生まれてきたのだ。

必要としているものを何も与えてくれない夫が、いちばん必要としていたものを与えてくれた?

人生はそんなパラドクスでいっぱいだ。理屈と計算で成り立っているわけじゃない。世界はもっとファジーでトリッキーな矛盾の中で回っている。

きっと何をおいてもまず、店の存続を最優先に考える。店を持つとはそういうことで、それは何をおいてもまず自分の仕事を考える、そんな夫の姿に似ているのかもしれない。

**************************

そんな家庭環境の中、娘の倖は、自分の進路について、こう悩んでいたのです。

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

倖は大学のキャンパスを歩いているところだった。

学生課の掲示板に新しい新卒者募集の張り紙が、幾つか出されているらしい。どんな職種のものがあるのかチェックしておこう。友人とそう話していた。

学生は自分の進むべき道を決めるものだと思っていた。自分の進路を決めるために、学識を広め、深めているのだと。けれど、実際はそうではない。学生は進路を選べない。掲示板に貼り出された募集の紙が、君の進路はこれとこれだと告げるのだ。

「何かあった?」

掲示板を見上げながら友人に訊く。

「やっぱ食品かなあ。どんな不景気のときだって人は何かしら食べなきゃいけないんだもんね。こうゆう時代はやっぱり食品メーカーが無難なんじゃない?」

確かに。無難というなら食品は無難なのかもしれない。けれど倖は無難だというだけで、自分の将来を決めてしまうことにどうしても尻込みをしてしまう。食品が嫌だというのじゃない。どんな仕事、職種だろうと、そこにやりがいを見出せると思う。女子大生なのだから仕事選びはとりあえずの腰掛け気分でいい。どうせすぐに結婚するんだし。だから本当の狙いはどんな男を選ぶかだと、そう言う友人も多い。

それもまた確かに、とうなずかざるを得ない。そしてやはり、けれど、と倖は思ってしまう。未来は選んだ男次第だなんて、そんな消極的なギャンブル的発想でしか、私たちは未来を思い描くことができないのだろうか。

倖は掲示板を見つめる。たくさんの募集を見つめる。この中に自分の未来はあるのだろうか。本当に私という存在を賭けて挑戦する価値があるのだろうか。

名前の知られた大企業の募集の前に人だかりができている。

********************

この小林さんの小説は、監督の錦織良成さんの原案をもとに書かれたものです。映画をもとにノベライズされたものだそうなので、映画でないとあらわされにくい部分や、小説でないと描写できない部分があり、その長所どうしを重ねあわせると、映画を観て、小説を読むと(もちろん、逆もありなのですが・・・)、より、伝わってくるという気がしました。その中で、特に肇の会社での生き様、肇と由紀子の夫婦の関係というものに、依存的なあり様というものが見事に描写されていました。妻、由紀子自身も、依存的なあり様の夫婦の関係から、何かを生み出すという形で「ハーブトーク」というお店を出したというよりも、肇との関係から逃げ出す形での独立というものを求めていたと言えます。そんな家庭の中、娘・倖だけが、就職という人生の節目をむかえるにあたって、「当たり前」に感じられていた就職の形態というものに、疑問を感じていたのでした。

さて、物語は、絹代が行商の途中、「ばたでん」で倒れたことにより、肇の人生の切り替えポイントにさしかかっていくことになります。

(5)へつづく 2011.11.28

Bataden

 

一畑電車HP

 

***********************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(3)

2011-10-24 08:04:59 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2010-04-06

Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

*-*-*-*-*

【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(1)】

私は、大阪の松原第七中学校にて、校内の研究主任として、文部科学省指定の研究開発学校の取組を校区としてとりまとめてきました。研究主題は、新教科「人間関係学科」の発展と拡充でした。トータル8年間に及ぶ研究でしたが、始めの4年間は先代の研究主任の先生を中心にして、先輩たちが人間関係学科のカリキュラムをつくりあげました。私たちは、それを引き継いで、人間関係学科の意義づけと理論化をしました。そして、これを小学校、幼稚園までひろげ、校区における11年間のカリキュラムを打ち立てるということが、私たちの使命となったわけです。

「人間関係づくり」といっても、普段、授業として行う人間関係学科の実施(一次支援)、いじめなどの未然防止(二次支援)、不登校などの子どもの教室復帰、学校復帰(三次支援)という幅の広いものでした。さらに、幼・小・中の学校間連携をもとに、子どもの成長・発達に即した教育内容の追求ということで、私自身は、二年間、小学校をメインにしながら幼稚園まで出向き、考察を続けてきました。その結果、最終的に行き着いたところが、この記事の表題にもあらわしている【「依存的なあり様」から「主体的なあり様」へ】というテーゼなのです。

本来、人間はこの世に誕生した時点においては、絶対依存の状態にあります。すべての事をまわりの人たちに任せなければなりません。そのような依存的なあり様から、まわりの人たちの愛情に育まれながら、体と心が成長し、ひとつずつ自分で判断し、働きかけることができるようになり、主体的なあり様で生きていくことができるようになります。これが本来の人間の成長のあり方であると言えるでしょう。

しかし、現実は、そうはなかなかうまくいきません。人間は信頼関係で結ばれることが理想ですが、依存的なあり様で人間関係を結んでしまうことが、多々あります。小学生や中学生は、大人への成長の過程の中にいますので、依存的なあり様から主体的なあり様へと成長していく途上であると言えるでしょう。したがって、依存的なあり様の関係性から結びついた人間関係から、様々なトラブルが生まれ、現実問題として「いじめ」があったり「不登校」があったりします。ですから、人間の心のなかみをどう育んでいき、主体的なあり様の人間を目ざすことができるのか、ということが教育の最大の課題となります。

残念ながら、現在の日本の教育には、この観点での尺度が不完全にしか確立されていません。昨年、内閣府から発表された「ひきこもり及びその予備軍、225万人・・・調査年代の人口比にするとおよそ6%」という実態も、ここに起因するにちがいありません。また、本年度、4大疾病に精神疾患が加えられたような現実も、同じ事が言えるのです。義務教育が終了すれば、このような状態に対するセイフティーネットが極端に弱くなります。最近、大人の発達障害に焦点があてられる現状や、働きたくても働けない労働人口の増加による将来への不安というものが、教育現場では、大きな壁となって鬱積したものになっていると言えるでしょう。

RAILWAYSの主人公・肇の生き方の中で、見事に描かれていた依存的なあり様が主体的なあり様にどう変わっていったのか、検証していく意味がここにあります。小説や映画の主人公のことですが、子どもも、大人も包括した人間としての課題であるということに、気づかなければならないのではないでしょうか。

さて、それでは、RAILWAYSから、肇の依存的なあり様を、まず探っていきましょう。

(4)へつづく  2011.11.3

 

 

Bataden

一畑電車HP

 

 

***********************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月14日 ACジャパン「行為の意味」&「親切とおせっかい」を道徳の時間に

2011-10-14 12:31:10 | コラム

今年の5月24日の記事として、ACジャパン「行為の意味」&「親切とおせっかい」をテーマにしたCMについての記事を書きました。

Kiji1 「行為の意味」&「親切とおせっかい」は一見、正反対のことを言っているように聞こえます。

「勇気を出して行動をしてみよう。そうすれば、心をかたちにすることができるよ。」「親切と思ってやってあげたことが、実は相手にとってはおせっかいとして感じられることがあるんですよね。」という軽く聞いてしまえば、二つのメッセージを総合すると、行動しなさい、と言っているのか、おせっかいになるよとストップをかけているのか、「同じACやのに、どっちやのん?」と叫んでみたくなります。

しかし、よくよく聴いてみると、なにか、ともに共通するキーワードがあるのではないか、ということに気がつきます。それこそが、「行為の意味」と「親切」とを結びつけている重要な要素ではないのでしょうか。そんな疑問を解いていくために、松原第七中学校の2年生の先生が、道徳の時間の授業として組み立ててくれました。そして、10月12日(水)の6時間目に松原市教育研究会・道徳部会の研究授業として披露して下さいました。

今回、人間関係づくりの重要な要素である「聴く」という力を育てるための、この指導案を提供していただきましたので、いっかい試されてみてはどうでしょうか?

You Tube「ACジャパン CM 見える気持ちに」より

You Tube「ACジャパン ラジオCM おせっかい」より

指導案ダウンロード(WORD文書)・・・あいあいネットワークofHRSのHPより

 

***********************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(2)

2011-09-13 09:44:10 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2010-04-06

Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

*―*―*―*

********

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

【Story of RAILWAYS】

(1)をブログアップした直後に、松江市教育委員会の奈良井 孝先生からメールをいただきました。早速、(1)を読んでいただいて、一畑電車、通称「ばたでん」について書いて下さいました。

『ブログ、読みました。研修日の前後で、いろいろ松江を探っておられたのですね。一畑電車=「ばたでん」は「湖北地域」の人々にとっては本当に生活の足です。通勤、通学そして昔は、半島の海端の漁村から海産物を運ぶ行商のおばちゃんたちが、松江・出雲へ大きな荷をかついで乗り込む大事な交通機関でした。おまけに、「一畑薬師」という寺院(山寺)がありそこへお参りする人たちも「一畑口」というふもとの駅を使っていました。そんな「電車」なので、赤字ではあるのですが廃止することはできず、松江市・出雲市が援助をして成り立たせている「私鉄」です。宍道湖が画面奥に映り、菜の花ばたけのなかをオレンジの一両電車が走るシーンは、こちらの人間でも、「きれいな、いいところだなぁ」とほれぼれする風景です。また、あの、宍道湖を覆うどんよりとくらい、灰色の雲の感じも松江(山陰)独特で、登場人物の心を写してるのかなぁと思うシーンもありました。これからが、宍道湖の夕日の美しい季節です。時間があればぜひおいでください。』

私は、この「RAILWAYS」を映画を観て、その後小説を読んだのですが、監督の錦織良成さんが小説の原案をつくり小林弘利さんが書かれたようです。ですから、小説そのものは、まるで映画の台本を読んでいるかのように、映画に忠実に著されています。そして、それ以上に、映画での何気ないシーンに意味が込められていることを、私は小説を読んで気づくことができました。例えば、映画では、地面すれすれからの視点で、レールのポイントが切り替わるシーンがあります。実は、そのシーンは、主人公である筒井肇の人生が大きく変わっていくポイントを表しているのです。私は、そんなことに気づきながら、肇の妻である由紀子、娘の倖の三人の家族が、肇の母である絹代との関わりや、松江の人々との関わりを通じて、人間としてのあり様を自らの心に映しだし、行動として実現していく姿に感動したり涙したりしながら映画を観たり、小説を読んだりしていました。

松江市教委の奈良井先生が書いて下さった、美しい松江の風景と通称「バタ電」の息づかいをあらわしているようなシーンが全編を通じて描かれているのですが、映画の冒頭は、新幹線が走る東京の風景から始まります。

【あらすじ】

東京にある大企業、京葉電器のエリート社員、筒井肇は、大学の同期である親友の川平が工場長を務める工場へ出向き、工場の閉鎖を伝えるのである。工場の閉鎖とは、何百人ものリストラを意味する。「せめて、お前だけでも、本社へ。」という肇の誘いを、「こつこつといい物をつくる。」という言葉を返して川平は断った。川平はものづくりのなかで生きている人間なのである。一方、肇は、将来を期待されたエリート幹部であり、このリストラが成功したときには、次の『常務へ』という見返りを得ていた。

肇の家族は、妻・由紀子、娘・倖の3人。肇は、自分の頑張りは、当然、家族のためであると信じ、がむしゃらに頑張ってきた。家族を顧みず・・・。しかし、そのツケが、何も気づいていない肇に襲いかかろうとしていたのである。妻・由紀子は、自分の店「ハーブトーク」を新たに始め、娘・倖は、肇の存在を無視するかのような言動をとっていた。会話のない家族であった。

肇の故郷は、島根県にある宍道湖のほとりである。そこには、ひとり故郷で暮らす祖母・絹代がいた。絹代は自宅で野菜を育て、それを「ばたでん」を利用して行商していた。

ある日、母・絹代が行商の途中「ばたでん」の中で倒れ、病院に運ばれたという知らせが肇のもとへ届いたのである。肇は、娘・倖を連れ、急遽、島根へ向かった。その行程、二人のぎこちない関係が露呈してしまう。妻・由紀子は店の営業を終え、一人、島根へ向かったが、肇の実家に居合わせた三人は、まさに、他人のような関係だった。そして、病院へかけつけた肇は、医者から絹代が末期癌であることを知らされる。

さらに、肇のもとへ、追い打ちをかけるようにショッキングな知らせが届く。リストラされた従業員の世話を、必死になって行っていた親友の川平が交通事故で亡くなったという知らせであった。肇は、親友を亡くし、さらに、母までも失おうとしていたのだ。肇は、自分の人生をふり返り、これで良かったのかと自らに問いかけていた。

入院した絹代の世話は、おばあちゃん子である倖が祖母の家に泊まり込み、献身的に行った。一方、肇は土日に島根に帰るという二重生活をしていたのである。

そして、いよいよ肇は人生の「切り替えポイント」をむかえる。

「今、何と言った。すまない、もう一度言ってくれ。」と球磨専務が驚きを隠せずに言った。

「私自身をリストラしようと思います。」 肇は表情を変えずに答えた。

小さい頃、「ばたでん」の運転士になることが夢だった。それを聴いた母・絹代は肇が運転する電車に、母・絹代は「手を振ってあげるよ」と言って喜んでくれていたのである。「ばたでん」の運転士になる。これが、49歳の肇にとって初めての夢への挑戦であった。

「ばたでん」=一畑電車は、宍道湖の湖北の人々にとって、重要な生活路線だ。しかし、地方のほとんどの鉄道がそうであるように、赤字路線である。それゆえに、地域の人たちに愛され、地域と密着した鉄道であることに存続の意義がある。肇は、同期入社の宮田大悟とともに、一ヶ月間、東京の京王電鉄での研修を終え、晴れて、夢だった電車の運転手となった。

宮田大悟は、かつて、高校野球の投手として名を馳せ、プロからの誘いもあった。しかし、不運にも肘を壊し、その夢は潰えたのである。「ばたでん」を支える保守の人たち、先輩の運転手、管理職の人たち、まわりの人たちに支えられ、肇と大悟は、「ばたでん」の運転手として、新たな道を歩みだした。

ある日、肇と大悟は地域の人たちに密着した仕事ぶりが行き過ぎ、それが仇となって取り返しのつかないような事件を引き起こしてしまう。その責任をとって、肇は退職を決意した。母・絹代との約束を果たせなかったが、肇の決心に悔いはなかった。

肇は社長の大沢に退職願を出し、駅舎を去ろうとしたとき、改札口から子どもや、主婦や、お年寄りや、「ばたでん」を支える保守の人たち、同期の大悟、そして退職願を受け取った大沢社長たちも含めて、大勢の人たちがホームに現れ、肇を取り囲んだ。「やめないで下さい。」「やめないで。」「・・・・」「・・・・」

多くの人たちの懇願の中で、大沢社長は事の発端となった「坊や」に言った。

「電車は運転士がいなければ走らん。けどな、運転士さんだけでは電車は走らないんだ。・・・だから坊や、誰も辞めたりはしない。誰が欠けても電車を走らせられなくなってしまう。坊や。未来の運転士さんも一緒に電車を走らせよう。」

みんなで走らせている電車の中で起こったことは、みんなで責任を取る。大沢社長は肇を見つめ、目だけで気持ちを伝えたのである。

肇の夢はついにかなった。「ばだでん」を運転する肇を見つけ、病院の窓から母・絹代が手を振る。肇は、ちらっとそれを確認し、何事もなかったように「ばたでん」を運転するのである。

妻・由紀子、娘・倖とともに、肇は新しい生活と新しい生き甲斐を、生まれ故郷の宍道湖のほとりで、手にすることができたのである。

*************************************************************************:

最後の、肇を囲む駅舎での映画のシーンでは、私自身、ぼろぼろ涙を流してしまいました。ネットカフェなので、何も気にするものもありませんでしたし・・・。あらすじが少々長くなってしまいましたが、これは、あくまでもあらすじであり、この小説と映画の本質を語ることはできません。まさに、肇のあり様の変化が、肇を取り囲む人間というものとのつながりを大きくつくりあげていきました。このようなことを次の記事から考えてみたいと思います。

(3)へつづく     2011.10.24

 

Bataden

一畑電車HP

 

 

***********************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(1)

2011-09-12 12:55:38 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2010-04-06

 

 

Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

*―*―*―*

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

 

【松江を訪れて】

ついこの間の7月29日、島根県松江市教育委員会のお誘いで、松江市にてファシリテーションを行いました。ファシリテーションの内容は記事にしてありますので、それを読んでいただければいいのですが、松江市というところは不思議なところですね。大阪から米子道、山陰道を通って松江市に入ったとたん、目の前に、突然、海があらわれました。でも、ちょっと待てよ、ここは、松江市だから、「これが宍道湖か!!」と、「しじみで有名な宍道湖なんだ!!」と、ちょっと感動しながら研修場所へ向かっていました。研修まで時間が少々あったので、松江市内を車で周遊しながら、松江城やらしんじ湖温泉やらをちら見していたのですが、「松江港」という表示を発見したので、「何か、海・水産物でいいものがあるかも・・・」と考えながらその松江港をめざしました。そして、「松江港」という看板を発見したので、港内に入ってみると、そこは、どう見ても川なのです。「松江港」って川沿いにある港なんだとはじめて気づきました。念のために、ナビの地図で調べてみると、確かに「大橋川」と書いてあります。ナビの地図を西へ西へと移動させていくと、湾のようなものにあたりました。これは何という湾なんだろうと、また西へナビを進めると、これがまた「中海」という宍道湖と同じ汽水湖であることがわかりました。宍道湖と中海という汽水湖が川でつながれて、鬼太郎で有名な境港で日本海とつながっていました。後で、地図で調べてみると、ほんとうの松江港は東松江の中海に面してあるようです。でも、行ってみたわけではないので、少々自分的には謎のままです。それと、もう一つ謎だったのは、「宍道湖」という道路にある標示を見ますと、「宍道湖・斐伊川」と並列表記してあるのです。これも、あとで調べてわかったのですが、あの広大な、そして美しい夕日で有名な宍道湖は、斐伊川という川の一部であるということになっているようです。今までの自分の常識では、予想もつかないことでした。でも、島根県の方たちは、「そんなこと常識」みたいなことなんでしょうね。松江市自体も非常に魅力のあるまちですが、近辺には、出雲もありますし、勾玉を製造していた(現在でも、つくっていますが)玉造温泉があったり、どじょうすくいの安来節で有名な安来市もあります。今回の松江市訪問は、不勉強のまま行ってしまったので、もし、次にお呼びがかかるようなことがあれば、行ってみたいところが満載の地域です。

松江から大阪に帰ってきて、次のファシリテーションに備えて、ネットカフェにこもってブログを書いていたのですが、ブログ書きに疲れて配信されている映画の一覧を見ていると、興味深いタイトルを発見しました。それが「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」でした。「RAILWAYS?  それってもしかしてALWAYSの焼き直し?」みたいなことは、誰もが感じる疑問だと思うのですが、「RAILWAYS=鉄道、や!」と気づくのに少々時間がかかりました。それで、さっそく約2時間かけて視聴したのです。感動でした。もちろんなかみに感動したのですが、舞台は前日まで滞在していた松江市です。松江市から出雲市を結んでいる「一畑電車」という私鉄が舞台になった話だったのです。でも、「ちょっと待てよ、あれだけ松江市から出雲市近辺までうろうろしていたのに、JRは走っていたけど、一畑電車なんてなかったぞ!」「これってフィクション?」また、松江市に関する謎が発生してしまいました。その後、学校の夏期休業中は、怒濤のようなファシリテーションの連続でしたので、ブログアップに追われる日々が続いていました。その間、amazonで文庫本を購入して、同映画を小説で読んだりしていました。「もしドラ」のブログアップが終わったら、次は、この本と決めていましたので、9月になってやっと、Webでの調査に取りかかったのですが、やっとその謎が解けました。私は松江市と出雲市とをつなぐルートは宍道湖の南岸しかないと思っていたので、ずっとそこらを地図とかで調べていたのですが、あるはずがありません。実は、一畑電車は「松江しんじ湖温泉駅」から出雲市まで、宍道湖の「北岸」を走っているのです。松江の皆さん、申し訳ありません。まったくの私の固定観念でした。でも、そうと知って若干感動です。宍道湖のまわりをJRと一畑電車で囲っていることになるのです。そんな湖は、JRで囲われている琵琶湖しか思い浮かびません。一つの湖が、鉄道で囲われているなんて、囲われている地域の内外では、何かすごく生活感や、人生の喜びや悲哀があるんだろうなと感じませんか?

映画を観て、文庫本を読んだからそう感じるのかもしれませんが、島根と東京という二つの地域に関わりをもった主人公の人生が、どう変化していったのかということ・・・・、自分自身で整理をつけながらブログに書いていきたいと思います。

(2)へつづく 

Bataden

一畑電車HP

***********************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(3)

2011-09-05 11:27:35 | コラム

 

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-12-04

「もしドラ」映画公式HP

 

  

 

「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(2)よりつづく

《相乗効果を生み出すイノベーション》

イノベーションは組織を変え、組織の外に変化をもたらす

連携が生み出す変化
秋季大会の敗退後、程久保高校野球部は生まれ変わり、順調に実力を伸ばしてきたとはいえ、まだまだ甲子園出場という目標は遠いものでした。そこで、みなみは再び「マネジメント」にその方策を求めたのです。

「企業の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。」p142

「イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織のなかではなく、組織の外にもたらす変化である。」p143

「イノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。」「イノベーションの戦力の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを体系的に捨てることである。イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために解放できる。」p144

つまり、みなみは、野球部と野球部をとりまく外の世界とのつながりを深め、さらに、これまでの高校野球の常識をくつがえす作戦を考え出すのです。もちろん、これらをみなみひとりがやろうとしたのではありません。外とのつながりは、野球を自分のキャリアアップのために取り組んでいた正義(まさよし)に、野球の作戦を監督の加地とマネージャーの文乃にお願いすることになります。

組織の責任者が部下に仕事の権限を委譲することをデレゲーションと言います。みなみの場合、組織の責任者というわけではありませんでしたが、成り行き上、野球部のマネージャーが野球部のマネジメントをするというはめになってしまっていました。つまり、野球部をとりまく組織との連携を正義に、甲子園に出場するための練習と特別な作戦を監督の加地と文乃にデレゲーションしたのです。

程高野球部は生まれ変わりました。

今が成長の時なんだ。」みなみはつぶやきます。
「もしドラ」の中で最も圧巻な場面ではないでしょうか。残り数ヶ月と限られた時間のなかで、野球部とそれをとりまくものとが、どんどんビルドアップされていくのです。陸上部との合同練習で、走力のアップをはかりました。そして、正義がお膳立てした連携は、家庭科部、吹奏楽部、大学の野球部などでした。その結果、野球部だけでなく、連携したそれぞれの組織にもやる気と成果をもたらしました。

「イノベーションとは組織の外にもたらす変化である。」

まさに程高野球部とまわりの組織との間にWin&Winの関係が築かれていったといえます。


イノベーションは不可能を可能にする
練習面では、チーム制を取り入れ、お互いを切磋琢磨しました。そして、作戦面では、これまでの常識をくつがえす作戦を生み出しました。みなみは、監督の加地にこう尋ねました。

「甲子園の長い歴史の中で、それまでの常識を変え、新しい価値を打ち立てることに成功した監督はいますか?」p148

すると加地は、こう答えました。

「おれの知る限りだと、二人いる。一人は池田高校を率いた蔦文也監督で、もう一人は、取手二高を率いた木内幸男監督だ。」つまり、蔦監督は、打って打って打ちまくるというスタイルで、高校野球に「守りの野球」から「攻撃野球」という新しい常識を打ち立てました。木内監督は、それまでの「管理野球」を捨て、選手の気持ちや個性を大切にする「心の野球」を打ち立てていたということをみなみに熱心に語ったのです。それを聴いたみなみは、加地の目を真っ直ぐに見つめて言いました。

だったら、先生が三人目になりませんか。」 

加地と文乃がたてた特別の作戦とは、「ノーボール、ノーバント作戦」でした。甲子園に出場するという目標の下では、短期間にトーナメントを勝ち上がっていかなければなりません。そのために必要だったのが、この「ノーボール、ノーバント作戦」なのでした。

これ以降、程高野球部は、高校野球の世界に旋風を巻き起こしていきます。
程高野球部はどうなるのでしょう。
みなみは・・・。 夕紀は・・・。

まだ、この「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んでいない先生方、どうぞお読みになってください。映画も良い映画です。日々の実践に役立つことが、きっとあるはずです。

<iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&nou=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=edupedia07-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4478012032" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>

 

私にとってのイノベーション

私は、今から17年前の1996年、当時の学年の仲間とともに、現在の職場体験のもととなる名づけて『労働体験』というものに取り組みました。全国的に職場体験が拡がっていくきっかけとなった兵庫の「トライやるウィーク」が始まったのが1998年のことでしたから、職場で仕事を体験させるなどということは、教育の現場では「非常識」であり、全く、当時のイノベーションだったといえます。

総合的な学習の本格実施が2002年ですから、時間の制約や、子どもの活動の枠組みの制約、地域の人たちを学校へ取り込んでいくことへの教員の抵抗など、様々な困難がありました。

「先生、本気?」「子どもにさせる仕事はないよ!」と事業所の人たち・・・

「そんなことして子どもが事故にでも遭ったら誰が責任取るの?」と学校内から・・・

しかし、そんな困難を乗り越えて、実施した第一回目の『労働体験』学習は、子どもたちにとって、何ものにもかえ難い、大きく、そして深い学びを得ることができました。

そして、それだけではなく、地域の人たちに活気と元気が生まれてきたのです。

「子どもたちを地域、社会へ解き放とう!!」 これがスタートでした。この目標を実現するために達成されたものが『労働体験』だったのです。まさに、ドラッカーが語ってくれているように、組織の内部と外部に多大な成果と成長をもたらしてくれたのです。

学校はすべての人たちの幸せのために
これからの学校教育のイノベーションとは、一体何になるのでしょうか。かつて職場体験に取り組む大きなきっかけとなったのは、1995年に起きた阪神淡路大震災でした。そして今、学校教育のイノベーションを考える時に、2011年3月11日に起こった大震災の惨事のことを考えずにはおられません。

あまりもの大災害であったために、機能を果たせなかったところもありましたが、学校は避難所として、そして、それ以降は生活をする場として学校がその役割を果たしてきました。このような大災害時において、学校が地域社会の中心に位置していることをあらわします。場面が極限すぎてわかりにくいかもしれないですが、極限であるからこそその本質をあらわしているものだと思います。

そう考えると、たかだか10年しかいない学校の教員が、学校が自分のものであるかのように振るまうことは、間違っているのです。学校教育は、学校教育に関わる全ての人たちにマーケティングをほどこし、学校教育に関わる全ての人たちが「幸せに」なれる方策を打ち出さねばなりません。「学術・文化」「地域文化」「ソーシャルスキル」「ソーシャルエンカウンター」「地域振興」「地域防災」などにわたる全ての拠点としての、ハードとソフトを備えたものにならなければいけないでしょう。

もしドラ応援団 
http://www.moshidora-movie.jp/

(おわり) 2011年9月12日

 

 

 

**************************************************************************

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(2)

2011-07-12 05:04:16 | コラム

 

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-12-04

「もしドラ」映画公式HP

 

 

「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(1)よりつづく

「もしドラ」を著した岩崎夏海さんのすごいところは、経済活動におけるマネジメントを、高校の野球部にあてはめるという発想です。そして、なおかつドラッカーを読み込み、それを理解したということではないでしょうか。理論は現実に照らし合わせ、実践することに意味があります。小説という仮想空間ではありますが、岩崎さんはそこで、みなみという主人公を通して現実に照らし合わせ、実践しました。

冒頭の部分から中盤に至るまでがすごいのです。

「企業の目的は、顧客の創造である。・・・・マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」p58 

「真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。『われわれは何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を問う。」p59 

マーケティングを通じて何が起こったのでしょう。
主人公みなみは、入院している夕紀の力を借りて、野球部に関わる人たちの「現実、欲求、価値」を聴き取っていきます。つまり、教師の世界では「相談活動」ということになります。ただし、マーケティングの概念は、顧客を定義することから始まりましたが、教師の世界の顧客とはドラッカーよれば、教育に関わる全ての人ということになります。その中でも、顧客の中の中核にいるのは子どもと教師の両方ということではないでしょうか。ですから、教師の仕事というのは、子どもへの「相談活動」と教師への「相談活動」の両方が必要なのです。子どもへの「相談活動」が必要であることは、教師であれば誰も疑うことのないことです.
しかし、教員の皆さんは教師への「相談活動」が必要であるということを、自分の教師としての仕事の中で、重要な位置を占めていることを自覚していますか?

マーケティングがあってこそ学校
教師が一人で、すべてをまかなっている学校があるとすれば、教師への「相談活動」を必要としないのはそんな学校だけです。複数の教師でなりたっている学校はすべて、一人ひとりが他の教師への「相談活動」つまり、マーケティングでもって「現実、価値、欲求」を共有していなければなりません。学校の教師とは、学級経営や授業において、子どもたちをマネジメントするだけではありません。より効果的で有効性のある教育を学校という組織を通じて実現していきます。そういう意味で、教師に対するマーケティングは必要不可欠のものとなっていきます。このようなプロセスをたどってこそ、学校というものが組織として機能することができるのです。

20年ほど前、三校目の中学校での話ですが、混沌とし、教師が対立をしていた校内体制を新しくするため、私はほとんど全ての教師から聴き取り作業を行いました。一年間のうちの半年は、その事に時間を費やしたのです。そして、校務分掌の大改革に手をつけ、学校の中心的な組織を5つの部会と5つの委員会として整理をしました。論議を12月から始めていたにも関わらず、いざ年度末、いよいよ改革という場面に至って、一部の教師から大反対を受けました。職員会議は一触即発、この絶体絶命のピンチの時に、マーケティングによって得ていた情報と信頼関係が生きてきたのです。その時、私はマーケティングこそが、ものごとを進めていく力であることを実感しました。

「もしドラ」では・・・

さて、「もしドラ」にもどりましょう。

程久保高校野球部は、最近では一回戦負けが続き、ふだんの練習に全員そろうことはありませんでした。夏の大会で、1年生でショートを守っている裕之助のエラーがもとで慶一郎が大泉洋が演じる監督の加地にあっさりと交代させられ、それがもとで、エースの慶一郎と監督の加地の間の関係が悪化し、お互いが避け合う関係になってしまったのです

みなみと夕紀のマーケティング(相談活動)は、着々と進められていきました。しかし、このチームの状態と、人間関係を変えるには、至っていませんでした。これと言った成果が見られないまま、チームは春の選抜選手権への重要なプロセスである秋季大会をむかえてしまうのです。この秋季大会で、程久保高校野球部にとって決定的な事件をむかえることになるなど、誰も想像すらしていなかったでしょう。

両チーム無得点のままでむかえた7回の裏、ショートの裕之助がまたエラーをしてしまったのです。みなみは、その時すでに慶一郎との相談活動を通じて、慶一郎の気持ちを聴き取っていました。

おれは別に、エラーをした裕之助を責める気持ちなんかは少しもなかったんだ。むしろ、それをカバーしてやろうと燃えてたくらいだ。

みなみはそんな慶一郎を信じていました。しかし、何ということでしょう。慶一郎は夏の大会のように、再びストライクが入らなくなってしまったのです。そして、7つ目の押し出しをしてしまったところで、コールド負けを喫してしまいました。

試合後のミーティングで、監督の加地はありふれた感想を述べます。そして、ミーティングも終わろうとしたとき、キャッチャーであり、みなみの幼なじみである次郎が立ち上がり、怒りをにじませた声で話し始めました。

おれはもう、浅野の球を受けるのがいやです。・・・・・浅野は野球を冒涜している。いくら頭に来たからといって、ふてくされてチームを負けに追い込むなんて、ありえない。・・・・・

みなみは、すかさず「そうじゃない」ことを、マネージャーの文乃とともに発言しようとしました。
その時です。

そういうピッチャーはいないんだ。

大きな声が響き渡りました。驚いたみなみがその方向を見ると、何と監督の加地が震えながら立ち上がっていたのです。そして、再び

フォ、フォアボールを出したくて出すピッチャーは、いないんだ!・・・フォアボールをわざと出すようなピッチャーは、う、う、うちのチームには一人もいない!

重苦しい空気のなかで、すすり泣く声が聞こえてきました。一番奥の席に座っていた慶一郎が、うつむいたまま肩をふるわせて泣いていたのです。

映画の場面では、もうこの時すでに私はアウトでした。
映画の予告編やテレビのコマーシャルPVでも使われていた場面です。学校の教員をしているとこのような場面に何度も遭遇してきました。何か大きな出来事が起こったときに、教師はクラスみんなの前でしゃべります。その時は、本人の目は見ずとも、子どもたちの心模様を描きながらしゃべります。すると、思わぬ子が涙目になったり、思わぬ発言に遭遇します。そんな経験をしてきた教師は、この場面を冷静に見ることはできません。大粒の涙が一気にあふれました。

You Tube 「もしドラ Trailer」 http://www.youtube.com/watch?v=Mfpe88nFxJM


慶一郎は成長しました。そして、程高野球部の成長もはじまったのです。

突発的な展開でしたが、これは、みなみのマーケッティングの成果でした。みなみの監督へのマーケティングを通じて、慶一郎の気持ちはすでに加地に伝えられていました。すると、加地は大学時代のピッチャーであった友人に、ピッチャーの心理というものを聴き出していたのでした。「わざとフォアボールを出すようなピッチャーはいないんだよ。」ということを。だから、加地は自分の信念として7点も押し出しをしてしまった慶一郎を交代させようとはしなかったのです。

気持ちを想像し理解しながら、訴える。しかも、加地はそれを慶一郎だけに言うのではなく、次郎の発言をきっかけにして、全体に問いました。突発的でしたが、この瞬間を逃さず、みんなに問うことのできたのは、みなみのマーケティングのおかげであり、「動き出した」加地の姿があったからではないのでしょうか。

マネジメントは一人で実行するものではありません。共感性をフルに発揮しながら、一人ひとりを信じ、ひとりの人間の力としての力を湧出させることにこそ、マネジメントのすごさがあるのです。みなみは、そんなすごい人間の力を生み出したマーケティングの力に気づいたに違いありません。

そして、動き出した加地の背景にイノベーションがあったのです。

もしドラ応援団
http://www.moshidora-movie.jp/

(3)へ続く

**************************************************************************

 

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(1)

2011-06-24 22:55:03 | コラム

 

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-12-04

「もしドラ」映画公式HP

 

《マネジメントにおける組織の定義づけとマーケティングそしてイノベーション》

「もしドラ」と出会って

 もう2年以上も前のことになりますが、「もし野球部のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」【ダイアモンド社】という本が270万部を突破して、映画でも「もしドラ」が上映されました。
その当時「これ(仕事上)読んどかなくちゃな」なんて、たいした思い入れもなく手に取りました。だいたいAKBなんかとは無縁だったので・・・「マネジメント」という概念を「リーダーシップ」の下に考えていたものですから、別に「あえて(読むのも)ねー」みたいに感じていたのです。

ところが、ところが、冒頭の第一章*みなみは『マネジメント』と出会った*のところで、ドラッカーのある言葉が引用されてました。


「(マネージャーが)始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。」 p18

というフレーズをまのあたりにしたとき、おそらく多分、主人公みなみがドラッカーのこの書に「真摯さ」という言葉を発見したのと同様に、この「真摯さ」という言葉に釘づけになってしまいました。この瞬間「この本すごいやん。」という感覚が身体を駆け巡り、「これ、絶対使える。学校の教師がこれ読んだら・・・きっと・・・」と直感したのです。

映画の売り上げは、今ひとつだったようで、テレビで放映されたときも、ズタズタにカットされていてこの映画の本当の良さが伝わらないように感じました。「人気」という意味では、AKBのあっちゃんを主役に起用したにも関わらず、成功作とは言えなかったようです。しかし、今になって考えてみますと、およそ一年前、大津でのいじめ自死の件がマスコミによって大々的に報じられ、その時の学校や教育委員会の無様な姿を見たときに、「真摯に受けとめとめろよ!」と感じた方は多かったのではないでしょうか。折しも、6月21日、国会で「いじめ防止法案」が成立しました。
参考)
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130621/edc13062116550003-n1.htm

真摯さとは・・・

「真摯さ」っていったい何でしょう。私は、まず、「自分に対して正直だ」ということだと思います。そして、自分に対して正直であるということは、「自分を客観的に見つめることができる」ということではないかと思うのです。そして、そのあり様とは、まわりの人たちを鏡として、自分の姿を写し見ることができる自分というものを持っていることだと思います。こういうあり様の人は、自分自身の課題や長所をしっかりと認識し、自分は何をしなければならないのかということを考えるプロセスをたどることができます。そして、自分が選択をした行動をとった結果、どうだったかということを、きちんとふりかえることができる人です。

このような人は何歳になっても成長し続けることができるのです。夢や希望はどんどんふくらみ、自分自身の関心と影響を限りなく広げていくことができます。まわりの人たちがどんな人であっても、一人ひとりを「許し」「受け容れる」ことができます。「許し」「受け容れられた」人たちは、自らの課題に気づき、自ら成長を遂げようとします。まさに、組織をマネジメントしていく上で、「真摯さ」というものが果たす役割は限りないものがあります。ただ、しかし、それに気づく人が少ないということが現実ではないでしょうか。

学校の教師が、自分のクラスや学年や学校を創ろうとしているとき、この「真摯さ」というものが基本になるということは言うまでもありません。

また、ドラッカーは続けてこう述べています。

「事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいも良くないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

まわりを見わたしてみましょう。もし、学校がうまくいっているならば、必ずこのような人が一人はいるはずです。学校がうまくいっていなかったり、まわりを見わたしてもこのような人がいないなら、するべき事は一つしかありません。このような人になることをめざせばいいのです。成長のチャンスがそこにあります。

みなみは、次に「組織の定義」に入ります。「野球部って何をするところ?」

マーケティングとイノベーション

ドラッカーは言います。
「自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。・・・・・・しかし、実際には、・・・・・わかりきった答えが正しいことはほとんどない。」p25 と。
さらにドラッカーはこうたたみかけてきます。
「『われわれの事業とは何か』との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。」p36 
みなみは、その答えを探すのですが、野球部の顧客はさっぱりわからず、野球部は野球をするところという事以外、答えは見つかりませんでした。

しかし、病気で入院している夕紀を訪ねたとき、その答えが見つかります。みなみにとって思いがけない答えでした。それは、小学生のとき野球チームの決勝戦でのみなみのさよならヒットの事でした。みなみは、これ以降、野球から離れてしまうのですが・・・。夕紀はみなみにこう語りました。

「私ね、本当に感動したの!」
「私、みなみにそのことを知ってほしかったの! 私がみなみを見て本当に感動したっていうことを、ずっと伝えたかったの!・・・でも言えなかったの。言う勇気が持てなかったの。ごめんね。ごめんね・・・」p31 

みなみは、「そうよ!『感動』よ!・・・『感動』だったのよ!・・・野球部に『感動』を求めてるの!」p57 

そして、顧客とは夕紀も含めた野球部に関わっている人すべてであることに気づきます。つまり、程久保高校の生徒、保護者、東京都、高校野球連盟、高校野球ファン、そして何より程久保高校の野球部員も顧客になるということに驚いたのでした。みなみはこの結論に至るまでに、苦労をしました。「野球部を甲子園に連れていく」という野球部の目標を部員の前で宣言する前に、まず、野球部のことを見て、知って、分かりたいと思ったのです。すると部員の以外な一面の数々に出会うことになりました。その中で得た答え「野球部に関わる人たちに感動を与える。」という事に気づいた時点で、もうすでにみなみは相談活動によるマーケティングに取り組んでいたのでした。

「企業の目的は、顧客の創造である。・・・・マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」p58 とドラッカーは言いました。そして、「真のマーケッティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。『われわれは何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を問う。」p59  みなみは、入院している夕紀とともに、マーケティングにとりかかります。聴き上手な夕紀のお見舞いを活用し、お見舞い面談をはじめました。部員一人ひとりの本音を聴き出すことを通じて、野球部の現実を直視し、顧客の中心である野球部員の欲求や価値を聴き出していったのです。

学校におけるマーケティングとイノベーションは

ここまでをふりかえってみましょう。学校の教師が所属している「学校」の定義です。「学校ってなにをするところ?」この疑問に学校の教師は答えなければならないのです。ドラッカーによれば、「わかりきった答えが正しいことはほとんどない」のですから、「学校とは勉強をするところ」などというわかりきった答えが正しいことはほとんどないことになります。

さて、困りました。それでは、「学校」というところはいったい何なのでしょう。この疑問に答えるために、みなみと夕紀のように、マーケティングをしなければならないのです。学校に関わる全ての人-学校に通う子どもたち、保護者、学校がある地域の人たち、学校の教師など-から現実、欲求、価値を聴き出すことによって、学校というものの事業の目的、組織の定義づけをしていかなければなりません。教師になりたての人たちは、まさに、このことから始めなければならないわけですが、私自身は32年間中学校の教師をつとめてきて、ひとつの答えを明らかにすることができます。

それは、幸せになるです。子どもたちは、学校に通うことによって「幸せになる」のです。心を育み、頭を働かせ、道具をつかって生きていく力をつけていきます。まわりの大人から保護を得ながら、いずれはひとりだちをし、幸せな人生を送るために学校に通うのです。子どもたちが幸せになれば、まわりの大人も幸せになります。まわりの大人とは、保護者や教師や地域の人たちです。要は、そのために何をしなければならないか、ということを教師がまず考えなければなりません。そして、子どもたちにも、保護者にも、地域の人たちにも考えてもらうのです。そういう学校を組織するためのマネジメントを教師が取り組んでいくということではないでしょうか。

もしドラ応援団
http://www.moshidora-movie.jp/

(2011.6.27)

(2)へ続く

あいあいネットワーク of HRS   

ホームページURL:http://aiainet-hrs.jp/ 

(mail:info@aiainet-hrs.jp)

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ACジャパン「行為の意味」と「親切&おせっかい」の間にあるキーワード

2011-05-24 00:58:45 | コラム

宮沢章二さんの「行為の意味」がACジャパンのCMに採用されました。一方、ラジオ専用ですが、「親切&おせっかい」という親切とおせっかいの境界線を考えさせられるようなCMも流れています。さて、この2つのCMを視聴してみて、この2つを理解するキーワードを考えてみたのですが、みなさんはどう感じられますか? コメントをお願いします。

一見、相反することを訴えかけているように感じるかもしれないですが、どちらも、真理をついてますよね。この二つを結びつけるキーワードを考えれば、「道徳の時間」などで、教材として使えるかも・・・

Kouinoimi You Tube「ACジャパン CM 見える気持ちに」より

 

ShinsetsuosekkaiYou Tube「ACジャパン ラジオCM おせっかい」より

6月24日 追加の記事です。

このページをアップして一ヶ月が経ちました。この一ヶ月でこのページへのアクセスが100件を超えました。検索キーワードは「AC親切とおせっかい」という内容からのアクセスがほとんどでして、「行為の意味」からのアクセスは一割あるか、ないかでした。お二人の方からコメントをいただき、なるほどと納得させられる部分もありました。

そこで、私の考えですが、「行為の意味」と「親切&おせっかい」の間にある共通のキーワードとは「共感性」ということではないでしょうか。「共感性」という力は、自己を信頼する力の中で、もっとも高度なものでありますし、複合的、総合的な力です。「歳を取ると涙腺が弱くなる」とよく言われますが、生理学的な論拠というものはよくわかりませんが、歳を取ることによって少しずつ積み重ねられた共感性の力が、感動→涙というプロセスになるのではないでしょうか。実際、私は若い頃に映画を見て涙を流すなどということは、一度もありませんでした。けど、55歳を超えていろいろな経験を踏まえたり、人の様々な体験にふれていると、自然と何か感動する力というものがついてきたように思うのです。現に、最近観た「もしドラ」では、何回も惜しげもなく涙が出てきました。野球部監督の加地先生が「フォアボールを出したくて出すピッチャーは一人もいないんだ。」と叫んだとき、エースの慶一郎が肩をふるわせてすすり泣くシーンは、これまでの子どもたちの姿がかけめぐって、ほんとに涙が止まりませんでした。

「行為の意味」を後押しする力は、まぎれもなく、人の心を想像できる共感性です。そして、想像できるための観察力です。「親切&おせっかい」の違いを見極めることができる力も相手のことを想像できる共感性なのではないでしょうか。もし、自分の共感性に少しだけ自信がなければ、ちょっとだけ「大丈夫ですか」「何かお手伝いできますか」と聴けばいいだけなのですから・・・

「あいさつの魔法」

続報-松原第七中学校で道徳の授業として「行為の意味」と「親切&おせっかい」に取り組みました。

(あいあいネットワーク of HRS    URL:http://aiainet-hrs.jp/)(mail:info@aiainet-hrs.jp)

(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする