RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) 価格:¥ 580(税込) 発売日:2010-04-06 |
映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP
「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア
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【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(4)】
肇は自分自身に問いかけます。
【何のために働いている。
何のために忙しがっている。
何のために友人の仕事を潰した。
何のために妻に呆れられた。
何のために娘から避けられている。
何のために母をひとり放置していたんだ。
何のために俺は俺の人生を消耗させているのだ。】
【肇の見つめる窓の向こうを一畑電車のオレンジ色の車体が通り過ぎていく。空白の中を横切ってゆくオレンジ色。カタタン、カタタン、という音が右から左へ通り過ぎていき、またカタタン、カタタンと今度は、左から右へと通り過ぎていく。一時間に一本の電車だ。その電車を何度この場所に座り続けたまま見送ったのだろう? 自分はここに座り続けて、何をしているのだろう。
空白とは悟りである。何かで読んだことがあった。悟りとは《差を取る》ことゆえに、あらゆる差を取り去った後には空白しか残らない。それをすべての執着を捨てるがゆえに、形あるものの姿が消え失せ空白しか残らない。確かそういう言葉だった。その空白の中に見出した光を「エンライトメント」つまり「悟り」というのだと、その言葉は続いていたように思う。けれど肇が空白の中に見出したのは、巨大な「クエスチョン」マークだけだった。それと一畑電車のオレンジの色。
カタタン、カタタン。
それが数時間の瞑想の果てに見出したもの。】
【どうすれば、自分の価値を自分で実感できる日々を送れるのか、肇は考える。
どこかでバタバタと何かが音を立てている。バタバタ、バタバタ、バタバタ、バタデン。そう聞こえた。
その音のほうに目を向けると、宍道湖の方から吹き込んでくる風に一枚の張り紙がはためいているのだ。《運転手募集》と書かれた一畑電車の告知ポスターだった。その張り紙の、右上の画鋲が外れていて、バタバタと風にはためき、掲示板の板を叩いている。はためく紙の角がなんだか肇を手招きしているように見えた。】
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肇はこのとき、初めて自分の心の声をしっかりと聴き取ったのではないでしょうか。瞑想が生み出してくれる「空白」は、私たちが普段自覚していない、ほんとうの自分の心を映し出し、人間の英知を生み出してくれます。このような苦境に立ってしまった肇は、なおさらそうであったのでしょう。
【「今何と言った?」
「私自身をリストラしようと思います。そう申し上げました」】
【「不退転の、決意か」
玖島(専務)が訊く。はい。と肇はうなずく。
そう答えている自分に、いまは戸惑いも迷いも感じていない。本当に久しぶりに正しい決断をした。そんな満足にも似た思いを彼は感じていた。
敵前逃亡ですか。部下にはそうなじられた。一畑電車の運転士募集の張り紙を家に持ち帰って、「会社を辞めて、電車の運転士になろうと思う」と告げたら、倖は「ありえないんですけど」と言った。】
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この場面に出会って、私も含め、多くの観衆や読者が、言葉であらわせないような勇気をもらったのではないでしょうか。自分たち自身がもっているジレンマや、自分たち自身を押し殺してまでも守らなければ・・・と感じている部分に、「そうじゃなくてもいいんだよ」という強烈な一撃を与えてくれたような、そんな気がするのです。
しかし、肇は母・絹代には言うことができませんでした。晴れてバタデンの運転士になって、運転席に座っている肇に、手を振ってもらえるようになってから、と思っていました。
【「何か意外なんですけど」
「何がだ」
「そういう自信なさそうなこと言うの。父さんはいつだって俺は間違っていない。俺は正しい。俺のやることは絶対にうまくいくってそういう人だったから」
「そんなこと言ってないだろ」
「言ってたよ。言葉じゃなくて態度で言ってた。物腰でそう言ってた」
「本当に?」
「本当に」
「そうか。だとしたら父さん、すごく嫌なやつだったんだな」
「そうだよ」】
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バタデンの面接で、誠心誠意自分自身の気持ちをあらわした肇を、反対する石川部長を説得し、大沢社長は受け入れてくれました。
【「若者が減って年寄りが増えているこの時代だ。四十九歳の新人なんてすぐに珍しい話じゃなくなる。我が社は最先端、二十一世紀の会社というわけだな」
「この歳になってようやく自分の夢と正面から向き合ってみる決心がつきました。よろしくお願いします!」】
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入社試験という緊張を味わい、さらに、これからの不安や希望が入り混じった肇は、倖と向かい合いながら、こう考えているのでした。
【自分の存在をアピールするのは、いままでの仕事の上でも常に求められてきたことだが、そこには必ず会社という大きな看板があった。その看板を盾に使い、煙幕に使って、自分の意見を通すことができたし、一目置いてもらうこともできた。けれど、面接試験で、求められたのは看板の大きさではなく、彼の人間としての力だ。これはきつい。会社人間を自認していた彼だからなおさらだ。】
【「ねえ、どうだったの? 面接試験」
「合格だ」
「えっ」
「父さんは合格した」
「嘘」
「嘘ついてどうする。合格したんだ。社長からそう言われた」
「嘘お!」
「だからうそじゃないって」両手で大きく丸をつくってみせる。「といってもまだ正式採用じゃない。研修先の京王電鉄で基礎を学んで、また試験を受ける。筆記の他にいろいろな実地試験もある。それを全部パスして、それでようやく父さんは電車の運転士になれるんだ」
「なんか癪なんだけど」
「何がだよ」
「だって。何で父さんが就活して、内定とかもらっちゃうのかなって」
「そうか、確かにな。お前の就活の心配をしたり、バックアップしてやったりしなきゃならない時期に、父さん勝手なことしてるし」
「京葉電器の取締役なら、試験のときちょっと有利だったかも」
「だろうな。すまない。けど、親の肩書きで採用決めるような会社はやめとけ。ちゃんと人間を見る会社が、これからは強いんだ」
「一畑電車みたいな?」
「あそこは、どうかな」
「研修はこっちでやるの?」倖が訊く。
「いや。最初の一ヶ月は島根で勉強することになっている。だから婆ちゃんのそばにいてやれる」
「婆ちゃん、喜ぶね。お父さんが本当に電車の運転士になるって知ったら」
「ちゃんと運転士になって、制服を支給されるまで、婆ちゃんには内緒にしといてくれるよな」
「驚かせたいんだ?」
「そうなんだ」
頷く肇に、倖のほうが驚く。父さん、何だか子供に戻ったみたい。声が弾んでる。
「しかし何とかなるもんだよなあ」
「そんな運転士さん、ちょっとイヤなんだけど」
倖が言い、肇は楽しそうに笑った。この変化は何だろう。父も娘も互いにそう感じている。肇が家族のためだと必死になっていたとき、娘は父を軽蔑していた。しゃかりきになって家族を守ろうとしていたとき、娘は父に背を向けていた。話し掛けたところで「だから何?」と冷めた声を返されるのが関の山だった。
けれど家族のことはひとまず横に置いて、自分の心のままに自分が楽しいと感じる方向へと進路を切り換えた途端に、娘は父を父として見てくれるようになった。話し掛けてくれるようになった。笑顔を見せてくれるようになった。
子供が幸せであることが親にとってはいちばん嬉しい。絹代はそういうような意味のことを言っていた。自分が好きなことをやりなさい。それがいちばんの親孝行だと。それは子供にとっても同じなのだろう。親が自分の好きな道を進み、そして幸せであるということ。子供にとって、それがいちばん安心できることなのだろう。】
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最後のくだりは、長い引用になってしまいました。肇と倖が多分、初めて経験したのであろう父と子の心地よい経験が、肇にとっても、倖にとっても、これからの人生の支えになったのに違いありません。肇は、家族のために一所懸命頑張ってきたと思っていたことは、実は、肇という人間を押し殺した結果の産物であったと言えます。上から押し殺されている人間は、必ず、下だと感じている周りの人間を追い詰めます。しかし、肇自身が、自分自身のために、選択した一畑電車の運転士になるということを見据えた途端、肇自身のあり様が変化をしていきます。自尊感情というものは、まず、自分自身を好きになり、自分自身を受け容れることによって生まれます。そして、その感情は他人に対しても、尊重したり大切にしたりというあり様を生み出していきます。まさに、この場面は、それを如実にあらわしているのでしょうね。
この後、肇はいよいよ一畑電車の運転士としての道を歩んでいきます。そのプロセスにキャリア意識といものの、内実がほんとうに素晴らしく描かれているのです。
(7)へつづく (2011.12.6)
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