もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら |
《マネジメントにおける組織の定義づけとマーケティングそしてイノベーション》
「もしドラ」と出会って
もう2年以上も前のことになりますが、「もし野球部のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」【ダイアモンド社】という本が270万部を突破して、映画でも「もしドラ」が上映されました。
その当時「これ(仕事上)読んどかなくちゃな」なんて、たいした思い入れもなく手に取りました。だいたいAKBなんかとは無縁だったので・・・「マネジメント」という概念を「リーダーシップ」の下に考えていたものですから、別に「あえて(読むのも)ねー」みたいに感じていたのです。
ところが、ところが、冒頭の第一章*みなみは『マネジメント』と出会った*のところで、ドラッカーのある言葉が引用されてました。
「(マネージャーが)始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。」 p18
というフレーズをまのあたりにしたとき、おそらく多分、主人公みなみがドラッカーのこの書に「真摯さ」という言葉を発見したのと同様に、この「真摯さ」という言葉に釘づけになってしまいました。この瞬間「この本すごいやん。」という感覚が身体を駆け巡り、「これ、絶対使える。学校の教師がこれ読んだら・・・きっと・・・」と直感したのです。
映画の売り上げは、今ひとつだったようで、テレビで放映されたときも、ズタズタにカットされていてこの映画の本当の良さが伝わらないように感じました。「人気」という意味では、AKBのあっちゃんを主役に起用したにも関わらず、成功作とは言えなかったようです。しかし、今になって考えてみますと、およそ一年前、大津でのいじめ自死の件がマスコミによって大々的に報じられ、その時の学校や教育委員会の無様な姿を見たときに、「真摯に受けとめとめろよ!」と感じた方は多かったのではないでしょうか。折しも、6月21日、国会で「いじめ防止法案」が成立しました。
参考)
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130621/edc13062116550003-n1.htm
真摯さとは・・・
「真摯さ」っていったい何でしょう。私は、まず、「自分に対して正直だ」ということだと思います。そして、自分に対して正直であるということは、「自分を客観的に見つめることができる」ということではないかと思うのです。そして、そのあり様とは、まわりの人たちを鏡として、自分の姿を写し見ることができる自分というものを持っていることだと思います。こういうあり様の人は、自分自身の課題や長所をしっかりと認識し、自分は何をしなければならないのかということを考えるプロセスをたどることができます。そして、自分が選択をした行動をとった結果、どうだったかということを、きちんとふりかえることができる人です。
このような人は何歳になっても成長し続けることができるのです。夢や希望はどんどんふくらみ、自分自身の関心と影響を限りなく広げていくことができます。まわりの人たちがどんな人であっても、一人ひとりを「許し」「受け容れる」ことができます。「許し」「受け容れられた」人たちは、自らの課題に気づき、自ら成長を遂げようとします。まさに、組織をマネジメントしていく上で、「真摯さ」というものが果たす役割は限りないものがあります。ただ、しかし、それに気づく人が少ないということが現実ではないでしょうか。
学校の教師が、自分のクラスや学年や学校を創ろうとしているとき、この「真摯さ」というものが基本になるということは言うまでもありません。
また、ドラッカーは続けてこう述べています。
「事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいも良くないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。」
まわりを見わたしてみましょう。もし、学校がうまくいっているならば、必ずこのような人が一人はいるはずです。学校がうまくいっていなかったり、まわりを見わたしてもこのような人がいないなら、するべき事は一つしかありません。このような人になることをめざせばいいのです。成長のチャンスがそこにあります。
みなみは、次に「組織の定義」に入ります。「野球部って何をするところ?」
マーケティングとイノベーション
ドラッカーは言います。
「自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。・・・・・・しかし、実際には、・・・・・わかりきった答えが正しいことはほとんどない。」p25 と。
さらにドラッカーはこうたたみかけてきます。
「『われわれの事業とは何か』との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。」p36
みなみは、その答えを探すのですが、野球部の顧客はさっぱりわからず、野球部は野球をするところという事以外、答えは見つかりませんでした。
しかし、病気で入院している夕紀を訪ねたとき、その答えが見つかります。みなみにとって思いがけない答えでした。それは、小学生のとき野球チームの決勝戦でのみなみのさよならヒットの事でした。みなみは、これ以降、野球から離れてしまうのですが・・・。夕紀はみなみにこう語りました。
「私ね、本当に感動したの!」
「私、みなみにそのことを知ってほしかったの! 私がみなみを見て本当に感動したっていうことを、ずっと伝えたかったの!・・・でも言えなかったの。言う勇気が持てなかったの。ごめんね。ごめんね・・・」p31
みなみは、「そうよ!『感動』よ!・・・『感動』だったのよ!・・・野球部に『感動』を求めてるの!」p57
そして、顧客とは夕紀も含めた野球部に関わっている人すべてであることに気づきます。つまり、程久保高校の生徒、保護者、東京都、高校野球連盟、高校野球ファン、そして何より程久保高校の野球部員も顧客になるということに驚いたのでした。みなみはこの結論に至るまでに、苦労をしました。「野球部を甲子園に連れていく」という野球部の目標を部員の前で宣言する前に、まず、野球部のことを見て、知って、分かりたいと思ったのです。すると部員の以外な一面の数々に出会うことになりました。その中で得た答え「野球部に関わる人たちに感動を与える。」という事に気づいた時点で、もうすでにみなみは相談活動によるマーケティングに取り組んでいたのでした。
「企業の目的は、顧客の創造である。・・・・マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」p58 とドラッカーは言いました。そして、「真のマーケッティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。『われわれは何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を問う。」p59 みなみは、入院している夕紀とともに、マーケティングにとりかかります。聴き上手な夕紀のお見舞いを活用し、お見舞い面談をはじめました。部員一人ひとりの本音を聴き出すことを通じて、野球部の現実を直視し、顧客の中心である野球部員の欲求や価値を聴き出していったのです。
学校におけるマーケティングとイノベーションは
ここまでをふりかえってみましょう。学校の教師が所属している「学校」の定義です。「学校ってなにをするところ?」この疑問に学校の教師は答えなければならないのです。ドラッカーによれば、「わかりきった答えが正しいことはほとんどない」のですから、「学校とは勉強をするところ」などというわかりきった答えが正しいことはほとんどないことになります。
さて、困りました。それでは、「学校」というところはいったい何なのでしょう。この疑問に答えるために、みなみと夕紀のように、マーケティングをしなければならないのです。学校に関わる全ての人-学校に通う子どもたち、保護者、学校がある地域の人たち、学校の教師など-から現実、欲求、価値を聴き出すことによって、学校というものの事業の目的、組織の定義づけをしていかなければなりません。教師になりたての人たちは、まさに、このことから始めなければならないわけですが、私自身は32年間中学校の教師をつとめてきて、ひとつの答えを明らかにすることができます。
それは、「幸せになる」です。子どもたちは、学校に通うことによって「幸せになる」のです。心を育み、頭を働かせ、道具をつかって生きていく力をつけていきます。まわりの大人から保護を得ながら、いずれはひとりだちをし、幸せな人生を送るために学校に通うのです。子どもたちが幸せになれば、まわりの大人も幸せになります。まわりの大人とは、保護者や教師や地域の人たちです。要は、そのために何をしなければならないか、ということを教師がまず考えなければなりません。そして、子どもたちにも、保護者にも、地域の人たちにも考えてもらうのです。そういう学校を組織するためのマネジメントを教師が取り組んでいくということではないでしょうか。
もしドラ応援団
http://www.moshidora-movie.jp/
(2011.6.27)
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