あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

2014年4月18日 島根県松江市立第一中学校 模擬授業

2014-04-17 19:43:51 | 研修会

松江に着きました。JHの横暴に対してこころに決めたこと、「できるだけ高速は使わない」を実行しました。佐用JCで鳥取道(無料)、山陰道(無料)を経由して来ました。時間にして1時間半ほど余計にかかっただけです。これで、料金は半分以下、松江に来るにはこうするに限ります。
13:30分から市教委で、アクションブランの会合。奈良井教頭と松嶋さんが熱弁してくれました。本年は、さらに授業のクオリティーをアップさせることと、小学校に広げていくことが課題です。
夕方からは、松江第一中学校で模擬授業です。市教委と二中さんからも参加がありました。コミュニケーション発展型です。アイスブレーキング「ぱんぱん頭」発展編、「on the desk」、「もめごとだって解決できるさ!」の三本です。全力投球したのでヘトヘト。。。。。でも、ロールプレイングのモデリング、おもしろかったですね。ガッツ伊藤さんとわたしのコンビも板についてきました。

あいあいネットワークofHRS、島根・松江ディビジョン準備会設立です。これからは、松江地区において、あいあいネットワークofHRSのプログラムをディビジョン準備会により配布いたします。世話役は、松江市立第一中学校、奈良井孝教頭先生です。よろしくお願いします。

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2014年4月7日 大阪府東大阪市立縄手中学校 校内研修会

2014-04-07 07:22:59 | 研修会

2014年度、初仕事です。昨年から研修を重ねてきた大阪府東大阪市立縄手中学校がコーディネーション校になりました。この4月から授業を始めるということでしたので、「わたしのじゃがいも」「南国の島」「なんでもキャッチ」の模擬授業に取り組みました。入学式が4日だったそうで、年度初めの貴重な会議の時間に、研修を組み込んで下さって、ごくろうさまでした。忙しいのと、朝からだったのでエンジンがかかるまで少し時間がかかりましたが、なんとかこなせましたね。西校長先生は5~6年のおつきあいになりますが、こうして、人間関係プログラムに取り組んで下さっていること、ありがたく思っています。校長先生は2回ほどフライングをしてしまいましたが、わたくしは、管理職の先生は、それくらい前がかりでなくてはならない、と感じておりますので・・。ふりかえりですけど、みなさなん、深いところにふれておられた方も多く、クオリティーの高さを感じました。コメント期待してますね。
縄手中学校の皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。 Nawate

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いじめ・不登校のメカニズム その4 いじめ・不登校の根っこ

2014-04-04 19:05:47 | コラム

いじめ・不登校のメカニズム その3よりつづく
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587

(共感性という力)
これまで、いじめの捉え方や、不登校の見立てのことについて書いてきましたが、これから本質的な部分に入っていきたいと思います。
前の記事のまとめにも書きましたけど、今の社会は良い意味でも悪い意味でも人間の振れ幅というものが以前に比べて大きく振れている時代です。ですから、現象面だけを見ますと、多種多様の人間がいるように見えて、ひとりの人間を理解するのに大変苦労をします。そして、人の見え方というものは、それを見ている本人の力によって変わってきます。実は自分の力量「以上」の人間の姿、また自分の力量「以下」の人間の姿を理解できないということが基本です。なのに、どうして人間同士がうまく関わって理解しあえるか・・というと、その力の差を埋めるものが人間の「共感性」という力なのですね。何かを想像するという力は、人間にしかできない固有の力です。人間は自分の体験や経験から自分自身のこころの枠組みをつくりあげますが、そこに人と関わることや自分からいろんなツールを使って他人の枠組みというものを取り入れていくことで、「共感性」という力を培っているのです。これが多様性を理解することと言えます。
そこで、人間を見る時に、振れ幅を縦軸に、横軸を共感性(多様性の理解)というふうに見てみましょう。そうすれば、多種多様な人間の姿が、少し理解できるようになります。

(主体的に対する言葉は?)
さて、「人間の成長の振れ幅」とは何なのか、ということなのですけど、わたしは、そこに「主体的」という概念をあてはめます。主体的な度合いが低い、高いという振れ幅で考えてもいいのですが、反する概念を対極においた方が理解しやすいので、「主体的」という言葉の反対概念を対極においてみましょう。さて、「主体的」という言葉の対極にくる言葉は?
先生方への研修で、こうお聴きした時に、なかなかその言葉が出てこないのです。よく出てくる言葉は「客体的」なのですが、人間の成長に即したことなので、「主体的な人間に育てたい。」という文章は意味的にOKなのですが、「客体的な人間に育てたい。」という表現は意味的にNGなのですね。するとどういう言葉か・・というと・・・
「依存的」という言葉なのですね。心理をやっている人たちはすぐに出てくる概念なのですが、それ以外ではなかなか出てこない。「依存的な人間に育てたい。」事の善し悪しは別として、意味的にはOKです。
つまり、「人間の成長の振れ幅」というものを「依存的」→「主体的」と見ます。「人間の成長の振れ幅が拡がっている」とは「依存的なあり様から主体的なあり様への幅が、かつての時代に比べると、大きく拡がっている」ということなのです。この見方を会得すれば世界観が変わります。多種多様な人間のあり様というものへの理解が、驚くほど進んでいくのです。

(依存的をイメージすると)
前回、人間のあり様というものを「依存的」→「主体的」という言葉で提起しました。実は、この反対概念は人間の成長のプロセスにあてはまるということを理解していただきたいのです。人間、生まれたときは「完全依存」の状態です。大人の助けを得なければ生きることができません。大人やまわりからの愛情と適切なフィードバック、そして教育を受けることで、徐々にこころとからだが成長していくのです。少なくとも、義務教育終了後には、自立した、かつ自律できる主体的な人間に成長していることが望まれます。
そこで、「依存的」からイメージできるあり様をいくつかあげてもらいたいのです。  いくつ出てきました?
研修で先生方にお尋ねすると、「受身的」「一人では何も出来ない」「甘えん坊」「人のせいにする」「金魚の糞」「暗い」「消極的」「すねる」「すぐに自分と人とを比べる」等々・・・いろいろ出てきます。大人のあり様から出てくるイメージなので様々なのですが、人間の幼児期にあてはまるイメージが多くないですか? つまり、小さい子どもは「依存的」なのです。大人になっても「依存的」ということは、幼児期からこころが成長できていない姿なのです。幼児は幼児であるがゆえに「依存的」でいいのですが、大人は大人であるがゆえに「依存的」では、人間関係が難しくなってきます。
そこでポイントですが、「依存的」は「受身的」でいいのですが、「依存的」は「攻撃的」ですか?

(案外わかっていない「依存的」という言葉)
「依存的な人は攻撃的でもありますよね。」と先生方に問いかけると、多くの方々が首を横にふります。「依存的であるということは常に受身的である。」という固定観念は、学校のみならず社会の中に蔓延しています。「攻撃的」であるということと「受身的」であるということは共存しないという固定観念なのです。
しかし、よく人間を観察していくと、そうでないことがわかってくるのです。主体的な人は、様々な経験値や気づきを通じて、人間のこころを想像することができます。そういう人は、「人を攻撃する必要がない」のです。主体的な人は、相手を操作しようとしなくても、相手を理解し、自分の考えを伝えることで相手との協働体制をつくり、相手の自立をうながします。自分で考え、自分が納得して行動した後の結果に対して、たとえ失敗したとしても「人のせい」にすることはありません。自分に何が足りなかったかを考え、次の行動に生かしていくのです。しかし、依存的な人は、そうはなりません。相手の気持ちを理解することが出来ないがゆえに、相手を操作しようとします。そして、相手が自分の思い通りになるかならないかで、「敵」か「味方」かを判断し、「勝った」か「負けたか」で決着をつけてしまいます。そして、うまくいかなかったり、失敗したり「負けた」と感じてしまうと、「人のせい」「まわりのせい」にして超攻撃的になってしまうのです。余談ですが、こんな人が組織のトップに立つと、一時的に、大変なことになってしまいます。
「依存的であるがゆえに、攻撃的になる・・・」理解していただけましたでしょうか。

(「依存的」がグループになってしまうと・・)
前回の記事に書いた「依存的であるがゆえに、攻撃的になる」というところをもう少し展開してみますね。
依存的なグループの中で、その頂点にたつ人は、そのグループの中で最も力(力にはいろいろな要素があります)をもっている人間です。グループサイズにもよりますが、その頂点には、若干個性の違った何人かがいる場合もありますが、厳密に言えばその中にも序列が存在します。そして、その「下に」中間層、最下層を存在させ、団結をはかるための価値観を敷き詰めるのです。その価値観は一般的には不合理なものが多いのですが、時には「正当性をもっている」かのような看板を掲げている場合もあります。(だから、見極めることが難しく、まやかされることもあるのですが・・)さらに、頂点に立つ人は、力の誇示と統制ために「恐怖と喜び(高揚)」という相反するものを味わわせます。その結果、多くのグループ構成員は「洗脳」されます。そして、その攻撃はグループ内の最下層にまず向けられます。具体的には、「小間使い」「冷や飯」「いびり」「つるし上げ」等です。依存的なグループを維持するには必ず必要な要素なのですね。一方、グループ外には、「勧誘」と「取り込み」を推し進め、意に沿わない人々に対して、グループの全勢力を動員して攻撃をします。子どもレベルでは、これが「いじめ」や「不登校」等の引き金となり、大人レベルでは「うつ」や「休職・退職」等へ追い込むことになるのです。すべて、依存的なグループを存続させるためです。

(「依存的」を支配する「恐怖」)
依存的な人たちは、孤立することを極端に恐れます。そして、自分がまわりからどんなふうに見られているかに非常に敏感なのです。それは、主体的な人のあり様と比べると、よりその姿が鮮明になります。主体的な人は、自分の力を認知しているがゆえに、自分でできることと、できないことを理解します。自分が出来ることには惜しみなく力を入れ、できないことについては、まわりの援助を得るための「お願い」や「依頼」をすることができるのです。つまり、自主・自立(律)の力を発揮することで、孤立することを恐れずに「信頼」でつながろうとします。一方、依存的な人たちにとっては、孤立は攻撃を受けることを意味することになるのです。つまり、孤立は恐怖を意味し、信頼でつながるのではなく、「恐怖」でつながっているのです。ですから、依存的な人は必ずグループを求め、グループサイズは二人以上、多数で形成されます。そして、その上下関係をあらわすピラミッドをつくりだし、その形は、三角形、台形、逆三角形、長方形等、様々な形が存在します。頂点には、攻撃的な人が君臨し、中間層は上には受身的、下には攻撃的という両方の要素を持ちます。そして、最下層には、受身的な人が位置づけられます。ただし、これは、そのグループ内で、という条件がつきます。たとえ、最下層の受身的な人であっても、他のグループに入れば頂点に立ったりすることもあります。学校でストレスを溜めた子どもが、家庭内暴力に走ったりするのは、この現象であると言えます。

(人間の関係性は流動的)
わたし、以前、「スクールカースト」について言及したことがあるのですが、「カースト」という現存する身分制度の概念を、学校教育にあてはめることへの疑念を述べました。「スクールカースト論」を展開している方々は、「依存的なグループ」について、「スクールカースト」という概念をあてているのではないかと感じるのです。確かに、前回の説明では、中間層、最下層という「層」という言葉でくくりました。実は、これは理解を進めるために使っているだけで、実際には、子どもたちはかなり複雑な関係でつながれています。「いったん定着すると抜け出せない」位置という固定的なものではなく、日々、常に流動的な位置に置かれていることがほどんどであり、流動的であるがゆえに感じる「恐怖」こそが、特定のこどもへの攻撃と執拗さを生み出しているのです。これが、深刻な「いじめ」が発生しているという状態なのです。
しかし、学校教育とは、成長した大人が子どもたちに提供する支援です。大人が「成長するための支援」を的確に提供することができれば、依存的なグループは、「育ちません」。大人と子どもが成長の視点でつながってさえいれば、子どもたちは主体的な人間になるための努力を始めるのです。あたりまえのことですが、子どもは、子どもであるというだけで依存的です。放置、放任すれば依存的なグループが発生し幅をきかせるのは、あたりまえのことですし、「スクールカースト」なる概念をあてはめ、「学級にはスクールカーストがある」と述べる教員には、支援を放棄した大人の姿を感じてしまいます。

(「依存的」は不登校にもあらわれる)
不登校の場合についても、多くのケースで「依存的」であるということが基本になってきます。ただし、学校や学級が「依存的なグループ」に支配され、大人の支援が行き届かなくなっている場合は例外です。最近は、「発達障害が疑われるケースが多い」と言われていますが、子どもたちへの見立ては、医療機関ですら「行動パターン」や「認知パターン」からだけの知見で診断が下ります。ADHDであれば、神経のシナプス間隙のドーパミン濃度を測定したりしません。自閉症スペクトラムの場合でも、fMRI等を使用して脳の血流を調べたりもしません。もちろん、特別支援の観点は重要なのですが、「まず検査ありき」という現在の風潮では、より発達障害の二次被害を増大させる危険性を感じたりします。
幼児期、特に0歳から3歳までの乳幼児期を、どのように過ごしてきたのかということのほうが極めて重要なことなのです。依存的な大人は、子どもに無償の愛情と完璧な保護を提供することができません。今は、スマホでしつけや子守をしようとする時代ですから、その傾向はさらに顕著になってきていると言えます。つまり、依存的な大人に育てられた子どもは、当然「依存的」なままの状態で放置されるばかりでなく、依存的な大人からのこころへの侵入という被害を受けるのです。現象面・行動面で、発達障害との区別が難しいのですね。
「依存的」なままで放置された子どもは、まわりとの間でトラブルを起こします。そして、多くのケースで不登校へと突入していくのです。

子どもが一瞬でいい子になる『鬼から電話』の威力がすごい
http://matome.naver.jp/odai/2135213237695865101

(「依存的」の連鎖に対する支援)
不登校傾向にある子どもを支援する場合、一次支援、二次支援、三次支援という支援レベルがあります。一次支援とは、学級あるいは学年で支援できるというレベルです。学級、学年とは学年の教員団で支援チームをつくります。二次支援とは、学校全体による支援レベルです。管理職、生徒指導、養護教諭、スクールカウンセラーなどからも支援を提供します。三次支援とは、学校だけでなく、関係諸機関が含まれてきます。教育委員会、児童相談所、役所で子育てを支援する部所、そして、ケースによっては、ソーシャルワーカー、ケースワーカー、警察などを巻き込む場合もあります。そして、このような見立てをしていく組織は、学校に設置されている不登校生を支援する会議(管理職、支援担当など学校の中心メンバー等)なのです。この学校単位の支援会議が設置されて定期的に機能している学校とそうでない学校では、支援のクオリティーがまったく違ってきます。
不登校の子どもの状態が重篤であればあるほど、保護者が要支援であることがほとんどなのですね。依存の連鎖がここにあるからです。悪意ある見方をすれば、保護者の責任、本人の責任ということになるのですが、たとえ、地域でそういう見方があったとしても、そうでないことを体現化することが公立学校の教員としての正しい姿です。二次支援で重篤な子ども、三次支援の子どもたちへの支援は、保護者への支援を関係諸機関と連携して行うことになります。そして、それを可能にするのが学校の支援体制であることを忘れてはいけません。

(わたしの経験)
わたしは、教員だったとき最後の5年間は人間関係プログラムの学校や校区でのとりまとめをしてましたので、直接、不登校の子どもの支援に入ることはありませんでした。しかし、一度だけ子どもに関わる機会を持つことができました。
6月頃20日間ほど学校を休み、二学期になって登校はするものの別室ですごしていた女の子です。話を聴くと、そこには「依存の連鎖」がはっきりと見え、本人もまわりへの攻撃や妄言を繰り返すうちに、力を失っていきました。9月から別室での生活は始まったのですが、まわりと顔を合わすことができなかったので、7:30には登校していました。わたしと養護教諭の先生ふたりで、彼女をむかえ1時間ほど空間を共有します。話題は世間話です。家庭のことや学校のことや、ささいなことが話題になるのですが、「~したほうがいい」というレスポンスは一切なしです。そうしてるうちに、1時間、2時間と授業に入るようになりました。1歩前進、2歩後退、2歩前進、1歩後退、1歩前進、結果、1歩前進。というような感じです。思うようには進みません。しかし、それを出さないように、出さないようにと自分たちに言いきかせながら・・・です。そして、6ヶ月後、バレンタインデーの日に完全に学級に戻りました。別室に残されたわたしと養護教諭の先生は、彼女が学級に帰ったあと、こころがからっぽになったようになり、寂しさを感じたのです。半年つづいた、朝の団欒がわたしたちの中で大きなものへとなっていたようです。この寂しさを、彼女は力として持って行ってくれたのですね。

おわり

関連記事)

 

Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/c35ec3e85c8751cdc4774c1abc1916ea

いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/4f5eed075ac20c1a3f6814e0bedbf191

いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

いじめ・不登校のメカニズム その2
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

いじめ・不登校のメカニズム その3
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281

 

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図書文化社HP http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-3636-7

 

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いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より)

2014-04-04 10:04:18 | コラム

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587

(いじめ・不登校の原因は、人間の依存性)
いじめや不登校などはなぜ起こるのでしょうか?  むつかしいことではありません。
その答えは・・・人間の中にある依存性です。
子どもは保護される立場であり、成長過程のまっただ中にいます。
依存的なあり様から主体的なあり様へと成長していくための支援が教育なのです。
しかしながら、学校教育には、この視点にもとづいた教育課程が不十分、かつあいまいにしか存在していないのです。したがって、依存から成長できないまま大人になっていくケースを否定することはできません。
依存的な大人をモデルとした子どもたちは、また、依存的な大人へと・・・
この負の連鎖を断ち切り、成長の視点に立った教育が、人間関係づくり・人間力育成の教育なのです。わたしは、この視点にたって、「あいあいネットワークofHRS」を起ち上げ、「あいあいネットワークofHRS、中学校年間8時間×3年間=24時間」の人間関係プログラムで、学校コーディネーションをしています。その実践校のひとつである松江市立第一中学校での実践から、その基本を紹介したいと思います。Facebookに書いている記事をもとに、再構成いたしました。ちなみに、松江市立第一中学校はちょうど三年前に厳しい子どもの実態に遭遇しましたが、現在では、人間関係プログラムの実施を柱にした取り組みなどにより、しっかりとした落ち着いた学校を取りもどしています。子どもも先生も成長できる人間力育成の教育を目標にしているのです。

(送られてきた発表冊子)
昨日(1月19日)、松江のならえもんさんが、2月14日に開催される、松江市立第一中学校、ガイダンスプログラム発表大会の報告冊子の校正版を送って下さいました。松江の先生方との関わりは、もう5年になるのですが、松江一中さんへは2年目になります。一昨年の夏に初めての校内研修会をもってから、小さいコーディネーションを含めると10回近くになるでしょうか。冊子を読ませていただいて、この2年間をふりかえると、「よくここまできましたね」という気持ちになって少々、感動いたしました。というより、先生方のこの2年間の心模様が伝わってきて感傷的になってしまったという感じです。研究主任の松嶋先生の言葉、印象に残りました。

・・『「人間関係プログラム」は生き物である。』ということだ。・・

生き物であるからこそ、先生も子どもも成長するのですね。



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奈良井 孝   人間関係プログラムは生き物である。…わたしも熱くなりました。1月22日 17:29 

(人間関係プログラムの基本-シェアして人間の枠組みを拡げる)
この授業は、通常のすごろくトーキングに、お題カードを加え、少々動きをつくっています。なかには、「先生とじゃんけん」などというお題もあります。
人間一人ひとりの認知というものには限界があり、主観的なものです。ゆえに、孤立した人、あるいはこころを閉じた人は固定観念を持ちやすく、ネガティブな思考の枠組みに囚われてしまいます。トーキング系の授業では、決まったお題にこたえる自由と、こたえない自由が保障されています。それを選択するのは自分自身。つまり、このハードルを越えて出てきた言葉には自分を開くという意味があります。開いた自分をシェアしてもらえれば、他人の言葉も受け容れることができることにつながります。その結果、自分自身の枠組みが拡がるのです=共感性の基礎ができるといっていいでしょう。このプロセスが心地よい・・
松江一中の先生曰く「子どもたちはすごろくトーキングが大好きです。」 


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岡崎 哲也 大方中でも「すごろくトーキング」はよくやっていましたね。生徒も話しやすくなると好評でした。また、シェアさせて下さい。1月22日 19:15 

(人間関係プログラムの基本-コミュニケーションの本質に気づく)
1年生のスタートプログラムの一つ「南国の島」です。この時間は、指導者の指示のもとに、2枚の絵を完成させるのですが、1枚目は「質問なし」、2枚目は「質問あり」で描いていきます。ともに完成後はグループでシェアをします。すると、「質問なし」の1枚目を書いた後、お互いに絵を見せ合うとグループはおおいに盛り上がります。みんなそれぞれ、個性的な絵になっていました。2枚目の絵を描き終わりグループでシェアをすると、子どもたちから歓声がわきます。みんなが、共通点の多い絵を完成することができたからです。
すなわち、1枚目「人によって情報の受け取り方が違うんだなって思いました。」2枚完成させた後、「2回目のほうがいい絵になりました。質問することって大切だ。」と感じたのです。子どもたちが、聴くことの大切さに気づいた瞬間です。


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奈良井 孝 年度の初め、5月の授業公開日で1年各クラスが取り組みました。特に1年生は初めての授業公開日だったので、保護者は満員。保護者にも紙をとってもらい、担任の説明を聞きながら一緒に描いてもらいました。もちろん廊下で。隣と見較べる親さんたちに、ルールは徹底しませんでしたが、笑顔で感想がシェアされていました。一中の保護者が人間関係プログラムの授業に出会った時間でした。1月23日 20:00 
伊藤 淳一 最近、部活動の生徒たちと「南国の島」をもう一度やって、気付きを再確認しました。一枚目の感想で、「一回できちんと指示を聞かないといけない」、「先生から言われたことから、自分で想像して書かないといけない」といった学級では出てこなかった言葉がありました。部活動での教師と生徒の関係は、学級のそれとは違い、完全な上下の関係になりやすいので、教師からの一方通行の情報でも、その情報を正確に受け取れないのは自分たちが悪いんだと考えさせてしまう面があるんだなと、反省させられました。生徒たちと、一方通行ではなく、お互いに思いを伝えあっていこうと、確認できたいい時間となりました。選手と指導者が同じ絵を描くサッカーを目指して頑張ります!1月24日 10:45 

(人間関係プログラムの基本-グループでの協働、そこでの気づき)
探偵コナン、野比のび太、ちびまるこちゃん・・、私たちの心を何年も何年もわくわくさせてくれたアニメの登場人物たち。私たちのために働きすぎて疲れ果ててしまったようです。そんなアニメの登場人物たちがオーバーホールしている所が「アニメの村」なのです。そんな登場人物たちを呼び戻すために、指示書が授けられました。グループで情報を共有し、彼らの居場所を探しだそう!
グループの一人ひとりに配られた情報カードをもとに、情報をひとつにまとめ、課題を解いていきます。情報カードは決して他人に見せることはできません。子どもたちは、情報の拾い方、聴き方、まとめ方・・を実体験の中で経験します。「めちゃくちゃ言ってもだめだから・・、気づくのに時間がかかりました。」「ミッションを解いたときはうれしかった。」独りだったらあきらめてしまうことも、グループだったら・・ということを体験しました。 



(人間関係プログラムの基本-アサーティブネス〔アサーション〕)
アサーティブネスという言葉はアサーションという技法を体現化したあり様です。アサーションは、自分も相手も大切にしたコミュニケーションの技法になります。そして、アサーションを実行するためには、相手の気持ちを想像することが出来る力(共感性)が前提となります。人間関係プログラムの積み重ねにより、拡がってきた人間の枠組みというものがそれを可能にするのですね。アサーションだけをピックアップして取り組んだ場合、「うまくいかない」という経験談を先生方から聴くことがありますが、それは、人間の枠組みを拡げるプログラムが欠如している場合が多いのです。アサーションの実行は、お互いを尊重しながら進んでいくため、時間はかかりますが、大いなる相乗効果が期待できます。その結果、子どもたちの自己肯定感が育っていくのです。
(*写真は、大阪府松原市立天美小学校でのアサーション・ロールプレイング)

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深美 隆司 MHさんからFBメッセージをいただきました。「天美小学校、6年の保護者です。今日は二時間、楽しい時間をありがとうございました。ウォーミングアップでの三者あいこジャンケン。初めて体験しました。あいこの確認をしてもらっているというのに、間違えてしまうのだなと思いました。息子から昨日、先生がちょっとした劇するんやって。と聞いてはいましたが、どちらの先生も演技上手でつい、引き込まれてしまいました。でも、子どもたちは・・・と見回してみると、見てましたね。ちょっと斜に構えたい子達もついつい、笑顔になってしまっていたように感じました。楽しい気分。大切ですね。別のクラスのお母さんたちともお話しして、楽しい時間となりました。明日は中学校で保護者説明会。今日のワークの話しを来られなかったお母さんとも出来たらと、思っています。」1月21日 15:01

(人間関係プログラムの効用と効果―松江市立第一中学校)
このようにして実践される人間関係プログラムの効用は何か・・・それは、関わっている人間どうしの関係性を深め、人間としての興味をそそっていくということでしょう。コミュニケーションの本質を学び、それを学級のなかでともに取り組むことで、自分も周りも大切にできる受容性を育てます。そして、それをシェアすることにより、一人ひとりの人間としての枠組みを大きく拡げます。大きく拡がった人間の枠組みは、相手の気持ちを想像しながら主張できる人間関係調整力にまで高まっていくのです。その結果、一人ひとりの相乗効果としてあらわれ、ひとりではできないことを集団として達成していくのです。規範やルールが外からのものとしてではなく、自分たちのなかから湧き上がってくるのです。
左の写真―人間関係づくりの授業、学年としての授業満足度の上昇
右の写真ーQ-Uにおける満足群7割以上(全国平均は約三割)


facebook.comments 
岡崎 哲也 すごい結果に繋がっていますね。QUでの満足群が76 %になったのは、分析通り、プログラムの継続的な実施によるものだろうと納得します。凄く刺激を受けますね。清水中は、早速プログラムを行ったようですので、本校でも、直ぐに取り組みたいと思います。シェアさせてください。研究発表がすごく楽しみです。18時間前
奈良井 孝 今日も1年部の担任たちは、学年朝礼の打ち合わせから「ストレスチェック」の時間をどう展開するのがよいのか、アイデアの交換をしていました。ここまでの取り組みは、今までになく職員室のなかに教員同士の交流を具体的に促しました。教員自身が、引かれ合い影響しあう関係性のなかで、取り組みが進んでいます。プログラムのもつ力を感じます。各学年の学級の中でも、「トーキング系」のプログラムが盛り上がるようになったようです。聞くこと、聞いてもらうことに心地よさを感じる空気が学級集団に生まれているようです。子どもたちの心の枠組が少しずつ変化してるのかなと思います。14日には、数値の状況に加え、生徒や担任の思いの様子をお伝えしたいと思います。よろしくお願いします。13時間前

(依存性から主体性へ―人間の成長)
依存的な人は、ものごとの結果を人の責任にします。そして、攻撃的になったり受身的になったり、場面や所属を変えるごとにコインの裏表のような変化をします。このあり様がいじめ・不登校を生み出します。つまり、人間としての核が育っていない故の悲しい出来事だと言っていいでしょう。仮に、子どもの頃そうはならなくても、大人になって難しい生き方を強いられるのです。その結果が職場のいじめだったり、虐待だったり、「うつ」だったりします。
一方、主体的な人に成長すれば、認知力の高まりにより、自分の将来像を描き、目的に向かって何をすればいいかを理解します。自分に対するまわりの人からの評価を積極的なフィードバックとして受けとめることができます。人間のまわりに人間が集まっていくという相乗効果をあらわすことができるのです。その結果、心がひろがり、人間を「許す」ことができる人に成長します。いじめを見れば、正しいフィードバックを返し、不登校の仲間に接すれば、力を分け与えることができるのです。

そんな実践を可能にする人間関係プログラムに取り組んでみませんか?

(告知)
2014年2月14日(金)、松江市立第一中学校において人間関係プログラム(ガイダンスプログラム)実践報告大会が開催されます。
13:10 公開授業(ストレスマネジメント2本―4クラス)
14:45 構成的グループエンカウンターの大看板、鹿嶋真弓先生(高知大学)
の講演と、現場と鹿嶋先生によるチャレンジ対談を用意しています。わたくしがコーディネーションいたします。既成概念をひっくりかえすスペシャル対談です。
松江市内、および、周辺の方々、どうぞご参加ください。
問い合わせ先―松江市立第一中学校(奈良井教頭先生)、松江市教育委員会生徒指導推進室、あいあいネットワークofHRS(info@aiainet-hrs.jp)

島根県松江市立第一中学校「人間関係プログラム(こころほっとタイム)研究実践発表会は2月14日、大盛況のうちに終了いたしました。
なお、松江市立第一中学校への学校訪問等につきましては、直接、松江市立第一中学校、教頭:奈良井、または、あいあいネットワークofHRSへメールでご連絡ください。



関連記事)

Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/c35ec3e85c8751cdc4774c1abc1916ea

いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/4f5eed075ac20c1a3f6814e0bedbf191

いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

いじめ・不登校のメカニズム その2
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

いじめ・不登校のメカニズム その3
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281



あいあいネットワークofHRS http://www.aiainet-hrs.jp

図書文化社HP http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-3636-7

 

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Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由

2014-04-04 09:26:34 | コラム

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587
 

(年始めの仕事)
今年の仕事始めは、デスクワークです。Q-Uアンケートは早稲田大学の河村茂雄先生が考案された、アセスメントツールなのですが、松江市立第一中学校のQ-Uデータを整理して現場で使い易い形に手直しをする仕事をしていました。学級満足度尺度は、縦軸に承認度、横軸に被侵害度があらわされます。X軸とY軸にあたる部分は平均値です。ですので、個人の得点をプロットしていくと、右上にプロットされれば学級に対しておよそ満足していることになります。対して左下にプロットされれば不満足、あるいは支援を要する群に入るということです。この尺度でおおよそのクラスの様子が伺え、子ども支援の秀逸な資料となります。全国的に大きく広がり、多くの学校で使用されているQ-Uですが、不満足群、要支援群にプロットされた子どもたちの心模様や心の叫びを感じ、心が痛むかどうか・・・。Q-Uはあくまでツールですから、先生がどう感じ、行動するのか。これが問題です。


(アンケートの力)
今朝(1月6日)、昨日作業をしたデータを松江のならえもんさんへ書留で送りました。
さて、アンケートと言えば・・・なのですが。多くの先生方は「子どもや集団の理解のため」と言われます。しかし、私は「先生のため」という以上に「子ども自身のため」と思っています。私がコーディネーションしている学校には、「必ず、一問ずつ先生が読み上げて下さい。」とお願いしています。さらに、レーダーチャートで表した個票を子どもたちにフィードバックとして返してもらいます。先生が一問ずつ読み上げると子どもたちは認知力を駆使して、自分と対話を始めるのです。そして、評価を下します(回答します)。アンケート調査後、子どもたちは無意識的な自覚のもとに行動し、評価としての感情をもつのです。そして、次のアンケート調査の時、再び自分と対話することで、微々たる成長を感じるのです。つまり、認知→行動→評価のスパイラルのもとに、規範意識の醸成やこころの成長を成し遂げます。こんなアンケート調査の効用を大事にしたいものですね。
認知→行動→評価のスパイラルの解説です。http://edupedia.jp/entries/show/1137

(レーダーチャートがあらわすものは・・・)
Q-Uの学級満足度尺度の場合、友人・学習・先生・学級・進路の観点で、下図のようなレーダーチャートを作成することができます。一般的に、このチャートを見ると「左の子どもは力があって、右の子どもは力がない」と判断されます。しかし、問題はその力とはいったい何なのか? ということなのです。このことを深めていかない限り、子どもを支援することはできません。わたしの見方なのですが、チャートの面積の「広い、狭い」でこころの成長具合を見るのです。右の子どもは明らかに、こころの成長が阻害されていると言えます。「遅れている」などという見方をしません。阻害されていると認識すれば、成長の阻害されている要因を「どう見るのか」という、子ども自身の課題解決を援助できます。決して「遅れている」から「がんばれ」などという精神論で迫ってはいけないのです。


(ネガティブをポジティブに)
原因不明の腰痛は劇的に回復する・・・
昨日(1月7日)の「たけしの家庭の医学」の特番で扱われていたテーマです。原因不明の腰痛を改善するために、腰痛日記というものをつけるのです。①行動したこと、②感じたこと、を毎日つけます。そして、感じたことの中に、ネガティブな思考を見つけた時、そのネガティブな思考の枠組みを、ポジティブなとらえ方をするように、努力をします。これを地道にコツコツと続けると、ネガティブなとらえ方が、ポジティブなとらえ方に変容していくのです。そうなると、あれだけ悩んでいた腰痛がうそのように改善していたというのです。これは、認知行動療法と呼ばれているものです。つまり、その腰痛はストレスが原因だったのですね。

アンケートの扱いも、これに似たものがあります。回答用紙とレーダーチャートを材料に、子どもと面談する中で、子どもがもっているネガティブな部分に着目し、ポジティブな枠組みを引き出していくのです。時間はかかりますが、レーダーチャートの面積の狭い子どもへの支援は時間をかけなければいけません。

(認めることが成長に)
「あなたが認めたくないものは何ですか? どんなにつらくても、それを認めれば道が開けます。」
このフレーズは、ニッポン放送(ラジオ)、「テレフォン人生相談」のパーソナリティーをされている早稲田大学、加藤締三さんの初めの言葉です。わたし、この番組のファンで、ラジオ付きボイスレコーダーを購入して、録音してまで聴いています。パーソナリティと相談相手の二人で番組は進行するのですが、加藤さんとのベストペアは、幼児教育研究の大原敬子さんです。加藤締三さんは見立てがすごくて、大原敬子さんは返しがすごいのです。何度も聴き返して勉強しています。

「認めれば道が開けます。」実は、アンケートもそうなのですね。わたしは「自分と対話する」と以前の記事で書きましたが、「自分と対話する」には人間としての力が必要なのですね。「感じている」ことを「認めること」にまで高める力です。レーダーチャートの面積の小さい子どもは、「感じること」はできても「認めること」にまで高めることができない。そこで、教員の支援が必要とされるのです。・・・このことが理解できるかどうか、教員としての力が問われます。

あいあいネットワークofHRS、中学校年間8時間×3年間=24時間のブログラムの基礎であり、中核をなしているパッケージはストレスマネジメントです。わたしの研修では実際に大人を相手に実施しているのですが、実際にストレス(刺激)を与えることによって、①ほっとした、②残念だった(腹が立った)、③わかってました、という反応をワークショップによって生み出します。③は、刺激がほぼゼロに近いので、核になる感情は生まれませんので除外しますが、①や②の感情を掴みきれる人と、掴み損ねてしまう人が出てきます。掴みきれる人は、言葉としてちゃんと表すことができるのですが、掴みきれない人は自分の感情を言葉であらわすことができません。「あせってしまった」とか「疑問に思った」とか、その途中のプロセスの状態は言語化できても、結果としての直後の感情が表せないのです。そして、例えば「残念だった」ということをシェアすると、「あっ、そうそう、それそれ」という感じになるのです。つまり、個人の力としては、言語化できない・・・、するとそういう人は日常生活においても同じような反応になってしまい、ピンでの感情を掴むことができないのです。結果、「認める」ことができません。「認める」ことの第一条件は、「的確に言語化する」ということなのです。
あいあいネットワークofHRS、中学校年間8時間×3年間=24時間のブログラム http://www.aiainet-hrs.jp/06facilitation/stile/stileB.htm

(認めることは・・・自分自身を受け容れること)
認めることの第一条件は、的確に感情を掴んで言語化して一般化、普遍化することなのですけれど、それを阻んでしまう様々な困難につきまとわれます。なぜなら、そこに自己防衛本能が機能するからです。その代表的なものが「反動形成」と呼ばれているものです。反動形成とは簡単に言えば、自分が感じていることと反対の行動をとってしまうということです。そして、その感じていることとは負(自分が感じている)の要素が含まれることが多い。たとえば、友人が少ないということに負い目をもっているとします。すると、その人が無意識のうちに「友人なんて必要ないさ!」と公言したりすることです。実は、さみしいと感じているのに、そのことを認めることを自分自身が許せないんですね。だから、正反対のことを表現してしまいます。これは、人間の成長過程で普通に起こることですが、人生経験のなかで克服していくことができます。しかし、克服できずに大人になってしまうと・・・不幸にも様々な困難を抱えて生きていかなければならなくなってしまうのです。
自分自身を受け容れ、それを認めることができてこそ、的確に言語化できると言っていいでしょう。

(「いじめ」の根底にあるもの・・・反動形成)
自己防衛本能の中でも反動形成という現象は攻撃性を伴います。つまり、自分自身が「いやだ」と感じている部分を相手に見いだし、相手を攻撃することによって、自分自身のいやな部分を覆い隠してしまおうということなんですね。しかも、そのプロセスを自分自身は自覚せずに、無意識のうちにやってしまいます。そこに、力関係の上下が存在すれば、なおさらその攻撃性は強まりますし、一人をターゲットにすることにより、一人対多数という人数的な力の差も加わってきます。さらに、それがグループ間のトラブルにまで発展し、トラブルの結果によりグループ間の序列まで形成してしまうこともあります。
アンケートというものは、一人ひとりへの支援を浮き彫りにしてくれるものであると同時に、学級というひとつの集団に対する支援の道筋を明らかにしてくれるものであると言えるでしょう。Q-Uのプロット図を作成したら、あわせて、グループどうしの人間関係図もあわせて作成してみましょう。そうすれば、必ず、いじめ解決の処方箋が見えてくるはずです。

(おわりに) 
子どもの成長を促していくこと・・・この教育の本来の目的を追求することが、「いじめ」防止、「いじめ」問題解決の王道です。起こってしまった後の対蹠的な取組はもちろん必要なのですが、それだけでは、後追いの指導に終始してしまい、状況がさらに悪化することさえあります。
そうならないために、教育の本来の目的である「主体的な人間に育てる」ための教育をいっしょに考えていきませんか。

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Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/c35ec3e85c8751cdc4774c1abc1916ea
 

いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
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いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39 

いじめ・不登校のメカニズム その2
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いじめ・不登校のメカニズム その3
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いじめ・不登校のメカニズム その4
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いじめ・不登校のメカニズム その3 不登校をどう見立てるか

2014-04-04 09:17:15 | コラム

いじめ・不登校のメカニズム その2よりつづく
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(個に応じた支援を)
学校教育、特に義務教育においては、子どもたちが置かれている状況に応じて支援するということが当たり前です。特別支援が必要な子どもには、それに応じた支援、海外から渡日してきた子どもにも、それに応じた支援が必要であることは言うまでもありません。しかし、なかなかそれが充分に実行されていない現実があります。特に、不登校(年間30日以上欠席)の子どもについては、困難を極めています。わたしは6年間、ある中学校の不登校生等への支援コーディネーションをしていますが、その経験から言いますと、「不登校」を含む長欠生のことをどう見るのか、ここにもっとも困難な課題があるのです。
多くの教員が、不登校気味、あるいは不登校の子どものことを「自分勝手だ」「思い込みが強い」などと見立てます。それはそれで、現実として的を射ている場合が多いのですが、問題は、その後なのです。例えば、「自分勝手だからトラブルを起こす。」「思い込みが強いから、被害者意識をもつ。」→「だから自業自得だ。」となってしまうのです。
これでは、不登校の子どもたちを支援することはできません、ね。

(特別扱いをしない・・とは?)
さて、前回の記事のつづきなのですが、「自分勝手」とアセスメントすることと、同じようにわたしが感じていることがあります。それは、若い先生によくあるケースなのですが、「わたしは、分け隔てなく接しているので、特別扱いはしません。」と宣言する姿です。この言葉には、わたしはかなり違和感を感じます。「分け隔てなく接して・・」というあり様は、子どもが感じて言ってくれる言葉であって、先生自身が発する言葉ではないと思うのですね。「わたしは、わたしのやり方でやっているので、特別なことはしません。」と表現しているように聞こえるのです。固定観念に侵され、成長が止まっている姿を感じてしまいます。このあり様は、不登校生支援にとって大きな妨げとなります。なぜなら、不登校傾向をもつ子どもは、なんらかの要因(原因=「きっかけ」ではありません)により、こころの成長が逆戻りしたり、止まったり、極端に遅くなったりしてるのです。「特別な(個別の)」その子にあった支援が必要とされます。

(病欠への疑問)
年間30日以上の欠席がある場合、いわいる長欠ということになるのですが、子どもを見立てることにより、1)不登校、2)病欠、3)その他(家庭事情等)、というふうに分類していきます。全国的に見ると13万9千人という数字を頂点にして以来、一昨年12万人を切るまで、不登校生は12万人台下回ることはありませんでした。子どもの減少を考えると不登校生自体は、この20年間で増加し続け、今では高止まりの状態であると言えます。しかし、子どもの見立てという観点で見ると、「病欠」という数字は非常に怪しい数字であると言えます。人間は心的な外傷を受けると、ストレス反応として、心や身体や行動に表れます。アンケートの結果から見れば、「悩み」と「ストレス反応」の数値には強い相関性が表れます。つまり、学校に行こうとしているときに起こる「腹痛」や「高熱」などは、ほぼストレス反応なのですね。これを病欠というふうに見立てると、子どもたちに的確な支援が行き届かなくなるのです。ですので、怪我や入院等、はっきりとした事実がない限りは、不登校としての支援が必要であると言えます。現在では、精神科や心療内科等の医療機関に受診している子どもたちも少なくなく、何らかの診断が下って長期欠席した場合も病欠ということになるので、こういう子どもたちにも不登校としての支援が必要です。その他(家庭事情等)で長欠生になっている子どもたちにも、不登校生としての支援が必要であることは言うまでもありません。一概に、不登校という数値あるいは出現率が減ったからといって安心することはできないのです。

(不登校の要因と原因)
なぜ、10万人を超える子どもたちが不登校になってしまうか・・ということなのですが、これについては、要因と原因とがあります。要因とは不登校になってしまう様々な要素のことです。原因とは、不登校になってしまった直接的な出来事です。つまり、原因とは「引き金」と捉えてください。不登校の場合、引き金となった原因を解決することは当然なのですが、その引き金になった事象を取り除いたとしても、不登校におちいってしまうケースが多々あるのです。子どもを取り巻く様々な要素に対して支援を入れない限り、原因(引き金)となってしまう事象は、いずれ何らかの形で起こってしまいます。
仮に、学校が落ち着いているとするなら(ざっくりとした仮定で申し訳ないですが)、子どもたちが不登校になってしまう要因は、かなり高い確率で保護者の「ネグレクト(育児・養育放棄)*虐待を含む」か「過干渉」です。ネグレクトや過干渉は、子どもの基本的なこころの成長を大きく妨げます。この「成長できなかったこころ」が、まわりとのトラブルを引き起こしたり、まわりに対する過剰な恐怖感となってあらわれてしまいます。小学校から中学校にあがってまもなく、「幼児帰り」をしてしまい学校に来られなくなるケースは、まさに、このことが要因なのです。子どもへの支援だけでなく保護者への支援が重要であることがわかるのではないでしょうか。

(学校が落ち着いてなければ・・)
さて、昨日は「学校が落ち着いていたら」というふうに仮定をしましたが、これが「学校が落ち着いていなかったら(荒れていたら・学級崩壊を起こしていたら)」と仮定すると様相がかなり違ってきます。
こうなると、子どもどおしの関係性にルールが失われていますし、「強い者が勝つ」という弱肉強食の論理がまかり通ってしまうのです。暴力を含む「いじめ」が蔓延し、昨日述べた関係性に難しさをかかえた子どもはもちろんですが、対等平等なリベラルな感覚をもった子どもたちが標的にされたり、非常に居づらい状態になってしまいます。わたしや娘の例がそれにあたるのですね。いくらリベラルな感覚をもった子どもでも、子どもは子どもですから、納得のいく関係性を構築できなかった場合、「学校へ行かない」という選択肢を選ばざるをえない状態になってしまうことがあります。この状態は、様々な子どもたちが危険な状態に置かれているシグナルでもあります。早急な、大人の強力な介入が必要な状態であると言えるでしょう。
不登校のあらわれも、様々になってきます。保護者が要支援である子どもたちはもちろんのこと、リベラルな感覚をもった子ども、さらに、攻撃的な要素をもった「あそび・非行型」の不登校もあらわれてきます。地域の実態にもよりますが、学校の不登校率が5%を超えてくるような状況では、「あそび・非行型」の不登校の子どもたちが多く含まれている状態になっているはずです。

(発達障害は?)
発達障害をもつ子どもの場合、二次被害としての「いじめ」、三次被害として「不登校」とわたしは捉えています。発達障害をもつ子どもの不登校を三次被害として位置づけるということについては議論が起こるところだとは思いますが、わたしは、そう位置づけています。それは、不登校に至るプロセスが、いじめや「無理解のまなざし」が「引き金」になっているケースが多いからです。そもそも、発達障害という概念がこの国で確立してきたのが1990年代中盤以降です。脳科学の発展によるホルモンなどの神経伝達に関わる物質への知見が確立することにより、ADHD(注意欠陥・多動性障害)が解明され、fMRI(磁気共鳴機能画像法)やPET(ポジトロン断層法)等が開発され、脳の血流と働きがイメージングされたことで広汎性発達障害が解明されつつあります。「昔(20~30年前)は、発達障害って聞かなかったなぁ」などと言われることが多いですが、解明されていなかった概念だったので当然のことなのです。この分野においてはアメリカに20年遅れている、と言われているほどのことなのです。この国では、無理解が偏見につながっていると言わざるをえない現実があります。文科省の2002年調査によれば、子どもの約6%で発達障害が疑われると言われていますが、これは、素人の現場の教員によりチェック項目に従ってカウントされた率なのですね。
社会の理解は進んできたとはいえ、現実は厳しいものがあります。

(不登校はなぜ増えた?)
わたしが教員になったのは1979年なのですが、何年間かは不登校の出現率は非常に低かったように思います。現に、初任10年目くらいまでは、学校に来づらいということでの家庭訪問の記憶は1名のみでした。実際、出席簿は真っ白なのがあたりまえで、「学校には行くものだ」ということが、学校にも社会にも存在していたと思います。しかし、1990年を超えると、そんな常識も怪しくなってきました。しかも、1995年を過ぎると、各クラスに1名は不登校の子どもをかかえるようになり、ほぼすべての担任が不登校と向き合うということが、学級運営の課題となってきたのだと思います。「学校には来るものだ」という固定観念にとらわれていた学校現場は、不登校の子どもたちをきちんと見立てることができず、多くの子どもたちの学習権が奪われていったのです。不登校は、「子どもの責任」「担任の責任」という考えが充満していたと言えるでしょう。
不登校を見立てる時に、時代の変化に注目しなければいけません。成長社会を生きてきた人たちと成熟社会を生きている今の子どもを同一視するわけにはいきません。今の社会は、ある時点で大きく変化をしているのです。わたしは、その年を1995年と断定しています。大きな要素は二つです。まず、インフレがデフレへと変化をしました。つまり、「生活苦」が始まったのです。さらに、Win95や携帯電話の普及によって「高度情報化社会」へと移行しました。生活苦による家族破壊、高度情報化による孤族化の二つが決定的にコミュニケーション環境を変えたと言えます。さらに、外国の方の増加によるグローバル化、少子高齢化の顕著化というものが1990年代中盤に一気に来たのです。まさに、それまでの社会を支えていた「常識」というものが通用しなくなりました。社会の枠組みが堅持されていた頃は、「学校へ行くのがあたりまえ」でしたが、個の力が厳しく問われる「自由」になった今の社会では、全世代的な危機に襲われています。そんな中で「学校へ行くのはあたりまえとは言えない」社会に突入しているのです。いわゆる「学力低下」がここに起因することを「ゆとり教育批判」は見逃しています。社会を反映しているものが教育です。教育を反映しているものが社会ではありません。

(今の社会を見立てる)
今の社会がどういう社会なのかを見立てることは、教育にとって非常に重要なことです。この作業を行わないと、今の社会を一歩進める人間を育てることはできません。教育とは本来、そうであるべきものだと思います。今の社会は大きな相反するように見える二つの側面をもっています。高度情報化とグローバル化の進行などにより、一人ひとりが大事にされる社会になりました。SNSなどの発達は、このことを促進しています。今は、誰もが社会に向かって声を上げれる時代になるとともに、誰もがブランドになれる時代なのです。しかし、一方では、個の在り方が厳しく問われる受難の社会であるとも言えます。それが生活苦とこころの空洞化です。このことは、親から子へというこころの貧困を連鎖的に引き起こしてしまいます。不登校へのあらわれはこのことが起因する場合が多いのです。虐待の相談件数が、2012年にはおよそ6万7千件にまで右肩上がりにあがっています。虐待に対する関心が高まったことと、実際に虐待が増加しているという、まさにこの二つの相反する側面が影響しているのだと思います。
つまり、今の社会は、人間の成長の範囲というものが大きく振れているのです。良い意味でも悪い意味でも想定し得ないことが起こる社会なのです。 

その4へつづく
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281

関連記事)

Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/c35ec3e85c8751cdc4774c1abc1916ea

いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/4f5eed075ac20c1a3f6814e0bedbf191

いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

いじめ・不登校のメカニズム その2
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

いじめ・不登校のメカニズム その3
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281

 

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いじめ・不登校のメカニズム その2 いじめのとらえ方

2014-04-04 09:07:13 | コラム

いじめ・不登校のメカニズム その1よりつづく
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

(厳罰主義では・・・)
いじめについての研究や提言は多くの「いじめを許さない」人たちの努力で、なされています。わたしも、本格的に取り組みはじめてからは、この成果から学んできました。しかし、その多くは、いじめを固定的なもの、運命的なもの、本能的なものとしてとらえられている場合が多いことに驚かされました。ざっくりした言い方で申し訳ないのですが、そういうふうに捉えると、そこから出てくるものは「厳罰主義」になるのです。「いじめに加担した者を厳重に罰して二度といじめを起こさないようにする。」という考え方です。世間的には多大な支持を得ています。
わたしはこの考えに大いなる違和感を感じてしまいます。多分、これはいじめに関しての「本人の経験値」からくるものではないかと思うのですね。わたしも、娘もいじめを克服していくなかで、自分自身のなかの「いじめる心」に気づき、成長してきたのです。「いじめは許さないけれど、人を許す」ということでしょうか。
いじめ被害者の遺族である小森美登里さんもご著書のなかで同じようなことを書いてくれています。

 

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(スクールカーストという言葉に思うこと)
最近、学校などでの人間関係をあらわすのに「スクールカースト」という言葉を目にします。何冊かの書籍をひもときましたが、とうていわたしには受け容れることのできない概念であると感じました。まず、カーストという言葉自体が今も現存している差別的な身分制を表しているということです。時には「名誉殺人」などという非人間的な事件も起こっているほどなのです。それを学校での人間関係にあてはめることの違和感。さらには、身分制に例えることにより、客観的・主観的に関係性を固定化して見てしまうという過ちに陥ってしまいます。「二度と抜け出せない上下関係」とでもいうのでしょうか。仮に「カースト」が入れかわるというのであれば、あえてこの言葉を使う必要はないのです。「いじめ」と「スクールカースト」は全く別のものなのですが、いじめの本質である「多様な力関係の優位性を利用した攻撃により、いやだと感じる」ということには大いに関係してきます。教育に真摯に取り組む姿勢からは、この言葉は出てきません。一歩譲って、社会学的な観察的見地や、いじめに対しての絶望感から生まれてくるものであるとすれば、多少は理解できますが・・。わたしは、絶対に使うことはないでしょう。

(いじめの四層構造)
森田洋司氏が調査研究を基礎にして1990年代に提唱した「いじめの四層構造」という考え方により、現場におけるいじめに対する理解が進みました。当時、いじめが何であるかすら定かではなかったのです。東京でのSHさんの事件を約20年間追い続けた豊田充氏は、SHさんのケースが見事にこの「四層構造」をあらわしていたことに驚くというほどでした。いじめは、「被害者・加害者・観衆・傍観者」という形であらわれ、傍観者の中から生まれるいじめに対して否定的意識をもつ「仲裁者」が、いじめを止めたり、抑止したりします。従って「仲裁者」をいかに多く育てていくかということが教育における課題であるということなのです。森田洋司氏は後に、この「仲裁者」を育てる教育が「市民性教育(シチズンシップ教育)」であると語っておられます。わたくしは、この論に共感して、さらにいじめへの理解が深まりました。そして、疑問が浮かんだのです。
「仲裁者とはどんな人なのだろう?」
「止めるとはどういうことなのだろう?」

 

 

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(「仲裁者」とは? 「止める」とは? ①)
本日2月14日は、松江市立第一中学校のガイダンスプログラム発表会。今から、朝食を食べて一中さんでスタンバイします。昨日は、鹿嶋真弓先生を迎えて前泊の夜の会。夜の会第2部で鹿嶋先生と少し熱い議論をしました。人間関係づくりの授業のこれからについてです。よかったです。
さて、昨日の話の続きですが、「仲裁者」とはいじめを「止める」人であったとすると、いじめが渦巻く中で、そういう人間が存在するのか?という疑問です。現に、わたしはいじめを止めに入ったことにより、いじめの報復を受けました。わたしは三年生になって克服することができたのですが、不思議とされた人間に対して、「謝ってほしい」とか「仕返しをしてやろう」などという気持ちにはなりませんでした。それは、自分自身、学校生活が楽しくなったし、満足できたからだと思うのです。もし、そうでなければ、復讐心や絶望感のようなものを今でも持っていたかもしれません。卒業間近になり、二年生の時に、あらわにわたしの事を言っていた女子がわたしに、こう言いました。「深美君、明るくなったね。」って。その時、わたしは、「こんなものなのか・・・」と、少しずっこけてしまいました。

 

 

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(「仲裁者」とは? 「止める」とは? ②)
わたしは、いじめを受けた女の子から「深美君、明るくなったね」と言われた時、いじめ体験のことをほじくりかえして、「ごめん」って謝ってほしいとは思いませんでした。なぜなら、楽しかったからです。3年生の学級は、何でも自分たちで決めて、全員で実行してました。教室をきれいにしよう!ってなって土足厳禁にしたら、美術の先生が上履き忘れて教室に入れなかったりとか、校区に隣接している工業地帯のでかい煙突から、突然、夜でも昼間みたいな炎が吹き出したときに、家々をまわって署名を集めて、その経験をもとにして弁論大会で優勝したり、何かあると、教室を借りて、クラス会を開いたりしてました。卒業間際まで、学級全員運動場で「たんてい」や「缶蹴り」をして遊んでいました。とにかくみんなが楽しかったのです。もし、いじめがあったら、誰かが止めていたでしょうし、先生に相談していたと思います。2年生と3年生の学級では、天と地ほどの違いがありました。いじめなんかありませんでした。
そんな学級は自分たちの学級だけだったのです。
一昨日の研究発表会の講師である鹿嶋真弓先生は、こうおっしゃっていました。

「人と人とがつながっている学級には、いじめが入り込む隙間がない。」と。

(「仲裁者」とは? 「止める」とは? ③)
さて、話をもとにもどします。「仲裁者」とはどんな人か、いじめを「止める」とはどうすることか、です。関係性が閉ざされている集団の中では「仲裁者」は強い個でないと不可能なのですが、一人ひとりがつながっている関係性が保証された集団の中では、多くの人間が「仲裁者」になることができるということなのです。そして、「止める」とは、一時的な現象面を終息させるだけではなく、いじめ加害者に対して復讐心を抱いたり、いじめに対する絶望感を感じない人間力を、だれもが持つことができる状態にすることであると言えます。もちろん、いじめ解決の課程において加害者が反省し、被害者に「謝る」ということは必要ではあるのですが、決してそこが着地点ではありません。むしろ、対等平等な関係性を構築していくスタート地点であるということなのです。いじめの局面においては、教師自らが「いじめを止める仲裁者」を担うことが当たり前なのですが、教師という仕事は、いじめが起こりえない関係性の構築への支援と、子どもたちがこれから遭遇するであろう困難を克服し、将来への夢を実現することができる人間力というものを身につけていくための支援をしなければならないのです。結局は、教師自体がそういう人であり、それができる人に成長しなければならないということでしょう。

その3へつづく
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

Facebook:深美隆司 https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587 
に書いた記事をまとめています。

関連記事)

 

Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/c35ec3e85c8751cdc4774c1abc1916ea

いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/4f5eed075ac20c1a3f6814e0bedbf191

いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

いじめ・不登校のメカニズム その2
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

いじめ・不登校のメカニズム その3
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281

 

 

あいあいネットワークofHRS http://www.aiainet-hrs.jp

 

図書文化社HP http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-3636-7

 

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いじめ・不登校のメカニズム その1 はじめに

2014-04-04 08:55:25 | コラム

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587

(相次ぐ「いじめ」による自死)
2007年、文部科学省は学校において起こる「いじめ」を次のように定義しています。「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」これまでに、多くの子どもたちが「いじめによる自死」でかけがえのない命を失ってきました。わたくしが教員になった1979年以降まで遡ると、4回にわたって大きく社会問題となっています。それぞれの象徴的な事件が下記のものです。

1986年 東京都N区F中学校 SHさん
      http://yabusaka.moo.jp/sousikigokko.htm
1994年 愛知県N市T中学校 OKさん
      http://yabusaka.moo.jp/okouchi.htm
2006年 福岡県C町M中学校 MKさん
      http://yabusaka.moo.jp/miwatyu.htm
2011年 滋賀県大津市の事件〔2012年に社会問題化〕
        (引用したサイトhttp://yabusaka.moo.jp/index.htm

わたしの32年間の教員生活をふりかえると、数多くの「いじめ」と判断されるケースに遭遇してきました。そのたびに、被害者・加害者とその周りの子どもたちの話を聴き、自分なりに解決に努力し、その解消をめざしてきたのだと思います。しかし、その当事者にとってみれば、ほんとうにそうだったのか? と問いかけていくと、100%の自信はありません。心の傷を癒し、次に向かって新たなスタートを切る力を育てることができたのか。人生にとって大きな痛手を受けたのではないか。等々、当事者や保護者の方々への気持ちを、あらわにすることは、ほんとうに難しいものだと感じています。きっと、それは、「いじめによる自死」という氷山の下に隠れた否定することのできない事実だったと思うのです。
わたしは、このことを胸にしっかりと刻み、今の仕事を続けたいと思っています。わたしの原点はここにあると・・・。

(わたしの体験から)
わたしは、中学2年生のとき、ほぼ半年間にわたっていじめを受けた経験があります。きっかけは、あるひとりの級友が数人の男子により殴る蹴るの暴行を受けていたことを目の当たりにしたとき、反射的に「やめとけ!」と止めに入ったことでした。次の日から、クラスのほぼ全員から「無視」され、「きしょ(気持ち悪い)」と陰口をたたかれました。気づいているはずの担任の先生は、何もしてくれませんでした。この経験により、わたしは教師になることを決意しました。今だからわかるのですが、当時のT市立T中学校は、まさに「荒れて」いたのです。
学校が落ち着いていないと、子ども達は様々な不利益を被ることになります。授業はもちろん日々の生活にいたるまで、常に「身構え」「防御して」「反撃する」体勢を整えておかねばなりません。まるで、戦いの場にいるような感覚だったでしょうか。このT中学校で、わたしが卒業して数年後、いじめによる自死が起こりました。作家である金賛汀氏がこのことを「遺書のない自殺」という書籍でレポートしてくれています。

 

遺書のない自殺―「いじめられっ子」の死・高石中学事件 (1981年)
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事件のあらましhttp://yabusaka.moo.jp/takaishi.htm

わたしの娘は、地元の公立高校に進学したのですが、入学してまもなくいじめにあうようになりました。きっかけは、すでにいじめのターゲットになっていたひとりの生徒に対して、「ふつうに声をかけてしゃべっていた」ということだったのです。娘曰く「そういうのがイヤだったから・・。」わたしは、「なんで、自分と同じことを・・」と嘆くとともに、そんな娘に誇りさえ感じました。しかし、事はそんなことで収まりません。娘へのいじめがエスカレートしていったのです。自分なりに向き合ってきましたが、2年生の5月、ついに彼女がギブアップしてしまったのです。ストレスは身体と心を蝕み限界に近い状態でした。わたしは、娘の話を聴き、転校を勧めました。八洲学園の沖縄校でした。わたしは、鳳商業(八洲学園の前身)当時からの知り合いだった宮長校長先生(当時)に娘のことを託しました。今では、娘は転校して良かったと言ってくれます。多様な個性をもった子どもたちとの出会いが彼女を成長させてくれました。

「よく生きていてくれた。」わたしは、心の中で娘に感謝しています。

八洲学園大学国際高等学校 http://study.jp/hs/yashima/index.asp

わたしは、このような経験から1979年に教員になりました。3年前にその教員を退職し、今、学校コーディネーションや教員研修などの仕事をしていますが、「いじめ」を許さない、「いじめ」「不登校」を解消するということを肝に銘じて仕事をしています。しかし、「いじめ」や「不登校」というものは起こってしまえば、少なからず当事者、保護者は傷つくのです。できることなら、そうならないほうがいい。これが「いじめ」「不登校」未然防止の教育なのです。人間としての個性や力を発揮させる教育、もとはといえば教育本来の目的であると言えます。
そのために、「いじめ」「不登校」のメカニズムを解明していくことは、必須のことであるのです。

その2へつづく
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

関連記事)

 

Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
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いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
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いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

いじめ・不登校のメカニズム その2
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

いじめ・不登校のメカニズム その3
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281

 

 

 

あいあいネットワークofHRS http://www.aiainet-hrs.jp

 

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