「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(1)よりつづく
「もしドラ」を著した岩崎夏海さんのすごいところは、経済活動におけるマネジメントを、高校の野球部にあてはめるという発想です。そして、なおかつドラッカーを読み込み、それを理解したということではないでしょうか。理論は現実に照らし合わせ、実践することに意味があります。小説という仮想空間ではありますが、岩崎さんはそこで、みなみという主人公を通して現実に照らし合わせ、実践しました。
冒頭の部分から中盤に至るまでがすごいのです。
「企業の目的は、顧客の創造である。・・・・マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」p58
「真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。『われわれは何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を問う。」p59
マーケティングを通じて何が起こったのでしょう。
主人公みなみは、入院している夕紀の力を借りて、野球部に関わる人たちの「現実、欲求、価値」を聴き取っていきます。つまり、教師の世界では「相談活動」ということになります。ただし、マーケティングの概念は、顧客を定義することから始まりましたが、教師の世界の顧客とはドラッカーよれば、教育に関わる全ての人ということになります。その中でも、顧客の中の中核にいるのは子どもと教師の両方ということではないでしょうか。ですから、教師の仕事というのは、子どもへの「相談活動」と教師への「相談活動」の両方が必要なのです。子どもへの「相談活動」が必要であることは、教師であれば誰も疑うことのないことです.
しかし、教員の皆さんは教師への「相談活動」が必要であるということを、自分の教師としての仕事の中で、重要な位置を占めていることを自覚していますか?
マーケティングがあってこそ学校
教師が一人で、すべてをまかなっている学校があるとすれば、教師への「相談活動」を必要としないのはそんな学校だけです。複数の教師でなりたっている学校はすべて、一人ひとりが他の教師への「相談活動」つまり、マーケティングでもって「現実、価値、欲求」を共有していなければなりません。学校の教師とは、学級経営や授業において、子どもたちをマネジメントするだけではありません。より効果的で有効性のある教育を学校という組織を通じて実現していきます。そういう意味で、教師に対するマーケティングは必要不可欠のものとなっていきます。このようなプロセスをたどってこそ、学校というものが組織として機能することができるのです。
20年ほど前、三校目の中学校での話ですが、混沌とし、教師が対立をしていた校内体制を新しくするため、私はほとんど全ての教師から聴き取り作業を行いました。一年間のうちの半年は、その事に時間を費やしたのです。そして、校務分掌の大改革に手をつけ、学校の中心的な組織を5つの部会と5つの委員会として整理をしました。論議を12月から始めていたにも関わらず、いざ年度末、いよいよ改革という場面に至って、一部の教師から大反対を受けました。職員会議は一触即発、この絶体絶命のピンチの時に、マーケティングによって得ていた情報と信頼関係が生きてきたのです。その時、私はマーケティングこそが、ものごとを進めていく力であることを実感しました。
「もしドラ」では・・・
さて、「もしドラ」にもどりましょう。
程久保高校野球部は、最近では一回戦負けが続き、ふだんの練習に全員そろうことはありませんでした。夏の大会で、1年生でショートを守っている裕之助のエラーがもとで慶一郎が大泉洋が演じる監督の加地にあっさりと交代させられ、それがもとで、エースの慶一郎と監督の加地の間の関係が悪化し、お互いが避け合う関係になってしまったのです。
みなみと夕紀のマーケティング(相談活動)は、着々と進められていきました。しかし、このチームの状態と、人間関係を変えるには、至っていませんでした。これと言った成果が見られないまま、チームは春の選抜選手権への重要なプロセスである秋季大会をむかえてしまうのです。この秋季大会で、程久保高校野球部にとって決定的な事件をむかえることになるなど、誰も想像すらしていなかったでしょう。
両チーム無得点のままでむかえた7回の裏、ショートの裕之助がまたエラーをしてしまったのです。みなみは、その時すでに慶一郎との相談活動を通じて、慶一郎の気持ちを聴き取っていました。
「おれは別に、エラーをした裕之助を責める気持ちなんかは少しもなかったんだ。むしろ、それをカバーしてやろうと燃えてたくらいだ。」
みなみはそんな慶一郎を信じていました。しかし、何ということでしょう。慶一郎は夏の大会のように、再びストライクが入らなくなってしまったのです。そして、7つ目の押し出しをしてしまったところで、コールド負けを喫してしまいました。
試合後のミーティングで、監督の加地はありふれた感想を述べます。そして、ミーティングも終わろうとしたとき、キャッチャーであり、みなみの幼なじみである次郎が立ち上がり、怒りをにじませた声で話し始めました。
「おれはもう、浅野の球を受けるのがいやです。・・・・・浅野は野球を冒涜している。いくら頭に来たからといって、ふてくされてチームを負けに追い込むなんて、ありえない。・・・・・」
みなみは、すかさず「そうじゃない」ことを、マネージャーの文乃とともに発言しようとしました。
その時です。
「そういうピッチャーはいないんだ。」
大きな声が響き渡りました。驚いたみなみがその方向を見ると、何と監督の加地が震えながら立ち上がっていたのです。そして、再び
「フォ、フォアボールを出したくて出すピッチャーは、いないんだ!・・・フォアボールをわざと出すようなピッチャーは、う、う、うちのチームには一人もいない!」
重苦しい空気のなかで、すすり泣く声が聞こえてきました。一番奥の席に座っていた慶一郎が、うつむいたまま肩をふるわせて泣いていたのです。
映画の場面では、もうこの時すでに私はアウトでした。
映画の予告編やテレビのコマーシャルPVでも使われていた場面です。学校の教員をしているとこのような場面に何度も遭遇してきました。何か大きな出来事が起こったときに、教師はクラスみんなの前でしゃべります。その時は、本人の目は見ずとも、子どもたちの心模様を描きながらしゃべります。すると、思わぬ子が涙目になったり、思わぬ発言に遭遇します。そんな経験をしてきた教師は、この場面を冷静に見ることはできません。大粒の涙が一気にあふれました。
You Tube 「もしドラ Trailer」 http://www.youtube.com/watch?v=Mfpe88nFxJM
慶一郎は成長しました。そして、程高野球部の成長もはじまったのです。
突発的な展開でしたが、これは、みなみのマーケッティングの成果でした。みなみの監督へのマーケティングを通じて、慶一郎の気持ちはすでに加地に伝えられていました。すると、加地は大学時代のピッチャーであった友人に、ピッチャーの心理というものを聴き出していたのでした。「わざとフォアボールを出すようなピッチャーはいないんだよ。」ということを。だから、加地は自分の信念として7点も押し出しをしてしまった慶一郎を交代させようとはしなかったのです。
気持ちを想像し理解しながら、訴える。しかも、加地はそれを慶一郎だけに言うのではなく、次郎の発言をきっかけにして、全体に問いました。突発的でしたが、この瞬間を逃さず、みんなに問うことのできたのは、みなみのマーケティングのおかげであり、「動き出した」加地の姿があったからではないのでしょうか。
マネジメントは一人で実行するものではありません。共感性をフルに発揮しながら、一人ひとりを信じ、ひとりの人間の力としての力を湧出させることにこそ、マネジメントのすごさがあるのです。みなみは、そんなすごい人間の力を生み出したマーケティングの力に気づいたに違いありません。
そして、動き出した加地の背景にイノベーションがあったのです。
もしドラ応援団
http://www.moshidora-movie.jp/
(3)へ続く
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