あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(6)

2011-11-30 10:44:07 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

************

【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(4)】

肇は自分自身に問いかけます。

【何のために働いている。

何のために忙しがっている。

何のために友人の仕事を潰した。

何のために妻に呆れられた。

何のために娘から避けられている。

何のために母をひとり放置していたんだ。

何のために俺は俺の人生を消耗させているのだ。】

【肇の見つめる窓の向こうを一畑電車のオレンジ色の車体が通り過ぎていく。空白の中を横切ってゆくオレンジ色。カタタン、カタタン、という音が右から左へ通り過ぎていき、またカタタン、カタタンと今度は、左から右へと通り過ぎていく。一時間に一本の電車だ。その電車を何度この場所に座り続けたまま見送ったのだろう? 自分はここに座り続けて、何をしているのだろう。

空白とは悟りである。何かで読んだことがあった。悟りとは《差を取る》ことゆえに、あらゆる差を取り去った後には空白しか残らない。それをすべての執着を捨てるがゆえに、形あるものの姿が消え失せ空白しか残らない。確かそういう言葉だった。その空白の中に見出した光を「エンライトメント」つまり「悟り」というのだと、その言葉は続いていたように思う。けれど肇が空白の中に見出したのは、巨大な「クエスチョン」マークだけだった。それと一畑電車のオレンジの色。

カタタン、カタタン。

それが数時間の瞑想の果てに見出したもの。】

【どうすれば、自分の価値を自分で実感できる日々を送れるのか、肇は考える。

どこかでバタバタと何かが音を立てている。バタバタ、バタバタ、バタバタ、バタデン。そう聞こえた。

その音のほうに目を向けると、宍道湖の方から吹き込んでくる風に一枚の張り紙がはためいているのだ。《運転手募集》と書かれた一畑電車の告知ポスターだった。その張り紙の、右上の画鋲が外れていて、バタバタと風にはためき、掲示板の板を叩いている。はためく紙の角がなんだか肇を手招きしているように見えた。】

***********

肇はこのとき、初めて自分の心の声をしっかりと聴き取ったのではないでしょうか。瞑想が生み出してくれる「空白」は、私たちが普段自覚していない、ほんとうの自分の心を映し出し、人間の英知を生み出してくれます。このような苦境に立ってしまった肇は、なおさらそうであったのでしょう。

【「今何と言った?」

「私自身をリストラしようと思います。そう申し上げました」】

【「不退転の、決意か」

玖島(専務)が訊く。はい。と肇はうなずく。

そう答えている自分に、いまは戸惑いも迷いも感じていない。本当に久しぶりに正しい決断をした。そんな満足にも似た思いを彼は感じていた。

敵前逃亡ですか。部下にはそうなじられた。一畑電車の運転士募集の張り紙を家に持ち帰って、「会社を辞めて、電車の運転士になろうと思う」と告げたら、倖は「ありえないんですけど」と言った。】

**************

この場面に出会って、私も含め、多くの観衆や読者が、言葉であらわせないような勇気をもらったのではないでしょうか。自分たち自身がもっているジレンマや、自分たち自身を押し殺してまでも守らなければ・・・と感じている部分に、「そうじゃなくてもいいんだよ」という強烈な一撃を与えてくれたような、そんな気がするのです。

しかし、肇は母・絹代には言うことができませんでした。晴れてバタデンの運転士になって、運転席に座っている肇に、手を振ってもらえるようになってから、と思っていました。

【「何か意外なんですけど」

「何がだ」

「そういう自信なさそうなこと言うの。父さんはいつだって俺は間違っていない。俺は正しい。俺のやることは絶対にうまくいくってそういう人だったから」

「そんなこと言ってないだろ」

「言ってたよ。言葉じゃなくて態度で言ってた。物腰でそう言ってた」

「本当に?」

「本当に」

「そうか。だとしたら父さん、すごく嫌なやつだったんだな」

「そうだよ」】

****************

バタデンの面接で、誠心誠意自分自身の気持ちをあらわした肇を、反対する石川部長を説得し、大沢社長は受け入れてくれました。

【「若者が減って年寄りが増えているこの時代だ。四十九歳の新人なんてすぐに珍しい話じゃなくなる。我が社は最先端、二十一世紀の会社というわけだな」

「この歳になってようやく自分の夢と正面から向き合ってみる決心がつきました。よろしくお願いします!」】

****************

入社試験という緊張を味わい、さらに、これからの不安や希望が入り混じった肇は、倖と向かい合いながら、こう考えているのでした。

【自分の存在をアピールするのは、いままでの仕事の上でも常に求められてきたことだが、そこには必ず会社という大きな看板があった。その看板を盾に使い、煙幕に使って、自分の意見を通すことができたし、一目置いてもらうこともできた。けれど、面接試験で、求められたのは看板の大きさではなく、彼の人間としての力だ。これはきつい。会社人間を自認していた彼だからなおさらだ。】

【「ねえ、どうだったの? 面接試験」

「合格だ」

「えっ」

「父さんは合格した」

「嘘」

「嘘ついてどうする。合格したんだ。社長からそう言われた」

「嘘お!」

「だからうそじゃないって」両手で大きく丸をつくってみせる。「といってもまだ正式採用じゃない。研修先の京王電鉄で基礎を学んで、また試験を受ける。筆記の他にいろいろな実地試験もある。それを全部パスして、それでようやく父さんは電車の運転士になれるんだ」

「なんか癪なんだけど」

「何がだよ」

「だって。何で父さんが就活して、内定とかもらっちゃうのかなって」

「そうか、確かにな。お前の就活の心配をしたり、バックアップしてやったりしなきゃならない時期に、父さん勝手なことしてるし」

「京葉電器の取締役なら、試験のときちょっと有利だったかも」

「だろうな。すまない。けど、親の肩書きで採用決めるような会社はやめとけ。ちゃんと人間を見る会社が、これからは強いんだ」

「一畑電車みたいな?」

「あそこは、どうかな」

「研修はこっちでやるの?」倖が訊く。

「いや。最初の一ヶ月は島根で勉強することになっている。だから婆ちゃんのそばにいてやれる」

「婆ちゃん、喜ぶね。お父さんが本当に電車の運転士になるって知ったら」

「ちゃんと運転士になって、制服を支給されるまで、婆ちゃんには内緒にしといてくれるよな」

「驚かせたいんだ?」

「そうなんだ」

頷く肇に、倖のほうが驚く。父さん、何だか子供に戻ったみたい。声が弾んでる。

「しかし何とかなるもんだよなあ」

「そんな運転士さん、ちょっとイヤなんだけど」

倖が言い、肇は楽しそうに笑った。この変化は何だろう。父も娘も互いにそう感じている。肇が家族のためだと必死になっていたとき、娘は父を軽蔑していた。しゃかりきになって家族を守ろうとしていたとき、娘は父に背を向けていた。話し掛けたところで「だから何?」と冷めた声を返されるのが関の山だった。

けれど家族のことはひとまず横に置いて、自分の心のままに自分が楽しいと感じる方向へと進路を切り換えた途端に、娘は父を父として見てくれるようになった。話し掛けてくれるようになった。笑顔を見せてくれるようになった。

子供が幸せであることが親にとってはいちばん嬉しい。絹代はそういうような意味のことを言っていた。自分が好きなことをやりなさい。それがいちばんの親孝行だと。それは子供にとっても同じなのだろう。親が自分の好きな道を進み、そして幸せであるということ。子供にとって、それがいちばん安心できることなのだろう。】

****************

最後のくだりは、長い引用になってしまいました。肇と倖が多分、初めて経験したのであろう父と子の心地よい経験が、肇にとっても、倖にとっても、これからの人生の支えになったのに違いありません。肇は、家族のために一所懸命頑張ってきたと思っていたことは、実は、肇という人間を押し殺した結果の産物であったと言えます。上から押し殺されている人間は、必ず、下だと感じている周りの人間を追い詰めます。しかし、肇自身が、自分自身のために、選択した一畑電車の運転士になるということを見据えた途端、肇自身のあり様が変化をしていきます。自尊感情というものは、まず、自分自身を好きになり、自分自身を受け容れることによって生まれます。そして、その感情は他人に対しても、尊重したり大切にしたりというあり様を生み出していきます。まさに、この場面は、それを如実にあらわしているのでしょうね。

この後、肇はいよいよ一畑電車の運転士としての道を歩んでいきます。そのプロセスにキャリア意識といものの、内実がほんとうに素晴らしく描かれているのです。

(7)へつづく (2011.12.6)

 

 

 

Bataden

 

 

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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(5)

2011-11-28 10:45:31 | 研修会
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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

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【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(3)】

依存的なあり様から主体的なあり様へと成長していく・・・その描写が小林さんの文章から見事にあらわされているのです。肇が、どのようにしてそんな成長(あるいは、取り戻す?)していったのか、そのプロセスを小林さんの描写から【  】でくくって紹介しながら見ていきたいと思います。

*************

【「大きくなったら何になりたい?

僕、ぜったいにバタデンの運転手になるんだよ。決めてるんだもん。バタデンの運転手になって運転席から母さんに手を振るんだよ。母さんはそこの庭から僕を見て、笑いながら手を振り返してくれるよね?

ええ、そうね。お前が電車の運転士さんになったら、母さんは毎日庭に出て、毎日、お前に手を振ってあげようね。とても楽しみね。

絹代はそう答えた。息子は本当に嬉しそうに顔を輝かせた。明日への希望ではちきれそうな輝きだ。それは決して残照ではなかった。」】

**********

そんなふうに、子どもの頃、肇をあたたかく包んでくれていた絹代が行商の途中、バタデンの中で倒れました。肇は店の段取りをつけてから来ることになっていた由紀子を残して、倖とともに島根の実家にもどったのです。

【「昔と同じだな。夏休みになるたびに、父さん、危ないから防波堤から降りろと言い続けてた」

「それ覚えてるんだ」

倖は言葉を発した。笑顔のまま彼女は、父の記憶の中に幼い頃の自分がまだ存在していることが、とても意外だと言うように、目を丸くしてみせた。

「当たり前だろ。覚えているに決まっている。夏になるたびにお前は婆ちゃんの所に行くと騒いだし、だから毎年連れてきてやったんだ」

自分の声に恩を売っているような響きがあると肇は気づく。それを倖が指摘して怒り、また黙ってしまうのだろうと想像したが、倖は笑顔のままうなずくだけだった。

「婆ちゃんが大好きだったの。婆ちゃんは絶対に命令口調で話さないんだよ。防波堤から降りなさい、なんて言わない。降りてきてくれたら嬉しいねえってそういう言い方をする。そして、婆ちゃんは絶対に人が話しているときに時計なんか見ないんだよ」

言われてつい時計で病院へ戻る電車の時間を確認していた肇はハッと顔を見上げる。】

***********

西田了は肇の幼なじみです。了は、宍道湖でシジミ漁をつづけ、仕事が楽しくてしかたがないと思っているのです。そんな了を倖は「シジミマンさん」と呼んで親しんでいました。

【「サッちゃん、大きなったな。幾つになった?」

「大学の三年です」

「そげか! もうそげん大きんなったんか。肇、寂しいじゃろう。もうサッちゃん嫁に出す心配しないといけんけんの!」

「その前に就職ですよ、シジミマンさん」

倖はため息をついてみせる。

「どこも雇ってくれん言ったら、俺と一緒にシジミを採ったらええがや」

了は言い、倖は本気だという顔でうなずいた。

「そしたら婆ちゃんと一緒にいられるね」

肇はその倖の言葉にハッとした。父である俺は自分の仕事、自分の乗った「時間列車」の進んでいくレールの先ばかり気にかけている。なのに娘は自分の進むレールと祖母の走るレールが重なる進路はないのか、と考えているのか? 重ならないまでも併走するレールがあるかもしれないと?】

【娘が了と話していたときのように無邪気な笑顔を見せてくれないことなど、父はまるで気にしていないぞ。他に考えなきゃならない重要なことが父には山ほどあるんだからな。】【娘と気持ちが通じないのは自分の方が娘に対して壁をつくっていたからだ。決して娘から拒絶されたわけじゃないと、そう自分を偽ったほうが、気が楽だ。そう思っているのかもしれない。】

【わかっているのだ。いまのままでは駄目だということは。親友が切り回していた工場を一方的に閉鎖させること。大勢の従業員を退職させること。そして会社の利益とその実績を取り繕うこと。妻と話らしい話もできない日々を送っていること。娘からは信用も愛情も失われていること。自分の人生はすべてうまく行っているという幻想が綻びはじめていること。俺はこのままでいいのかと一日に何回も何回も呆れるほど考えてしまっていること。そして、母親が倒れたこと。広すぎるこの家で母がひとりきりでどんな思いを抱きながら生きているのか、それを直視することができないこと。家の中も庭も畑も、すべてきちんと向き合い美しく保たせている母が、どういう人生の終え方を考えているのか、それを知ろうとすることを拒んでいるということ―。】

【どうすればいいのか肇には見えない。それが見えないうちは余計なことは考えないほうがいい。余計なこと。そう、仕事以外のすべては余計なことなのだ。】【働くことが善であり、忙しいことが善であり、仕事に人生を捧げることが善だった。高度成長時代の日本が、肇の世代にとっては理想の社会なのだから。まあ、もちろん了のような例外もいるにはいるが。】

***********

道すがらの了との出会いを通じて、肇はこんなことを考えさせられていたのでした。肇の中に、何か、変わろうとしているものが芽生えてきたのに違いありません。これは、次の描写によく現れているのです。肇と倖との会話です。

【「夕ご飯食べる? それとも仕事つづけてる?」

訊かれて肇は「食べる食べる。えらく腹が減った」とことさら大げさに言って食卓へと向かった。「すごいな。料理、上手じゃないか」

「それ皮肉かなあ。つくったのは味噌汁だけだよ」

「いや、その味噌汁がさ、うまそうにつくれてる」

言って肇はひとくちすすってみる。「うまい」即座にそう言うつもりでいた。ここで娘の機嫌をとったところで何がどうなるわけでもないのだが、今日の夕食は娘とふたり穏やかな時間を持ちたい。仕事人間で家族も顧みない父親にだったそういうひとときぐらい持てるはずだ。しかし肇はそいうご機嫌取りだめだけの「うまい」が言えない。舌に触れた味、その香りに正直戸惑う。不味いのではない。そうではない。

「・・・・・うまいな、これは・・・・」

「婆ちゃんの手づくりの味噌だよ」

「やっぱ味噌汁はこの味じゃなきゃ嘘だ。どうだ。婆ちゃんに頼んでこの味噌、東京に送ってもらおうか。そうすりゃ、うちでもこの味噌汁が飲めるだろう」

「日持ちがしない、だからいらない。送ってくれなくていい」

「え?」

「お父さんが自分で婆ちゃんにそう言ったんだよ。覚えてないの?」

倖は冷ややかに肇を見た。肇はそういうこともあったかもしれないと思い出す。手づくりの味噌には保存料も防腐剤も入っていない。だからすぐに傷んでしまう。それはその通り。だが・・・。

「保存料や防腐剤が入っている味噌の方が安全だ。お父さん、そう言ったの。お婆ちゃんそれ聞いてどんな顔したか覚えてる?」

・・・・いや、覚えてはいない。

自分の正論を述べることに夢中で、それを聞かされた相手の顔などまるで考えてはいなかったのだろう。

「じゃあ食べたら台所に食器、持ってっといてね。お忙しいでしょうけど、それくらいの時間はあるんでしょう?」

言うと倖は立ち上がる。】

****************

このとき、肇は自分をふりかえったに違いありません。なぜ、母・絹代の手づくりの味噌を東京へ送って欲しいと感じたのでしょうか。ほんとうは自分がこうありたいという自分の心が、この自らの生家で、幼なじみの了や、倒れた母・絹代への思いと交錯し、ほんとうの自分というものに触れようとしたのではないでしょうか。

そんな無意識の思いも、遅れて島根に到着した妻・由紀子との会話によって、微塵に打ち砕かれてしまいます。肇の心が爆発してしまいそうになったとき、一本の電話が肇のもとに入りました。それは、同期の川平の死の知らせだったのです。工場の閉鎖に向けて奔走していた川平が交通事故によって亡くなったのです。肇の手には、難病で寝たきりになっていた川平の息子がつくったという、空に羽ばたく鳥の彫り物が残されました。川平の死、そして、母・絹代の末期癌という事実に直面した肇は、自分の人生のポイントを切り替えようともがいていくのでした。

 

(6)へつづく 2011.11.30

Bataden

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2011年11月25日 大阪府松原市立松原第六中学校 学年研修会 その2

2011-11-25 11:52:55 | 研修会

レジメ(携帯用)

松原第六中学校、一年生の先生の皆さん。金曜日ご苦労様でした。今回の研修は90分のショートでしたが、ロールプレイング①宿題わすれちゃった、②悩みの相談を松原六中の先生がた(やっちゃん、すすむくん)にしていただいて、じっくりと深めていきました。この二つのロールプレイングは、研修でよく使っているのですが、今回ほど、研修のファシリテーションとして使ったのは初めてでした。自分的には、深めることで、ちょっと大きな学びがあるなあと感じました。ゴローさんのコメントを読んで、そう思いました。また、こういう活用で研修でやってみたいと思います。松原第六中学校の先生方、ありがとうございました。

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2011年11月22日  長野県白馬村立白馬中学校 校内研修

2011-11-20 11:41:13 | 研修会

Hakubachu 画像は白馬中学校HP(PCサイト)より

 

 

 

 

 

(レジメ)携帯用

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白馬中学校の先生方、こんにちは。

このたび、白馬中学校の校内研修で、ワークショップをさせていただくことになりました、あいあいネットワークofHRSの深美です。よろしくお願いいたします。

今年の6月に行われました松原第七中学校区人権教育研究会の校区における「あいあいタイム」「人間関係学科」の小学校・中学校の公開授業及びその研究会に、はるばる白馬中学校から平林先生がご参加していただいていました。そして、白馬中学校の石川教頭先生は、もう5年前になるのですが、私が初めて、校外のファシリテーションに、松原第七中学校のチームとして参加させていただきました長野県総合教育センターにおける研修のお世話をしていただいた先生です。そんなご縁がありましたので、今回、これは私たちのニーズであったのですが、人間関係づくりのコンテンツの一つとして、白馬村にあります「EXアドベンチャー(PCサイト)」を訪問しようとしていた時に、白馬村の総合学習に使える様々なコンテンツをご紹介しましょうかというご提案を石川教頭先生からいただきました。

そういうことをしていただけるなら・・・ということで、私のほうからも人間関係づくりのワークショップを、白馬中学校の先生方に体験していただければ幸いです、と提案させてもらいました。それで、今回の研修が実現することになったのですが、人間どうしのつながりというものは、素晴らしいですね。昨日の朝に、私は突然、白馬中学校へ電話を入れたのですが、たった1日で、そういうお話がまとまるのですから、つながりというものは、見た目には見えないですけど、すごいものです。そんなことを、心から感じました。

それでは、白馬中学校の先生方、当日よろしくお願いいたします。

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Hakubasanzan 白馬ハイランドホテルから見た白馬三山。中央やや下に白馬中学校と長野オリンピックのジャンプ台が見えます。(画像をダブルクリックすると鮮明な画像が現れます)

*絶景と感じた瞬間でした。

*

*

白馬中学校のみなさん、どうもありがとうございました。お陰様で、松代の大本営跡も含めて、修学旅行のコンテンツをゲットすることができました。これからは、さらに白馬村の皆さんや、松代の皆さんとの関係を深めながら、これからの松原第七中学校の修学旅行のレベルアップをはかっていくことができればと思っています。

研修に関しては、90分というショートの研修でしたから、非常に不十分なものでしたが、研修を通じて、必要性のようなものを感じていただければ成果かな、という気がします。

これからも、よろしくお願いいたします。

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2011年11月16日 高知県高知市立潮江中学校 授業研究会

2011-11-15 10:26:23 | 研究授業

レジメ&資料(PCサイト PDFファイル)

潮江中学校のみなさん、こんにちは。前回は今年の2月にお会いしていますから、9ヶ月ぶりですね。私が、今のようなファシリテーションの仕事を始めてほぼ2年になりますが、ほとんど、初めと言っていいほどの昨年の2月に人間関係づくりの授業に関する校内研修をやらせてもらいました。その時のことを思い出すと、不十分な自分に恥ずかしくなってきます。

今回は、授業を見せていただいて、反省会を私がまわさせていただきます。反省会を通じても、今回の研究テーマである「グループ学習」ということへの気づきが深まるようなファシリテーションに取り組みたいと思います。大事な研究会を、私に任させていただきました坂本教頭先生に感謝です。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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2011年11月18日

潮江中学校での授業研究会は、反省会をファシリテーションで行うという形で進めていきました。授業者の先生から、まず、ふりかえりをいただき、それをもとに①授業を通じての先生方の気づき、②自分が授業者であるという観点からの積みあげ(「私はこうしていきたい」)という観点について、グループで出し合い、それを収束させていく形で、プレゼンをしていただきました。自分たちで気づき、それを積みあげていく、というプロセスを通じて、自分たちの方向性が見えてきたとすれば成功です。最後の30分間で、エクササイズを通じて一人ひとりの枠組みが様々であるということに気づいていただきました。グループでの学びというものは、そういうことを前提としているということを大切にしていただいたら、と思います。

宮田龍校長先生が、潮江中学校での防災教育を中心とした取組を、パワーポイントを使って、私ひとりのために、お話し下さいました。宮田校長先生からは、マネジメントの有用さと、大切さを学ばせていただきました。ありがとうございました。

 

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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(4)

2011-11-11 20:44:10 | コラム
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【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(2)】

肇は、エリートサラリーマンだったころ、依存的な生き方をしていました。家族や自分のまわりで起っていることに関して、「自分の与えられた枠組みの中で、一所懸命にやっている」「一所懸命にやっているのだから、仕方がない。」「なぜそんな自分の姿を家族はわかってくれないのか。」という発想をしていたのです。小林弘利さんと錦織良成さんが小説にあらわしている部分は次のような光景です。

*************

工場の閉鎖のために肇と、大学の同期である友人であり、閉鎖される工場の工場長である川平とのやりとりから抜粋しました。

川平「ものをつくるってのがどういうことかお前にわかるか?」

肇 「誰かのためになることだろう。自分が楽になる。誰かの役に立つ。あるいは誰かを楽しませる。物をつくるっていうのはそういうことだ」

川平「なのにものをつくってる会社が工場を閉めていったい何をするつもりなんだ」

肇 「コツコツと良いものをつくってれば商売になった。そういう時代はとっくに終わっちまったんだよ、川平」

川平「終わって、何が始まる? マネーゲームか? それも行き詰って、アメリカがぶったおれたんじゃねえのか? 教えてくれ。これからは何を商売にするんだ? お前は何をつくるんだ。誰を楽にして、誰を楽しませて、社会にどんな貢献とやらをしていくんだ?」

川平「何を急いているだか知らないがな。地方まで足を伸ばしたら、ゆっくりと地酒を飲むくらいの余裕を持てよ。俺たちのつくったもんが世の中を便利にしたのは、人間を走り回らせるためじゃないんだ」

後に、川平から工場の整理が順調に進んでいると聞いて・・・

肇 「ありがとう助かるよ。なあ、川平。専務も了承してくれたよ。だから本社に戻って来い。お前なら、一緒にガンガンやれる」

川平「俺はコツコツといいものをつくり続ける。その芯さえ見失わなきゃ働く場所はどこにでもある。この会社が俺を楽しませてくれないなら、この会社を俺は捨てる」

************

家族との関係で・・・

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

変わってねえな。川平がほっとしたような笑みの中でそう言った。

そうなのかもしれない。変わったつもりでいるのに、本当は何も自分の中では変わっていないのかもしれない。それとも、リストラを断行する冷徹さを保てそうもない自分の企業人としての弱さを認めたくなくて、それで大学生のように理想を語る青さを失っていないのだと、無理に納得してみようとしているだけなのかもしれない。

肇は自宅の玄関ドアを開けるときもそういうことを考えていた。すべてはくらしを守るためだ。自分に言い聞かせる。働くということは、こういう汚れ仕事も引き受けるということだ。会社での地位が上がるということは、利益のためなら誰かの楽しみを奪い取ることにも感情を動かさない術を身につけるということだ。

ドアを開け、まず気づくのは妻の靴がそこにないということだ。つまり、妻はまだ帰宅していない。重いため息をつきながら肇は、靴を乱暴に脱いでドンと音を立てて上がり框に足を乗せた。不機嫌であることをそんな仕草で表現する。毎日三つ指ついて出迎えろと言っているのではない。今日のような日は、帰った場所に妻の気配を感じたかった。家庭というものはそういうものを望んでいいはずの場所じゃないのか。

***********

娘・倖との関係・・・

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

「いたのか」

そう言ってリビングに足を踏み入れ、天井のスイッチを入れる。二度三度と瞬いてから明るい光が室内に投げ下ろされると、驚いたように目を開けて娘はこちらを振り返った。突然の侵入者におびえた顔になっている。

帰宅した途端に実の娘からそんな顔で迎えられるのは心楽しいものではない。肇はさらに不機嫌になる。

「何してるんだ。真っ暗な中で」

「音楽を聴いていたのか」

「だったら何?」

お帰りなさいお父さん。そんな言葉は期待していない。しかし、「だったら何?」というのはあんまりじゃないか。思いつつ、それは言葉にはしない。肇の口から出たのは「母さんは?」という言葉だ。

「母さんはどうした。出かけているのか?」

倖は答えずにまたイヤホンを耳に戻そうとする。自分の言葉が音楽に遮られてしまう前に肇は問いを重ねる。

「母さんはどうした? 出かけているのか?」

倖は答えない。彼女はソファーから立ち上がると、自分の部屋へ行こうとする。

「おい、母さんはと訊いているんだ」

「何であたしに訊くの? 夫婦なんでしょう。電話でも何でもして、自分でどこにいるんだって訊いたらいいじゃない」

「出張から戻ってきたんだ。お帰りなさいぐらい言って欲しいね」

「何甘えてんの」

言いながらも倖は菓子を受け取ると、さっそくその包みを破りはじめる。

「お母さんがハーブの店を始めたことを覚えているよね?」

「当たり前だ」

「だったらどこにいるんだ、なんて訊くまでもないと思うけど」

「どうだ就活は」

「どうだって、何が?」

「もう三年だろう。うかうかしているとろくな仕事にありつけなくなるぞ。もうみんな面接受けたり、コネクションつくったりしてるんじゃないのか? なのになんだお前は。真っ暗な部屋でのんきに音楽か」

「何カリカリしてんの?」

「カリカリなんかしていない。いいか。のんびり遊んでいる人間の面倒を見てくれるほど社会ってところは」

「甘い!」倖が声を上げる。「これ甘すぎる!」

倖は危険物であるかのように菓子箱を自分から遠ざけ、そのままリビングから早足で出て行く。

**************

妻・由紀子との関係・・・

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

「お店の名前、《ハーブトーク》にしようと思うの」

「うん」

「それでいいと思う? お客さん来てくれそう?」

「ああ」

これは会話ではない。だから夫との間に、もう会話はない。会話らしい言葉の応酬があるとすれば、それは喧嘩をしているときだけだ。そのときだって互いに自分の言いたいことを言っているだけで、相手の言葉に耳を傾けているわけじゃない。自分の主張の正しさを申し述べ、相手をねじ伏せることしか考えていない。いや、ただ相手を傷つけるだけならそれでいい。とさえ思っている。違う意見であってもそれを投げ合うことで、互いの一致点を見つけ出していく。そんな建設的で愛情のある言い合いですらないから、こちらも黙ってしまう。喧嘩になるくらいなら、黙っていたほうが互いのストレスが軽減する。そう思う。そしてそんな考え方こそがストレスの最大の源だと気づいたときには、もう夫婦の間には大きな亀裂ができてしまっている。

由紀子は夫の肇との会話のない空白を埋めるためにハーブを使うようになった。そのハーブの持つ芳醇なる沈黙に魅せられて、すっかりハマり、その店まで出してしまった。自分の中の可能性が見えてきた。やわらかな時間、穏やかな会話、香りに癒される人の唇に浮かぶ、微笑み。それを見つめる幸福感。それらはみな、会話のない夫との関係が発端となって生まれてきたのだ。

必要としているものを何も与えてくれない夫が、いちばん必要としていたものを与えてくれた?

人生はそんなパラドクスでいっぱいだ。理屈と計算で成り立っているわけじゃない。世界はもっとファジーでトリッキーな矛盾の中で回っている。

きっと何をおいてもまず、店の存続を最優先に考える。店を持つとはそういうことで、それは何をおいてもまず自分の仕事を考える、そんな夫の姿に似ているのかもしれない。

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そんな家庭環境の中、娘の倖は、自分の進路について、こう悩んでいたのです。

(小林弘利さんと錦織良成さんの描写より)

倖は大学のキャンパスを歩いているところだった。

学生課の掲示板に新しい新卒者募集の張り紙が、幾つか出されているらしい。どんな職種のものがあるのかチェックしておこう。友人とそう話していた。

学生は自分の進むべき道を決めるものだと思っていた。自分の進路を決めるために、学識を広め、深めているのだと。けれど、実際はそうではない。学生は進路を選べない。掲示板に貼り出された募集の紙が、君の進路はこれとこれだと告げるのだ。

「何かあった?」

掲示板を見上げながら友人に訊く。

「やっぱ食品かなあ。どんな不景気のときだって人は何かしら食べなきゃいけないんだもんね。こうゆう時代はやっぱり食品メーカーが無難なんじゃない?」

確かに。無難というなら食品は無難なのかもしれない。けれど倖は無難だというだけで、自分の将来を決めてしまうことにどうしても尻込みをしてしまう。食品が嫌だというのじゃない。どんな仕事、職種だろうと、そこにやりがいを見出せると思う。女子大生なのだから仕事選びはとりあえずの腰掛け気分でいい。どうせすぐに結婚するんだし。だから本当の狙いはどんな男を選ぶかだと、そう言う友人も多い。

それもまた確かに、とうなずかざるを得ない。そしてやはり、けれど、と倖は思ってしまう。未来は選んだ男次第だなんて、そんな消極的なギャンブル的発想でしか、私たちは未来を思い描くことができないのだろうか。

倖は掲示板を見つめる。たくさんの募集を見つめる。この中に自分の未来はあるのだろうか。本当に私という存在を賭けて挑戦する価値があるのだろうか。

名前の知られた大企業の募集の前に人だかりができている。

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この小林さんの小説は、監督の錦織良成さんの原案をもとに書かれたものです。映画をもとにノベライズされたものだそうなので、映画でないとあらわされにくい部分や、小説でないと描写できない部分があり、その長所どうしを重ねあわせると、映画を観て、小説を読むと(もちろん、逆もありなのですが・・・)、より、伝わってくるという気がしました。その中で、特に肇の会社での生き様、肇と由紀子の夫婦の関係というものに、依存的なあり様というものが見事に描写されていました。妻、由紀子自身も、依存的なあり様の夫婦の関係から、何かを生み出すという形で「ハーブトーク」というお店を出したというよりも、肇との関係から逃げ出す形での独立というものを求めていたと言えます。そんな家庭の中、娘・倖だけが、就職という人生の節目をむかえるにあたって、「当たり前」に感じられていた就職の形態というものに、疑問を感じていたのでした。

さて、物語は、絹代が行商の途中、「ばたでん」で倒れたことにより、肇の人生の切り替えポイントにさしかかっていくことになります。

(5)へつづく 2011.11.28

Bataden

 

一畑電車HP

 

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2011年11月4日 大阪府松原市立松原第六中学校 学年研修会

2011-11-03 21:18:46 | 研修会

レジメ(携帯用)

松原第六中学校の1年生の先生方、今日はごくろうさまでした。4時半から6時まで研修をして、その後、学年会議。ほんとうに、お疲れ様でした。

今日の研修は、前回の全体研修を引き継いだものですが、実際に人間関係づくりの授業を実施するにあたっての、前提になるものを提示させていただきました。ですから、少々理屈っぽかったかもしれません。

人間関係づくりの授業は「気づき」ベースであるということ、そしてそれを共有していくことで認知まで高めていくということ。その必要性を時代の変化の認識を通じて感じてもらえば、今日のねらいは達成です。しかし、何事にも、知識や頭が先立ってはいけません。自分自身のあり様を成長させていくための、自分ベースの成長が大事です。

今日は、「流れ星」という、すぐれたエクササイズを皆さんに提供いたしました。不十分なファシリテーションでしたので、見過ごしたり、もれ落ちたこともあるかもしれません。ブログにふりかえりをいただけましたら、次の25日の研修につなげていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

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