あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

「自己肯定感を高める三要素」(最終回)・・・その6「自己肯定感を高める授業」

2018-06-19 04:58:53 | コラム

「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5)   (6)

「自己肯定感を高める三要素」(最終回)・・・その6「自己肯定感を高める授業」

学校は人間の成長を保障する場ですので、自己肯定感を高めるためのツールを備えていなければならないのですが、残念ながら、それは個々の先生方や学校の努力に任されてきたと言えます。私自身も、50歳を超え人間関係プログラムに出会うまでは、その点においては右往左往していました。2001年に小中学校の不登校の子どもが13万9千人(現在までの最高値)に達したことを受けて始まった松原市立松原第七中学校・研究開発に関わるなかで、その答えがおぼろげながらも見えてきました。

 

研究開発が終了した2010年の段階では、まだその途上でしたので、私は2011年に退職し、教員研修ファシリテータ・授業コーディネータとして、オファーを下さった皆様とともに人間関係プログラムの完成をめざしました。幸いなことに、島根県松江市立第一中学校、高知県土佐清水市立清水中学校という学校としての実践の舞台をいただき、2016年3月「いじめ・不登校を予防する人間関係プログラム(学事出版)」をその集大成として世に出すことができました。

 

この両中学校の取り組みの動機は、学校の「大きな荒れ」でした。松江一中の奈良井孝教頭先生(現 松江市立湖北中学校長)、清水中の岡崎哲也校長先生のリーダーシップの下、両中学校の再構築を人間関係プログラムを中心に進めていただきました。その結果、三年間という一区切りを終え、両校ともに・・自分たちで考え、行動する・・自己を大切にし、他者を思いやれる・・いじめなどの仲間の問題を自ら解決する・・不登校などの課題をかかえた仲間を支援する・・将来への夢や希望を共有することができる・・という子どもたちに成長してきました。(松江一中の詳細は書籍に収録しています。清水中についてはHPにアップしています。http://www.aiainet-hrs.jp/download/shimizu.htm

 

学校や学級の目標としては、よく見かける親しみのあるフレーズですが、それを実現するとなると、並大抵のことではないと現場の先生であれば感じることでしょう。両校ともに、一時は大変な状態にあったわけですが、現在では松江一中では7年目、清水中では6年目と教員の入れ替わりなどの困難がありながらも、人間関係プログラムの実践を継続しておられます。では、なぜ、このような変化を遂げることができたのか、それは、人間関係プログラムの実践が、「自己肯定感を高める三要素」を強化していくことで、子どもも教員も自己肯定感が高まってきたからに他なりません。

 

「あいあいネットワークofHRS」の人間関係プログラムは、8時間×3年間=24時間の構成です。全国約300カ所での教員研修、保護者研修、子ども向け研修、市民講座に取り組んだことにより、小学校低学年から大人まで効用があることを私自身体感しています。自己肯定感を高めるための三要素にからめて説明しますと、

 

①毎時間、目標設定→エクササイズ→ふりかえり&シェアリング、という「認知→行動→評価のスパイラル」を促進するツールが組み込まれている、ということです。不登校をはじめとする難しさをかかえた子どもは、「悪い結果を予想して行動にうつせない」「行動をふりかえると、後悔ばかり残る」「自分が感じたことをつかめない」「感じたことを自己開示するのが怖い」「まわりがどう見ているか不安だ」「何もいいことがなかった」・・・というように、「認知→行動→評価」のプロセスがいたるところで寸断され、マイナスのスパイラルすら起こしているのです。つまり自己肯定感がどんどん下がっていきます。

 

そこで、一回一回の授業を通じて、小さな成功と小さな達成感を少しずつ積み上げていきます。減点方式で受けてきた体験が、加点方式で受ける肯定的な評価に少しずつ置き換えられていくのです。不登校などの難しさをかかえた子どもは、ほんの氷山の一角です。なにしろ多くの子どもたちが自信がなく疑心暗鬼になっている可能性があるのですから・・・。

 

②次にあげられるのは「大人がモデルとなるソーシャルスキルトレーニング」であるということです。子どもは子どもであるというだけで、困難をかかえ依存的です。つまり自己肯定感が高いはずがありません。自信もないですし、人の話もちゃんと聴けませんし、自己中心的ですし攻撃的です。だからこそ、大人がモデルとなって模範を示すわけですが・・・このような依存的な大人は多くないですか? 学校の先生のなかにだって、そんな方は結構います。ここにSST(ソーシャルスキルトレーニング)を実施する意味があるわけです。

 

大人がまず、授業をするということを通じてソーシャルスキルを確認します、そして身につけようと努力をするのです。自己開示の授業(トーキング系の授業)を通じて、「聴くスキル」を身につけます。すると、自己開示の心地よさに気づき、相手を思う「共感性のスキル」にまで発展します。まず、大人が体感し子どもに伝える(やってもらう)ということです。「ストレスに対処」し、「感情をコントロール」することができれば、相手を思う「アサーティブネス」(アサーショントレーニング-SSTの最高形態)にまで高まることができます。

 

これらは、主にロールプレイングを通じて内実化していきます。すると、人間関係において「折り合いをつける」ことができるようになり、相乗効果を生み出します。さらに、人間関係プログラムは「特活・道徳・総合」という教育課程との相乗効果まで生み出してしまうのです。これで学校がよくならないはずがありません。良い学校においては、当然のことながら子どもたちの自己肯定感は高まっていきます。もちろん先生もですが・・・。

 

③自己肯定感を下げてしまう「マイナスの連鎖」を断ち切るために、わたしたちは固定観念を捨て、新しいものにチャレンジしていかねばなりません。しかしながら、中学校には「三年前症候群」みたいなものがはびこっています。学年づくりをするたびに「三年前はどうやった?」「三年前は違うかったぞ!」というような感じです。それを3サイクル実行すれば、約10年間は、変わらない教育をしていることになります。経験則は確かに大事なのですが、今の時代、10年前、20年前というと、かつての社会や常識が一変してしまっています。

 

ここにきて、文部科学省が「主体的・対話的で深い学び」やら「アクティブラーニング」を打ち出してきているのは、従来のやり方では、学校教育が悲鳴をあげ続けることを認識したに他なりません。人間関係プログラムは、ファシリテーション&ワークショップの授業です。認知に裏付けられた行動を評価し、それをシェアすることで、新たな気づきを生み出していきます。

 

従来の教育の枠組みでは「正解を教えない授業」ととらえがちなのですが、実はそうではなく「正解が多様」であるということなのです。「正解が無い授業」または「すべてが正解の授業」と言い換えてもいいかもしれません。つまり、多様な自己を認めることで、他者の多様を受け容れようとするものです。これが自己肯定感をもっとも高める要素です。

 

教科授業においてもそれが実践される時代へと変化していくのですね。学力観も刻々と変化しています。

 

 

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「自己肯定感を高める三要素」・・・その5「③マイナスの連鎖からプラスの連鎖へ」 その2

2018-06-13 19:12:34 | コラム

 

「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5)   (6)

「自己肯定感を高める三要素」・・・その5
   「③マイナスの連鎖からプラスの連鎖へ」・・支援のレベル(2)
人間の成長というものは、「内面」と「現れ」という切り口で捉えていけば、意外と単純に理解できます。「内面」とは心の成長状態のことであり、「現れ」とは行動や外見などの見た目ということです。人間の成長段階によってそれぞれの年代にふさわしい「内面」と「現れ」というものがあります。幼児には幼児にふさわしい「内面」と「現れ」が、中学生は中学生にふさわしい「内面」と「現れ」、社会人は社会人にふさわしい「内面」と「現れ」ということです。(ただし、「ふさわしい」という言葉の内容は、時代や文化によって変化したり、異なったりします。)

 

本来なら、個々人の「内面」と「現れ」が手に手をとりあって、ともに成長していくことが理想的です。しかしながら、二者間の人間関係において、親子関係や仕事上の上司と部下、学校の先生と子どもというように、力の差や立場の差が存在する場合、その上下関係を利用して相手を「意のままに服従させたい」と願う感情があれば、心への進入や、存在の否定という...攻撃となってじわじわと実行されていきます。

 

この進入や攻撃というものは、見るからに悪意があるものに見えないことに問題の理解への難しさがあります。「愛情」や「情熱」や「指導」という衣をまとっているケースが多いのです。人間は心への進入や攻撃を長期間受けると、「内面」と「現れ」の間に大きな乖離が生じてしまいます。つまり、自分の「内面」を置き去りにして、相手の要望にそった「現れ」をつくりだしてしまいます。自分のことは二の次にしてまでも相手の意に沿うことが第一義となってしまうのです。無意識のマインドコントロールと言ってもいいでしょう。

 

この状態を長期間続けてしまうと、「現れ」は中学生や大人であっても、「内面」は幼児である、というケースが起こってしまいます。この乖離は、様々な出来事や環境の変化などが引き金になって、「現れ」が「内面」のところまで落ち込んでしまうことがあります。これが子どもであれば「不登校」であり、大人であれば「ひきこもり」というものです。

 

心が幼児ですから、家の外へ出ることすらできません。幼児言葉をつかったり、だだをこねたりしてしまいます。さらに、長期間、自分のしたいことを我慢したり、相手に合わせようとしてきた結果、「何もしたいことがない」「何のために学校へ行くかわからない」「生きている意味はない」などと感じてしまう状態へ追いやられていくのです。決して、親だから安心、学校の先生だから安心、という単純なことではないのです。子どもに乖離が起きている場合のほとんどのケースでは、子どもを育んでいくはずの、肝心の親や先生が「内面」と「現れ」に乖離を起こしているケースがほとんどなのです。

 

子どもは子どもであるということだけで困難をかかえているわけですから、受けるダメージは相当なものになります。これがマイナスの連鎖であり、私はこの関係性を「否定のモデル」と呼んでいます。一方、二者間が「信頼」と「安心」で繫がっている場合、私は「肯定のモデル」と呼んでいます。それはモデルになるほうの方が、自己肯定感が高いというケースです。その方は自己対話やイメージングをしっかりと実践しておられる方ですから、どのような刺激や出来事に対しても心のスペースをしっかりと確保し、相手を受け容れ、フィードバックを返していきます。

 

要は、「指導」ではなく「支援」ということになるのですが、一般的には、「支援」や「受け容れる」というと何かしら「甘いもの」「ルーズなもの」と感じる方がおられるようです。それは、全くの誤解ですし、「支援」を体験したことがないがゆえの偏見だと断言できます。否定のモデルのなかで育った方は、「攻撃する」ことを「励まし」と感じ、「追い詰める」ことを「厳しさ」だと勘違いしています。

 

このような方が発するメッセージはおおかた「あなたメッセージ」になっています。「あなたメッセージ」というのは、主語が「あなた」で始まるメッセージです。「あなたが悪い。あなたのせいでこうなった。」「(あなたが)うるさい。」等々、否定の要素が満載です。肯定のモデルにいる自己肯定感の高い方は、「(わたしは)あなたに問題点を感じます。(わたしは)あなたに何か課題があるように思うのですが・・・」「(わたしは)あなたの声に少しイライラしてしまってます。静かにしてもらうことは可能ですか?」という「わたし」を主語にした「わたしメッセージ」を使い、基本的には肯定的で丁寧なメッセージを発しているのです。

 

それがよく現れているのがフィードバックの内容です。相手方の話をよくよく訊いて聴いた結果、「あなたの今の姿は、すごく否定的ですね。ひょっとすると、何かトラウマや妄想に捕らわれているのではないですか?!」と単刀直入に返します。すると「その通りです。」と相手から返ってきます。少し違っていれば、「というか~ですね。」と返しの返しがある場合もあります。厳しさという点で言えば、こき下ろしたり、罵倒したりする以上の厳しさです。相手を受け容れた上で否定的に返していませんので、相手も受け容れてくれるのです。フィートバック自体は、このように厳しいものになるのですが、お互い受け容れ合う関係性があれば、まったく大丈夫なのです。

 

支援される側の方が乖離を起こしている場合、このようなコミュニケーションを地道に続けていると、自己対話が続けられることで、「内面」が徐々に引き上げられ、徐々にですが乖離を克服していきます。子どもの頃から、自己対話がしっかりとできる自己肯定感の高い子がいます。そんな子どもは、実は、このような肯定のモデルのなかで、守られ育まれた子どもなのです。 

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「自己肯定感を高める三要素」・・・その4「③マイナスの連鎖からプラスの連鎖へ」

2018-06-12 04:20:31 | コラム

 

 

「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5)   (6)

 

「自己肯定感を高める三要素」・・・その4
   「③マイナスの連鎖からプラスの連鎖へ」・・支援のレベル(1)
不登校の子どもを支援する場合、子どもへの支援を重視することは当然のことなのですが、保護者への支援がなかなか進んでいない現状があることは否定できません。私は中学校の現場にいたとき、「不登校等支援会議」という校内の不登校の子どもへの支援組織の座長を4年間努めました。そこで、多くの事例と接することになるのですが、子どもが難しさを抱えている場合、ほとんどのケースで保護者も難しさを抱えていることに気づかされました。

 

まさに、難しさの連鎖(マイナスの連鎖)です。7年前に今の仕事(教員・保護者研修、授業コーディネーションなど)を始めて以来約300か所で研修をこなしてきたのですが、自然な流れとして、先生や保護者への相談活動に入るケースも多くあります。そのなかに、不登校の子どもをもつ保護者さんからの相談もありました。継続した相談活動に入った場合、「エンカレッジ」と「リフレーミング」という一種のSST(ソーシャルスキルトレーニング=認知行動療法)を活用しています。

 

「エンカレッジ」は、励ます・勇気づけるという意味ですが、簡単に言うと「ほめる」ということです。相談相手が出来ていることに目を向け、そこを評価してほめます。話を聴いたり、SNSのメッセージを読んだ返し(フィードバック)のなかに、「すごいですね。」「それいいですね。」というものが必ず入ってきます。出来ていることをさらに伸ばす、つまり加点方式なのです。

 

加点方式の逆は減点方式です。減点方式は出来ていないことに目を向け、出来るように促します。減点方式は「指導」としてあたりまえのように感じておられる方も多いと思うのですが、減点方式は人間のやる気や自己意識を奪います。減点方式で、どめどないゴールを設定された子どもは、やってもやっても達成感や成功体験を感じることができません。OKを出してもらえないので当然のことと言えるでしょう。不登校の子どもをもつ保護者さんは、そんな減点方式で育った方がほとんどなのです。なので、保護者さんに加点方式を体験してもらって、その心地よさや安心感を感じることで、加点方式を身につけてほしいのです。体験から行動へ! やってもらったことをやってあげる、ということでしょうか。

 

加点方式は、自己対話を促進し、積み重ねるたびに自信が生まれてきます。つまり自己肯定感が高まってくるということです。逆に、減点方式では、意識の底に「意のままに動かしたい」「操作や支配をしたい」というものがありますので、基本的には攻撃的なメッセージになります。一方、加点方式は両者に信頼や安心を生み出しますので、寄り添うということが自然とできるようになってきます。出来ていることに目を向け、プラスのフィードバックを返す、これだけでいいのです。ただし、減点方式を変えずにほめたりしたとしても、それは、非常に浮いた印象、おべんちゃらのようなものを語ってる印象になります。つまり「こころからほめていない」のです。

 

「リフレーミング」は、まず、毎日日記を書いてもらいます。つまりふりかえりの言語化をすることになります。あったことと感じたこと、これだけでいいのです。思い出してまで書く必要はありません。書きたいだけ書いてもらいます。書き終わったら、ひと呼吸おいて、一度読み返してもらいます。すると、難しさを抱えている方は、感情や行動に関してネガティブなことがてんこ盛りになってますから、そこにチェックを入れて、ポジティブな表現に書き換えてもらいます。

 

出来ない場合は、放置してかまいません。出来るものだけ変えていけばいいのです。そして、私がポジティブに書き換えてあげることもしません。自分自身で書くことが大切なのです。私は訊いて聴くだけです。これを地道に続けていくと、だいたい三か月で決着が着きます。保護者の方のなかに自己対話する習慣がつき、いちいち言語化しなくても頭のなかでイメージングできるようになるからです。

 

現在、支援をしている方は、重篤な不登校の子どもさんを抱えている方ですが、二か月で日記を終了できました。支援当初、メッセージや日記の中には不安や恐怖や攻撃性がふんだんに入っていましたが、徐々にそれが姿を消し、文章自体がポジティブなものになっていきました。子どもさんの状況も、みるみるうちに改善していきました。

 

わたしは、いつも保護者さんに言っていることは、「子どもさんが不登校になってくれてよかったね。」です。義務教育9年間のうちになってくれれば、学校の先生が支援してくれますし、関係諸機関とつながることも容易です。しかしながら、義務教育終了後、社会人になって不登校(ひきこもり)に突入してしまいますと、支援は容易なものではありません。様々な不幸な事象と結びついてしまうこともめずらしくないです。

 

「子育てをやり直すだけすから・・・」「大丈夫ですよ。」つまり、「支援者→保護者→子ども」というルートを、マイナスの連鎖からプラスの連鎖に置き換えていくことが重要なことなのです。支援者はそういうことができる人をめざしてほしいです。つまり、自己肯定感が高い人・・をめざしていただきたいといつも思ってます。

 

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「自己肯定感を高める三要素」・・・その3「②相乗効果を得る」

2018-06-09 04:47:41 | コラム

 

「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5)   (6)

「自己肯定感を高める三要素」・・・その3
   「②相乗効果を得る」・・スキルのレベル
人間の活動の喜びとしてあげられるもののひとつに、他者との協働があります。他者との協働で得られるもっとも大きなものが相乗効果です。相乗効果は、独りで成しえる仕事の何倍もの成果を生み出し、そこから生まれる成果や他者との信頼関係が、より自己肯定感を高めていきます。プロジェクトの中で自分がなくてはならない存在であることを実感できるからです。

 

WHOやOECD、そして様々なグループアプローチ(構成的グループエンカウンターなど)は、多様な成長のためのスキルを提唱しています。その中で、私が相乗効果のための根幹スキルをあげるとすれば、迷いなく「自己管理」と「思いやり」を挙げます。「自己管理」は、ストレスマネジメントを基礎にして感情対処や時間管理などのスキルに発展していきます。

 

ワークショップのなかで、私は「100マス計算」を使い参加者の方にストレスをかけるのですが、100マス計算という刺激に対し、「(計算するのが)いやだ」という感情を持たれた方は、「悪い結果がでたら、恥ずかしいな...!?」「計算は自信ないから、ここから逃げ出したい!」というような妄想に支配され、最悪のケースを想像します。

 

一方、「いやだ」と感じた方でも、計算をするという事実を受け止め、一旦「心のスペース」を確保できた場合は、「自信はないけど、自分がどれだけできるかやってみようかな!?」という前向きな姿勢に変換することができます。これが「リフレーミング」です。つまり、後ろ向きの姿勢だったものを前向きな姿勢に変えることができたわけです。

 

このリフレーミングは、「認知→行動→評価のスパイラル」を促進させ、評価から認知にいたるまでの、自己対話・シェアリング・イメージングへの道を開きます。「思いやり」は、「相手のことを思う」ということですが、これは「共感性」と呼ばれ、共感性が低い・高いというものは自己肯定感が低い・高いというレベルにほぼリンクしています。

 

つまり、自己肯定感が低い場合は共感性が低い(他者の気持ちを想像できない)、自己肯定感が高い場合は共感性が高い(他者の気持ちを想像できる)ということになります。さらに、共感性の向上に欠かせないものは自己開示です。自己開示は他者の自己開示を引き出します。自己防御している不安や恐怖から抜け出せるツールになります。自己と他者との相互の自己開示は信頼と安心を生み出します。

 

しかし、共感性というものは常に不十分なものですから、相手のことが理解できずに感情的な対応をして、攻撃的になってしまうことがあります。そこで「心のスペース」を確保することが大切なのです。そこで「くりかえす(相手の言葉をそのまま返す)」という技法などを使います。A「宿題やってない、見せて!」、B「そうか、宿題やってないのか、それで見せてほしいんだね。」と心のスペースを作りだせば、「なぜ?」という余裕ができます。そこで「訊いて、聴く」というスキルが生かされるのです。

 

「訊いて、聴く」ことにより「あ~、そうなんだ」という他者理解につながり、自己の主張をするという段階に移ることができます。このようにして積み上げられたコミュニケーションは、アサーティブネスと呼ばれています。時間は非常にかかるのですが、最終的には他者との折り合いをつけることが可能になります。共感性や自己開示のない自己と他者との関係性は、二者の共通する少しの部分しか成果が上がりません。それに比べて、共感性と自己開示にあふれた関係性は、二者の共通する部分はもちろん、二者がもつ能力すべてを引き出します。

 

そしてさらに、不安や恐怖は人を遠ざけますが、信頼と安心は人を呼びよせます。つまり、二者に呼びよせられた人々の力までも合体させてしまう力をもっているのです。これでプロジェクトがうまくいかないわけがありません。相乗効果は成功体験や達成感をさらに向上させるのです。

 

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「自己肯定感を高める三要素」・・・その2 「①成功体験と達成感を得る」

2018-06-05 05:38:24 | コラム

 

「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5)   (6)

「自己肯定感を高める三要素」・・・その2
   「①成功体験と達成感を得る」・・認知・行動のレベル

自己肯定感は、自己の成功体験や達成感などによる効力感の向上が大きく影響しています。自分の行動による結果が、自己が満足するものであり、他者からの良好なフィードバックを得ることができるものになれば、自分自身の存在を実感することができます。行動による結果は、成功も失敗もあるわけですが、結果を謙虚に受け容れ次への行動へ生かすことにより、成功体験や達成感を得ることができます。そのための行動モデルが「認知→行動→評価のスパイラル」です。

 

「認知」とは自分が何ものであり、どんな状態かを認識したり、将来を想像する力です。つまり、自分ができていることと、できていないことを認識すれば、その差を埋めるための目標を立て、「行動」に移すことができます。「認知」のもとに行われた「行動」は、必ず何らかの結果や反応を生み出します。それを感じとる力が「評価」です。そして「評価」は次の「認知」へとつながります。簡単に言うと「自分の行動をふりかえり、まわりの意見を聴いて、次の行動に生かす...」という人間としては自然のプロセスなのですが・・・なかなかこれが実践できないところに、自己肯定感の低さに悩む実態があるわけです。

 

(1)「いろいろ悩んで行動に移せない」ケース・・これは残念ながら認知の部分が妄想に支配されている状態です。「認知」から「行動」へ移るプロセスの断絶です。成功体験や達成感の乏しさからくる不安や恐怖、プレッシャーにより、好ましい結果というものが想像できません。

(2)「行動による結果をふりかえらない」ケース・・つまり、やりっぱなし状態。成功しても失敗してもなにも次につながりません。「評価」の部分まで到達できていないがために、同じ失敗を何度も繰り返しますし、成功も本来の成功でなくなっていきます〔マンネリ化〕。

(3)「自分の成果を公開しない」ケース・・向上があまり見込めない結果になります。「行動」から「評価」までたどり着いたことはいいのですが、自己開示をつうじて他者からのフィードバックを得ない場合は、自分の殻に閉じこもる、人の意見に耳を傾けない、頑なに固執している状態です。せっかくの「自己評価」を、レベルアップして「認知」にまでつなげることがかなり難しくなります。受け容れたくないフィードバックへの恐怖のようなものがあるのでしょうか。

 

「認知」でもっとも重要なこと、それはイメージング(瞑想)を実践するということです。シミュレーションと言い換えてもいいのですが、「頭の中でものごとの展開を描いてみる」ということになります。パフォーマンスの場合は、スタートからゴールまで。会話の場合は、自己と他者の会話内容。文章作成の場合は、全体構想や章立てなど。等々、イメージングの内容は多様です。つまり、この時点から自らが望む展開や結果を想像してから「行動」へ移します。イメージングという自己対話がこの時点から始まっているということです。すべての「行動」に対して行う必要はないのですが、未体験なことや苦手なこと、重要なことなどへの備えとして意識的にイメージングするという習慣をもつことが大切です。

 

「行動」から「評価」に移るのですが、「行動」が及ぼす結果として必ずなんらかの反応があります。もし仮に何の反応が起こらなかったとしても、その「起こらなかった」ということが反応になります。そしてその反応を感じながら、二度目の自己対話に入ります。これがふりかえりです。慣れていればイメージングのように頭の中だけでふりかえればいいのですが、習慣づけたい場合にはこれを言語化します。不思議なもので、言語化するとさらに気づきが生まれてきます。ふりかえり自体が気づきではあるのですが、さらにそれが広がり深まるのです。

 

スタート時点の「認知」から、さらに高い「認知」へと到達するには、言語化した気づきを他者とシェアリングします。これが自己開示です。他者とともに取り組んでいる場合は、非常に意味深いシェアリングになるでしょう。独りで取り組んでいる場合は、他者に聴いてもらう機会をあえてつくりましょう。すると、他者からは何らかの反応が返ってきます。それがフィードバックです。お互いの関係性や他者の資質により、良好なフィードバックが返ってくることもあれば、不快に感じるフィードバックが返ってくることもあるのですが、それらをひっくるめてフィードバックなのです。フィードバックは、自己を映す鏡です。すべてのフィードバックを真摯に受け止めることで、必ずスタート時点より高い「認知」へと到達します。

 

これをくりかえし、習慣化することで成功体験や達成感につながっていきます。そして、成功体験や達成感を積み重ねることで自己肯定感は自然と高まっていくのです。すごくあたりまえのことを書き連ねました。OECDの調査で中学校教員の5人のうち4人が「自信がない」という驚くべき結果が出て何年もたっているのですが、現場の先生方ご自身が自信を持てるような取り組みを進めていただきたいです。

 

大人は子どもの「モデル」ですから・・・

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「自己肯定感を高める三要素」・・・その1 「自己肯定感とは」

2018-06-04 07:05:22 | コラム

 

「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5)   (6)

「自己肯定感を高める三要素」・・・その1 「自己肯定感とは」

新指導要領に「主体的・対話的で~」という文言が加えられ、指導要領全体を規定する基本概念とされました。しかしながら現場の先生は、「主体的」という言葉に身近に接しながらも、なかなかそのイメージングが難しいようです。そこで、よりなじみが深いと思われる「自己肯定感が高い状態」(主体的とほぼ同義)ということを考察し、理解を深めていきたいと思います。

 

自己肯定感は、その言葉どおり自己は「マル」です。つまり「自分は自分のままでいい」「良いところも悪いところもある自分はOK」ということです。つまり多様な自己を受け容れている姿になります。不思議なことですが、自己の全てを受け容れると、人間というものは謙虚に真摯になれるものです。次への一歩を踏み出す力がわいてきます。すると、他者を評価するとき、他者の多様性をも比較的容易に受け容れることができるのですね。受け容れることを困難に感じたときでも、自己の感情と折り合いをつけ、相手を理解しようと務めることで、最終的には「マル」になっていきます。

 

OKかOKでないかを「マ...ル」「バツ」で表すと、一般的には上図のように4通りに分類されます。自己が「マル」で他者が「バツ」。これは「自己中心的」であると言えます。自分が良ければいい、という姿です。すると、わいてくるのは自己の「マル」というものは「本当のマル」なのか? という疑問です。「いじめをする人は自己肯定感が高い(???)」というような考えを持つ方がおられるのですが、実はそのとらえ方はいじめの本質に迫ることができない表面的な見方になります。いじめの根本は投影や反動形成と言われる人間の防衛本能(心理学で言う防衛規制)です。自分が認めることが出来ない自己を他者に見いだし、攻撃する・・という行為です。つまり、自己の「マル」は限りなく「バツ」なのです。ただ、表面上は「マル」を装っているだけなのですね。

 

また、自己が「バツ」他者が「マル」という場合は、自己犠牲の一種になります。自己が「マル」であれば、主体的自己犠牲といえるものなのですが、自己が「バツ」である場合の自己犠牲は、同じような行動を他者に押しつけたりします。たとえば、職場依存になっている方が、他者に対して表面上は感謝を表していても、こころの奥底では「死ぬまで働け!」と思っているような状態です。

 

自己が「バツ」他者が「バツ」の場合は、きわめて厳しい状態であると言えます。人間は何かしらの「マル」を装い自己防衛しようとするものですが、それすらもできない危険な状態です。すぐにでも支援が必要な状態にあるはずです。

 

以上のことから、自己肯定感の対極には自己否定があり、自己において自己肯定感を「マル」とすれば、対極には自己を否定する「バツ」しかないということになるのです。「バツ」から「マル」に成長していくためには、「バツ」から「マル」に至る矢印上に自分自身の位置をピン留めし、自分自身の状態を受け容れることから始まるのです。自己を受け容れ、認めることで成長への扉が開かれます。

 

(次回からは数回にわたり、自己肯定感を自ら高めるための手法を展開していきたいと思っています。)

 

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不登校の子どもへの支援とは・・・

2017-01-13 20:40:20 | コラム

Aのこと

 Aは、中学校二年生の6月ごろ20日間ほど学校を休み、二学期になって登校はするものの別室ですごしていた女の子です。話を聴くと、彼女の生活には「依存の連鎖」がはっきりと見え、本人もまわりへの攻撃や妄言を繰り返すうちに、力を失っていきました。9月から別室での生活は始まったのですが、まわりと顔を合わすことができなかったので、早朝7:30には登校していました。わたしと養護教諭の先生ふたりで、彼女をむかえ1時間ほど空間を共有しました。話題は世間話です。家庭のことや学校のことや、ささいなことが話題になるのですが、「~したほうがいい」というフィードバックは一切なしです。


 そうしてるうちに、1時間、2時間と授業に入るようになりました。1歩前進、2歩後退、2歩前進、1歩後退、1歩前進、結果、1歩前進。というような感じです。思うようには進みません。しかし、それを出さないように、出さないようにと自分たちに言いきかせながら・・・。そして、6ヶ月後、バレンタインデーの日に完全に学級に戻りました。別室に残されたわたしと養護教諭の先生は、彼女が学級に帰ったあと、こころがからっぽになったようになり、すごい寂しさを感じました。半年つづいた、朝の団欒がわたしたちの中で大きなものへとなっていたようです。このわたしたちの寂しさを、彼女は自分自身の力として持って行ってくれたのでしょう。

 

わたしのこと

 わたしは、2011年3月に32年間の中学校での教員生活を、大阪府松原市立松原第七中学校を最後に終えました。松原第七中学校は、2001年の調査で不登校が約13万9千人となったことを受け、「不登校生支援と、いじめ・不登校の未然防止のための人間関係学科(人間関係プログラム)の設立」を課題として文部科学省研究開発学校になりました。2003年から2010年までの8年間、二度の指定を連続して受けたのです。2007年から4年間、研究開発学校の研究主任として、校区の幼稚園・小学校と連携して幼小中11年間の人間関係プログラムの完成と、不登校の子どもたちへの支援をとりまとめる仕事を担いました。2003年、6%を超えていた松原第七中学校の不登校率は、2009年には2%にまで下がりました。2003年当時の不登校の子どもたちへの支援は「支援」という概念すらなく、わたしも含めて右往左往する教員がほとんどだったのです。そのことを思えば隔世の感があります。


 わたしは55歳で退職後、「あいあいネットワークofHRS」を立ち上げ、学校、教育委員会等が主催する教員研修や市民講座、授業コーディネーションに取り組んでいます。現職のころから7年間で、のべ約300カ所、5千人以上の方々とともにファシリテーション研修を経験してきました。

 

支援はスピード感が第一

 松原第七中学校での不登校の子どもたちへの支援は、一週間に1回、時間割内に組み込んだ「不登校生等支援会議」が取り仕切っていました。わたしは2008年から5年間、会議の座長を務めました。構成メンバーは、管理職、教務、生徒指導などの主要ポストの教員、学年代表(主任)、養護教諭、スクールカウンセラーと座長のわたしです。担任からあがってきた不登校の子どもたちに関する情報を学年代表がとりまとめ、会議で報告があります。一週間の情報を集約し、次の週の方向性や方針を出します。担任が一人で悩むのではなく、支援に必要な人員をそろえ、支援チーム(学年教員)として子どもに関わるのです。支援はスピード感が第一だと言えます。必要とあれば、生徒指導担当・管理職が入ってケース会議を持つこともあります。


 ケース会議に関係諸機関の援助が必要と判断をすれば、管理職を通じて教育委員会、子ども家庭センター(児童相談所)と連絡をとります。そういうことを即決できるために、学校の主要メンバーで構成していたのです。不登校の子どもたちへの支援は、「待つ」ということが非常に大切なことなのですが、「待つ」ということは、じっとして何もしないのではなく、ちゃんと見守っている中で「待つ」のです。緊急事態の場合、関係諸機関とのケース会議のお膳立てもします。内容を精査し、要求と課題を明確にして教育委員会へもっていきます。児童相談所や教育委員会が多くの事案をかかえて多忙を極めているこの時代、学校が主導権を握り、関係諸機関との連携をつくっていく必要性を特に感じるのです。

 

不登校生支援の源は・・・

 文部科学省研究開発学校の研究主任という重責を与えられたわたしですが、松原第七中学校の先生方には、ほんとうに助けていただいた感があります。不登校生への支援について言えば、先生方が子どもや保護者に関わる驚くべき多くの情報をお持ちだったということです。支援会議の時間は50分なのですが、その多くの時間は、報告の時間になります。一週間に1回の会議なので、学校の営業日は5日しかないのですが、担任や関わる教員を通じて得た情報を学年代表の先生が、ことこまかく報告をしてくれるのです。もちろん家庭事情も含めて、友人関係に至るまで、ひとりの不登校の子どもに関して、得ることができる可能な情報を複数の人たちから聴き取っていました。このような情報収集力こそが、関係諸機関をも動かす力になっていたのです。「よくぞここまで知っているなぁ!」と感動すら覚えるような情報収集力の源は、実は人間関係プログラムの授業に取り組んできたというところにありました。

 その源のひとつめは、人間関係プログラムは、ファシリテーション・ワークショップ型の授業であるということです。最近、アクティブラーニングという概念が確立し、ファシリテーション・ワークショップの効用が謳われていますが、2003年頃から全国各地で部分的に取り組まれてきたガイダンス・カリキュラムが提起してきた授業手法なのです。長くガイダンス・カリキュラムに取り組んできた人たちにとっては「やっと来たか!」という感が強いのではないでしょうか。

 ファシリテーション・ワークショップ型の授業には、必ず①インストラクション(ねらいの共有)、②エクササイズ(アクティビティ)、③ふりかえり&シェアリングというものが組み込まれています。「目的を立てて行動し、その行動をふりかえり、まわりの意見を聴いて、次の行動に生かす。」という人間の成長にとってあたりまえの事として必要なものが毎時間組み込まれているのです。しかし、残念なことにこれまでの教育課程の中では、あたりまえではありませんでした。

 ふたつ目の源は、その授業内容にあります。おおまかに分類すると①エンカウンター(自己と他者とのこころの出会い、ふれあい)、②ストレスマネジメント、③アサーションです。わたしは、人間の成長の基礎になる力は、自己管理力と共感性だと思っています。この二つの力を欠いて、いくら知識やスキルを積んでも砂上の楼閣なのです。エンカウンターで共感性を養い、ストレスマネジメントで自己管理力を鍛えます。そして、「相手の気持ちを想像しながら主張する」というアサーションへと向かっていくのです。

 つまり、人間関係プログラムを扱う学校の教員は、読んだり、聞いたり、見たり、体験する以上に「教える(ファシリテートする)」ことにより、子どもたちとともに大人の成長を成し遂げると言えます。まさに、現職当時のことをふりかえると、松原第七中学校は別世界でした。アサーションによって生み出される相乗効果が成果を生み出し、居心地の良い職場が形成されました。「訊いて聴く」という相談力がいかんなく発揮され、子どもたちに関わる情報が山のように積み上がっていくのです。わたしが座長を務めた5年間「モンスター」と呼ばれる保護者はひとりもいませんでした。「モンスター」などと呼ばれる人は、実は、学校がつくりだしているのです。

 

成長のプロセス

 人間は、生まれてきたときには他者の力をもらわないといけない「依存的」な存在です。そして、大人からの愛情や他者からの支援を受けながら自立・自律できる「主体的」な人間へと育っていきます。これが、人間としての成長のプロセスなのです。主体的な人は、自分の行動による結果を、決して人や環境のせいにすることはありません。そして、自己を開示するともに、他者の話を最後まで聴くことができます。①否定したり、②遮ったり、③無視したり、④話題をすり替えたりすることはないのです。子どもは子どもであるということだけで、依存的です。子どもだけで生きてはいけないという事実をもってしても明らかです。不登校の子どもの多くは、子どもというだけで困難を抱えている上に、DVや虐待やモラハラによってこころへの侵入を受けています。つまり、こころの成長が止まっているのです。ですから、自己中心的な行動を連発してしまうことで、人間関係に難しさをかかえてしまいます。また、そんな自己中心的なこころを自己否定して「あるべき姿」を強いられた子どもは、ちょっとした引き金で赤ちゃん返りをしてしまうのです。

 支援会議で不登校の子どもが「自分勝手だ」という愚痴をよく聴きました。その時、わたしは「不登校の子どもが自分勝手なのはあたりまえじゃないですか? 自分勝手じゃない子どもは不登校にはならないですよ。」とフィードバックを返すのです。今ある姿をそのまま「受け容れる」。大事なことですね。

2016.6 「月刊生徒指導」に寄稿

                          あいあいネットワークofHRS(http://www.aiainet-hrs.jp)深美隆司

【参考文献】
*松原第七中学校について
  『子どもが先生が地域とともに元気になる人間関係学科の実践』   森田洋司監修  共同執筆
         2013年 図書文化社

*いじめ・不登校のメカニズム、人間関係プログラムの理論について
 『子どもと先生がともに育つ人間力向上の授業』    深美隆司著        序文 伊藤美奈子
                         2013年 図書文化社

*人間関係プログラム支援プラン集
 『いじめ・不登校を防止する人間関係プログラム―アクティブラーニングで学校が劇的に変わる!』

                         深美隆司、松江市立第一中学校「こころ♡ほっとタイム」研究会 編著                 

                         2016年 学事出版

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いじめ・不登校のメカニズム その4 いじめ・不登校の根っこ

2014-04-04 19:05:47 | コラム

いじめ・不登校のメカニズム その3よりつづく
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587

(共感性という力)
これまで、いじめの捉え方や、不登校の見立てのことについて書いてきましたが、これから本質的な部分に入っていきたいと思います。
前の記事のまとめにも書きましたけど、今の社会は良い意味でも悪い意味でも人間の振れ幅というものが以前に比べて大きく振れている時代です。ですから、現象面だけを見ますと、多種多様の人間がいるように見えて、ひとりの人間を理解するのに大変苦労をします。そして、人の見え方というものは、それを見ている本人の力によって変わってきます。実は自分の力量「以上」の人間の姿、また自分の力量「以下」の人間の姿を理解できないということが基本です。なのに、どうして人間同士がうまく関わって理解しあえるか・・というと、その力の差を埋めるものが人間の「共感性」という力なのですね。何かを想像するという力は、人間にしかできない固有の力です。人間は自分の体験や経験から自分自身のこころの枠組みをつくりあげますが、そこに人と関わることや自分からいろんなツールを使って他人の枠組みというものを取り入れていくことで、「共感性」という力を培っているのです。これが多様性を理解することと言えます。
そこで、人間を見る時に、振れ幅を縦軸に、横軸を共感性(多様性の理解)というふうに見てみましょう。そうすれば、多種多様な人間の姿が、少し理解できるようになります。

(主体的に対する言葉は?)
さて、「人間の成長の振れ幅」とは何なのか、ということなのですけど、わたしは、そこに「主体的」という概念をあてはめます。主体的な度合いが低い、高いという振れ幅で考えてもいいのですが、反する概念を対極においた方が理解しやすいので、「主体的」という言葉の反対概念を対極においてみましょう。さて、「主体的」という言葉の対極にくる言葉は?
先生方への研修で、こうお聴きした時に、なかなかその言葉が出てこないのです。よく出てくる言葉は「客体的」なのですが、人間の成長に即したことなので、「主体的な人間に育てたい。」という文章は意味的にOKなのですが、「客体的な人間に育てたい。」という表現は意味的にNGなのですね。するとどういう言葉か・・というと・・・
「依存的」という言葉なのですね。心理をやっている人たちはすぐに出てくる概念なのですが、それ以外ではなかなか出てこない。「依存的な人間に育てたい。」事の善し悪しは別として、意味的にはOKです。
つまり、「人間の成長の振れ幅」というものを「依存的」→「主体的」と見ます。「人間の成長の振れ幅が拡がっている」とは「依存的なあり様から主体的なあり様への幅が、かつての時代に比べると、大きく拡がっている」ということなのです。この見方を会得すれば世界観が変わります。多種多様な人間のあり様というものへの理解が、驚くほど進んでいくのです。

(依存的をイメージすると)
前回、人間のあり様というものを「依存的」→「主体的」という言葉で提起しました。実は、この反対概念は人間の成長のプロセスにあてはまるということを理解していただきたいのです。人間、生まれたときは「完全依存」の状態です。大人の助けを得なければ生きることができません。大人やまわりからの愛情と適切なフィードバック、そして教育を受けることで、徐々にこころとからだが成長していくのです。少なくとも、義務教育終了後には、自立した、かつ自律できる主体的な人間に成長していることが望まれます。
そこで、「依存的」からイメージできるあり様をいくつかあげてもらいたいのです。  いくつ出てきました?
研修で先生方にお尋ねすると、「受身的」「一人では何も出来ない」「甘えん坊」「人のせいにする」「金魚の糞」「暗い」「消極的」「すねる」「すぐに自分と人とを比べる」等々・・・いろいろ出てきます。大人のあり様から出てくるイメージなので様々なのですが、人間の幼児期にあてはまるイメージが多くないですか? つまり、小さい子どもは「依存的」なのです。大人になっても「依存的」ということは、幼児期からこころが成長できていない姿なのです。幼児は幼児であるがゆえに「依存的」でいいのですが、大人は大人であるがゆえに「依存的」では、人間関係が難しくなってきます。
そこでポイントですが、「依存的」は「受身的」でいいのですが、「依存的」は「攻撃的」ですか?

(案外わかっていない「依存的」という言葉)
「依存的な人は攻撃的でもありますよね。」と先生方に問いかけると、多くの方々が首を横にふります。「依存的であるということは常に受身的である。」という固定観念は、学校のみならず社会の中に蔓延しています。「攻撃的」であるということと「受身的」であるということは共存しないという固定観念なのです。
しかし、よく人間を観察していくと、そうでないことがわかってくるのです。主体的な人は、様々な経験値や気づきを通じて、人間のこころを想像することができます。そういう人は、「人を攻撃する必要がない」のです。主体的な人は、相手を操作しようとしなくても、相手を理解し、自分の考えを伝えることで相手との協働体制をつくり、相手の自立をうながします。自分で考え、自分が納得して行動した後の結果に対して、たとえ失敗したとしても「人のせい」にすることはありません。自分に何が足りなかったかを考え、次の行動に生かしていくのです。しかし、依存的な人は、そうはなりません。相手の気持ちを理解することが出来ないがゆえに、相手を操作しようとします。そして、相手が自分の思い通りになるかならないかで、「敵」か「味方」かを判断し、「勝った」か「負けたか」で決着をつけてしまいます。そして、うまくいかなかったり、失敗したり「負けた」と感じてしまうと、「人のせい」「まわりのせい」にして超攻撃的になってしまうのです。余談ですが、こんな人が組織のトップに立つと、一時的に、大変なことになってしまいます。
「依存的であるがゆえに、攻撃的になる・・・」理解していただけましたでしょうか。

(「依存的」がグループになってしまうと・・)
前回の記事に書いた「依存的であるがゆえに、攻撃的になる」というところをもう少し展開してみますね。
依存的なグループの中で、その頂点にたつ人は、そのグループの中で最も力(力にはいろいろな要素があります)をもっている人間です。グループサイズにもよりますが、その頂点には、若干個性の違った何人かがいる場合もありますが、厳密に言えばその中にも序列が存在します。そして、その「下に」中間層、最下層を存在させ、団結をはかるための価値観を敷き詰めるのです。その価値観は一般的には不合理なものが多いのですが、時には「正当性をもっている」かのような看板を掲げている場合もあります。(だから、見極めることが難しく、まやかされることもあるのですが・・)さらに、頂点に立つ人は、力の誇示と統制ために「恐怖と喜び(高揚)」という相反するものを味わわせます。その結果、多くのグループ構成員は「洗脳」されます。そして、その攻撃はグループ内の最下層にまず向けられます。具体的には、「小間使い」「冷や飯」「いびり」「つるし上げ」等です。依存的なグループを維持するには必ず必要な要素なのですね。一方、グループ外には、「勧誘」と「取り込み」を推し進め、意に沿わない人々に対して、グループの全勢力を動員して攻撃をします。子どもレベルでは、これが「いじめ」や「不登校」等の引き金となり、大人レベルでは「うつ」や「休職・退職」等へ追い込むことになるのです。すべて、依存的なグループを存続させるためです。

(「依存的」を支配する「恐怖」)
依存的な人たちは、孤立することを極端に恐れます。そして、自分がまわりからどんなふうに見られているかに非常に敏感なのです。それは、主体的な人のあり様と比べると、よりその姿が鮮明になります。主体的な人は、自分の力を認知しているがゆえに、自分でできることと、できないことを理解します。自分が出来ることには惜しみなく力を入れ、できないことについては、まわりの援助を得るための「お願い」や「依頼」をすることができるのです。つまり、自主・自立(律)の力を発揮することで、孤立することを恐れずに「信頼」でつながろうとします。一方、依存的な人たちにとっては、孤立は攻撃を受けることを意味することになるのです。つまり、孤立は恐怖を意味し、信頼でつながるのではなく、「恐怖」でつながっているのです。ですから、依存的な人は必ずグループを求め、グループサイズは二人以上、多数で形成されます。そして、その上下関係をあらわすピラミッドをつくりだし、その形は、三角形、台形、逆三角形、長方形等、様々な形が存在します。頂点には、攻撃的な人が君臨し、中間層は上には受身的、下には攻撃的という両方の要素を持ちます。そして、最下層には、受身的な人が位置づけられます。ただし、これは、そのグループ内で、という条件がつきます。たとえ、最下層の受身的な人であっても、他のグループに入れば頂点に立ったりすることもあります。学校でストレスを溜めた子どもが、家庭内暴力に走ったりするのは、この現象であると言えます。

(人間の関係性は流動的)
わたし、以前、「スクールカースト」について言及したことがあるのですが、「カースト」という現存する身分制度の概念を、学校教育にあてはめることへの疑念を述べました。「スクールカースト論」を展開している方々は、「依存的なグループ」について、「スクールカースト」という概念をあてているのではないかと感じるのです。確かに、前回の説明では、中間層、最下層という「層」という言葉でくくりました。実は、これは理解を進めるために使っているだけで、実際には、子どもたちはかなり複雑な関係でつながれています。「いったん定着すると抜け出せない」位置という固定的なものではなく、日々、常に流動的な位置に置かれていることがほどんどであり、流動的であるがゆえに感じる「恐怖」こそが、特定のこどもへの攻撃と執拗さを生み出しているのです。これが、深刻な「いじめ」が発生しているという状態なのです。
しかし、学校教育とは、成長した大人が子どもたちに提供する支援です。大人が「成長するための支援」を的確に提供することができれば、依存的なグループは、「育ちません」。大人と子どもが成長の視点でつながってさえいれば、子どもたちは主体的な人間になるための努力を始めるのです。あたりまえのことですが、子どもは、子どもであるというだけで依存的です。放置、放任すれば依存的なグループが発生し幅をきかせるのは、あたりまえのことですし、「スクールカースト」なる概念をあてはめ、「学級にはスクールカーストがある」と述べる教員には、支援を放棄した大人の姿を感じてしまいます。

(「依存的」は不登校にもあらわれる)
不登校の場合についても、多くのケースで「依存的」であるということが基本になってきます。ただし、学校や学級が「依存的なグループ」に支配され、大人の支援が行き届かなくなっている場合は例外です。最近は、「発達障害が疑われるケースが多い」と言われていますが、子どもたちへの見立ては、医療機関ですら「行動パターン」や「認知パターン」からだけの知見で診断が下ります。ADHDであれば、神経のシナプス間隙のドーパミン濃度を測定したりしません。自閉症スペクトラムの場合でも、fMRI等を使用して脳の血流を調べたりもしません。もちろん、特別支援の観点は重要なのですが、「まず検査ありき」という現在の風潮では、より発達障害の二次被害を増大させる危険性を感じたりします。
幼児期、特に0歳から3歳までの乳幼児期を、どのように過ごしてきたのかということのほうが極めて重要なことなのです。依存的な大人は、子どもに無償の愛情と完璧な保護を提供することができません。今は、スマホでしつけや子守をしようとする時代ですから、その傾向はさらに顕著になってきていると言えます。つまり、依存的な大人に育てられた子どもは、当然「依存的」なままの状態で放置されるばかりでなく、依存的な大人からのこころへの侵入という被害を受けるのです。現象面・行動面で、発達障害との区別が難しいのですね。
「依存的」なままで放置された子どもは、まわりとの間でトラブルを起こします。そして、多くのケースで不登校へと突入していくのです。

子どもが一瞬でいい子になる『鬼から電話』の威力がすごい
http://matome.naver.jp/odai/2135213237695865101

(「依存的」の連鎖に対する支援)
不登校傾向にある子どもを支援する場合、一次支援、二次支援、三次支援という支援レベルがあります。一次支援とは、学級あるいは学年で支援できるというレベルです。学級、学年とは学年の教員団で支援チームをつくります。二次支援とは、学校全体による支援レベルです。管理職、生徒指導、養護教諭、スクールカウンセラーなどからも支援を提供します。三次支援とは、学校だけでなく、関係諸機関が含まれてきます。教育委員会、児童相談所、役所で子育てを支援する部所、そして、ケースによっては、ソーシャルワーカー、ケースワーカー、警察などを巻き込む場合もあります。そして、このような見立てをしていく組織は、学校に設置されている不登校生を支援する会議(管理職、支援担当など学校の中心メンバー等)なのです。この学校単位の支援会議が設置されて定期的に機能している学校とそうでない学校では、支援のクオリティーがまったく違ってきます。
不登校の子どもの状態が重篤であればあるほど、保護者が要支援であることがほとんどなのですね。依存の連鎖がここにあるからです。悪意ある見方をすれば、保護者の責任、本人の責任ということになるのですが、たとえ、地域でそういう見方があったとしても、そうでないことを体現化することが公立学校の教員としての正しい姿です。二次支援で重篤な子ども、三次支援の子どもたちへの支援は、保護者への支援を関係諸機関と連携して行うことになります。そして、それを可能にするのが学校の支援体制であることを忘れてはいけません。

(わたしの経験)
わたしは、教員だったとき最後の5年間は人間関係プログラムの学校や校区でのとりまとめをしてましたので、直接、不登校の子どもの支援に入ることはありませんでした。しかし、一度だけ子どもに関わる機会を持つことができました。
6月頃20日間ほど学校を休み、二学期になって登校はするものの別室ですごしていた女の子です。話を聴くと、そこには「依存の連鎖」がはっきりと見え、本人もまわりへの攻撃や妄言を繰り返すうちに、力を失っていきました。9月から別室での生活は始まったのですが、まわりと顔を合わすことができなかったので、7:30には登校していました。わたしと養護教諭の先生ふたりで、彼女をむかえ1時間ほど空間を共有します。話題は世間話です。家庭のことや学校のことや、ささいなことが話題になるのですが、「~したほうがいい」というレスポンスは一切なしです。そうしてるうちに、1時間、2時間と授業に入るようになりました。1歩前進、2歩後退、2歩前進、1歩後退、1歩前進、結果、1歩前進。というような感じです。思うようには進みません。しかし、それを出さないように、出さないようにと自分たちに言いきかせながら・・・です。そして、6ヶ月後、バレンタインデーの日に完全に学級に戻りました。別室に残されたわたしと養護教諭の先生は、彼女が学級に帰ったあと、こころがからっぽになったようになり、寂しさを感じたのです。半年つづいた、朝の団欒がわたしたちの中で大きなものへとなっていたようです。この寂しさを、彼女は力として持って行ってくれたのですね。

おわり

関連記事)

 

Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/c35ec3e85c8751cdc4774c1abc1916ea

いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より) 
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/4f5eed075ac20c1a3f6814e0bedbf191

いじめ・不登校のメカニズム その1
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/6da9caa6e26de68cc2c7c17462d02e39

いじめ・不登校のメカニズム その2
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d07bbc33415c5ac3888c8cb05f867646

いじめ・不登校のメカニズム その3
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/d482a925f1b20333363794db5f475df5

いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281

 

あいあいネットワークofHRS http://www.aiainet-hrs.jp

図書文化社HP http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-3636-7

 

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発売日:2013-10-25

 


 

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いじめ・不登校の未然防止(人間関係プログラムの力・・・松江市立第一中学校の実践より)

2014-04-04 10:04:18 | コラム

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587

(いじめ・不登校の原因は、人間の依存性)
いじめや不登校などはなぜ起こるのでしょうか?  むつかしいことではありません。
その答えは・・・人間の中にある依存性です。
子どもは保護される立場であり、成長過程のまっただ中にいます。
依存的なあり様から主体的なあり様へと成長していくための支援が教育なのです。
しかしながら、学校教育には、この視点にもとづいた教育課程が不十分、かつあいまいにしか存在していないのです。したがって、依存から成長できないまま大人になっていくケースを否定することはできません。
依存的な大人をモデルとした子どもたちは、また、依存的な大人へと・・・
この負の連鎖を断ち切り、成長の視点に立った教育が、人間関係づくり・人間力育成の教育なのです。わたしは、この視点にたって、「あいあいネットワークofHRS」を起ち上げ、「あいあいネットワークofHRS、中学校年間8時間×3年間=24時間」の人間関係プログラムで、学校コーディネーションをしています。その実践校のひとつである松江市立第一中学校での実践から、その基本を紹介したいと思います。Facebookに書いている記事をもとに、再構成いたしました。ちなみに、松江市立第一中学校はちょうど三年前に厳しい子どもの実態に遭遇しましたが、現在では、人間関係プログラムの実施を柱にした取り組みなどにより、しっかりとした落ち着いた学校を取りもどしています。子どもも先生も成長できる人間力育成の教育を目標にしているのです。

(送られてきた発表冊子)
昨日(1月19日)、松江のならえもんさんが、2月14日に開催される、松江市立第一中学校、ガイダンスプログラム発表大会の報告冊子の校正版を送って下さいました。松江の先生方との関わりは、もう5年になるのですが、松江一中さんへは2年目になります。一昨年の夏に初めての校内研修会をもってから、小さいコーディネーションを含めると10回近くになるでしょうか。冊子を読ませていただいて、この2年間をふりかえると、「よくここまできましたね」という気持ちになって少々、感動いたしました。というより、先生方のこの2年間の心模様が伝わってきて感傷的になってしまったという感じです。研究主任の松嶋先生の言葉、印象に残りました。

・・『「人間関係プログラム」は生き物である。』ということだ。・・

生き物であるからこそ、先生も子どもも成長するのですね。



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奈良井 孝   人間関係プログラムは生き物である。…わたしも熱くなりました。1月22日 17:29 

(人間関係プログラムの基本-シェアして人間の枠組みを拡げる)
この授業は、通常のすごろくトーキングに、お題カードを加え、少々動きをつくっています。なかには、「先生とじゃんけん」などというお題もあります。
人間一人ひとりの認知というものには限界があり、主観的なものです。ゆえに、孤立した人、あるいはこころを閉じた人は固定観念を持ちやすく、ネガティブな思考の枠組みに囚われてしまいます。トーキング系の授業では、決まったお題にこたえる自由と、こたえない自由が保障されています。それを選択するのは自分自身。つまり、このハードルを越えて出てきた言葉には自分を開くという意味があります。開いた自分をシェアしてもらえれば、他人の言葉も受け容れることができることにつながります。その結果、自分自身の枠組みが拡がるのです=共感性の基礎ができるといっていいでしょう。このプロセスが心地よい・・
松江一中の先生曰く「子どもたちはすごろくトーキングが大好きです。」 


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岡崎 哲也 大方中でも「すごろくトーキング」はよくやっていましたね。生徒も話しやすくなると好評でした。また、シェアさせて下さい。1月22日 19:15 

(人間関係プログラムの基本-コミュニケーションの本質に気づく)
1年生のスタートプログラムの一つ「南国の島」です。この時間は、指導者の指示のもとに、2枚の絵を完成させるのですが、1枚目は「質問なし」、2枚目は「質問あり」で描いていきます。ともに完成後はグループでシェアをします。すると、「質問なし」の1枚目を書いた後、お互いに絵を見せ合うとグループはおおいに盛り上がります。みんなそれぞれ、個性的な絵になっていました。2枚目の絵を描き終わりグループでシェアをすると、子どもたちから歓声がわきます。みんなが、共通点の多い絵を完成することができたからです。
すなわち、1枚目「人によって情報の受け取り方が違うんだなって思いました。」2枚完成させた後、「2回目のほうがいい絵になりました。質問することって大切だ。」と感じたのです。子どもたちが、聴くことの大切さに気づいた瞬間です。


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奈良井 孝 年度の初め、5月の授業公開日で1年各クラスが取り組みました。特に1年生は初めての授業公開日だったので、保護者は満員。保護者にも紙をとってもらい、担任の説明を聞きながら一緒に描いてもらいました。もちろん廊下で。隣と見較べる親さんたちに、ルールは徹底しませんでしたが、笑顔で感想がシェアされていました。一中の保護者が人間関係プログラムの授業に出会った時間でした。1月23日 20:00 
伊藤 淳一 最近、部活動の生徒たちと「南国の島」をもう一度やって、気付きを再確認しました。一枚目の感想で、「一回できちんと指示を聞かないといけない」、「先生から言われたことから、自分で想像して書かないといけない」といった学級では出てこなかった言葉がありました。部活動での教師と生徒の関係は、学級のそれとは違い、完全な上下の関係になりやすいので、教師からの一方通行の情報でも、その情報を正確に受け取れないのは自分たちが悪いんだと考えさせてしまう面があるんだなと、反省させられました。生徒たちと、一方通行ではなく、お互いに思いを伝えあっていこうと、確認できたいい時間となりました。選手と指導者が同じ絵を描くサッカーを目指して頑張ります!1月24日 10:45 

(人間関係プログラムの基本-グループでの協働、そこでの気づき)
探偵コナン、野比のび太、ちびまるこちゃん・・、私たちの心を何年も何年もわくわくさせてくれたアニメの登場人物たち。私たちのために働きすぎて疲れ果ててしまったようです。そんなアニメの登場人物たちがオーバーホールしている所が「アニメの村」なのです。そんな登場人物たちを呼び戻すために、指示書が授けられました。グループで情報を共有し、彼らの居場所を探しだそう!
グループの一人ひとりに配られた情報カードをもとに、情報をひとつにまとめ、課題を解いていきます。情報カードは決して他人に見せることはできません。子どもたちは、情報の拾い方、聴き方、まとめ方・・を実体験の中で経験します。「めちゃくちゃ言ってもだめだから・・、気づくのに時間がかかりました。」「ミッションを解いたときはうれしかった。」独りだったらあきらめてしまうことも、グループだったら・・ということを体験しました。 



(人間関係プログラムの基本-アサーティブネス〔アサーション〕)
アサーティブネスという言葉はアサーションという技法を体現化したあり様です。アサーションは、自分も相手も大切にしたコミュニケーションの技法になります。そして、アサーションを実行するためには、相手の気持ちを想像することが出来る力(共感性)が前提となります。人間関係プログラムの積み重ねにより、拡がってきた人間の枠組みというものがそれを可能にするのですね。アサーションだけをピックアップして取り組んだ場合、「うまくいかない」という経験談を先生方から聴くことがありますが、それは、人間の枠組みを拡げるプログラムが欠如している場合が多いのです。アサーションの実行は、お互いを尊重しながら進んでいくため、時間はかかりますが、大いなる相乗効果が期待できます。その結果、子どもたちの自己肯定感が育っていくのです。
(*写真は、大阪府松原市立天美小学校でのアサーション・ロールプレイング)

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深美 隆司 MHさんからFBメッセージをいただきました。「天美小学校、6年の保護者です。今日は二時間、楽しい時間をありがとうございました。ウォーミングアップでの三者あいこジャンケン。初めて体験しました。あいこの確認をしてもらっているというのに、間違えてしまうのだなと思いました。息子から昨日、先生がちょっとした劇するんやって。と聞いてはいましたが、どちらの先生も演技上手でつい、引き込まれてしまいました。でも、子どもたちは・・・と見回してみると、見てましたね。ちょっと斜に構えたい子達もついつい、笑顔になってしまっていたように感じました。楽しい気分。大切ですね。別のクラスのお母さんたちともお話しして、楽しい時間となりました。明日は中学校で保護者説明会。今日のワークの話しを来られなかったお母さんとも出来たらと、思っています。」1月21日 15:01

(人間関係プログラムの効用と効果―松江市立第一中学校)
このようにして実践される人間関係プログラムの効用は何か・・・それは、関わっている人間どうしの関係性を深め、人間としての興味をそそっていくということでしょう。コミュニケーションの本質を学び、それを学級のなかでともに取り組むことで、自分も周りも大切にできる受容性を育てます。そして、それをシェアすることにより、一人ひとりの人間としての枠組みを大きく拡げます。大きく拡がった人間の枠組みは、相手の気持ちを想像しながら主張できる人間関係調整力にまで高まっていくのです。その結果、一人ひとりの相乗効果としてあらわれ、ひとりではできないことを集団として達成していくのです。規範やルールが外からのものとしてではなく、自分たちのなかから湧き上がってくるのです。
左の写真―人間関係づくりの授業、学年としての授業満足度の上昇
右の写真ーQ-Uにおける満足群7割以上(全国平均は約三割)


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岡崎 哲也 すごい結果に繋がっていますね。QUでの満足群が76 %になったのは、分析通り、プログラムの継続的な実施によるものだろうと納得します。凄く刺激を受けますね。清水中は、早速プログラムを行ったようですので、本校でも、直ぐに取り組みたいと思います。シェアさせてください。研究発表がすごく楽しみです。18時間前
奈良井 孝 今日も1年部の担任たちは、学年朝礼の打ち合わせから「ストレスチェック」の時間をどう展開するのがよいのか、アイデアの交換をしていました。ここまでの取り組みは、今までになく職員室のなかに教員同士の交流を具体的に促しました。教員自身が、引かれ合い影響しあう関係性のなかで、取り組みが進んでいます。プログラムのもつ力を感じます。各学年の学級の中でも、「トーキング系」のプログラムが盛り上がるようになったようです。聞くこと、聞いてもらうことに心地よさを感じる空気が学級集団に生まれているようです。子どもたちの心の枠組が少しずつ変化してるのかなと思います。14日には、数値の状況に加え、生徒や担任の思いの様子をお伝えしたいと思います。よろしくお願いします。13時間前

(依存性から主体性へ―人間の成長)
依存的な人は、ものごとの結果を人の責任にします。そして、攻撃的になったり受身的になったり、場面や所属を変えるごとにコインの裏表のような変化をします。このあり様がいじめ・不登校を生み出します。つまり、人間としての核が育っていない故の悲しい出来事だと言っていいでしょう。仮に、子どもの頃そうはならなくても、大人になって難しい生き方を強いられるのです。その結果が職場のいじめだったり、虐待だったり、「うつ」だったりします。
一方、主体的な人に成長すれば、認知力の高まりにより、自分の将来像を描き、目的に向かって何をすればいいかを理解します。自分に対するまわりの人からの評価を積極的なフィードバックとして受けとめることができます。人間のまわりに人間が集まっていくという相乗効果をあらわすことができるのです。その結果、心がひろがり、人間を「許す」ことができる人に成長します。いじめを見れば、正しいフィードバックを返し、不登校の仲間に接すれば、力を分け与えることができるのです。

そんな実践を可能にする人間関係プログラムに取り組んでみませんか?

(告知)
2014年2月14日(金)、松江市立第一中学校において人間関係プログラム(ガイダンスプログラム)実践報告大会が開催されます。
13:10 公開授業(ストレスマネジメント2本―4クラス)
14:45 構成的グループエンカウンターの大看板、鹿嶋真弓先生(高知大学)
の講演と、現場と鹿嶋先生によるチャレンジ対談を用意しています。わたくしがコーディネーションいたします。既成概念をひっくりかえすスペシャル対談です。
松江市内、および、周辺の方々、どうぞご参加ください。
問い合わせ先―松江市立第一中学校(奈良井教頭先生)、松江市教育委員会生徒指導推進室、あいあいネットワークofHRS(info@aiainet-hrs.jp)

島根県松江市立第一中学校「人間関係プログラム(こころほっとタイム)研究実践発表会は2月14日、大盛況のうちに終了いたしました。
なお、松江市立第一中学校への学校訪問等につきましては、直接、松江市立第一中学校、教頭:奈良井、または、あいあいネットワークofHRSへメールでご連絡ください。



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いじめ・不登校のメカニズム その1
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いじめ・不登校のメカニズム その4
http://blog.goo.ne.jp/t-fukami/e/24b6087262e7345463ec3d691a368281



あいあいネットワークofHRS http://www.aiainet-hrs.jp

図書文化社HP http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-3636-7

 

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Q-Uが「いじめ」の解決に役立つ理由

2014-04-04 09:26:34 | コラム

Facebookに書いているものをまとめています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005260954587
 

(年始めの仕事)
今年の仕事始めは、デスクワークです。Q-Uアンケートは早稲田大学の河村茂雄先生が考案された、アセスメントツールなのですが、松江市立第一中学校のQ-Uデータを整理して現場で使い易い形に手直しをする仕事をしていました。学級満足度尺度は、縦軸に承認度、横軸に被侵害度があらわされます。X軸とY軸にあたる部分は平均値です。ですので、個人の得点をプロットしていくと、右上にプロットされれば学級に対しておよそ満足していることになります。対して左下にプロットされれば不満足、あるいは支援を要する群に入るということです。この尺度でおおよそのクラスの様子が伺え、子ども支援の秀逸な資料となります。全国的に大きく広がり、多くの学校で使用されているQ-Uですが、不満足群、要支援群にプロットされた子どもたちの心模様や心の叫びを感じ、心が痛むかどうか・・・。Q-Uはあくまでツールですから、先生がどう感じ、行動するのか。これが問題です。


(アンケートの力)
今朝(1月6日)、昨日作業をしたデータを松江のならえもんさんへ書留で送りました。
さて、アンケートと言えば・・・なのですが。多くの先生方は「子どもや集団の理解のため」と言われます。しかし、私は「先生のため」という以上に「子ども自身のため」と思っています。私がコーディネーションしている学校には、「必ず、一問ずつ先生が読み上げて下さい。」とお願いしています。さらに、レーダーチャートで表した個票を子どもたちにフィードバックとして返してもらいます。先生が一問ずつ読み上げると子どもたちは認知力を駆使して、自分と対話を始めるのです。そして、評価を下します(回答します)。アンケート調査後、子どもたちは無意識的な自覚のもとに行動し、評価としての感情をもつのです。そして、次のアンケート調査の時、再び自分と対話することで、微々たる成長を感じるのです。つまり、認知→行動→評価のスパイラルのもとに、規範意識の醸成やこころの成長を成し遂げます。こんなアンケート調査の効用を大事にしたいものですね。
認知→行動→評価のスパイラルの解説です。http://edupedia.jp/entries/show/1137

(レーダーチャートがあらわすものは・・・)
Q-Uの学級満足度尺度の場合、友人・学習・先生・学級・進路の観点で、下図のようなレーダーチャートを作成することができます。一般的に、このチャートを見ると「左の子どもは力があって、右の子どもは力がない」と判断されます。しかし、問題はその力とはいったい何なのか? ということなのです。このことを深めていかない限り、子どもを支援することはできません。わたしの見方なのですが、チャートの面積の「広い、狭い」でこころの成長具合を見るのです。右の子どもは明らかに、こころの成長が阻害されていると言えます。「遅れている」などという見方をしません。阻害されていると認識すれば、成長の阻害されている要因を「どう見るのか」という、子ども自身の課題解決を援助できます。決して「遅れている」から「がんばれ」などという精神論で迫ってはいけないのです。


(ネガティブをポジティブに)
原因不明の腰痛は劇的に回復する・・・
昨日(1月7日)の「たけしの家庭の医学」の特番で扱われていたテーマです。原因不明の腰痛を改善するために、腰痛日記というものをつけるのです。①行動したこと、②感じたこと、を毎日つけます。そして、感じたことの中に、ネガティブな思考を見つけた時、そのネガティブな思考の枠組みを、ポジティブなとらえ方をするように、努力をします。これを地道にコツコツと続けると、ネガティブなとらえ方が、ポジティブなとらえ方に変容していくのです。そうなると、あれだけ悩んでいた腰痛がうそのように改善していたというのです。これは、認知行動療法と呼ばれているものです。つまり、その腰痛はストレスが原因だったのですね。

アンケートの扱いも、これに似たものがあります。回答用紙とレーダーチャートを材料に、子どもと面談する中で、子どもがもっているネガティブな部分に着目し、ポジティブな枠組みを引き出していくのです。時間はかかりますが、レーダーチャートの面積の狭い子どもへの支援は時間をかけなければいけません。

(認めることが成長に)
「あなたが認めたくないものは何ですか? どんなにつらくても、それを認めれば道が開けます。」
このフレーズは、ニッポン放送(ラジオ)、「テレフォン人生相談」のパーソナリティーをされている早稲田大学、加藤締三さんの初めの言葉です。わたし、この番組のファンで、ラジオ付きボイスレコーダーを購入して、録音してまで聴いています。パーソナリティと相談相手の二人で番組は進行するのですが、加藤さんとのベストペアは、幼児教育研究の大原敬子さんです。加藤締三さんは見立てがすごくて、大原敬子さんは返しがすごいのです。何度も聴き返して勉強しています。

「認めれば道が開けます。」実は、アンケートもそうなのですね。わたしは「自分と対話する」と以前の記事で書きましたが、「自分と対話する」には人間としての力が必要なのですね。「感じている」ことを「認めること」にまで高める力です。レーダーチャートの面積の小さい子どもは、「感じること」はできても「認めること」にまで高めることができない。そこで、教員の支援が必要とされるのです。・・・このことが理解できるかどうか、教員としての力が問われます。

あいあいネットワークofHRS、中学校年間8時間×3年間=24時間のブログラムの基礎であり、中核をなしているパッケージはストレスマネジメントです。わたしの研修では実際に大人を相手に実施しているのですが、実際にストレス(刺激)を与えることによって、①ほっとした、②残念だった(腹が立った)、③わかってました、という反応をワークショップによって生み出します。③は、刺激がほぼゼロに近いので、核になる感情は生まれませんので除外しますが、①や②の感情を掴みきれる人と、掴み損ねてしまう人が出てきます。掴みきれる人は、言葉としてちゃんと表すことができるのですが、掴みきれない人は自分の感情を言葉であらわすことができません。「あせってしまった」とか「疑問に思った」とか、その途中のプロセスの状態は言語化できても、結果としての直後の感情が表せないのです。そして、例えば「残念だった」ということをシェアすると、「あっ、そうそう、それそれ」という感じになるのです。つまり、個人の力としては、言語化できない・・・、するとそういう人は日常生活においても同じような反応になってしまい、ピンでの感情を掴むことができないのです。結果、「認める」ことができません。「認める」ことの第一条件は、「的確に言語化する」ということなのです。
あいあいネットワークofHRS、中学校年間8時間×3年間=24時間のブログラム http://www.aiainet-hrs.jp/06facilitation/stile/stileB.htm

(認めることは・・・自分自身を受け容れること)
認めることの第一条件は、的確に感情を掴んで言語化して一般化、普遍化することなのですけれど、それを阻んでしまう様々な困難につきまとわれます。なぜなら、そこに自己防衛本能が機能するからです。その代表的なものが「反動形成」と呼ばれているものです。反動形成とは簡単に言えば、自分が感じていることと反対の行動をとってしまうということです。そして、その感じていることとは負(自分が感じている)の要素が含まれることが多い。たとえば、友人が少ないということに負い目をもっているとします。すると、その人が無意識のうちに「友人なんて必要ないさ!」と公言したりすることです。実は、さみしいと感じているのに、そのことを認めることを自分自身が許せないんですね。だから、正反対のことを表現してしまいます。これは、人間の成長過程で普通に起こることですが、人生経験のなかで克服していくことができます。しかし、克服できずに大人になってしまうと・・・不幸にも様々な困難を抱えて生きていかなければならなくなってしまうのです。
自分自身を受け容れ、それを認めることができてこそ、的確に言語化できると言っていいでしょう。

(「いじめ」の根底にあるもの・・・反動形成)
自己防衛本能の中でも反動形成という現象は攻撃性を伴います。つまり、自分自身が「いやだ」と感じている部分を相手に見いだし、相手を攻撃することによって、自分自身のいやな部分を覆い隠してしまおうということなんですね。しかも、そのプロセスを自分自身は自覚せずに、無意識のうちにやってしまいます。そこに、力関係の上下が存在すれば、なおさらその攻撃性は強まりますし、一人をターゲットにすることにより、一人対多数という人数的な力の差も加わってきます。さらに、それがグループ間のトラブルにまで発展し、トラブルの結果によりグループ間の序列まで形成してしまうこともあります。
アンケートというものは、一人ひとりへの支援を浮き彫りにしてくれるものであると同時に、学級というひとつの集団に対する支援の道筋を明らかにしてくれるものであると言えるでしょう。Q-Uのプロット図を作成したら、あわせて、グループどうしの人間関係図もあわせて作成してみましょう。そうすれば、必ず、いじめ解決の処方箋が見えてくるはずです。

(おわりに) 
子どもの成長を促していくこと・・・この教育の本来の目的を追求することが、「いじめ」防止、「いじめ」問題解決の王道です。起こってしまった後の対蹠的な取組はもちろん必要なのですが、それだけでは、後追いの指導に終始してしまい、状況がさらに悪化することさえあります。
そうならないために、教育の本来の目的である「主体的な人間に育てる」ための教育をいっしょに考えていきませんか。

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あいあいネットワークofHRS http://www.aiainet-hrs.jp 

図書文化社HP http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-3636-7 

子どもと先生がともに育つ人間力向上の授業 子どもと先生がともに育つ人間力向上の授業
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