あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(2)

2011-09-13 09:44:10 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
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Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

【Story of RAILWAYS】

(1)をブログアップした直後に、松江市教育委員会の奈良井 孝先生からメールをいただきました。早速、(1)を読んでいただいて、一畑電車、通称「ばたでん」について書いて下さいました。

『ブログ、読みました。研修日の前後で、いろいろ松江を探っておられたのですね。一畑電車=「ばたでん」は「湖北地域」の人々にとっては本当に生活の足です。通勤、通学そして昔は、半島の海端の漁村から海産物を運ぶ行商のおばちゃんたちが、松江・出雲へ大きな荷をかついで乗り込む大事な交通機関でした。おまけに、「一畑薬師」という寺院(山寺)がありそこへお参りする人たちも「一畑口」というふもとの駅を使っていました。そんな「電車」なので、赤字ではあるのですが廃止することはできず、松江市・出雲市が援助をして成り立たせている「私鉄」です。宍道湖が画面奥に映り、菜の花ばたけのなかをオレンジの一両電車が走るシーンは、こちらの人間でも、「きれいな、いいところだなぁ」とほれぼれする風景です。また、あの、宍道湖を覆うどんよりとくらい、灰色の雲の感じも松江(山陰)独特で、登場人物の心を写してるのかなぁと思うシーンもありました。これからが、宍道湖の夕日の美しい季節です。時間があればぜひおいでください。』

私は、この「RAILWAYS」を映画を観て、その後小説を読んだのですが、監督の錦織良成さんが小説の原案をつくり小林弘利さんが書かれたようです。ですから、小説そのものは、まるで映画の台本を読んでいるかのように、映画に忠実に著されています。そして、それ以上に、映画での何気ないシーンに意味が込められていることを、私は小説を読んで気づくことができました。例えば、映画では、地面すれすれからの視点で、レールのポイントが切り替わるシーンがあります。実は、そのシーンは、主人公である筒井肇の人生が大きく変わっていくポイントを表しているのです。私は、そんなことに気づきながら、肇の妻である由紀子、娘の倖の三人の家族が、肇の母である絹代との関わりや、松江の人々との関わりを通じて、人間としてのあり様を自らの心に映しだし、行動として実現していく姿に感動したり涙したりしながら映画を観たり、小説を読んだりしていました。

松江市教委の奈良井先生が書いて下さった、美しい松江の風景と通称「バタ電」の息づかいをあらわしているようなシーンが全編を通じて描かれているのですが、映画の冒頭は、新幹線が走る東京の風景から始まります。

【あらすじ】

東京にある大企業、京葉電器のエリート社員、筒井肇は、大学の同期である親友の川平が工場長を務める工場へ出向き、工場の閉鎖を伝えるのである。工場の閉鎖とは、何百人ものリストラを意味する。「せめて、お前だけでも、本社へ。」という肇の誘いを、「こつこつといい物をつくる。」という言葉を返して川平は断った。川平はものづくりのなかで生きている人間なのである。一方、肇は、将来を期待されたエリート幹部であり、このリストラが成功したときには、次の『常務へ』という見返りを得ていた。

肇の家族は、妻・由紀子、娘・倖の3人。肇は、自分の頑張りは、当然、家族のためであると信じ、がむしゃらに頑張ってきた。家族を顧みず・・・。しかし、そのツケが、何も気づいていない肇に襲いかかろうとしていたのである。妻・由紀子は、自分の店「ハーブトーク」を新たに始め、娘・倖は、肇の存在を無視するかのような言動をとっていた。会話のない家族であった。

肇の故郷は、島根県にある宍道湖のほとりである。そこには、ひとり故郷で暮らす祖母・絹代がいた。絹代は自宅で野菜を育て、それを「ばたでん」を利用して行商していた。

ある日、母・絹代が行商の途中「ばたでん」の中で倒れ、病院に運ばれたという知らせが肇のもとへ届いたのである。肇は、娘・倖を連れ、急遽、島根へ向かった。その行程、二人のぎこちない関係が露呈してしまう。妻・由紀子は店の営業を終え、一人、島根へ向かったが、肇の実家に居合わせた三人は、まさに、他人のような関係だった。そして、病院へかけつけた肇は、医者から絹代が末期癌であることを知らされる。

さらに、肇のもとへ、追い打ちをかけるようにショッキングな知らせが届く。リストラされた従業員の世話を、必死になって行っていた親友の川平が交通事故で亡くなったという知らせであった。肇は、親友を亡くし、さらに、母までも失おうとしていたのだ。肇は、自分の人生をふり返り、これで良かったのかと自らに問いかけていた。

入院した絹代の世話は、おばあちゃん子である倖が祖母の家に泊まり込み、献身的に行った。一方、肇は土日に島根に帰るという二重生活をしていたのである。

そして、いよいよ肇は人生の「切り替えポイント」をむかえる。

「今、何と言った。すまない、もう一度言ってくれ。」と球磨専務が驚きを隠せずに言った。

「私自身をリストラしようと思います。」 肇は表情を変えずに答えた。

小さい頃、「ばたでん」の運転士になることが夢だった。それを聴いた母・絹代は肇が運転する電車に、母・絹代は「手を振ってあげるよ」と言って喜んでくれていたのである。「ばたでん」の運転士になる。これが、49歳の肇にとって初めての夢への挑戦であった。

「ばたでん」=一畑電車は、宍道湖の湖北の人々にとって、重要な生活路線だ。しかし、地方のほとんどの鉄道がそうであるように、赤字路線である。それゆえに、地域の人たちに愛され、地域と密着した鉄道であることに存続の意義がある。肇は、同期入社の宮田大悟とともに、一ヶ月間、東京の京王電鉄での研修を終え、晴れて、夢だった電車の運転手となった。

宮田大悟は、かつて、高校野球の投手として名を馳せ、プロからの誘いもあった。しかし、不運にも肘を壊し、その夢は潰えたのである。「ばたでん」を支える保守の人たち、先輩の運転手、管理職の人たち、まわりの人たちに支えられ、肇と大悟は、「ばたでん」の運転手として、新たな道を歩みだした。

ある日、肇と大悟は地域の人たちに密着した仕事ぶりが行き過ぎ、それが仇となって取り返しのつかないような事件を引き起こしてしまう。その責任をとって、肇は退職を決意した。母・絹代との約束を果たせなかったが、肇の決心に悔いはなかった。

肇は社長の大沢に退職願を出し、駅舎を去ろうとしたとき、改札口から子どもや、主婦や、お年寄りや、「ばたでん」を支える保守の人たち、同期の大悟、そして退職願を受け取った大沢社長たちも含めて、大勢の人たちがホームに現れ、肇を取り囲んだ。「やめないで下さい。」「やめないで。」「・・・・」「・・・・」

多くの人たちの懇願の中で、大沢社長は事の発端となった「坊や」に言った。

「電車は運転士がいなければ走らん。けどな、運転士さんだけでは電車は走らないんだ。・・・だから坊や、誰も辞めたりはしない。誰が欠けても電車を走らせられなくなってしまう。坊や。未来の運転士さんも一緒に電車を走らせよう。」

みんなで走らせている電車の中で起こったことは、みんなで責任を取る。大沢社長は肇を見つめ、目だけで気持ちを伝えたのである。

肇の夢はついにかなった。「ばだでん」を運転する肇を見つけ、病院の窓から母・絹代が手を振る。肇は、ちらっとそれを確認し、何事もなかったように「ばたでん」を運転するのである。

妻・由紀子、娘・倖とともに、肇は新しい生活と新しい生き甲斐を、生まれ故郷の宍道湖のほとりで、手にすることができたのである。

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最後の、肇を囲む駅舎での映画のシーンでは、私自身、ぼろぼろ涙を流してしまいました。ネットカフェなので、何も気にするものもありませんでしたし・・・。あらすじが少々長くなってしまいましたが、これは、あくまでもあらすじであり、この小説と映画の本質を語ることはできません。まさに、肇のあり様の変化が、肇を取り囲む人間というものとのつながりを大きくつくりあげていきました。このようなことを次の記事から考えてみたいと思います。

(3)へつづく     2011.10.24

 

Bataden

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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(1)

2011-09-12 12:55:38 | コラム
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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

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【松江を訪れて】

ついこの間の7月29日、島根県松江市教育委員会のお誘いで、松江市にてファシリテーションを行いました。ファシリテーションの内容は記事にしてありますので、それを読んでいただければいいのですが、松江市というところは不思議なところですね。大阪から米子道、山陰道を通って松江市に入ったとたん、目の前に、突然、海があらわれました。でも、ちょっと待てよ、ここは、松江市だから、「これが宍道湖か!!」と、「しじみで有名な宍道湖なんだ!!」と、ちょっと感動しながら研修場所へ向かっていました。研修まで時間が少々あったので、松江市内を車で周遊しながら、松江城やらしんじ湖温泉やらをちら見していたのですが、「松江港」という表示を発見したので、「何か、海・水産物でいいものがあるかも・・・」と考えながらその松江港をめざしました。そして、「松江港」という看板を発見したので、港内に入ってみると、そこは、どう見ても川なのです。「松江港」って川沿いにある港なんだとはじめて気づきました。念のために、ナビの地図で調べてみると、確かに「大橋川」と書いてあります。ナビの地図を西へ西へと移動させていくと、湾のようなものにあたりました。これは何という湾なんだろうと、また西へナビを進めると、これがまた「中海」という宍道湖と同じ汽水湖であることがわかりました。宍道湖と中海という汽水湖が川でつながれて、鬼太郎で有名な境港で日本海とつながっていました。後で、地図で調べてみると、ほんとうの松江港は東松江の中海に面してあるようです。でも、行ってみたわけではないので、少々自分的には謎のままです。それと、もう一つ謎だったのは、「宍道湖」という道路にある標示を見ますと、「宍道湖・斐伊川」と並列表記してあるのです。これも、あとで調べてわかったのですが、あの広大な、そして美しい夕日で有名な宍道湖は、斐伊川という川の一部であるということになっているようです。今までの自分の常識では、予想もつかないことでした。でも、島根県の方たちは、「そんなこと常識」みたいなことなんでしょうね。松江市自体も非常に魅力のあるまちですが、近辺には、出雲もありますし、勾玉を製造していた(現在でも、つくっていますが)玉造温泉があったり、どじょうすくいの安来節で有名な安来市もあります。今回の松江市訪問は、不勉強のまま行ってしまったので、もし、次にお呼びがかかるようなことがあれば、行ってみたいところが満載の地域です。

松江から大阪に帰ってきて、次のファシリテーションに備えて、ネットカフェにこもってブログを書いていたのですが、ブログ書きに疲れて配信されている映画の一覧を見ていると、興味深いタイトルを発見しました。それが「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」でした。「RAILWAYS?  それってもしかしてALWAYSの焼き直し?」みたいなことは、誰もが感じる疑問だと思うのですが、「RAILWAYS=鉄道、や!」と気づくのに少々時間がかかりました。それで、さっそく約2時間かけて視聴したのです。感動でした。もちろんなかみに感動したのですが、舞台は前日まで滞在していた松江市です。松江市から出雲市を結んでいる「一畑電車」という私鉄が舞台になった話だったのです。でも、「ちょっと待てよ、あれだけ松江市から出雲市近辺までうろうろしていたのに、JRは走っていたけど、一畑電車なんてなかったぞ!」「これってフィクション?」また、松江市に関する謎が発生してしまいました。その後、学校の夏期休業中は、怒濤のようなファシリテーションの連続でしたので、ブログアップに追われる日々が続いていました。その間、amazonで文庫本を購入して、同映画を小説で読んだりしていました。「もしドラ」のブログアップが終わったら、次は、この本と決めていましたので、9月になってやっと、Webでの調査に取りかかったのですが、やっとその謎が解けました。私は松江市と出雲市とをつなぐルートは宍道湖の南岸しかないと思っていたので、ずっとそこらを地図とかで調べていたのですが、あるはずがありません。実は、一畑電車は「松江しんじ湖温泉駅」から出雲市まで、宍道湖の「北岸」を走っているのです。松江の皆さん、申し訳ありません。まったくの私の固定観念でした。でも、そうと知って若干感動です。宍道湖のまわりをJRと一畑電車で囲っていることになるのです。そんな湖は、JRで囲われている琵琶湖しか思い浮かびません。一つの湖が、鉄道で囲われているなんて、囲われている地域の内外では、何かすごく生活感や、人生の喜びや悲哀があるんだろうなと感じませんか?

映画を観て、文庫本を読んだからそう感じるのかもしれませんが、島根と東京という二つの地域に関わりをもった主人公の人生が、どう変化していったのかということ・・・・、自分自身で整理をつけながらブログに書いていきたいと思います。

(2)へつづく 

Bataden

一畑電車HP

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「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(3)

2011-09-05 11:27:35 | コラム

 

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

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「もし学校の教師が岩崎夏海の『もしドラ』を読んだら」(2)よりつづく

《相乗効果を生み出すイノベーション》

イノベーションは組織を変え、組織の外に変化をもたらす

連携が生み出す変化
秋季大会の敗退後、程久保高校野球部は生まれ変わり、順調に実力を伸ばしてきたとはいえ、まだまだ甲子園出場という目標は遠いものでした。そこで、みなみは再び「マネジメント」にその方策を求めたのです。

「企業の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。」p142

「イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織のなかではなく、組織の外にもたらす変化である。」p143

「イノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。」「イノベーションの戦力の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを体系的に捨てることである。イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために解放できる。」p144

つまり、みなみは、野球部と野球部をとりまく外の世界とのつながりを深め、さらに、これまでの高校野球の常識をくつがえす作戦を考え出すのです。もちろん、これらをみなみひとりがやろうとしたのではありません。外とのつながりは、野球を自分のキャリアアップのために取り組んでいた正義(まさよし)に、野球の作戦を監督の加地とマネージャーの文乃にお願いすることになります。

組織の責任者が部下に仕事の権限を委譲することをデレゲーションと言います。みなみの場合、組織の責任者というわけではありませんでしたが、成り行き上、野球部のマネージャーが野球部のマネジメントをするというはめになってしまっていました。つまり、野球部をとりまく組織との連携を正義に、甲子園に出場するための練習と特別な作戦を監督の加地と文乃にデレゲーションしたのです。

程高野球部は生まれ変わりました。

今が成長の時なんだ。」みなみはつぶやきます。
「もしドラ」の中で最も圧巻な場面ではないでしょうか。残り数ヶ月と限られた時間のなかで、野球部とそれをとりまくものとが、どんどんビルドアップされていくのです。陸上部との合同練習で、走力のアップをはかりました。そして、正義がお膳立てした連携は、家庭科部、吹奏楽部、大学の野球部などでした。その結果、野球部だけでなく、連携したそれぞれの組織にもやる気と成果をもたらしました。

「イノベーションとは組織の外にもたらす変化である。」

まさに程高野球部とまわりの組織との間にWin&Winの関係が築かれていったといえます。


イノベーションは不可能を可能にする
練習面では、チーム制を取り入れ、お互いを切磋琢磨しました。そして、作戦面では、これまでの常識をくつがえす作戦を生み出しました。みなみは、監督の加地にこう尋ねました。

「甲子園の長い歴史の中で、それまでの常識を変え、新しい価値を打ち立てることに成功した監督はいますか?」p148

すると加地は、こう答えました。

「おれの知る限りだと、二人いる。一人は池田高校を率いた蔦文也監督で、もう一人は、取手二高を率いた木内幸男監督だ。」つまり、蔦監督は、打って打って打ちまくるというスタイルで、高校野球に「守りの野球」から「攻撃野球」という新しい常識を打ち立てました。木内監督は、それまでの「管理野球」を捨て、選手の気持ちや個性を大切にする「心の野球」を打ち立てていたということをみなみに熱心に語ったのです。それを聴いたみなみは、加地の目を真っ直ぐに見つめて言いました。

だったら、先生が三人目になりませんか。」 

加地と文乃がたてた特別の作戦とは、「ノーボール、ノーバント作戦」でした。甲子園に出場するという目標の下では、短期間にトーナメントを勝ち上がっていかなければなりません。そのために必要だったのが、この「ノーボール、ノーバント作戦」なのでした。

これ以降、程高野球部は、高校野球の世界に旋風を巻き起こしていきます。
程高野球部はどうなるのでしょう。
みなみは・・・。 夕紀は・・・。

まだ、この「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んでいない先生方、どうぞお読みになってください。映画も良い映画です。日々の実践に役立つことが、きっとあるはずです。

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私にとってのイノベーション

私は、今から17年前の1996年、当時の学年の仲間とともに、現在の職場体験のもととなる名づけて『労働体験』というものに取り組みました。全国的に職場体験が拡がっていくきっかけとなった兵庫の「トライやるウィーク」が始まったのが1998年のことでしたから、職場で仕事を体験させるなどということは、教育の現場では「非常識」であり、全く、当時のイノベーションだったといえます。

総合的な学習の本格実施が2002年ですから、時間の制約や、子どもの活動の枠組みの制約、地域の人たちを学校へ取り込んでいくことへの教員の抵抗など、様々な困難がありました。

「先生、本気?」「子どもにさせる仕事はないよ!」と事業所の人たち・・・

「そんなことして子どもが事故にでも遭ったら誰が責任取るの?」と学校内から・・・

しかし、そんな困難を乗り越えて、実施した第一回目の『労働体験』学習は、子どもたちにとって、何ものにもかえ難い、大きく、そして深い学びを得ることができました。

そして、それだけではなく、地域の人たちに活気と元気が生まれてきたのです。

「子どもたちを地域、社会へ解き放とう!!」 これがスタートでした。この目標を実現するために達成されたものが『労働体験』だったのです。まさに、ドラッカーが語ってくれているように、組織の内部と外部に多大な成果と成長をもたらしてくれたのです。

学校はすべての人たちの幸せのために
これからの学校教育のイノベーションとは、一体何になるのでしょうか。かつて職場体験に取り組む大きなきっかけとなったのは、1995年に起きた阪神淡路大震災でした。そして今、学校教育のイノベーションを考える時に、2011年3月11日に起こった大震災の惨事のことを考えずにはおられません。

あまりもの大災害であったために、機能を果たせなかったところもありましたが、学校は避難所として、そして、それ以降は生活をする場として学校がその役割を果たしてきました。このような大災害時において、学校が地域社会の中心に位置していることをあらわします。場面が極限すぎてわかりにくいかもしれないですが、極限であるからこそその本質をあらわしているものだと思います。

そう考えると、たかだか10年しかいない学校の教員が、学校が自分のものであるかのように振るまうことは、間違っているのです。学校教育は、学校教育に関わる全ての人たちにマーケティングをほどこし、学校教育に関わる全ての人たちが「幸せに」なれる方策を打ち出さねばなりません。「学術・文化」「地域文化」「ソーシャルスキル」「ソーシャルエンカウンター」「地域振興」「地域防災」などにわたる全ての拠点としての、ハードとソフトを備えたものにならなければいけないでしょう。

もしドラ応援団 
http://www.moshidora-movie.jp/

(おわり) 2011年9月12日

 

 

 

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