RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫) 価格:¥ 580(税込) 発売日:2010-04-06 |
映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP
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「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア
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【Story of RAILWAYS】
(1)をブログアップした直後に、松江市教育委員会の奈良井 孝先生からメールをいただきました。早速、(1)を読んでいただいて、一畑電車、通称「ばたでん」について書いて下さいました。
『ブログ、読みました。研修日の前後で、いろいろ松江を探っておられたのですね。一畑電車=「ばたでん」は「湖北地域」の人々にとっては本当に生活の足です。通勤、通学そして昔は、半島の海端の漁村から海産物を運ぶ行商のおばちゃんたちが、松江・出雲へ大きな荷をかついで乗り込む大事な交通機関でした。おまけに、「一畑薬師」という寺院(山寺)がありそこへお参りする人たちも「一畑口」というふもとの駅を使っていました。そんな「電車」なので、赤字ではあるのですが廃止することはできず、松江市・出雲市が援助をして成り立たせている「私鉄」です。宍道湖が画面奥に映り、菜の花ばたけのなかをオレンジの一両電車が走るシーンは、こちらの人間でも、「きれいな、いいところだなぁ」とほれぼれする風景です。また、あの、宍道湖を覆うどんよりとくらい、灰色の雲の感じも松江(山陰)独特で、登場人物の心を写してるのかなぁと思うシーンもありました。これからが、宍道湖の夕日の美しい季節です。時間があればぜひおいでください。』
私は、この「RAILWAYS」を映画を観て、その後小説を読んだのですが、監督の錦織良成さんが小説の原案をつくり小林弘利さんが書かれたようです。ですから、小説そのものは、まるで映画の台本を読んでいるかのように、映画に忠実に著されています。そして、それ以上に、映画での何気ないシーンに意味が込められていることを、私は小説を読んで気づくことができました。例えば、映画では、地面すれすれからの視点で、レールのポイントが切り替わるシーンがあります。実は、そのシーンは、主人公である筒井肇の人生が大きく変わっていくポイントを表しているのです。私は、そんなことに気づきながら、肇の妻である由紀子、娘の倖の三人の家族が、肇の母である絹代との関わりや、松江の人々との関わりを通じて、人間としてのあり様を自らの心に映しだし、行動として実現していく姿に感動したり涙したりしながら映画を観たり、小説を読んだりしていました。
松江市教委の奈良井先生が書いて下さった、美しい松江の風景と通称「バタ電」の息づかいをあらわしているようなシーンが全編を通じて描かれているのですが、映画の冒頭は、新幹線が走る東京の風景から始まります。
【あらすじ】
東京にある大企業、京葉電器のエリート社員、筒井肇は、大学の同期である親友の川平が工場長を務める工場へ出向き、工場の閉鎖を伝えるのである。工場の閉鎖とは、何百人ものリストラを意味する。「せめて、お前だけでも、本社へ。」という肇の誘いを、「こつこつといい物をつくる。」という言葉を返して川平は断った。川平はものづくりのなかで生きている人間なのである。一方、肇は、将来を期待されたエリート幹部であり、このリストラが成功したときには、次の『常務へ』という見返りを得ていた。
肇の家族は、妻・由紀子、娘・倖の3人。肇は、自分の頑張りは、当然、家族のためであると信じ、がむしゃらに頑張ってきた。家族を顧みず・・・。しかし、そのツケが、何も気づいていない肇に襲いかかろうとしていたのである。妻・由紀子は、自分の店「ハーブトーク」を新たに始め、娘・倖は、肇の存在を無視するかのような言動をとっていた。会話のない家族であった。
肇の故郷は、島根県にある宍道湖のほとりである。そこには、ひとり故郷で暮らす祖母・絹代がいた。絹代は自宅で野菜を育て、それを「ばたでん」を利用して行商していた。
ある日、母・絹代が行商の途中「ばたでん」の中で倒れ、病院に運ばれたという知らせが肇のもとへ届いたのである。肇は、娘・倖を連れ、急遽、島根へ向かった。その行程、二人のぎこちない関係が露呈してしまう。妻・由紀子は店の営業を終え、一人、島根へ向かったが、肇の実家に居合わせた三人は、まさに、他人のような関係だった。そして、病院へかけつけた肇は、医者から絹代が末期癌であることを知らされる。
さらに、肇のもとへ、追い打ちをかけるようにショッキングな知らせが届く。リストラされた従業員の世話を、必死になって行っていた親友の川平が交通事故で亡くなったという知らせであった。肇は、親友を亡くし、さらに、母までも失おうとしていたのだ。肇は、自分の人生をふり返り、これで良かったのかと自らに問いかけていた。
入院した絹代の世話は、おばあちゃん子である倖が祖母の家に泊まり込み、献身的に行った。一方、肇は土日に島根に帰るという二重生活をしていたのである。
そして、いよいよ肇は人生の「切り替えポイント」をむかえる。
「今、何と言った。すまない、もう一度言ってくれ。」と球磨専務が驚きを隠せずに言った。
「私自身をリストラしようと思います。」 肇は表情を変えずに答えた。
小さい頃、「ばたでん」の運転士になることが夢だった。それを聴いた母・絹代は肇が運転する電車に、母・絹代は「手を振ってあげるよ」と言って喜んでくれていたのである。「ばたでん」の運転士になる。これが、49歳の肇にとって初めての夢への挑戦であった。
「ばたでん」=一畑電車は、宍道湖の湖北の人々にとって、重要な生活路線だ。しかし、地方のほとんどの鉄道がそうであるように、赤字路線である。それゆえに、地域の人たちに愛され、地域と密着した鉄道であることに存続の意義がある。肇は、同期入社の宮田大悟とともに、一ヶ月間、東京の京王電鉄での研修を終え、晴れて、夢だった電車の運転手となった。
宮田大悟は、かつて、高校野球の投手として名を馳せ、プロからの誘いもあった。しかし、不運にも肘を壊し、その夢は潰えたのである。「ばたでん」を支える保守の人たち、先輩の運転手、管理職の人たち、まわりの人たちに支えられ、肇と大悟は、「ばたでん」の運転手として、新たな道を歩みだした。
ある日、肇と大悟は地域の人たちに密着した仕事ぶりが行き過ぎ、それが仇となって取り返しのつかないような事件を引き起こしてしまう。その責任をとって、肇は退職を決意した。母・絹代との約束を果たせなかったが、肇の決心に悔いはなかった。
肇は社長の大沢に退職願を出し、駅舎を去ろうとしたとき、改札口から子どもや、主婦や、お年寄りや、「ばたでん」を支える保守の人たち、同期の大悟、そして退職願を受け取った大沢社長たちも含めて、大勢の人たちがホームに現れ、肇を取り囲んだ。「やめないで下さい。」「やめないで。」「・・・・」「・・・・」
多くの人たちの懇願の中で、大沢社長は事の発端となった「坊や」に言った。
「電車は運転士がいなければ走らん。けどな、運転士さんだけでは電車は走らないんだ。・・・だから坊や、誰も辞めたりはしない。誰が欠けても電車を走らせられなくなってしまう。坊や。未来の運転士さんも一緒に電車を走らせよう。」
みんなで走らせている電車の中で起こったことは、みんなで責任を取る。大沢社長は肇を見つめ、目だけで気持ちを伝えたのである。
肇の夢はついにかなった。「ばだでん」を運転する肇を見つけ、病院の窓から母・絹代が手を振る。肇は、ちらっとそれを確認し、何事もなかったように「ばたでん」を運転するのである。
妻・由紀子、娘・倖とともに、肇は新しい生活と新しい生き甲斐を、生まれ故郷の宍道湖のほとりで、手にすることができたのである。
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最後の、肇を囲む駅舎での映画のシーンでは、私自身、ぼろぼろ涙を流してしまいました。ネットカフェなので、何も気にするものもありませんでしたし・・・。あらすじが少々長くなってしまいましたが、これは、あくまでもあらすじであり、この小説と映画の本質を語ることはできません。まさに、肇のあり様の変化が、肇を取り囲む人間というものとのつながりを大きくつくりあげていきました。このようなことを次の記事から考えてみたいと思います。
(3)へつづく 2011.10.24
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