あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

ACジャパン「行為の意味」と「親切&おせっかい」の間にあるキーワード

2011-05-24 00:58:45 | コラム

宮沢章二さんの「行為の意味」がACジャパンのCMに採用されました。一方、ラジオ専用ですが、「親切&おせっかい」という親切とおせっかいの境界線を考えさせられるようなCMも流れています。さて、この2つのCMを視聴してみて、この2つを理解するキーワードを考えてみたのですが、みなさんはどう感じられますか? コメントをお願いします。

一見、相反することを訴えかけているように感じるかもしれないですが、どちらも、真理をついてますよね。この二つを結びつけるキーワードを考えれば、「道徳の時間」などで、教材として使えるかも・・・

Kouinoimi You Tube「ACジャパン CM 見える気持ちに」より

 

ShinsetsuosekkaiYou Tube「ACジャパン ラジオCM おせっかい」より

6月24日 追加の記事です。

このページをアップして一ヶ月が経ちました。この一ヶ月でこのページへのアクセスが100件を超えました。検索キーワードは「AC親切とおせっかい」という内容からのアクセスがほとんどでして、「行為の意味」からのアクセスは一割あるか、ないかでした。お二人の方からコメントをいただき、なるほどと納得させられる部分もありました。

そこで、私の考えですが、「行為の意味」と「親切&おせっかい」の間にある共通のキーワードとは「共感性」ということではないでしょうか。「共感性」という力は、自己を信頼する力の中で、もっとも高度なものでありますし、複合的、総合的な力です。「歳を取ると涙腺が弱くなる」とよく言われますが、生理学的な論拠というものはよくわかりませんが、歳を取ることによって少しずつ積み重ねられた共感性の力が、感動→涙というプロセスになるのではないでしょうか。実際、私は若い頃に映画を見て涙を流すなどということは、一度もありませんでした。けど、55歳を超えていろいろな経験を踏まえたり、人の様々な体験にふれていると、自然と何か感動する力というものがついてきたように思うのです。現に、最近観た「もしドラ」では、何回も惜しげもなく涙が出てきました。野球部監督の加地先生が「フォアボールを出したくて出すピッチャーは一人もいないんだ。」と叫んだとき、エースの慶一郎が肩をふるわせてすすり泣くシーンは、これまでの子どもたちの姿がかけめぐって、ほんとに涙が止まりませんでした。

「行為の意味」を後押しする力は、まぎれもなく、人の心を想像できる共感性です。そして、想像できるための観察力です。「親切&おせっかい」の違いを見極めることができる力も相手のことを想像できる共感性なのではないでしょうか。もし、自分の共感性に少しだけ自信がなければ、ちょっとだけ「大丈夫ですか」「何かお手伝いできますか」と聴けばいいだけなのですから・・・

「あいさつの魔法」

続報-松原第七中学校で道徳の授業として「行為の意味」と「親切&おせっかい」に取り組みました。

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2011年6月15日 奈良県橿原市立光陽中学校区ブロック人権教育研修会

2011-05-23 22:15:40 | 研修会

レジメ(携帯用)

6月15日(水)、奈良県橿原市立光陽中学校区のブロック人権教育研修会にお招き頂き、光陽中学校をお訪ねしました。東の方には畝傍山、校舎の敷地も含めた裏手には忌部山などの数々の歴史遺産に囲まれたところに立地している学校でした。

14:30の開始時間には、ほぼ全員がそろってスタンバイOKの状態で、90分という時間設定でしたので、「依存から主体へ」の短縮バージョンで臨みました。今回からは、ブログを使ったふりかえり&シェアリングに取り組んだのですが、バーコードで入っていただいた方には、光陽中のところへたどり着くのに、たくさん下がって探してもらわなければいけなかったり、キーワードの設定ミスをしてしまったりで、他の記事のコメントに入られた方もおられたようです。この方々のコメントは、私が光陽中のページに移動させていただきました。そして、スマートフォンからブログに入れなかったようで、3人の方のぶんを私が入力させていただきました。初めての試みでしたので、やはり、予想できてなかったところが多かったです。

ところで、研修での学びですが、「これなあに?」で、「え×ぴ×××り」を一発で正解されてしまいました。これには、大変びっくりでした。そこで、さっそく何故わかったのかをお聴きすると、背が高いので、上から見ることが多くて、この形状に記憶があったからだそうです。あ~、なるほど・・・。これは気づきになりました。人によって見え方が違うんだな、ってことを再認識です。そんな、こんなで何とか、依存的なあり様から主体的なあり様を通じて、保・幼・小・中の連携の課題にまでたどりつきました。しかし、最後の5分は、すっ飛ばした感が出てしまったので、3~4人の方をホールドすることができませんでした。残念です。

ふりかえりをいただいた内容についてのフィードバックですが、疑問とか否定という形で出していただいた方が、学びの深まり具合が違います。まず、ヒヨコさんのご意見ですが、「・・・主体的か依存的ということでは、全人格が主体的である人間はあり得ない。主体的な子どもを目指すと言うが、一人一人の人間性を見つめた上でー判断して、伸ばしてあげられたらいいなあ!私は、子どものころから消極的な面と積極的な面とをあわせ持っていると感じています。」といただきました。その通りではないでしょうか。子どもは子どもですから、主体的な子どもというのは、本当はいないのです。正確に表すと「主体的なあり様をめざしている子ども」です。ましてや大人であっても主体的なあり様のゴールというものは、存在しません。それは、無限の可能性を秘めたものであるからなのです。人間にだけ与えられた、大脳新皮質が、人間の自己実現を永久に追求していくのです。ただし、これは、人間として開かれているということが条件になります。最近はやりの「もしドラ」におけるドラッカーの言葉を借りれば「真摯さ」ということになります。先生たちは教員ですから子どもが「主体的」であることを頭では望みます。しかし、教員として依存的な生き方、あるいは閉ざされた生き方、あるいは、固定観念に囚われたあり様しか示すことができなければ、いかに子どもに「主体的なあり様」を望んでも、支援することはほぼ不可能であります。子どもに批判されることはあっても、生き方のモデルを示すことができません。ですから、ほんとうは、教員が不十分な状態でもいいので、主体的なあり様を「めざしている」ということが大切なのです。ヒヨコさんが書いておられる、まさに、その通りなのです。

それから、リチャードさん、おっしゃるとおりに、この手遊びには様々なバージョンがあります。私は、校区の恵我幼稚園の先生から教えてもらいました。とんにゃんさん、さぼらずに研修に参加していただいてありがとうございました。価値を見いだしていただいて、うれしいです。ふりかえりを書いてくださった、すべての皆さん、全員へのフィードバックはできないのですが、これ以降、もし何かありましたら、このページにコメントを下さい。コメントいただければ、メールで告知がありますので、すぐに還せるはずです。よろしくお願いいたします。

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