宮沢章二さんの「行為の意味」がACジャパンのCMに採用されました。一方、ラジオ専用ですが、「親切&おせっかい」という親切とおせっかいの境界線を考えさせられるようなCMも流れています。さて、この2つのCMを視聴してみて、この2つを理解するキーワードを考えてみたのですが、みなさんはどう感じられますか? コメントをお願いします。
一見、相反することを訴えかけているように感じるかもしれないですが、どちらも、真理をついてますよね。この二つを結びつけるキーワードを考えれば、「道徳の時間」などで、教材として使えるかも・・・
You Tube「ACジャパン ラジオCM おせっかい」より
6月24日 追加の記事です。
このページをアップして一ヶ月が経ちました。この一ヶ月でこのページへのアクセスが100件を超えました。検索キーワードは「AC親切とおせっかい」という内容からのアクセスがほとんどでして、「行為の意味」からのアクセスは一割あるか、ないかでした。お二人の方からコメントをいただき、なるほどと納得させられる部分もありました。
そこで、私の考えですが、「行為の意味」と「親切&おせっかい」の間にある共通のキーワードとは「共感性」ということではないでしょうか。「共感性」という力は、自己を信頼する力の中で、もっとも高度なものでありますし、複合的、総合的な力です。「歳を取ると涙腺が弱くなる」とよく言われますが、生理学的な論拠というものはよくわかりませんが、歳を取ることによって少しずつ積み重ねられた共感性の力が、感動→涙というプロセスになるのではないでしょうか。実際、私は若い頃に映画を見て涙を流すなどということは、一度もありませんでした。けど、55歳を超えていろいろな経験を踏まえたり、人の様々な体験にふれていると、自然と何か感動する力というものがついてきたように思うのです。現に、最近観た「もしドラ」では、何回も惜しげもなく涙が出てきました。野球部監督の加地先生が「フォアボールを出したくて出すピッチャーは一人もいないんだ。」と叫んだとき、エースの慶一郎が肩をふるわせてすすり泣くシーンは、これまでの子どもたちの姿がかけめぐって、ほんとに涙が止まりませんでした。
「行為の意味」を後押しする力は、まぎれもなく、人の心を想像できる共感性です。そして、想像できるための観察力です。「親切&おせっかい」の違いを見極めることができる力も相手のことを想像できる共感性なのではないでしょうか。もし、自分の共感性に少しだけ自信がなければ、ちょっとだけ「大丈夫ですか」「何かお手伝いできますか」と聴けばいいだけなのですから・・・
続報-松原第七中学校で道徳の授業として「行為の意味」と「親切&おせっかい」に取り組みました。
(あいあいネットワーク of HRS URL:http://aiainet-hrs.jp/)(mail:info@aiainet-hrs.jp)
(コメント欄のメールアドレスとURLは必須ではありません。)