Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

昨夜のキリスト放送の感想

2020年01月24日 16時16分22秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 昨日の夜、眠いながらも、韓国から電波を送信しているFEBCというキリスト教の放送を聞いた。
 途中、ある質問コーナーのような番組があり、次第に興味を覚えた。
 一リスナーが、質問をした。曰く、聖書には神による殺戮場面が多い。そのリスナーは、かなり聖書に通達し、旧約時代はほとんどが神による人類殺戮、偶像の金の子牛を作った者共の絶滅、ノアの箱舟の時の殺戮、モーセの十戒の時の、海を二つに分けて逃げるユダヤ人を追って来るエジプト軍の全滅、他、本当に多数の殺戮を列挙して語り、それらをどう思うか、認めるのか、と豊富な知識を持ちながら、何か思い詰めた、その答えの次第によってはキリスト棄教もこの人は考えているんじゃないか、といったような質問だった。
 その回答を聞くが、番組進行役のキリスト指導者は、何か煮え切らない。考え考え、どうしてこんな疑問を抱いたのかをまず問い質し、私も判りません、と半ば答えを投げ出し、困っている風。
 そして、新約時代、イエスも人々に虐殺された事をもって、神の子も殺されたんだから、おあいこ、とばかり、お茶を濁し、番組は終わってしまった。
 聖書に事実としてそう書いてあるので、凶暴な神の暴力性を認識せざるを得ない。そして、話者たるキリスト教関係者は言葉に詰まり、ただため息で飽和して時間の経過を待つという情けなさだった。
 色々と理由をつけても、キリスト教の根幹の神の残酷性は認めざるを得ない。
 私はキリスト教の限界、極言すればその退廃した究極の存在価値の軽さ、終わった宗教観を感じざるを得ない。
 神の殺戮を是とする教えでは、人もその猿真似をして結句、世界は戦争が絶えない訳だ。
 結局、キリストの十字架に頼り、復活、昇天という、おとぎ話の妄説に付き合わされる。もうこんな堂々巡りは、止めて欲しいと切に願う。


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