Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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創価学会「ニセ本尊」破折100問100答、電子ピアノでバーナム練習グループ1終り

2024年04月28日 22時59分28秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
創価学会「ニセ本尊」破折100問100答、電子ピアノでバーナム練習グループ1終り 創価学会「ニセ本尊」破折100問100答、朗読。日蓮正宗による。電子ピアノでバーナムピアノテクニックミニブック教則本グループ1終りの場面、復習。今日一日の事等話す。以上。よしなに。wainai 

本日は日蓮正宗立宗会、そして帰宅後、鈴木健二著「気くばりのすすめ」を読了!※長文失礼

2024年04月28日 18時29分01秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致

 本日は我が日蓮正宗菩提寺の無量山寿海寺にて、大聖人様の「立宗会」(りっしゅうえ)があった。
 その直前、私は、「はま寿司」で、「まぐろ丼」を540円と言う、リーズナブルな値段で途中で買い求めて、お寺の幹部の方々は幹事会を開き、その間に、私はそのどんぶりを全部食べてしまっていた。
 そして、皆さん、私の前に現れたのだが、食事はどうしたの?と言われて、とっくに食べちゃいましたよ、というと、540円と言うのは、本当に安いけれど、それで満足できる内容なの?と聞かれた。 
 まあ、確かに、がっちり食べたい人向きではないかも。しかし、薄切りの、赤身のマグロ四枚、中トロ?白いのが四枚、それと、しその葉の上にマグロのすり身が乗ったものにシャリがあるやつで、その値段は安い方だと思うと。
 これに、590円で、シャリが大盛なのも別コースであるが、それは、ご飯だけが大盛で、おかずのマグロは大盛じゃないから賛否両論だろう。
 この他、まぐろサーモン丼というのも、同じく540円で売っている。これも紹介した。

 そうして、私達は、御住職様の御説法を聴いて、非常に有難くお話を皆で聴き味わった。しかし、今日はバカに暑いなあ、と思いつつ、家に無事に帰って来た。
 そうして、今まで、確か今月から読み始めたのか忘れたが、NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が亡くなったと聞いた時から、私は彼の著書「気くばりのすすめ」をアマゾン電子書籍で買い求めて、この一か月程、読み進めて来た。
 今日、やっとそれを読み終わった。
 普通の読み方で、それ一冊に専念して読めば、これ位の本ならば、一日掛かるか掛からないかで読めるだろうが、私の読み方は、学校の授業と同じく、何冊もの書籍、本を、同時並行で進めて読んでいく。
 これが、誰の本を読んでいるのか判らなくならないのか、と問われても、私は、これが誰の本かは、充分理解して読んでいるから、大丈夫なのだ。それが、私の読書の流儀であり、以前、聖書などを読んでいた時は、確か、それ一冊に集中的に読んでいたような気もするが、やはり、平行読書だったと思う。
 その時は、聖書と、仏教の初期仏典「岩波文庫:中村元訳『ブッダのことば』」なども併せて読んでいたのだから、私にとっては、キリスト教一辺倒の、嫌味が抜けて行ったのだから、これは痛快である。
 とにかく、この一か月の、この鈴木健二著「気くばりのすすめ」だが、古き良き日本の美徳、道徳、気遣い、がアウトラインとしてある。
 最後の、文庫版での著者の言説が成程、と思わせた。曰く。
 この本が、要らない必要でない時代が訪れたならば、その時が、すべての日本人が自分及び他人、それを越えた、大自然や動物や昆虫含む森羅万象、あらゆる存在に気くばりが出来ている時代が来たのだと、作者は言い切る。
 それ位、昭和の頃、この本はバカ売れしたのである。何と400万部以上!
 今の出版不況がウソのような、しかし、この著者は、売り上げの印税の、85%以上、ほとんど収入の全てが、税務署に税金として取られると言って嘆いて見せる。
 この本は、この当時、講演活動の中で話して来た事が基本としてまとめてあり、それらを基に書いたものであり、話し言葉が、無理やり書き言葉になっているのが、この著者にとっては、他の著作に比べると、少し不満げにも感じられる。
 どうしてこの本がその当時の日本人に読まれたのか。ここに書いてある事は元々常識以上のものでもなければ、以下のものでもない。それなのに、多くの方が、年齢や男女の別を越えて、人間としてあるべき姿を学ぶ意味で、重要なヒントを得たと言って下さる。それは日本人が戦争と戦後の荒廃した生活の中で失ってしまった人間にとって変わらない常識を、幾分なりとも掘り出したからではないかと著者は言う(趣意。著者、あとがき、文庫本刊行に当たって、から大体の輪郭のおぼろげな引用)。
 思いやりの技術はとても簡単。本当は問題の本質はきわめて簡単。それがお互いに相手に細かい自然な気くばりをすれば良いだけである。それが今の日本人にはできないのだろう、との著者の言葉が熱く迫る。

 ともかく、今となれば、昭和元禄、とも言えた、物事も単純であり、何とも現在からみれば、おっとりとした、いい時代に我々は生きていたなあとは、何となく思う。
 けれどもこの時代は、校内暴力、家庭内暴力、政治家の汚職、公害環境問題、等々の、沢山の問題も抱えていた、それらに看過出来ない時でもあった。
 この本を書き終わったのが、一九八二年、秋。とある。まだまだ、迫り来るバブル景気までは、時間的な猶予がある。
 その後の日本人とは、諸外国の、特に先進国からはもう、学び尽くした、と言わんばかりの、日本が傲慢となって行った時代に差し掛かろうとしていた。その陰には、多くの日本人としての、学びを辞めた国民は、流浪の民の如くの、悲惨なバブル崩壊へと一気に国としてなだれ込んで向かってゆく。
 この時代を総括して、反省が本当に実地に実際に行われてきたのか?!果たして怪しいし疑わしい。それに加えての、現在の、不景気狂乱物価高の中の、株高フィーバーには、これには、私には、何か現政権の悪乗り、悪あがきじゃないのか、との不信感しかないのである。
 とにかく、汚職にまみれた、現自公政権を倒す、この一点に懸けた諸政党が、出て来てくれないのか、ここが一番最大限の現今の、喫緊の課題・問題だと、今日は、思い致し考える一日となっております。

以上。よしなに。wainai
※長文失礼しました。

短歌、二首、作歌。今回はこれだけです。

2024年04月28日 17時51分58秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 私は、短歌の作歌活動が、人並み以上の、隔日多産量産系だとはおもっていたのですが、今回は、思う程は、出来なかった、私です。
 何だか、拍子抜けしたような、情けない、こけおどしのような、ガッカリ感に包まれている私ですが、これを機会、機縁に、又、頑張って、作歌に取り組む決意です。
 以下、二首。

 大槻のひなびた町を行きければホーホケキョ―とうぐいすの鳴くなり

 ホーホケキョと鳴く鳥は死後硬直を免れると云う

 二〇二四年令和六年四月二十二日月曜日午後四時頃。作歌。於:大槻町JA旬の庭のそばにて。

 二首目は、ユーチューブ動画の、日蓮正宗の世界では伝道師?!折伏の第一人者として、かなり有名な、「樋田昌志」さんの、御言葉であり、ホーホケキョ―と鳴くうぐいすには、法華経の仏性が特別に宿り、見事な成仏の相を示し、死後硬直を免れるんだ、ホントかウソかは分かりませんが、そうなんだーと私は思い、仰っていた回を思い出して、私なりに作歌してみました。

 実際に、母の施設の帰り道で聞いた、本物自然の春のうぐいすの鳴き声でした。
以上。よしなに。wainai