なかなかまとめきれず長文となりました。
下の読売新聞の記事だけでも読んでいただければ。
希望を失った町には動物が置き去りになって生き延びていた。
置き去りという言葉を使いたがらない人もいるけどそれが現実です。
震災後に亡くなった父の相続を終えてから私の福島通いが始まりました。
津波で壊滅した南三陸町へ通った者として町がそのまま残る福島に愕然とした。
帰る気になれば自宅はそのまま残っているのです!
目に見えぬ放射能の恐怖から町を捨てて避難したけど動物は普通に生き延びているのです。
たった一人で置き去り猫に餌をあげるカメラマン男性の書籍を読んで福島へのイメージも大きく変わる。
掛かりつけの獣医の先生からも放射能が生態系に与える影響について詳しく教わりました。
馴染みのホームセンターで売っているキャットフードを全品買い上げて車に積み込み
福島県南相馬市に開設した被災猫シェルター「にゃんこはうす」へ届ける。
福島第一原発から半径20km以内を警戒区域に指定して全住民を避難させて立ち入り禁止になっていた。
そこにどれほどの猫が置き去りになっているのか想像もつきませんが。
江戸川区からは常磐道を北上すれば行ける場所なのに警戒区域を迂回しなければなりません。
と言っても常磐道はいわきJCTの先は対面通行の暫定的な高速道が一部で開通してるだけでした。
福島県の太平洋側を浜通りと呼び高速道路も無い地域で人口の減少が続く地域に
原発を誘致したのは住民たちの悲願でもあった。
企業を誘致しようにも陸路は国道6号線が1本だけなので道路事情も悪く陸の孤島状態。
福島県は東北道が通る中通りは発展したが浜通りは寂れる一方なのです。
南相馬市にあるにゃんこはうすから帰る時 東北道の渋滞を避けるため
磐越道で太平洋側に出て常磐道を利用したこともあった。
東北道福島松川スマートICから列島を横断する県道12号で東に進むと太平洋側の南相馬市へ出る。
途中に全村避難した飯館村を通過します。
住民が居ない地域は不気味です。
各市町村の首長が原発反対派だと街を捨てて住民は路頭に迷うのです。
飯館村には「卒原発」を訴えた滋賀県知事が手を差し伸べて原発反対一色に村人を染めた。
こういう地域の復興はかなり難しいでしょうか。
名産の飯館牛は諦めて東電からの賠償で食べていくのでしょうね。
どこかに責任を求めている人はそこから抜け出せなくなりますからね。
能登地震でもそうだが帰る家を失った方の犬猫の今後
一時的に預かってもらうのも有ですが里親募集もあります。
一緒に避難生活を続けるのが理想ですが犬猫の寿命を考えると残酷な気もします。
残された時間を新しい飼い主さんの元で過ごすのも猫にとっても幸せだったり。
災害時のペット問題 答えが出ませんね(-_-;)
帰還困難区域で猫3000匹超が野生化…捕獲・保護するNPOが写真展「考える材料に」
配信
捕獲器を設置する小西由美子さん(2月11日、福島県浪江町で)=富永健太郎撮影
東京電力福島第一原子力発電所事故の帰還困難区域で、置き去りにされたペットの猫が子を産んで野生化し、保護団体がこれまでに捕獲した数は3000匹を超えている。人の気配が絶えた山里は景色も一変した。団体は、野生動物や地域の風景を撮りためた写真などの展示会を開催し、命の大切さと被災地の現状を伝えている。(福島支局 山口優夢) 【写真】福島県浪江町で保護された猫
2月中旬、福島県浪江町の山あいにある帰還困難区域の津島地区。認定NPO法人「未来といのち」(福島県郡山市)代表の小西由美子さん(68)が、人の出入りが絶えた建物の軒下に、捕獲器を設置した。中にはにおいの強いペットフード。引き寄せられた猫がケージに入ると、扉が閉まる仕組みだ。小西さんは「寒い日の後に天気が良くなると、猫が入りやすい」と話す。
原発事故では、避難所に連れていけないペットの犬や猫が置き去りにされたり、飼い主とはぐれたりするケースが多発した。群れて危険な犬は保健所が優先的に保護して姿が見えなくなったが、繁殖力の強い猫は現在も新たな保護が続く。保護された猫は、NPOが管理するシェルターで譲渡先が見つかるのを待つ。
原発事故当時、支援物資を持って役場などを回った小西さんは、住民から自宅に残してきたペットの世話を頼まれた。これが保護活動のきっかけとなった。
人のいなくなった街を徘徊(はいかい)するやせ細った猫のほか、牛舎で鎖につながれたまま死んでいく牛、人が近づくとエサを求めて鳴くニワトリ――。取り残された動物たちの悲惨な最期をいくつも見てきた。
「人間の都合で取り残された動物たち。人間がその命に責任を持つべきだ」。そんな思いで、ほぼ毎週末、自宅のある東京から通い続けている。
この13年間、帰還困難区域の風景は大きく変わった。浪江町の津島地区では当初、一時帰宅する住民を見かけたが、今では人の姿はほとんどなく、家屋も解体されて更地になった。「最初から人が住んでいなかったみたいだ」