マックス・ヘッドルームの記事から、洗脳なんてことを考えてしまったんですが。
TVが最新情報受信&発信システムであるのはいいとして、ある部分で、思考すること、というか思考の分業化みたいな性格を持ってるよなぁ、と。
もちろん、大昔から教養番組はあるし、見る人間次第で、どんな番組にだって得られるものはある。すっごくつまらない番組だったとしても「こんなのをお金かけて、大人が一生懸命作ってるんだなぁー、お仕事って大変だな」という感慨に変われば、それはそれで1つの経験値(知)アップなのかな、と。
TV普及前は、きっと情報量そのものが少なくて、1つの情報をあちこちからみんなで吟味・検討できたんじゃないかな、と思う。
今は情報量過多で、それらを編集・集約するポイントそのものが過多になりつつあって(質的には逆に巧妙に、TV局や番組有利に編集されてる気もしつつ)、「他人の思考」が氾濫している。
・・・下手したら、なにも考えなくても、そこそこのことは「他人の思考」のパッチワークで言えてしまう。・・・
「考えずにすむ」。
これには当然功罪あって、先人の知恵含め、ルーティンワークの効率化や省力化にはいいんですけど、「自分を育てる」時にパッチワークのまま移行してしまう危険性もあるように感じます。いわゆる「自分がない」「自分が見えない」状態。
その1つが、エヴァなシンジ君のような「人のいうことをなんでも聞く」という人形のような生き方であり、もう1つが、前々からどうしてもひっかかってしまう「モラルハザード」や「共依存」含めた「協働悪意」。「自分」がないことで、無責任な残虐思考が育ちやすくなってきてる気がするのですよね。
高3男子自殺 「あいつは収入源」 同級生ら言いふらす(産経新聞) - goo ニュース
関係者の話によると、男子生徒は入学直後から同級生数人に金品を要求されており、この同級生らは周囲に「あいつ(男子生徒)は金の収入源」と話した。さらに、3年になると10人以上が男子生徒に金をせびるようになり、複数の同級生が「金の収入源」と言い続けた。このような発言を聞いた男子生徒はショックを受けた様子をみせていたという。
学校会見「サイン見逃した」 生徒逮捕で一転謝罪(神戸新聞) - goo ニュース
罰ゲームと称し「うそをついたら一万円払え」と現金を脅し取ろうとした-とされる容疑内容について、学校は生徒が自殺した七月、クラスメートらを対象にした聞き取り調査で、「そのようなゲームをしていた」と聞いていたが「恐喝とは認識していなかった」と説明。逮捕された少年を含め四人のチームメートも関与を認めたが「冗談のつもりだった」との釈明を信じたという。
しかし、七月下旬に亡くなった生徒の両親に調査結果を報告した際、遺書に金銭を要求されていた-との内容があったことを遺族から聞かされたにもかかわらず、名前の挙がった生徒にそれ以上聞き取りはしなかった。
学校側は逮捕された少年の処分を検討。十八日、学年集会で全校生徒に説明し、あらためて同級生らから聞き取りする。
■「嫌がらせ周知の話」同級生
自殺した男子生徒への恐喝未遂容疑で、同級生の少年が逮捕された事件は、少年の通う私立高の生徒に波紋を広げた。
少年と同じ三年生の男子生徒(17)は「亡くなった生徒が嫌がらせを受けていたことは、生徒の間で周知の話。同級生が逮捕されても驚かない」と語り「これまで嫌がらせがないと説明してきた学校は、真相を調べてほしい」と訴えた。部活で学校に来ていた一年生の男子生徒(16)は「新聞で嫌がらせを初めて知った。自分の高校でこんなことが…」と声を落とした。
恐喝グループ生徒はもちろん、学校側も思考が麻痺してるとしか思えません。
いじめがこれだけ社会問題になっても、自殺にいたる問題行動は減らない。
学校も他校で起った事件を対岸の火事もしくは忌むべき不祥事扱いで、本質追求・徹底しないから、のど元すぎれば良好な学校環境の維持という責任を放棄し、生徒任せになってしまう。そして事件が起ると、前例にもれずまずは「できるだけなかったことにする」が発動。もう、それが通用しないことを知るべきかなと。
生徒の間で周知の事実・・・
生徒が本当のことを言わない・もしくは彼らにとって都合のよい「事実」しか言わないのは当たり前。ましてや「僕が自殺の原因です」なんて、そのまま白状するほうがおかしい。何度でも繰り返す学校の甘さに怒りを感じてしまいます。
主犯格は事情徴収のあと、メールでうそぶいたりしてたようですが、これは完全に「自己責任」からの逃避行動。ここにも、自分のやったことにまともに向きあえない、「仲間内のネタ」にしてやったことの意味を変質させようとする、思考停止のサインを感じます。
自殺した少年も、もう少しだけ頑張って、誰かに相談してほしかった。
相手がやってることは絶対に間違っている、と自信をもって少しでも向かってほしかった・・・
学校側態度や助けてくれない同級生を見ていて、あきらめるほうを選んでしまったのかもしれません。誰からも見捨てられたように感じながら、死をもって糾弾する方法を選んでしまったのかも。いじめたヤツラには、あなたの命をかけるカケラの値打ちもない。追いつめられていく気持ちをトレースしながら、なんだか悔しくてなりません。
人を追いつめて殺した自覚は、きっと加害者少年たちにはない。
当然、殺人罪には問われないし、社会的に担う罪も、どちらかといえば、お金をかけてのメンタルケアで終わる気がする。
ヘタをしたら、「遊び感覚でやったこと(本人達の中ではあくまで仲間内ネタのような気がします)で自殺されて、迷惑なのはこっちだ」と思う子どもや親もいるんじゃないか、と穿ってしまう。
どこまでも救いのない事件です。
「拉致して殺そうと計画」と供述 名古屋女性拉致殺害(朝日新聞) - goo ニュース
この事件でも、ある側面で思考が停止している。
だから我にかえった1人が自首してしまったのでしょう。
悪意は簡単に増殖し、個人を超えて巨大化し、暴走する。
だからこそ、日ごろから、悪意をきちんと感知できる「自分なりの考え」をもっておく必要がある。
それが面倒だからすぐに群れるのかもしれませんが・・・。
ネットコミュニティ含め人が集まるところには、楽しい共感や盛り上がり、連携と同じだけ、他者排斥なプチ村八分な「仲間」意識とモラルハザードと共依存の罠があることを、心しておきたいと、改めて思います。
TVが最新情報受信&発信システムであるのはいいとして、ある部分で、思考すること、というか思考の分業化みたいな性格を持ってるよなぁ、と。
もちろん、大昔から教養番組はあるし、見る人間次第で、どんな番組にだって得られるものはある。すっごくつまらない番組だったとしても「こんなのをお金かけて、大人が一生懸命作ってるんだなぁー、お仕事って大変だな」という感慨に変われば、それはそれで1つの経験値(知)アップなのかな、と。
TV普及前は、きっと情報量そのものが少なくて、1つの情報をあちこちからみんなで吟味・検討できたんじゃないかな、と思う。
今は情報量過多で、それらを編集・集約するポイントそのものが過多になりつつあって(質的には逆に巧妙に、TV局や番組有利に編集されてる気もしつつ)、「他人の思考」が氾濫している。
・・・下手したら、なにも考えなくても、そこそこのことは「他人の思考」のパッチワークで言えてしまう。・・・
「考えずにすむ」。
これには当然功罪あって、先人の知恵含め、ルーティンワークの効率化や省力化にはいいんですけど、「自分を育てる」時にパッチワークのまま移行してしまう危険性もあるように感じます。いわゆる「自分がない」「自分が見えない」状態。
その1つが、エヴァなシンジ君のような「人のいうことをなんでも聞く」という人形のような生き方であり、もう1つが、前々からどうしてもひっかかってしまう「モラルハザード」や「共依存」含めた「協働悪意」。「自分」がないことで、無責任な残虐思考が育ちやすくなってきてる気がするのですよね。
高3男子自殺 「あいつは収入源」 同級生ら言いふらす(産経新聞) - goo ニュース
関係者の話によると、男子生徒は入学直後から同級生数人に金品を要求されており、この同級生らは周囲に「あいつ(男子生徒)は金の収入源」と話した。さらに、3年になると10人以上が男子生徒に金をせびるようになり、複数の同級生が「金の収入源」と言い続けた。このような発言を聞いた男子生徒はショックを受けた様子をみせていたという。
学校会見「サイン見逃した」 生徒逮捕で一転謝罪(神戸新聞) - goo ニュース
罰ゲームと称し「うそをついたら一万円払え」と現金を脅し取ろうとした-とされる容疑内容について、学校は生徒が自殺した七月、クラスメートらを対象にした聞き取り調査で、「そのようなゲームをしていた」と聞いていたが「恐喝とは認識していなかった」と説明。逮捕された少年を含め四人のチームメートも関与を認めたが「冗談のつもりだった」との釈明を信じたという。
しかし、七月下旬に亡くなった生徒の両親に調査結果を報告した際、遺書に金銭を要求されていた-との内容があったことを遺族から聞かされたにもかかわらず、名前の挙がった生徒にそれ以上聞き取りはしなかった。
学校側は逮捕された少年の処分を検討。十八日、学年集会で全校生徒に説明し、あらためて同級生らから聞き取りする。
■「嫌がらせ周知の話」同級生
自殺した男子生徒への恐喝未遂容疑で、同級生の少年が逮捕された事件は、少年の通う私立高の生徒に波紋を広げた。
少年と同じ三年生の男子生徒(17)は「亡くなった生徒が嫌がらせを受けていたことは、生徒の間で周知の話。同級生が逮捕されても驚かない」と語り「これまで嫌がらせがないと説明してきた学校は、真相を調べてほしい」と訴えた。部活で学校に来ていた一年生の男子生徒(16)は「新聞で嫌がらせを初めて知った。自分の高校でこんなことが…」と声を落とした。
恐喝グループ生徒はもちろん、学校側も思考が麻痺してるとしか思えません。
いじめがこれだけ社会問題になっても、自殺にいたる問題行動は減らない。
学校も他校で起った事件を対岸の火事もしくは忌むべき不祥事扱いで、本質追求・徹底しないから、のど元すぎれば良好な学校環境の維持という責任を放棄し、生徒任せになってしまう。そして事件が起ると、前例にもれずまずは「できるだけなかったことにする」が発動。もう、それが通用しないことを知るべきかなと。
生徒の間で周知の事実・・・
生徒が本当のことを言わない・もしくは彼らにとって都合のよい「事実」しか言わないのは当たり前。ましてや「僕が自殺の原因です」なんて、そのまま白状するほうがおかしい。何度でも繰り返す学校の甘さに怒りを感じてしまいます。
主犯格は事情徴収のあと、メールでうそぶいたりしてたようですが、これは完全に「自己責任」からの逃避行動。ここにも、自分のやったことにまともに向きあえない、「仲間内のネタ」にしてやったことの意味を変質させようとする、思考停止のサインを感じます。
自殺した少年も、もう少しだけ頑張って、誰かに相談してほしかった。
相手がやってることは絶対に間違っている、と自信をもって少しでも向かってほしかった・・・
学校側態度や助けてくれない同級生を見ていて、あきらめるほうを選んでしまったのかもしれません。誰からも見捨てられたように感じながら、死をもって糾弾する方法を選んでしまったのかも。いじめたヤツラには、あなたの命をかけるカケラの値打ちもない。追いつめられていく気持ちをトレースしながら、なんだか悔しくてなりません。
人を追いつめて殺した自覚は、きっと加害者少年たちにはない。
当然、殺人罪には問われないし、社会的に担う罪も、どちらかといえば、お金をかけてのメンタルケアで終わる気がする。
ヘタをしたら、「遊び感覚でやったこと(本人達の中ではあくまで仲間内ネタのような気がします)で自殺されて、迷惑なのはこっちだ」と思う子どもや親もいるんじゃないか、と穿ってしまう。
どこまでも救いのない事件です。
「拉致して殺そうと計画」と供述 名古屋女性拉致殺害(朝日新聞) - goo ニュース
この事件でも、ある側面で思考が停止している。
だから我にかえった1人が自首してしまったのでしょう。
悪意は簡単に増殖し、個人を超えて巨大化し、暴走する。
だからこそ、日ごろから、悪意をきちんと感知できる「自分なりの考え」をもっておく必要がある。
それが面倒だからすぐに群れるのかもしれませんが・・・。
ネットコミュニティ含め人が集まるところには、楽しい共感や盛り上がり、連携と同じだけ、他者排斥なプチ村八分な「仲間」意識とモラルハザードと共依存の罠があることを、心しておきたいと、改めて思います。