街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

265 西国街道22 廿日市→玖波

2020年09月22日 20時31分29秒 | 街道を歩く
19~21日まで、西国街道を廿日市から欽明路まで歩きました。
西国街道は、2015年12月9日に東寺を出発してから、
高槻→石橋→西宮→三宮→明石→加古川→姫路→相生→三石→香登→岡山→清音→小田→神辺→東尾道
→三原→本郷→西条→海田市→西広島→廿日市の順に歩いて今回が22回目になります。
19日は廿日市から玖波まで歩きました。

8:16 JR廿日市駅より前回到達地点に向かう。


8:22 この交差点よりスタート。


8:53 JR宮内串戸駅前を通過。


9:14 山陽道・廿日市IC付近にある一里塚跡の石碑。


10:00 廿日市JCT付近で山陽道と並行する道。


10:34 安芸野球村塾という、子供向けの野球教室のような施設の付近にある一里塚跡の石碑。


11:19 高庭駅家(たかにわのうまや)跡・濃唹駅(のおえき)跡。
駅家とは、役人の宿泊や乗り継ぎの馬を準備する施設です。
平安時代に駅制の改定により、「濃唹駅」になったとのこと。


11:28 陣場。慶応2年(1866年)の長州征伐の際、幕府軍が検問所を設けていました。


11:41 山陽道・大野IC付近にある滝の下交差点。ここで少し街道を外れて北上します。


11:48 大頭(おおがしら)神社とその横を流れる毛保(けぼ)川。ここに妹背(いもせ)の滝があります。


11:49 妹背の滝のうち、雌滝(めんだき)。


11:52 毛保川の川上にある雄滝(おんだき)。毛保川と雄滝では、子どもたちが水遊びをしていました。


12:44 街道に戻り、JR大野浦駅にある一里塚跡。その横に、駅名の由来となった今川了俊の歌の碑があります。


13:48 旧大野町が建てた「宮浜温泉 海望の源泉地」の石碑と瀬戸内海。


14:02 しばらく、「残念さん道」という山道を進みます。ざんねんさん砦の石碑。


14:11 蜘蛛の巣の多い山道を進むと、この残念社に出ます。この付近一帯は長州征伐の古戦場です。
慶応2年7月9日、幕府軍の丹後宮津藩士・依田伴蔵(よだはんぞう)が、
この道を単騎で軍使として長州に向かっていたところ、
戦闘員と勘違いした長州軍が狙撃し、伴蔵が「残念」と言って倒れた故事に基づく神社が残念社です。


14:21 三県一望の地。安芸、周防、伊予が一望できるため、吉田松陰が「三県一望の地」と名付けたとのこと。
「残念さんからの眺望」という説明地図によれば、左の島が宮島です。


14:41 瀬戸内海を望みつつ、山陽道と並行する道を歩く。


14:43 道路をふさぐように立つ不法投棄禁止の看板。看板を立てているタイヤは不法投棄されたものではない?


15:11 廿日市市から大竹市に入り、山道を歩いて鉾の垰(たお)を越えて、
大野浦・玖波駅間の山陽本線をまたぎます。
垰とは峠のことで、中国地方で使われる独自の漢字です。


15:15 山道を越えて住宅地に出ます。この辺りで滑ってこける。


15:34 玖波の高札場跡。玖波は江戸時代は宿場町で交通の要衝として栄えていましたが、
慶応2年の長州征伐で人家・本陣のすべてが焼け落ち、現在は往時を偲ぶことはできないとのことです。


15:38 JR玖波駅付近のガード前。今回はここまでとしました。33459歩、20.1kmでした。


15:40 玖波駅より岩国のホテルに向かう。


コメント
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