最近曲をかいている。かいているというより「わいてくる」の方が正確な言い表しかもしれない。通勤の電車で、ぶらぶら歩きながら、夕食を作りながら・・・、日常のあらゆる場面で浮かぶ音楽、音。その都度、いつも持ち歩いている五線紙ノートに暗号のように書き留める。
今日はカンテレ曲2題。ひとつは<RAKKAUDELLA・愛をこめて>、もうひとつは<KEHTOLAULU・こもりうた>。どちらも一瞬にしてできた曲で、次々メロディフレーズや音がわいてきた。それは「内なるもの」から醸し出される勢いで、どちらもおおいに気に入っている2曲。
作曲科に進もうかと思った時期もあったので、一応ひととおりの知識はある。作曲は「曲を作る」から、できあがったものはやっぱりクラシック系。4小節×4段、起承転結のある曲は優等生の唱歌のよう。和音進行やリズムなど、持てる知識や経験を駆使して整えてしまう。でも最近は「曲を作る」より、「音楽がわいてくる」が多いので、イメージ先行になっている。嬉しいとき、楽しいとき、気分がいいとき、そして悲しいときにもわいてくる音楽がある。でも辛いときや苦しいときにはなぜかわいてこない。
さきほどの2曲、もしこれを歌にするならと、友人の音楽評論家に「曲と詩、どちらがさき?」と聞いたら「多くは曲かな」。ふ~ん、そうなのぉ。基本的にカンテレ演奏用にかいたメロディだが、もしステキな歌詞(歌詩)を提供してくれるなら、と詩人の友人に聴かせてみようと思う。
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これは、至言ですね、音楽の本質を表していると思います。
詩や音楽は、神の言葉、神のメロディなのだから