住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

NHKスペシャル”冤罪”の深層〜警視庁公安部で何が〜 恐ろしすぎる権力の犯罪

2023-09-28 23:55:31 | えん罪

9月24日放送された

NHKスペシャル”冤罪”の深層〜警視庁公安部で何が〜

が日本中に衝撃を与えています。

“冤(えん)罪”の深層〜警視庁公安部で何が〜 - NHKスペシャル

“冤(えん)罪”の深層〜警視庁公安部で何が〜 - NHKスペシャル

なぜ“冤罪”は起きたのか―。3年前、軍事転用が可能な精密機器を不正に輸出したとして横浜市の中小企業の社長ら3人が逮捕された事件。長期勾留ののち異例の起訴取り消しとな...

“冤(えん)罪”の深層〜警視庁公安部で何が〜

 

ありもしない「犯罪」をねつ造し、無実の人間を死に追いやった国家権力の恐ろしさ

3年前、軍事転用が可能な精密機器を不正に輸出したとして横浜市の中小企業の社長ら3人が逮捕された事件。長期勾留ののち異例の起訴取り消しとなった。会社側が国と東京都に賠償を求めている裁判で今年6月、証人として出廷した現役捜査員は「まあ、ねつ造ですね」と語り、捜査の問題点を赤裸々に語った。

現職の警視庁捜査員が、自ら担当した事件について、法廷で「まあ ねつ造ですね」と、認めた異例の事件

事の発端は2年前「軍事転用可能な器械を中国に不正輸出した」として中小企業の経営者ら3人が逮捕された事件

容疑を否認した3人を待っていたのは1年近い長期勾留

一人は無実を訴えたまま勾留中に病気で獄中死した。

しかし事態は思わぬ展開を見せた。逮捕から1年半後、検察が起訴を取り消した。事件は“えん罪”だったのだ。

無実の人間を死なせておいて、謝りもしない 申し訳ないとか そういう話も何もないんですよね

逮捕容疑はこの会社の主力商品「噴霧乾燥機」の不正輸出だった

噴霧乾燥機は、液体を粉状に加工する機械。機械内部に液体を噴霧し、そこに熱風を加えて急速に乾燥させる。粉ミルクや医薬品の製造などに利用される。

そのため有害な菌を粉にした生物兵器に転用される恐れがある、と疑われた。

しかしこの機械では感染性のあるような毒物、危険性のあるものはやれない。粉がふわっと出てきちゃうので、周辺の人が感染しちゃう

事件の捜査は不正輸出などを操作する警視庁公安部外事第一課第五係が中心となった。

国際的に合意された規制要件「disinfected」は「消毒:化学薬品を使って菌を殺滅」する、という意味だが、日本語マニュアルでは「殺菌」というあいまいな言葉に訳されていた。

そして問題の噴霧器には「消毒」装置はついていなかった。つまり、「規制対象外」なので、無実は明らか、ということになる。

もし「熱風で殺菌可能」だとすれば、ほとんどの噴霧乾燥機が規制にひっかかる、という変なことになってしまう。だから経産省も最初は「規制対象外」、つまり問題ない、としていた。

なぜ公安はえん罪をでっち上げたのか?

なぜ第五係は「事件化」することにこだわったのか?

匿名を条件に、警察関係者から証言を得た。

 

不正輸出を専門とする第五係は近年、目立った成果が上げられない。

このままでは人員を減らされ縮小させられる

経産省に「問題ない」と言わせるな。言わせたら事件は終わり

このえん罪事件、警視庁公安部長が動いたと聞いている(警察官の証言)

取り調べの中で「中国のバリバリの軍事組織に流れている」と捜査官がウソを言ったので、逮捕された会社役員が「ユーザーリスト(経産省の懸念先)に載っているのか」と反論。もちろんユーザーリストに載っているはずもなく、ウソがバレてあわてた捜査官は「ユーザーリストに載っていなくてもバリバリ」なんだと、訳の分からない言い逃れをした。

噴霧乾燥機の「測定口」は袋小路になっているため熱風がいきわたらず、熱風によって機械内部のすべての菌を殺すことはできない。つまり「測定口」の温度を測れば、会社側の無実が明らかになってしまう。

だから警察はこの「測定口」の温度をワザと測らなかった。

警察が勝手に作ったストーリーを書いた「弁解録取書」に「サインしろ」と言われたが、「こんなことは私は言っていない」と抵抗したところ、その個所を直したふりをして、「直したからサインしろ」と言われたが、直してなかったのでサインを拒否したところ、ようやく直した。しかし前のうその録取書が残っているとまずい、と、うその録取書を処分してしまった

自分の出世のためにえん罪をでっち上げた公安の第五係長

警部から警視へと昇進

警察内部でこうした不正に疑問を持った警察官が、こう言っています。

この放送を見た人たちの驚きと怒りの声がネットをにぎわせています。

組織を守るため、自分が出世するため、えん罪をでっち上げ、無実の人間を獄中で死なせた警察官が罪を償うどころか、出世してしまう「異常な」世界、「公安」。大切な家族を獄中死させられた遺族の怒りと悲しみは深い。

(Wedge ONLINEより)

冤罪はなぜ起きたのか?捜査員と組織の本音を描く

冤罪はなぜ起きたのか?捜査員と組織の本音を描く

捜査員による衝撃的な証言

 2020年3月11日、機械メーカーの中小企業である大川原化工機(横浜市都筑区)の大川原正明社長ら3人が、軍事転用可能な機械を中国に不正輸出した容疑で逮捕された。その機械とは、同社の主力製品である「噴霧乾燥機」である。

 液体を噴霧状にして熱風によって粉状に加工する。粉ミルクや医薬品の製造に使われている。乳酸菌の一部の菌は生きたままの状態で粉状にすることも可能である。

 警視庁公安部外事第一課の第五係が大川原社長らの逮捕という“冤罪”の事態を招いた。取材班は公安部内でいったい何が起きていたのか、捜査は“冤罪”に至る前に止めることはできなかったのか、独自に入手した捜査資料を読み解くとともに、警察関係者らにインタビューした。

 刑事事件は起訴の取り下げとなり、大川原加工機側が原告となって国と都を被告とする民事訴訟の場に移っている。この訴訟は東京地裁で9月15日に結審し、12月27日に判決が予定されている。

 6月30日の証人尋問のなかで、原告側の弁護士がこの事件を担当した第五係の捜査員X警部補に対して「事件をでっち上げたというふうに言われても否めないんじゃないかなと」と尋ねると次のような衝撃的な証言を引き出した。

 「まあ、ねつ造ですね。捜査員の個人的欲というか動機がそうなったんではないか」

 ちなみに訴訟の証人となった第五係の係長の警部とX、Y、Zの各警部補のうち、XとYの2人だけは“冤罪”の認識を法廷で表明している。

 取材チームが掘り起こした数々の事実は、この事件の裏で起きた特異な事象と、歴史的に“冤罪”事件を生む構造的な問題点を浮き上がらせる。

警視庁が打ち出した独自の解釈

 ドキュメンタリーの中核を紹介していく前に、軍事転用可能の容疑を着せられた「噴霧乾燥機」について経済産業省の省令についてみていきたい。

 噴霧乾燥機の中でも「(機械を分解しない)定置した状態で内部の滅菌又は殺菌ができるもの」は、生物化学兵器の製造などに使われてしまうため、輸出できない。つまり生物化学兵器を幾度も製造する過程では、菌をいった無害化して製造している人に害が及ばないようにする必要があるからである。

 この省令は国際的なオーストラリア・グループ(AG)が生物化学兵器等の不拡散を目的として合意している基準に則っている。ただ、日本の省令の「殺菌」という翻訳は若干本来の合意との間にあいまいさがある。

 AGの基準の殺菌とは「disinfected(消毒)」であり、化学薬品を使って菌を殺滅する意味である。このために「CIP」(自動洗浄装置)と呼ばれる薬品で自動的に菌を殺滅する装置が付属している。

 大川原化工機の噴霧乾燥機にはそもそもこのCIPがついていなかった。警視庁公安部は独自の解釈を打ち出す。

 製品加工に使っている「熱風」によって経産省の省令にいう「殺菌」が可能だというものである。省令には殺滅の手段の定義がなかった点をついた形だった。しかし、経産省も当初は公安部の解釈は「適用を広げるものである」として、公安部との打ち合わせは平行線をたどった。

 17年10月から始まった両者の協議が4カ月後に方向転換する。

 民事訴訟において原告の大川原化工機側の弁護士が「(経済産業省の姿勢は)いつ変わったんですかね」と尋ねると、X警部補は「(18年)2月8日です。ガサ(強制捜査)はいいと」。

 原告側弁護士が重ねて「経済産業省側から何か(理由や背景について)説明はなかったですか」。

 X警部補は「ありました。(警視庁)公安部長が動いたと聞いていると」。

 経産省側でX警部補と協議していた課長補佐は法廷で「(公安部長の動きについて)あったかどうかと言うと分からないです」と答えた。

 取材班が当時の公安部長に電話インタビューすると「コメントする立場にない」と繰り返すのみだった。

なぜ、捜査は止まらなかったのか

 第五係は、強制捜査にあたって大川原化工機の噴霧乾燥機を使っている中小企業で「熱風」による殺菌の実験と、防衛医科大学校長で微生物学の権威である四ノ宮成祥さんの証言を提出していた。 

 そもそも同社製の噴霧乾燥機を設計したのは、逮捕拘留中に病が見つかって亡くなった相嶋静夫さん。逮捕前の公安部による事情聴取について大川原社長に対するメールの中で、捜査員に「熱風」によって完全に菌を殺滅することは不可能であることを説明した、と報告していた。

 機械の「測定口」と呼ばれる部分は、袋小路のような設計になっていて熱風が行き渡らずに温度が上がりにくく、すべての菌を殺すことはできない。

 取材班は、公安部が実験した大川原化工機製の噴霧乾燥機を使っている中小企業を訪ねた。この会社の代表は「この機械で菌を完全に殺すのは不可能だ」と捜査員にいったと証言する。

 防衛大学校長の四ノ宮さんに捜査員が書いた調書をみせるとまったく真逆の証言になっていることに驚きを隠せない。「熱風を送り込めば細菌が死滅する。輸出規制貨物に該当すると思っています」とあった。

 四ノ宮さんが捜査員に話したのは「殺菌はあいまいである。規制の対象が広がる」というものだったのに。「逮捕起訴ありきでそちらの方向に向かって都合のいい結論にしてしまったということなのかなと思いますけど」と推測する。

 “冤罪”に至らないで済んだ瞬間は幾度もあったようにみえる。

 大川原化工機側も強制捜査までに捜査に協力的だった。中国内の軍事転用の疑いが指摘されると、中国内の製品の所在を把握してリスト化し捜査陣に手渡しもしている。大川原社長をはじめ、役員や従業員らも任意の事情聴取に約300回も応じている。

 なぜ捜査は止まらなかったのか。取材班は広範な警察関係者のインタビューをしている。

 「不正輸出を専門とする第五係は近年目立った成果が上げられていない」

 「第五係の幹部は『このままでは人員を減らされ縮小させられる』『経産省に殺菌概念が無いといわせるな。経産省がそれをいったら事件は終わり』と言っていた」

 「無理筋だと思うところもあったが、組織内の筋を無視して『これをやれ』といわれれば従わざるを得ない」

大川原化工機の社長ら幹部3人が逮捕されてから3人とも容疑を否認した。拘留は1年近くの長期に及んだ。令和3年版警察白書ではこの事件を「経済安全保障」の項目のなかで(無許可輸出)として警察内部で高く評価されていた。

「止められる方法は思いつかない」

 逮捕から8カ月後、警視庁内部からの告発状が大川原化工機に届く。差出人は警視庁の名前で住所も所在地である。今回のドキュメンタリーで大川原社長が金庫のなかから告発状を取り出して初めて撮影させた。

 「匿名での文章で大変申し訳ありません。地方公務員法に抵触するおそれがあることから、本名を明かさず、文面にて連絡させていただきます。不審と感じることと存じますが、ご容赦願います。
 担当直入(ママ・単刀直入)に記しますと、
 警察庁に■(黒塗り、本文には名前あり)捜査員がおり、貴社へも何度か出入りしていると記憶しています。彼は貴社側に立った見解を持っており警察組織の意向とは関係なく、自分の意見を貫くタイプの人間です。
 貴社に有益かつ警察側に不利益となる情報が明らかになると確信しています」

 この内部告発状が届いてさらに8カ月後に起訴が取り下げられた。

 取材班は告発状を送ってきた匿名の警察関係者に接触することに成功する。ちなみに、民事訴訟において、“冤罪”の可能性を証言しているX、Y警部補とは別人である。

 「(拘留中に病が見つかり亡くなった)相嶋さんの死については自分の親だったらと思うと本当に申し訳ない。今、捜査当時に戻ってもこうすれば止められたのかという方法を思いつかない。上層部がそろって応援し、令状もある。そこで違うと言い出すには勇気がいる。自分には止める力がなかった。やりそうな人材は組織にはまだまだいる」と。

 民事訴訟において、裁判長がX警部補に発言の機会を与えた。

 「輸出自体は問題ないので、あとは捜査員の個人的な欲というか動機がそうなったんではないかと私は考えます」

 裁判長が「欲を抱くような具体的な理由とかについてご存じのことというのは」と尋ねると。

 「定年も視野に入ってくると自分がどこまであがれるのかと、そういったことを意識されたんではないかなと思います」

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Narashino gender 22  日本女性史koki版⑭ 中世の女性Ⅴ 中世のイエと女性

2023-09-28 08:45:30 | ジェンダー

中世のイエと女性

  • 四季農耕図屏風 国立歴史民俗博物館

イエの確立と主婦権の成立

中世のいちばんの特色は、社会基盤としてのイエ(家)が未熟ながらも、どの階層にも成立したことである。貴族層では10世紀から。庶民(農民)層に関しては古代共同体が生き続けていたが、11世紀後半になり、イエ(在家)が課税の単位になることでイエ制度は成立した。

  • フリードリヒ・エンゲルス

イエは、家長になるのは基本的に男性だけ。この家父長制は、現在の日本でも戸籍、課税制度や社会保障制度として生き続けている。エンゲルス(「家族・私有財産・国家の起源」)は、家父長制家族の成立は「女性の世界史的敗北」で、女性の男性への従属が始まったと記している。

日本の中世の男女の結びつきは、これまでの緩く離合を繰り返す(対偶婚・ゆるい一夫一婦、不倫OK)ではなく、単婚(現在の一夫一婦制)へと移行し嫁入り婚でイエを形成するにいたった。同居する夫婦が家名と財産を父系直系で継承する。

ただ、財産相続は男女が対象、婚外子も財産分割し分家も許された。遺族の兄弟にも一代限りで分けられた。夫婦は結婚すると独立して夫の親とは同居しない。妻は実家の氏を名乗る(例えば「藤原氏女(ふじわらうじのにょ)など、結婚しても実家の成員と考えられていた。また、男女共同社会のなごりで女性の従属度がさほど強くなく、家長に従うことになっても、家のなかは家長の妻が取り仕切る強い権限をもつ(主婦権の成立)。

具体的には、農業労働の田植え、草取り、養蚕、稲刈り、脱穀。家の中の統括、食料の分配、下人への差配…。主婦権はイエが成立してからできたもので、家父長と対等なものでなく、飲食店の労働者が「名ばかり店長」になったようなもの。店長以外は店長に従う存在で、その数のほうが圧倒的で、経営側の言うなりだと名ばかり店長は心身ともに苦労が絶えない。

現在も、主婦はアンペイドワークの家事労働や教育、介護の重荷と責任を負い、企業の「単身赴任」制度、地域活動やPTA活動などまで、「主婦権」に依存している。それを、いまだに主婦権=女性の権利と勘違いし、差別はないという高齢者や保守政治家も多い。

イエ制度、お分かりになりましたか? 日本の女性が従属させられているのは、その原因が個人の父や夫ではなく、イエやイエを前提とした国家体制なので、女性を苦しめているイエ制度は男女差別から外せません。

 

惣村という自治団結組織

中世の、朝廷と武士による二元政治は、一つの土地支配においても、それぞれ職(しき)があり、貴族は「領家」、武士は「地頭」、有力農民は「名主」などの支配が混在し、それぞれ取り立てを行った。そんなのアリ? 武士団は「惣領(そうりょう)・跡取り」体制をとり同族結合を図ったが、鎌倉時代には分割相続(相続した地主が複数いる)や蒙古襲来の財政困難の負担転嫁などで所領が細分化されて、惣領制は解体していく。

  • 柳生の徳政碑文 正長の土一揆で周辺農民の負債が帳消しになったことが記されている

一方、鎌倉末期から室町にかけての弱小農村では共同で村を維持する「惣村」という自治組織ができる。惣村では「惣掟(そうおきて)」という村独自の規約があり、警察権や裁判権も独自で行使した。運営は「寄合」という会議で「乙名(おとな)」という年寄りが指導し、「若衆」という若者が警察業務などの実務にあたった。対外的にも年貢を惣村が請け負い、近隣との用水をめぐる争いには領主や幕府の法廷で争った。天皇や武士の代替わりには「土一揆」という交渉(反乱ではない)をやった。荘園の統治者の代替わりには、土地や物品が元の所有者に戻るという社会通念があり、守護や地頭の解任を要求することや年貢の減免も正統な権利だと考えられていた。統治者による体制の変化に翻弄されては生きていけない、みんなで団結、連帯するという惣村はぎりぎりの戦いだが、民主的。抵抗運動だけでなく、ぼろぼろの朝廷や幕府の未熟な統治を軌道修正する装置として一時期機能していたが、惣村は武士政権の確立とともに衰退していく。同時期にイエのあり方は大きく変わる。

 

イエの確立と家族同居でない女性

イエ制度は、まず朝廷に仕える役人(官人)の地位継続や子どもへの継承からスタートした。次に貴族層や豪族層の所有地安定のために、農民層の家単位の課税化。イエを単位として、男女を分断するのは、どの国も同じ。男性のエゴと支配欲に貫かれている。それが「女性の歴史的敗北」。

中世後期、財産は跡取り単独相続となり、それ以外の子どもは一期分(本人生存中のみの分与)。名字や家名が形成され、夫婦同姓もでき、妻は実家とは切り離され、婚家の一員となる。

中世社会には、家族を形成しない人々、できない女性が多数存在した。豪族や朝廷などの家政を担当しながら独身で一生を終える奉公人。天皇の子を産んだ宮仕えの女房。公家や武家の子女で僧侶や尼になった者。遊女や白拍子などの芸能人も独自の家族形態をとったし、生産や商業分野を支える職人スキルをもつシングル女性も多数いた。飢饉や戦争で荘園から追われ、最下層にいた人々も増えつつあった。女人禁制の寺の周辺には、寺の下働きをする結婚していない女性がたくさんいた。そのようなイエ制度から逸脱した女たち。捨て子や姥捨ても抵抗なく行われている世相だが、一律に不幸とはいえない。中世という不安定な時代でも一人で生きるという女性の自由さは認められていた。家父長権が強まる近世の封建時代になるとそうはいかない。女性はモノ扱いされ、政略結婚、人身売買、売春という女性にとってお先真っ暗な時代。

現在、シングルが増えていることについて、女性たちの意識がback to the future、現在から封建時代を吹っ飛ばして、中世にもどりつつあるのではないかと私は思う。時代遅れの家父長制が今も残る日本社会で、「結婚願望に囚われていると人生ロクなことはない」と男女ともに結婚にそっぽを向け始めた。私はもち、<いいね!>だよ。ひとりでも生きられる社会にしなきゃいけない。

  • 男女の年齢別未婚率

  • 男性の年収別未婚率

売買春の始まり

日本の売買春は10世紀前後(平安時代)のイエ制度成立で始まる。世界的にみて、もっとも遅い部類。売買春は奴隷制や人身売買と結びつき、西洋は古代文明時代から、中国では唐時代から遊郭が存在していたから、日本の古代のジェンダー平等社会がどれだけすごかったかを改めて思う。

女性を隷属化させたイエ制度は、女性の性を商品化させた。貨幣経済を背景に女性の性を買う男性が増加していく。芸能と売春が一体化していた遊女や白拍子も、かつては芸能が主であり売春は従であったが、平安時代後期になると、遊女に求められたものはもはや質の高い芸能ではなくなり、路上で客を誘う遊女は「立君」、辻子(ずし・小路のこと)に軒をつらねている建物で誘うのは「辻子君」と呼ばれ、江戸時代の遊郭につながっていく。

  • 七十一番職人歌合・立君 武士が松明を突き付けて「顔を見せてくれ」といい、立君は笠に手をかけて「さあ、見てください」と顔をあらわす。京都清水寺の周辺には遊女がたくさんいた。

男子の同性愛もイエ制度がダメにする

当時の貴族社会では、男子の同性愛(男色)も当たり前のこととする風潮があり、平治の乱も男色関係のもつれが原因とする研究者もいる。僧侶の世界や戦場など、まわりは男性しかいない特殊な世界ではない。妻も妾もいて遊女を買うこともある両性愛。藤原頼長の日記には関係のある7人の男性の公卿の名前をあげ、男色の快感を記している。このおおらかさ。本人は有頂天でも、左大臣の座を利用した性加害だったかもね。

平安時代に始まった女性の性の従属や売春は、本来の男性の性にも大きな影響を与えてしまい、江戸時代に入ると「男色」は衰退していく。そして千年たつと、LGBTの男性を「隣に住むと気持ち悪い」といった歴史オンチの首相秘書官が出現することになるんだね。

  • 藤原頼長(左大臣)と荒井勝喜元首相秘書官

 

外国人が教えてくれる日本固有の伝統と文化

  • 南蛮屏風

今の時代から、中世を覗くより、中世に日本に来た外国人からみた日本の記述のほうがピンとくることもある。日本は政治、社会、文化、最初はなんでも中国文化を取り入れてきて、鎌倉から室町時代には中国文化を脱ぎ捨て、日本独自の文化が現れた。大きな歴史の転換点。

それを知るには、室町末期から戦国時代にかけて日本に滞在したイエスズ会(キリスト教カソリック)の宣教師たちが残した日記や書簡、記録などを読めば、よく理解できるのではないか? 例えば織田信長、私たちはほぼ一枚の肖像画でしかみられない存在だけど、これらの宣教師たちは信長本人に会ってる。数年しか滞在しなかった人もいるので誤解もあるけど、本国へのレポートとか日記なので忖度はない。これから読んでみよう。

よくわからないで書いたというのなら、「日本民族の文化、伝統だから守りましょう」と言ってる人だって、昔のことはよくわからないで言ったり書いたりしている。

特に男女関係や夫婦関係のプライベート…もろもろの女性に対する抑圧。ジェンダーバッシングで今あれこれ言ってる人も、100年も生きていないわけだから、歴史を学ばないで、「伝統」「文化」というのを根拠にしないでほしい。それに歴史的にみても、日本人は伝統を変えたり廃止したり、場当たり的だが判断してきた。悪い伝統や文化はやめるべきだし、いい伝統や文化は残すべきだが、いい伝統や文化の価値判断の主体は誰だろう?時の政治が誤って採用する「歴史」とは?

それに安倍さん以降、歴史修正主義者が政治権力とつながって、力をもつようになった。南西諸島の軍事基地化に関心がうすいことを考えていて、教科書問題を思い出した。

 

教科書の沖縄戦にみる歴史修正

  • 不合格「新しい日本の歴史」(市販本)

2015年に菅義偉官房長官(当時)は、翁長知事との会談で、「私は戦後生まれの者ですから、歴史を持ち出されたら困ります」と辺野古の新基地に関する協議をさえぎった。

2015年の教科書検定、歴史修正主義者による「新しい歴史教科書をつくる会」の「新しい日本の歴史」は、検定合格。2021年はこれまでと全く同じ内容だが、不合格。そのなかの沖縄戦の記述。「この戦いで沖縄県民にも多数の犠牲者が出ました。日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しましたが、沖縄戦は6月23日に、日本軍の敗北で終結しました。」

この記述にはいくつもの事実の誤りがある。

・沖縄戦の犠牲者数→米国軍1万2520人、日本兵1万5908人、沖縄県民12万2000人。この圧倒的な一般住民の「多数の犠牲者」がこの記述ではみえてこない。

・沖縄戦の終結日→6月23日は日本軍トップの牛島司令官が「最後迄敢闘悠久の大義に生くべし」、つまり降伏でなく死ぬまで戦い続けろのメッセージを残して自決した日。この日以降も戦は続き、南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日。

・沖縄住民もよく協力→学徒を動員する法的根拠もないのに、「軍官民共生共死」で21の中学校のすべての男女生徒が戦の最前線で軍隊と共に行動し投降も許さず、集団自決に追いやった。日本軍は食料強奪や防空壕から住民の追い出し、沖縄語を話す住民をスパイ容疑で処刑、住民虐殺も起きている。これが「よく協力」ではないことは明らか。沖縄戦生き残りの人々は沖縄戦の実態を検証し、「軍隊は住民を守らなかった」という教訓を胸に刻む。

歴史は、その時代を生き抜いた人々の目線で伝えなければならない。「戦後生まれ」の私たちもその戦争経験を受け止めなければならない。中学生が学ぶ教科書が旧日本軍の目線で語られ、子どもたちに「国に殉ずることは美しい」と思わせるようなウソや隠蔽を事実をねじ曲げて記するのは許されない。

 

鎌倉時代から戦国の世、徳川政治までの封建時代の女性史に入るまでに、次回は宗教(仏教、神道、儒教)と女性について書いてみます。寺にも神社にも関わったことのない私が、神・仏のことを書くのですから、えらい大変。まず仏教。京都のお寺の現役僧侶の方にお願いして、チャットでやりとりしながら挑戦します(koki)

 

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする