「百貨店」は絶滅危惧種
西武・そごう労組が61年ぶりの百貨店ストライキ
8月31日に西武・そごう労組がストライキを行い、61年ぶりの百貨店でのストライキと大きな話題となっています。
(ANNニュース)
50年ほど前、ボクが高校、大学生の頃にはストライキというのは「春闘」の一環で、季節の風物詩でした。
特に交通ストライキで電車が止まると、学校も休校となるので、「楽しみ」でもありました。
(ANNニュース)
労使の賃上げ交渉では「50円」「100円」の賃上げ要求でスト突入という場合もありました。
今回のストライキは雇用保障を求めるもので、現在の雇用主にとっては交渉として厳しいのかもしれません。
企業は利益を追及するだけでなく、労働者や地域の福利にも貢献する責任がある
企業は単純に利益だけ追求すればよいものではなく、労働者や地域の福利にも貢献する責任があるといえます。かつての西武は、文化を担う心意気があり、それゆえに経営的に行き詰った面もあるかもしれません。
西武の「セゾン文化」
西武の「セゾン文化」に関しては、こんなネット記事があります。
パルコが生み出したカルチャーとはなんだったのか? 50年の歩み | CINRA
速水健朗の文化的東京案内。【渋谷篇②西武・セゾン文化と大人の街】|Pen Online
セゾン文化とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
「バブル時代」の記事における「セゾン文化」の解説
バブル期は、堤清二が率いるセゾングループが、セゾン文化と呼ばれる消費文化を牽引した。
当時、大人は西武で、若者はパルコで買い物をするのが一種のステイタスになっていた。
グループ内の西武百貨店やパルコのほかには、セゾン美術館、銀座セゾン劇場、パルコ劇場、ロフト、無印良品、アール・ヴィヴァンなどがあり、単にモノを売るだけではなく、文化やイメージを売るというスタイルは「イメージ戦略」と呼ばれ、当時は斬新とされた。
渋谷公園通りがオシャレで、この通りに近い西武やパルコは、当時の修学旅行生の観光地にもなっていた。 現在の六本木ヒルズメトロハットの場所には、CD・レコード専門店「WAVE」があり、コンテンポラリー・アートと音楽の店で、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」と共に、若者や文化人に定評があった。
シブヤ西武(後の西武渋谷店)SEED館には伝説のショップ「カプセル」を設置し、デビュー間もない川久保玲(コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎、イッセイミヤケ、タケオキクチら、新進のデザイナーズブランドを展示した。
糸井重里の「じぶん、新発見。」「不思議大好き。」「おいしい生活。」などのキャッチコピーや、ハドソン川を内田裕也がスーツ姿で泳ぐバージョンなど、パルコの斬新なCMはしばしば話題になった。
また過剰なまでに消費が旺盛だったバブル期にあって、過剰な意味や装飾性を削ぎ落した無印良品はかえって新鮮だった。
バブル期のセゾン文化はラディカルなものではなく、首都圏では一般に浸透していた。
ただし「カプセル」がオープンしたのは1970年、糸井重里のキャッチコピーは1981〜1983年、内田裕也のCMは1985年で、いずれもバブル景気以前のことである。
石岡瑛子、長沢岳夫などを起用した、インパクトのあるイメージと挑発的なコピーのポスター・CMの多くも1970年代〜1980年代前半のものである。美術館、劇場、出版事業等も1970年代から手がけており、堤清二はセゾングループの文化戦略のピークは1975年〜1982年頃だと語っている。
そして無印良品も1980年に西友のプライベートブランドとして始まったもので、こちらもバブル景気以前のことである。
元は同じグループだった西武鉄道グループのプリンスホテルやスキーリゾート、そして「としまえん」のCMも脚光を浴びた。また西武鉄道・セゾングループのライバルだった東急グループでは東急ハンズが脚光を浴びた。
百貨店というビジネスモデルが成立しない時代
そもそも、百貨店というビジネスモデルが成立しない時代です。千葉県内には千葉そごう、船橋東武、柏高島屋の3店舗しかありません。駅前にはヨドバシカメラやビッグカメラ、ヤマダ電機という量販店が立地しています。
かつて、デパートは地域の中核として機能していた
新自由主義経済の徹底でさまざまなインフラが食いつぶされています。かつて、デパートは地域の中核として機能していました。単に物を買うのではなくデパートに行くということそのものがイベントでした。
良いものはデパートで購入する、デパートで購入したものは良いものというイメージがあり、デパートは大きな存在でした。
千葉市内には奈良屋(後の千葉三越)、扇屋、田畑(後の千葉パルコ)、サカモト、丸京などの大小の百貨店がありました。
(奈良屋、後の千葉三越)
(扇屋)
(田畑、後の千葉パルコ)
今では「千葉そごう」のみとなり、生鮮食品や買い回り品などの購入に不便しています。
習志野のショッピングセンターも次々に閉店
習志野市内には、もともと百貨店がなく、国鉄(現JR)津田沼駅北口にあったサンポーショッピングセンター(1967オープン、1978年閉店)、パルコや駅南口のダイエー、高島屋が買い物インフラでした。これらは、今では閉店してしまいました。(パルコは今年2月に閉店)
パルコ閉店。一日かぎりの「つだぬまパルコ駅」 - 住みたい習志野
(サンポーショッピングセンター:明里/Deepランドさんのツイッターより)
新京成線「新津田沼駅」近くのイトーヨーカドーやイオンは営業を続けています。
(津田沼駅の高島屋◆国鉄◆ダイエー イトーヨーカ堂)
地域の買い物インフラについて都市計画での位置づけが大切
スーパーも淘汰が進み気がついたら「買い物難民」となる可能性もあります。地域の買い物インフラについて都市計画での位置づけが大切と言えるでしょう。(近)
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