住みたい習志野

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全国民が応援した西武・そごうのストライキが一変させた組合大会の熱気に新聞記者も感動

2023-09-14 23:53:41 | 非正規、労働問題

(毎日新聞の記事)

「行動力足りなかった」 そごう・西武労組加盟のUAゼンセン紛糾

「行動力足りなかった」 そごう・西武労組加盟のUAゼンセン紛糾 | 毎日新聞

「行動力足りなかった」 そごう・西武労組加盟のUAゼンセン紛糾 | 毎日新聞

 流通や外食、繊維などの労組からなる民間最大の産業別組合「UAゼンセン」は13日、東京都千代田区で定期大会を開いた。松浦昭彦会長は来年度の春闘に触れる中で「もし賃金...

毎日新聞

 

流通や外食、繊維などの労組からなる民間最大の産業別組合「UAゼンセン」は13日、東京都千代田区で定期大会を開いた。松浦昭彦会長は来年度の春闘に触れる中で「もし賃金を上げる体力があるのに賃上げできないという企業があれば、争議行為(ストライキなど)も視野に入れて闘い方を検討する」とスト権を行使した闘い方に言及した。同組合の定期大会のあいさつで、スト権に言及するのは極めて珍しい。

 UAゼンセン傘下のそごう・西武労働組合は、同社の売却を巡って雇用確保への情報開示などを求め、大規模な百貨店では約60年ぶりとなるストライキを西武池袋本店で実施している。会長発言後の質疑では、このストでゼンセン本部が前面に出てこなかったことに、「何のために産別に加盟しているのか、組合員は疑問に思っている」「組織だけ大きくても組合員の生活も守れないのでは意味がない」などと厳しい執行部批判が噴出した。

 松浦会長は「悩みながら取り組んだが、行動力が足りなかった」と釈明。そごう・西武労組の今後の交渉について「売却先に雇用を前提とした計画を出させるなど、しっかり交渉を支えたい」などと述べた。【東海林智】

この記事を書いた記者さん、facebookにもこんな感動を書いています。

【ストを決意した組合と支えた仲間の気迫】
 そごう・西武労組ストの後日譚ではないが、UAゼンセンの定期大会が11日に都内で開かれたので取材に行った。正直泣きそうになった。
 いつもはシャンシャンというか、そんなに激しい論戦も起きないゼンセンの大会だが、この日の大会では、そごう・西武労組のストライキを巡って、執行部の対応に痛烈な批判が相次いだ。
 実際、ストでは、通告の記者会見に上部組織のUAゼンセンの人間はだれも顔を出さず、高島屋や三越・伊勢丹、大丸・松坂屋などの百貨店労組の委員長が連帯の意を示すために同席した。スト当日も、ゼンセンの幹部の顔はまったく見えず、百貨店の仲間や他産別の労組、他のナショナルセンターの労組員、労働者らが駆けつけていた。
 大会で発言したのは会見に同席した労組の幹部や百貨店仲間、かつての系列の仲間たち。「ゼンセンはなぜストの前面に立たなかったのか。私たちはストに立ち上がった仲間を孤立させまいと駆けつけた」「産別は、組合は何のためにあるのか。雇用を守るためにストに立ち上がった仲間たちをUAは支援しなかった残念でならない」「執行部はスト回避のために動いていたというが、産別は何をしていたのかと言われることに対しての方便ではないか。それは当該にも支援した我々には失礼だ」……。ストを決意した労働者、それを支える仲間たちをゼンセンは甘く見ていたんだろうな。それをしっかり見抜かれている。
 ゼンセンの松浦会長や書記長は、複合産別の難しさ(今回、売却先のヨドバシにも組合があった)ことや、当初はテナントにも組合があることなどから、ストを支援することは難しかったのだと言ったり、自分らはスト回避に最後まで動いていたなどの説明たりを繰り返した。付言すると松浦会長は大会の冒頭で来春闘に触れて「賃上げする体力があるのに賃上げをしない会社には争議行為を視野に闘い方を検討する」と、来春闘でのスト権に言及した発言をしている。ある意味、そごう・西武のストの好反応に気を良くしての発言にも聞こえるが、百貨店労組からは「雇用に関するストでさえ前面に出てこないのに、賃上げのストなんてできるのか」と〝まっとうな〟批判を展開していた。
 発言はぐっと堪えたんだろうけど、そごう・西武労組の寺岡委員長も参加していた。休憩時間には各労組に「がんばれ」「応援している」と声をかけられていた。本部の冷たい態度とは裏腹で、それはそれで感動的だったよ。
 

 

 

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「森友文書改ざんに関する文書を開示せず」真相をやみに葬り去ろうとする裁判所

2023-09-14 23:20:46 | 国政、県政

(毎日新聞の記事より)

法廷で崩れ落ちた赤木さん妻「あまりにもひどい」 森友文書不開示

法廷で崩れ落ちた赤木さん妻「あまりにもひどい」 森友文書不開示 | 毎日新聞

法廷で崩れ落ちた赤木さん妻「あまりにもひどい」 森友文書不開示 | 毎日新聞

 学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る財務省の公文書改ざんを苦に自殺した近畿財務局職員、赤木俊夫さん(当時54歳)の妻雅子さん(52)が、改ざんに関連する行政文...

毎日新聞

 

 学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る財務省の公文書改ざんを苦に自殺した近畿財務局職員、赤木俊夫さん(当時54歳)の妻雅子さん(52)が、改ざんに関連する行政文書を不開示とした国の決定の取り消しを求めた訴訟の判決が14日、大阪地裁であり、徳地淳裁判長は雅子さん側の請求を棄却した。

 「原告の請求をいずれも棄却する」。敗訴が言い渡された瞬間、赤木俊夫さんの妻雅子さんはぼうぜんとした表情で裁判長を見つめた。公文書改ざんを苦に自殺した夫の死の真相を明らかにしてほしい――。雅子さんの切なる願いは裁判所に届かなかった。

 傍聴席からは「おかしい」「なんでや」といった声が上がった。雅子さんは口を真一文字に結んで判決理由の朗読を聞いていたが、隣にいた代理人弁護士に寄りかかるような状態になり椅子から崩れ落ちた。しばらく床に座ったまま立ち上がることができず、法廷は一時騒然とした。

 閉廷後、雅子さんは弁護士を通じて「あまりにもひどい。判決理由を聞いているとショックで耳に膜がかかったようになった。控訴はします」とのコメントを出した。

(MBSニュース)

国と裁判官はグルなのか

赤木雅子さん『国と裁判官はグルなのか』森友問題巡り「文書不開示は妥当」とする判決 - MBSニュース | Yahoo! JAPAN

赤木雅子さん『国と裁判官はグルなのか』森友問題巡り「文書不開示は妥当」とする判決 - MBSニュース | Yahoo! JAPAN

森友学園をめぐる公文書の改ざんをめぐり、財務省が検察に任意で提出した文書などが不開示とされたことを争う裁判で、大阪地裁は「不開示決定は妥当」とする判決を言い渡し...

Yahoo! JAPAN

 

 

 

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Narashino gender 20 日本女性史koki版⑫ 中世の女性Ⅲ ケガレと差別される人々

2023-09-14 11:00:49 | ジェンダー

ケガレと差別される人々

女性のケガレ

●餓鬼草紙のなかの餓鬼の姿 

奈良時代になると「絵巻」(絵巻物)という日本独自の絵画形式が生まれ、たくさん現存している。紙か絹を縦約30㎝(15㎝くらいもある)の幅で水平方向につないで、情景や物語を表現したもので、絵だけでなく、説明文などが交互に書かれているものもある。美術的価値はもちろん、歴史や民俗資料としての価値が高い。「餓鬼草紙」は、餓鬼(やんちゃな子どものことではないよ)の世界を描いた絵巻物。

餓鬼は人にはみえないが、人間を残虐な苦しみにつき落とす。このビジュアル。災害、疫病、飢えなどに苦しんだ平安時代末期あたりには身近な存在。

●「餓鬼草紙」の出産①

餓鬼草紙に描かれた12世紀の出産。政府が博物館に予算をつけないので、国宝(餓鬼草紙は国宝で京都国立博物館所蔵)でも経年劣化でみにくいので、スマホで少し加工してみましたがこの程度。同じ画像を3つ紹介します。

●「餓鬼草紙」の出産➁

古代や中世だけでなく、明治時代くらいまでは、出産は「棺桶に片足つっこんだ」ようなものと言われたように、出産で死亡する妊婦が多かった。明治に入ってからも1歳になる前に3分の1が死んでいた。

この絵の妊婦は座り、後ろから抱きかかえられて出産し、足元に嬰児(えいじ)を産み落としたばかり。画面の手前にいる動物みたいなのは餓鬼である。餓鬼は仏教の世界観で、死者の霊・亡霊。生前に贅沢をしたため、餓鬼道に落ちた亡者とされ、いくら食べても飢えが満たされず、出産時に赤ん坊を食べようと待ち構えている。

●「餓鬼草紙」の出産③

この妊婦は貴族で、御簾(みす)を隔てて僧が控えており、祈祷が行われていたのだろう。当時は陰陽師(おんみょうじ)による呪術儀礼も行われていたらしい。

産婦や出産を穢(けが)れたものとするのは、外来思想の影響があるとされている。儒教、道教、密教系仏教の影響で中国では血の腐臭を穢れとし、ケガレは伝染するとして、産婦は別小屋に隔離し、出産を見聞することを禁じた。農村などでは、納戸(なんど)にわらやボロを敷き詰めて、助産婦もなく、天井から下げた綱につかまり一人で座産をし、脳貧血をおこすからとそのままの姿勢で何日間も眠らせないように、里親に見張らせていたという。疲れ切った体に消毒していないぼろやわらを使うという不衛生さで、産褥熱(さんじょくねつ)で亡くなることも多かったという。

中国の「血盆経」信仰が伝わり、日本にも「女子不浄観」が広まってしまった

女子不浄観は、14世紀の僧の記録では「(女性の)身体常に不浄にして、蟲血数流出。懐妊産汚らわしく、月水胞胎生不浄なる、是を見て悪鬼は競い、善神は去り、愚人は愛し、智者は憎む」とあり、女性は前世の罪業によって穢れ多い身として生まれ、罪により死後には血の池地獄に堕ちるとする中国の血盆経(けつぼんきょう)信仰が、日本でも流布するようになった。臨済宗、曹洞宗、浄土宗、真言律宗などが取り入れた。

●「熊野観心十界曼荼羅(くまのかんしんじっかいまんだら)」 血の池地獄 女性が流す血でできた血盆池(けつぼんいけ)で血を飲まされる女性たち

男性中心の既得権が脅かされるという恐れから、女性の血を不浄視することで女性の力を押しとどめようとした、とするメアリー・ダグラスの「穢れ論」

男性が月経や出産という自分にない女性の生物的特質に畏怖を感じ、男性にない力がその血にあると考えると、男性中心の既得権が脅かされるという恐れをいだくようになる。女性の血を不浄視することで女性の力を押しとどめようとしたのだとした「穢れ論」は、イギリスの社会人類学者、メアリー・ダグラス(1921~2007)だが、文化人類学からのアプローチもある。

●メアリー・ダグラス

私は、民俗学的視点からの、ケガレと性差別についても調べてみた。「産む性」とケガレについてはいろいろなアプローチがあるが、月経や出産の出血を「血のケガレ」とする考えは見つからなかった。

やっぱ外来由来の仏教の浸透と男性宮司(ぐうじ)や神主(かんぬし)中心の神社神道、男性中心社会の男の生活意識で、ケガレの習俗が日常生活に浸みわたってきた? 

女性自身も穢れていると思い込み、「血盆経」は曹洞宗においては経典となり儀礼に取り入れられた。我孫子市の正泉寺は、血盆経の信仰の寺として有名、江戸時代の血盆経などが県の文化財として指定されている。

●正泉寺 血盆経信仰資料

現在の女人禁制

現在でも聖域だとして女人禁制が掲げられているところもある。

●奈良 大峰山立入禁止石柱と看板

沖ノ島は、女性が島に上陸することも禁止だったが、世界遺産登録で女性の入島を許さない限り登録しないという反発がでて、男性も入島禁止になった。島を管理する宗像大社(むなかたたいしゃ)は「沖ノ島への航海は非常に危険なので、子孫を守るために女性たちの来訪を禁じた」と説明していた。2017年に島を視察した義家弘介文科副大臣と文化庁長官は「女人禁制は女性を大事にしていることの裏返しだ」「国民の理解を得られるように取り組む」と述べた。「神宿る島」といわれている。

●福岡 沖ノ島(島と神社本殿) 2017年世界遺産登録

その他に

●兵庫 淡路島岩上神社(巨石信仰)

●石川 石仏山(古代の祭祀遺跡。社殿なし。巨石信仰)

女性不浄というジェンダー観

●人道不浄相図 

 

美しい女性が死後、時間の経過とともに腐敗し白骨となり土にかえっていく9段階の図。

ごていねいに、こんな絵図まで作った。これは無常観を観想するためでなく、男性出家者が女性と接触しないために、醜い屍体を見ることによって煩悩をたちきるためのもの

●病草紙 肥満の女

●病草紙 口臭の女

●病草紙 霍乱(かくらん・暑気あたり)の女 下痢と嘔吐

●病草紙 顔面に瘤(こぶ)のできた女

12世紀後半の「病草紙(やまいのそうし)」という絵図に描かれた病のうち、女性に関するものは描いた絵師のジェンダー観を反映した身体に関するものが多い。女特有の病気でもないので、女である必要はないのに、女性の身体を貶めることにすごくむかつく。

女性の月経は受胎後胎児を守る「赤ちゃんベッド」。受胎しなければ不要になり、月に1回排出される。あなたの母の胎盤を不浄にするな。

女性の血液が不浄というなら、男性の精液も不浄だろう。その精液の不浄を受けて男性の代わりに苦を引き受ける「代受苦」(仏が慈悲の心から衆生の苦しみを代わりに受けること。瀬戸内寂聴さんが講話で言っていた)を女性が行っている。その女性たちの慈悲深い行いと献身を仏教者は説いてほしいものだ。

保守派の反対で性教育を行わない日本。中高生の予期せぬ妊娠

女性を不浄とする考えは、女性の身体に対し、堕胎、中絶、産児制限、優生保護法、代理出産など、ずっと現在まで女性の身体に影響を与えつづけている。不浄感はそのままに、産む道具とし、慰安の対象にするのは解せない。男のエゴではないか。女性の身体は女性自身のもの。

日本は「性交や妊娠を教育に持ち込むな」という保守派の反対で、性教育を行わないから、女性も男性も自分の身体についての科学的知識がない。

中高校生の予期せぬ妊娠は、性教育がないのが大きな原因と日本産婦人科医会は主張している。

●中高校生の出生や中絶の割合

少女たちが自分の性や妊娠についての正しい知識を持ち、自らの意思で行動できることが必要。義務教育での性教育を少しでも早く始めるべきでだと強く思う。13歳が「性交同意年齢」なのに性教育反対は矛盾していないか?

祖父母の年代の保守政治家は、執拗に性教育を妨害する。コンドームのイラストを見ただけで「過激な性教育」といい、「このようなことは私たちか教えてもらったことはないが、自然に覚える」とね。それに同調しているのがそこらあたりのジジババ。なんだ?孫たちが成熟するのがいやか?無垢な子どものままでいてほしい?性教育は妊娠や中絶について具体的に知ることで、自分を守り、未来への選択ができる。知れば「女性のケガレ」なんて吹っ飛ぶだろう。

中世の非人(ひにん)

「非人」、こんな言葉を使ったこともないし、使わなくても生きていける。しかし、中世に「非人乞食」は存在したし、平民集団から差別を受けていた。決められた身分制度じゃないから、非人の実体はわからない。歴史家の研究もさまざまで、「いろいろな説がある」で霧消して終わりじゃ情けないから、私が学校時代に教えてもらい(こんな半世紀も前の日本史はほとんど覆ってる)定説化している言説の真偽を大きな図書館で調べてみる。このブログを書く前の調べものもけっこう大変なのよ。

中世の非人は荘園から逃げ出した浮浪民説が有力だったが、戦後になり、中世の被差別民は貴族や社寺に隷属していた民で、労務を提供する代わりに年貢を免除されていたという「散所(さんじょ)賎民説」が有力になった。

隷属まではどんな身分で何をやっていたか?については、役人、天皇の私的雇い人、寺男など? これのどこが卑しめられなくてはならないのか?

刑吏、土木工事、清掃、葬送、斃牛馬(へいぎゅうば:死んだ牛馬)処理、声聞師(しょうもじ:経文を唱え歩く)、乞食(こつじき・托鉢のこと)などの仕事をしていた。これらの仕事の共通項は「ケガレに対しての清めの仕事」だという。権力の支配体制の身分からはずれた「身分外の身分」と位置づけられるが、鎌倉時代には京都の洛中洛外に2000人ほどいたという。

本来、行政の仕事だが、古代国家機構が解体、衰退したので、平民の共同体から逸脱した人々が自発的にやっていた。それの職能集団が「非人」であり、社会的に認められていた。鎌倉時代前までは賤見や差別はなかった。絵図を見ても、堂々として、賤しめられた人たちとは思えない。

●一遍聖絵(いっぺんひじりえ)
犬神人(いぬじにん・白頭巾)祇園まつりで清めのために先導していた非人

●法然上人絵伝 放免(中央の2人) 刑の執行を見守る非人

非人の差別について

自分に理解できないものを「卑しき者」とする単純さと、仏教の「ケガレ」の観念が結びつき、非人が差別されるようになった

中世の平民身分と職人(職能集団)の差異に根源があると考える。中世の社会は、天皇や農民以外の人間を、貴族たちはすべて「職人」と呼んでいた。「職」は専業の意味をもつ。手工業だけじゃない。荘官(しょうかん:荘園の管理人。「職人」と呼ばれていた)、「知識人」、商人、遊女、博打打、非人、中国人(宋人、唐人)までも人々は「非人」と受け入れていた。自分に理解できないものは、「卑しき者」とする単純さ。その職人(非人)の一部と仏教の「ケガレ」の観念が結びつき、職人の一部を閉鎖化し、差別するようになる。非人と被差別が結びつくようになり、江戸時代になると、被差別民は「エタ・非人」という身分として固定される。江戸幕府が政治的な意図で被差別部落を設定したという通説は、今では否定されている。

「部落」というのは明治の市区町制からで「特殊部落」という言葉をつくり差別した。また、政府だけじゃなく、近代の資本主義化にともない、「労働者階級の下にさらに最下層の労働者」を資本家が必要としたという側面もあったともいわれている。

1871年の「解放令」で、身分差別を行う法的な根拠はなくなり、被差別部落民も平民になった。これは本当の解放ではない。差別はダメという制度はなくなっても日常生活のなかで社会的な差別として現在も厳然としてある。

 

私は今、中世に不浄、穢れたものとされた女性や被差別部落など抑圧された人々にこそ、仏に通じる人間の魂があるとした思想が、鎌倉時代に日本仏教を通じて人々に生まれようとしていたことに興味がある。もし、中世以降、これらの仏教が弾圧や統制によって体制内に組み敷かれなければ、日本の自然信仰をもった独特の仏教となって発展し、今の仏教は葬式仏教や観光仏教ではない存在になっていたかも? そうすれば、統一教会なんて出る幕がない。そういう私の妄想を京都のお坊さんに言ってみたら、すごく共感された。

…2023年の夏の思い出。(koki)

 

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関東大震災100年 朝鮮人虐殺「後世に伝える」 八千代で慰霊祭

2023-09-14 08:16:08 | 人権、環境

(東京新聞の記事より)

関東大震災100年 朝鮮人虐殺「後世に伝える」 八千代で慰霊祭

関東大震災100年 朝鮮人虐殺「後世に伝える」 八千代で慰霊祭:東京新聞 TOKYO Web

関東大震災100年 朝鮮人虐殺「後世に伝える」 八千代で慰霊祭:東京新聞 TOKYO Web

1923年9月の関東大震災直後、混乱の中で朝鮮人に関する偽情報が飛び交い、関東各地で起きた虐殺。千葉県内でも300人以上が犠牲になった...

東京新聞 TOKYO Web

 
 1923年9月の関東大震災直後、混乱の中で朝鮮人に関する偽情報が飛び交い、関東各地で起きた虐殺。千葉県内でも300人以上が犠牲になったとされる。その慰霊祭が八千代市で、追悼式が船橋市で営まれた。軍人だけでなく住民でつくる自警団らも手を染めた惨劇から100年。国は「事実関係が把握できる記録が見当たらない」との国会答弁を繰り返し、調査も行われていないためその全容はいまだ不明のままだ。参列者たちは「何が起きたかを、これからも後世に伝えていく」と誓っていた。 (保母哲)
 
 「こんなことが二度とあってはならない」。八千代市高津の観音寺で9日にあった慰霊祭。有志でつくる「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」代表の吉川清さん(90)は、同市内など各地で起きた虐殺の背景には、朝鮮人への差別意識もあったとしながら、「あらゆる差別をなくす必要がある」と語った。
 慰霊祭は同委員会と高津区特別委員会、観音寺が共催し、毎年9月に営んでいる。市内では大震災後、軍部から引き渡された朝鮮人を住民が殺害する事件が何件か起きた。うち6人の遺骨が25年前に見つかったため、3者共同で翌年、寺境内に「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」(台座を含め高さ約2・1メートル)を建立した。
 100人余が参列した慰霊祭では献花や読経、吉川さんの追悼文の朗読などが行われた。同委員会の活動などを著書「地域に学ぶ関東大震災」で紹介した田中正敬・専修大教授は、追悼の辞の中で「『虐殺の記録がない』と言っているのは政府だけ。多くの朝鮮人の命が奪われたという事実は、否定しようがない」と政府の姿勢を批判した。
 
 同委員会によると、八千代市では保護名目で陸軍習志野収容所に入れられていた朝鮮人を、軍部が地元住民に渡し、殺害させていた。遺体は現場近くに埋められた。住民の日記などをもとに、1998年に殺害現場を掘り起こし、6人の遺体を発見。翌年に慰霊碑を建立し、遺骨も埋葬した。

◆船橋で追悼式 「怨恨は千秋不滅」と慰霊碑に

船橋市の市営馬込霊園では3日、追悼式が営まれた。実行委員会が主催し、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県西部支部常任委員会が主管した。霊園内の一画には「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」(台座を含め高さ約4メートル)などが建立されている。
 追悼式では参列者200人余が黙とう、献花、焼香などを行った。一枚岩の慰霊碑の裏面には、虐殺の経緯とともに「犠牲同胞の怨恨(えんこん)は実に千秋不滅」などと刻まれている。
 追悼の辞などで西部支部の呉学成(オハクソン)委員長は、慰霊碑の文言を紹介しながら、「100年前に何があったかが全て書かれており、二度とこんなことを起こしてはいけない。碑文の精神を次の世代に引き継いでいきたい」と述べた。
 この慰霊碑の隣には、犠牲者を悼むため船橋町仏教連合会が大震災の翌24年に建て、「法界無縁塔」と刻まれた碑(同約1・6メートル)や納骨堂がある。一枚岩の慰霊碑は47年、在日本朝鮮人連盟県本部建立と記されている。
 二つの碑は当初、虐殺された人たちが焼かれた火葬場近くに建立されたが、火葬場の移転に伴い63年、現在地に移設された。西部支部によると、移設作業時、碑の下には遺骨がなく、探したものの見つからなかった。その後、遺骨は秘密裏に田んぼに埋められていたことが判明。遺骨は推定で100体分もあり、現在の慰霊碑区画内に埋葬した。
 
 大震災発生時、船橋市から鎌ケ谷市にかけては鉄道敷設工事が行われていた。多くの朝鮮人が働いていたことが、犠牲者増につながった。
 (以上、東京新聞の記事より)
 
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