後ろ手に縛り、人の首を斬る
*ボクの見た戦中戦後(31)
高校生の頃、ボクは友人から人の首の斬り方を教わった。
戦争中に捕虜の首を斬った話である。人を地面に座らせ、後ろから刀を斜めに振り下ろす。
刀を振り下ろすときは、同時に左足を後ろに引かないと、自分の足先を切る恐れがあるという。
友人の知っている元兵隊に、左親指がない人がおり、人の首を斬ったときに、足を引かなかったため、自分の左足の親指を斬り落としてしまったそうである。
この元兵隊は硬い革製の軍靴ではなく、地下足袋を履いていたのではないだろうか。
友人は木刀を斜めに降り下ろしながら、左足を引く姿勢を示した。それは一度だけのことなので気にかけず忘れ去っていた。
ボクは大学に進んだ。入学してから最初の3年半は学生寮で過ごし、最後の6か月はアパートに住んだ。
このアパートは四畳半一間の部屋で、炊事場と便所は共用だった。
大家さんの家は2階建ての瓦屋根で、床が一般の住宅よりも高く造られた立派な建物だった。そして、当時はまだ珍しかったテレビがあった。
近くに銭湯はなかった。そのため、アパートに住んでいる人たちは、大家さんのお風呂のお世話になった。
アパートの人たちは、大家さんの居間でお風呂に入る順番を待ちながら、テレビを見たり、雑談をしていた。
あるとき、ボクともう一人の学生が風呂の順番を待っているとき、大家さんが別室から古い封筒を持ってきた。
そして、中から満州の軍隊にいたときのものだと言って、数枚の写真を出した。セピア色の古い写真だった。
そのうちの一枚には、後ろ手に縛られ、手拭いで目隠しをされた男が二人座らせられている。
その後ろに二人の兵隊が立ち、一人は軍刀を振り上げて、男の首を斬ろうとしている。
ボクたちは恐ろしい写真を見せられて驚き、声も出なかった。
そのとき、大家さんの20歳くらいの娘さんが写真をのぞき、刀を振り上げているのは自分の父親であることを知った。
娘さんは父親を責めるように「なぜ首を斬ったのか」と訊ねた。
「俺のいうことに反抗したからだ」と説明する父親を罵り、娘さんは部屋を出て行った。
大家さんは娘さんに責められることは予想していなかったのだろう。多分、ボクたちに軍隊に入っていたころの話をしたかったのだろう。
大家さんは娘さんや家族の人たちに、戦争中の体験を話してこなかったのではないだろうか。
娘さんは自分の父親が戦地で、人の首を斬ったことを知って、心に傷がついたことだろう。
大家さんは首斬りの写真を娘さんに見せたことを後悔したに違いない。大家さんはそれきり何も言わなかった。
もし娘さんに責められなければ、大家さんは軍隊での様子をボクたちに話したことであったろう。首を斬る話もしたことだろう。
大家さんは写真を封筒にしまった。何も説明しなかった。ボクたちも黙り込んでいた。
このときボクは高校生の時に友人から聞いた話を思い出した。
人の首を斬るときは左足を後ろに引きながら刀を降り下ろすことを。
大家さんは庭を歩くときに下駄を履いていた。左足の親指はあるはずだ。
大家さんは、ボクたち学生やアパートの住人に優しくしてくれる人なので、人の首を刎ねた人とは想像もできなかった。
戦争に駆り出された人々は、人の心を失うのか。
鬼畜になるのか。
戦争では無抵抗の一般人を躊躇なく殺害するようになるのか。