夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

若者から若者への手紙(2) 飢えとマラリアのニューギニア

2015年10月21日 | 戦争とは何か?

【飢えとマラリアのニューギニア】

   私は「若者から若者への手紙」の中で、塚原さんの戦争体験談を読んだ。
 1945年に若者であった塚原さんは、2015年の若者たちへ戦争の体験を語る。
 1944年4月ニューギニアに上陸させられた塚原さんは、戦後になって初めて上層部にだまされていたことを知った。 制空権、制海権も失った状態で戦地へ送られていたのだ。 捨石にされていたのだ。 

 塚原さんは今の若い人たちに、戦争することで、だまされてほしくないと願う。 

 彼が食糧補給のない戦地で見た光景は地獄だ。 人が人を食う地獄だ。 飢餓状態で人は畜生におちていく。 

 

 ===== 塚原さんの戦争体験の一部を引用 =====

  戦争で私は、東部ニューギニアへ行きました。 われわれ高崎の歩兵一一五連隊では、七千人のうち、生きて帰れたのは、わずか二百三十名ほどでした。(東部ニューギニアに配属された約十五万人の日本兵のうち、約十三万人が死亡したとされる)
 
ニューギニアで亡くなった人の死因は、ほとんどマラリアか餓死でした。 日本からの食べ物の補給なんて、一度もなかったですよ。 戦場といってもほとんど戦いなんてなかったです。 ただ飢え、さまよって死んでいったんです。

  ニューギニアでは、飢えた日本兵が人間を食った話もあった。 上官の肉を食べたのを見つかり、銃殺刑に処せられた部下もいましたし、食べた後で後悔して自ら命を絶った者もいました。 人間は万物の(霊)長と言うけれど、最後は動物、畜生です。 私もひもじくて何度も畜生になりかけたから、彼らの気持ちはわかります。もうがまんできない、という時には、ただひたすら母親の戒名を唱えて誘惑に耐えました。

  私には「当番兵」の部下が二人いて、最後は三人で力を合わせてやっとの思いで生き延びました。 一人が食べ物を見つけたらみんなで分けるんです。 独り占めしたら、次には自分も同じ目にあう。 そうなると生きていけないわけです。 そんな中で会得したのが「調和の精神」でした。 つまり、おれは将校だ、上官だといばるやつは食べ物を分けてもらえずに飢え死にするんです。

 そんな中で奇跡的に生きて帰れたのは、調和の精神で心を一つに支えあった仲間たちのおかげです。 まあ、あんな時代の話なんて、今の人にわかってもらえまい、と思います。

 捨て石にされて、ニューギニアで飢えてさまよい、亡くなった仲間たちは本当に犬死にです。名誉の戦死なんかじゃないんですよ。

======================================

  天明の大飢饉の資料を読んだことがある。 そこには、飢餓状態での人食いが行われたことが書かれていた。

 食糧補給のない戦地で、兵隊はどう生き延びたのであろうか。 かつて私は人肉を食べた話を聞いたことがある。 部隊から離れ孤立した兵は、別の部隊の日本兵から食料として狙われると。

 私は、実験用にマウスを飼っていたことがある。 数匹を一緒にゲージで飼っていた。 元気がなくなってきたマウスは、翌朝のぞくと姿を消していた。 しっぽだけ残っているのだ。 弱ったマウスは同種のマウスの餌食になったのだ。

 戦場では人もマウスと同じ畜生になるのか。

     

リンク:若者から若者への手紙(1) 
結婚して子供ができてからだよ。
自分がやったことを、心から悔いたのは

 

(引用した本)

「若者から若者への手紙 1945←2015」

     2015年7月10日初版発行

     聞き書き:室田元美 北川直美 

     写真:落合百合子

     編集:北川直美

     発行:ころから

     定価:1,800円+税

 


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
怖い話ですが・・ (chidori)
2015-10-23 11:57:34
すけつねさん
毎度楽しい話題と、時には、別人からの便りかとおもう話題。つい忘れてしまいたい話題です。でも、書籍だけでなく生の声で伝える、こうしてブログで話題にする大切ですね。

ホタテのお料理も向井明美が楽しく紹介してくれました。有難うございました。
返信する

コメントを投稿