宇都宮駅からシャトルバスで、FKDインターパーク店というアルファベットとカナカナを
組み合わせた長い名前のデパートへ行った。
息子夫婦と一緒に来ていた高齢の婦人がデパートの前で話している言葉が聞こえた。
「ここがインターフォンか」 (^O^)
これを笑っている俺だって、カタカナコトバに迷ったことがあるのだ。
パソコンを始めたころ、マイドキュメント、マイピクチャ、ネットワークなどと、わけのわから
ないカタカナコトバに悩まされた。
指導者から、今度来るときは「マイカップ」を用意するようにとメールが来たとき、パソコン
を調べてマイカップがどこにあるか探したことがあるからだ。
(余談)
FKDインターパーク店から帰りのシャトルバスをベンチに腰かけて待っているとき、隣の
老紳士と雑談した。
大正15年生まれの彼は昭和20年7月に兵役に召集されたという。
18歳の若者が、学業半ばにして兵役につかなければならなかったのだ。、
毎日、地面に穴を掘り、穴に隠れて上陸してきた戦車に爆弾を背負って体当たりする訓
練を受けていたとのことである。
要するに 自爆の訓練だ。 陸上の特攻隊なのだ。
わずか18歳の命を捨てられるところだったのか。