ボクの見た戦中戦後(1)
函館空襲 青函連絡船全滅
★昭和20年7月14日(土)
海のかなたから、カラスの群れのように飛んできた米軍機は、函館の街を爆弾と機銃掃射で襲った。
そして、逃げ惑う青函連絡船に大量の爆弾を投下した。
連絡船は8隻沈没、2隻炎上座礁、2隻損傷で全滅。(内15日1隻)
海へ飛び込んだ人々を機銃掃射が襲った。
何故、溺れかかっている者を銃撃するのか!!
戦争は人権を重んじる国の兵士達をも悪魔にするのだ!!
近所に住んでいた船長も、沈没していく船から海へ飛び込んだところを、太ももを撃たれて亡くなった。
夫の遺体が担架で運ばれてきたとき、奥さんは大声で泣き叫んでいた。
当時、小学2年生のボクは、担架にしみ込んだ流血を洗い流しているところを見たり、奥さんの泣き叫ぶ声などにかなりのショックを受けた。
★昭和20年7月15日(日)
防空壕から外の様子をうかがっていた父を、グラマンの機銃が狙った。
弾はそれて、隣家の屋根瓦が弾け飛んだ。
父は敵機を撃った高射砲弾が炸裂して、破片が屋根に落ちたと、子どもたちに話した。幼い僕は父親の話を信じ込んでいた。
子どもたちを心配させないようにと、父は高射砲弾の破片としたのだろう。
★退職後に函館空襲を調べて驚いた。
函館山には高射砲が無かったというのだ。
しかし、ボクは確かに函館山から撃っていた高射砲の砲撃音を聞いていた。
大人たちは、日本軍の反撃で青森方面に逃げて行く敵機を撃っている高射砲の音だと話していた。
それでは、あの音はいったい何だったのか?
★浅利政俊編著「教えてください、函館空襲を」によれば、軍では函館山の要塞に花火師達を集めて、5寸玉花火で米軍機を撃ち落とせと命令したそうである。
★空襲に脅えながら、防空壕で聞いていた、敵機を撃つ高射砲の砲撃音と知らされていたあの音は、花火であったとは--------
《 撃沈される青函連絡船 》
アメリカの記録映画です
青函連絡船への攻撃と思われます