昨日の続きです。
ピーク・ディストリクト国立公園の小さな村、イーム Eyam。
「ペストの村 Plague Villadge 」として知られる小さな観光ヴィレッジ。
昨日の記事のリンクを貼付しました。読んでくださいね↓
http://blog.goo.ne.jp/stockport
350年前にペストの流行でほぼ全滅しかかったピークのかわいい村、イーム。・・・英雄的行為で村おこし
まず見物したのが、セント・ローレンス教会 St,Lawrence's Church 。
日曜日で、礼拝の最中でした。教会に入るチャンスだったはずですが、さすがに信者でない私たちが潜り込んで見物するわけにもいかず、中は見られませんでした。
もともとは13世紀の建物だということですが、16世紀、17世紀、その後も改修改築が行われたとか。
どこがいつどう変わったのかは、明記されていないのですが、各時代のオリジナルの部分が点在して残っているようです。
観光ウエッブサイトによると、ペスト流行当時の逸話を描いたステンドグラスや、サクソン時代(イギリス文明のあけぼの、450年~1066年)の洗礼盤ほか宝物がどっさりの名物教会だそうです。
イーム中でもっとも重要な歴史資産はこれ、サクソン時代につくられた、ケルト十字架 Celtic Cross 。
8世紀、イギリス人が英語を話し始める前から立ってたというのだからすごいです。
ハイキング装備の観光客が順番に譲り合って記念写真を撮って行きます。
くねくねケルト文様と聖母子像、キリスト像、天使らしい浮彫がはっきり残っています。触れてもいいのもすごい。外で、雨ざらしだし。
キンポウゲの咲き乱れる教会境内の墓地は明るくて楽しい雰囲気です。
18世紀から20世紀の初め頃までのふるい墓標が集まっています。
私たちが一番気に入ったのがこれ。
1799年に11歳で亡くなったIohn Hancockという少年のお墓のようです。
字体もレイアウトも素人が彫ったとしか思えない素朴さ。
The sweetest Flower's doth soon decay
So doth our time soon pass away.....最後の行は読めません。
記した家族のオリジナルでしょうか。心を打つ詩です。
教会と同じ並びにある、ペストの家 Plague Cottages は昨日の日報をご覧いただくとして・・・・
同じく、教会のある、その名もずばりのChurch Street にあるイーム・ホール Eyam Hall
17世紀、スチュワート様式のお屋敷です。直前のチューダーやエリザベーサン(英国ルネッサンス)様式みたいにこてこてしていない、簡素なスタイルなのが特徴です。
時間がなくて中には入りませんでした。
入場に、大人1人が8ポンド09ペンスもかかります。ナショナルトラストの運営です。高額の入場料は、史跡保存基金と割り切りましょう!
そのうちゆっくり訪れたいものです。でも09ペンスの半端額は、なに!?
イーム・ホールの斜め向かいの立派な一軒家。
イーム・ホールの石壁が左側に見えています。
イームにあって、なぜか、強烈な違和感。
緑の観光立て札によると、その名もずばり、ブリック・ハウス(レンガの家) The Brick House。
斜め向かいの領主様のお館、イーム・ホールも含めて町中すべて石造りの建物が並ぶイームの唯一のレンガ建ての建物。
18世紀に建てられたときはさぞ、立派でモダンでゴージャスに見えたことでしょう。
無人の観光案内所と、晒し台 Eyam Stocks のある、ビレッジ・グリーンから。
晒し台というのは19世紀の半ばごろまで、軽犯罪者を市のたつ日など、町の中心地で数時間晒し刑にするときに使った刑具だそうですが、イギリスのたいていの歴史的町並みの残る観光地にこれがあります。これは、ずっとここにあった本物のようです。
これは、足を固定するタイプ。
ビレッジグリーンの向かいの、緑の空き地・・・塀の向こうはイーム・ホールの庭園です。
今年は9月2日土曜日と書いてあります。シープ・ロースト Sheep Roast!!
昔からの習慣で、毎年8月の終わりの週末、村を挙げてのカーニバル(肉をたべるお祭り)があるとかで、この場所で羊の丸ごとバーベキューをするんだそうな・・・見たい!
ベジタリアンの夫はひどく嫌な顔をしました。
明日に続く。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
ピーク・ディストリクト国立公園の小さな村、イーム Eyam。
「ペストの村 Plague Villadge 」として知られる小さな観光ヴィレッジ。
昨日の記事のリンクを貼付しました。読んでくださいね↓
http://blog.goo.ne.jp/stockport
350年前にペストの流行でほぼ全滅しかかったピークのかわいい村、イーム。・・・英雄的行為で村おこし
まず見物したのが、セント・ローレンス教会 St,Lawrence's Church 。
日曜日で、礼拝の最中でした。教会に入るチャンスだったはずですが、さすがに信者でない私たちが潜り込んで見物するわけにもいかず、中は見られませんでした。
もともとは13世紀の建物だということですが、16世紀、17世紀、その後も改修改築が行われたとか。
どこがいつどう変わったのかは、明記されていないのですが、各時代のオリジナルの部分が点在して残っているようです。
観光ウエッブサイトによると、ペスト流行当時の逸話を描いたステンドグラスや、サクソン時代(イギリス文明のあけぼの、450年~1066年)の洗礼盤ほか宝物がどっさりの名物教会だそうです。
イーム中でもっとも重要な歴史資産はこれ、サクソン時代につくられた、ケルト十字架 Celtic Cross 。
8世紀、イギリス人が英語を話し始める前から立ってたというのだからすごいです。
ハイキング装備の観光客が順番に譲り合って記念写真を撮って行きます。
くねくねケルト文様と聖母子像、キリスト像、天使らしい浮彫がはっきり残っています。触れてもいいのもすごい。外で、雨ざらしだし。
キンポウゲの咲き乱れる教会境内の墓地は明るくて楽しい雰囲気です。
18世紀から20世紀の初め頃までのふるい墓標が集まっています。
私たちが一番気に入ったのがこれ。
1799年に11歳で亡くなったIohn Hancockという少年のお墓のようです。
字体もレイアウトも素人が彫ったとしか思えない素朴さ。
The sweetest Flower's doth soon decay
So doth our time soon pass away.....最後の行は読めません。
記した家族のオリジナルでしょうか。心を打つ詩です。
教会と同じ並びにある、ペストの家 Plague Cottages は昨日の日報をご覧いただくとして・・・・
同じく、教会のある、その名もずばりのChurch Street にあるイーム・ホール Eyam Hall
17世紀、スチュワート様式のお屋敷です。直前のチューダーやエリザベーサン(英国ルネッサンス)様式みたいにこてこてしていない、簡素なスタイルなのが特徴です。
時間がなくて中には入りませんでした。
入場に、大人1人が8ポンド09ペンスもかかります。ナショナルトラストの運営です。高額の入場料は、史跡保存基金と割り切りましょう!
そのうちゆっくり訪れたいものです。でも09ペンスの半端額は、なに!?
イーム・ホールの斜め向かいの立派な一軒家。
イーム・ホールの石壁が左側に見えています。
イームにあって、なぜか、強烈な違和感。
緑の観光立て札によると、その名もずばり、ブリック・ハウス(レンガの家) The Brick House。
斜め向かいの領主様のお館、イーム・ホールも含めて町中すべて石造りの建物が並ぶイームの唯一のレンガ建ての建物。
18世紀に建てられたときはさぞ、立派でモダンでゴージャスに見えたことでしょう。
無人の観光案内所と、晒し台 Eyam Stocks のある、ビレッジ・グリーンから。
晒し台というのは19世紀の半ばごろまで、軽犯罪者を市のたつ日など、町の中心地で数時間晒し刑にするときに使った刑具だそうですが、イギリスのたいていの歴史的町並みの残る観光地にこれがあります。これは、ずっとここにあった本物のようです。
これは、足を固定するタイプ。
ビレッジグリーンの向かいの、緑の空き地・・・塀の向こうはイーム・ホールの庭園です。
今年は9月2日土曜日と書いてあります。シープ・ロースト Sheep Roast!!
昔からの習慣で、毎年8月の終わりの週末、村を挙げてのカーニバル(肉をたべるお祭り)があるとかで、この場所で羊の丸ごとバーベキューをするんだそうな・・・見たい!
ベジタリアンの夫はひどく嫌な顔をしました。
明日に続く。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
悲しい歴史です。
ちなみに、ノストラダムスって1999年に恐怖の大魔王が現れると予言しただけの人では無いんですよね。
医者だった彼は、ペストの感染を抑えるために清潔であるようにする方法を広めたりと尽力したそうです。
そう、医者だったんですよね。科学の人でした。国王の侍医だったんだっけ。