マンチェスターのシティセンターのちょっとはずれ、大学街から徒歩10分ぐらいの住宅街に...
通称 84 Plymouth Grove と、住所(家番号と通りの名前)で呼ばれている、ネオ・クラシカル様式の小ぢんまりした邸宅があります。
1838年ごろの建造です。第二級保存指定建築。
2014年に修復、内装が完成、一般公開されはじめたエリザベス・ギャスケルズ・ハウス Elisabeth Gaskell's House です。
私が留学中の25年ぐらい前はみすぼらしく、外壁がピンクに塗られていたので、「ピンク・ハウス」という恥ずかしい通称で通っていました。
一時期 マンチェスター大学の「インターナショナル・ソサエティー」という組織のクラブハウスとして使われていました。
私は名門マンチェスター大学の学生ではなく、隣のマンチェスター・ポリテク二ックの学生でしたがちょっとした縁があって、何度か出入りしたことがあるのです。
右に突き出た増築部分からはいって、大きなテーブルがある地下の談話室でお茶を飲みました。
当時はすすけた内装で、暖房費の節約のためか、天井も低く作り直されていた記憶があります。
由緒のある、あるいは 有名な人物が住んでいたことのある建物や場所を示す青い丸札、「ブルー・プラーク」が当時から外にでていたので、ヴィクトリア時代の人気女流作家、ギャスケル夫人が住んでいた家だということは、もちろん知っていました。
2000年に歴史的建造物を保存する協会に寄付され、紆余曲折のあと、修復が完成、その後しばらく停滞した後、大がかりな内装プロジェクトがはじまったそうです。
先週、用事があってマンチェスターに行った時、この前を偶然通りかかったら、「本日公開」の、たて看板がでているではありませんか!?
なつかしい!はいりました。
むこう1年間有効の入場料を4ポンド95ペンスで購入しました。
1回分の入場券はなぜか発売されていません。
公開日にチケットを見せれば、いつでも入れます。公開は毎週水、木、日曜日。
地下のティールームや読書室を利用するために入る人が多いそうです。
ヴィクトリア時代の内装が忠実に再現された居間のソファーで一休みしてもかまわないそうです。
それでは、内部の写真です。撮ったのはごく一部です。
ピアノのあるドローイングルーム(居間)
このピアノは完全に調律された1880年ごろのアンティークです。
見学者が弾いてもいいそうです。ただし、弾ける人のみ。
ちゃんと弾けないけど、おぼえてる節だけ、弾かせてもらいました。やさしい音です。
食堂
並んだ食器はすべて19世紀のもの。さわってもいいそうですよ。
居間で説明をしてくれたボランティアのおばさんによると、売れっ子作家のミセス・ギャスケルはユニテリアン派牧師の夫より何倍もの収入があって、浪費家だったそうです。
豊かそうな内装です。
ちょっとお金持ちすぎる生活と、私の想像とのギャップが大きくてとまどいました。
日本にいるとき読んだ日本語訳の「女だけの町」(原題、Cranford)の訳者の解説によると、ギャスケル夫妻は社会改革派で、マンチェスターのスラムの住人の生活改善に尽くしたということですが、そんな人達がこんな贅沢していいのか...?
ボランティアのおばさんは、「これは当時の中流階級の標準生活レベルで決して贅沢ではない」とかなり執拗に言い張っていました。
私だって文芸もののドラマ化テレビ番組をけっこう見てるのでけっこう知っています。贅沢ですよ!
夫、ウィリアムの書斎。
造り付けの本棚は、20世紀はじめにギャスケル夫妻の未婚の娘が亡くなって人手にわたって以来、徹底的にモダンに改装されたこの家で唯一 奇跡的に残ったオリジナルです。
ウィリアム・ギャスケル師の蔵書はすべて散逸したそうですが、その後のこの家の住人が残した古い本が本棚に飾られていました。
手にとって読んでもいいそうです。
階段を上がって...
正面の一室は修復に関する資料と、ギャスケル家以後のこの家の歴史をパネル写真で説明する展示室になってました。
いくつかある((もと)寝室は公開していないようですね。文芸関係のイベントに使うそうです。
簡素な内装の地下に降ります。
地下室の召使をよぶベル。
ティールーム
昔の台所です。
ティーバッグのお茶を飲みました。
ティーカップのデザインはすべて違います。古道具屋で見繕ってきた寄せ集めのようです。選ばせてもらえます。
25年前に私がドイツ人の留学生たちとコーヒーを飲んだのはどうやらこの部屋のような記憶があります。
ボイラーや巨大な湯沸かし器があり、ごちゃごちゃ見苦しかった印象が残っています。
車椅子利用者用トイレ。
舗装してある中庭に出られます。
正面玄関はこの左の高い場所にあります。
このレンガむき出しの増築部分の一階は本館の地下レベルです。
ウェッブサイトによるとストラスフォード・アポン・エイボンにあるシェークスピアの生家、あるいはハワースにあるブロンテ姉妹の牧師館ぐらい有名な、国際的観光地として売り出したいのだそうです。
作品の映像化促進など着々と目的に向かって歩んでいるらしいのですが...
ちょっと厳しい目標です。
エリザベス・ギャスケルってそんなに有名でしょうか?
実はギャスケルがイギリス国外でもっとも読まれているのは、日本なのだそうです!!
ボランティアの案内おばさんが教えてくれました!!
ギャスケルを読んだことがなくても、ビクトリア時代の内装見学は充分おススメできますよ。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
通称 84 Plymouth Grove と、住所(家番号と通りの名前)で呼ばれている、ネオ・クラシカル様式の小ぢんまりした邸宅があります。
1838年ごろの建造です。第二級保存指定建築。
2014年に修復、内装が完成、一般公開されはじめたエリザベス・ギャスケルズ・ハウス Elisabeth Gaskell's House です。
私が留学中の25年ぐらい前はみすぼらしく、外壁がピンクに塗られていたので、「ピンク・ハウス」という恥ずかしい通称で通っていました。
一時期 マンチェスター大学の「インターナショナル・ソサエティー」という組織のクラブハウスとして使われていました。
私は名門マンチェスター大学の学生ではなく、隣のマンチェスター・ポリテク二ックの学生でしたがちょっとした縁があって、何度か出入りしたことがあるのです。
右に突き出た増築部分からはいって、大きなテーブルがある地下の談話室でお茶を飲みました。
当時はすすけた内装で、暖房費の節約のためか、天井も低く作り直されていた記憶があります。
由緒のある、あるいは 有名な人物が住んでいたことのある建物や場所を示す青い丸札、「ブルー・プラーク」が当時から外にでていたので、ヴィクトリア時代の人気女流作家、ギャスケル夫人が住んでいた家だということは、もちろん知っていました。
2000年に歴史的建造物を保存する協会に寄付され、紆余曲折のあと、修復が完成、その後しばらく停滞した後、大がかりな内装プロジェクトがはじまったそうです。
先週、用事があってマンチェスターに行った時、この前を偶然通りかかったら、「本日公開」の、たて看板がでているではありませんか!?
なつかしい!はいりました。
むこう1年間有効の入場料を4ポンド95ペンスで購入しました。
1回分の入場券はなぜか発売されていません。
公開日にチケットを見せれば、いつでも入れます。公開は毎週水、木、日曜日。
地下のティールームや読書室を利用するために入る人が多いそうです。
ヴィクトリア時代の内装が忠実に再現された居間のソファーで一休みしてもかまわないそうです。
それでは、内部の写真です。撮ったのはごく一部です。
ピアノのあるドローイングルーム(居間)
このピアノは完全に調律された1880年ごろのアンティークです。
見学者が弾いてもいいそうです。ただし、弾ける人のみ。
ちゃんと弾けないけど、おぼえてる節だけ、弾かせてもらいました。やさしい音です。
食堂
並んだ食器はすべて19世紀のもの。さわってもいいそうですよ。
居間で説明をしてくれたボランティアのおばさんによると、売れっ子作家のミセス・ギャスケルはユニテリアン派牧師の夫より何倍もの収入があって、浪費家だったそうです。
豊かそうな内装です。
ちょっとお金持ちすぎる生活と、私の想像とのギャップが大きくてとまどいました。
日本にいるとき読んだ日本語訳の「女だけの町」(原題、Cranford)の訳者の解説によると、ギャスケル夫妻は社会改革派で、マンチェスターのスラムの住人の生活改善に尽くしたということですが、そんな人達がこんな贅沢していいのか...?
ボランティアのおばさんは、「これは当時の中流階級の標準生活レベルで決して贅沢ではない」とかなり執拗に言い張っていました。
私だって文芸もののドラマ化テレビ番組をけっこう見てるのでけっこう知っています。贅沢ですよ!
夫、ウィリアムの書斎。
造り付けの本棚は、20世紀はじめにギャスケル夫妻の未婚の娘が亡くなって人手にわたって以来、徹底的にモダンに改装されたこの家で唯一 奇跡的に残ったオリジナルです。
ウィリアム・ギャスケル師の蔵書はすべて散逸したそうですが、その後のこの家の住人が残した古い本が本棚に飾られていました。
手にとって読んでもいいそうです。
階段を上がって...
正面の一室は修復に関する資料と、ギャスケル家以後のこの家の歴史をパネル写真で説明する展示室になってました。
いくつかある((もと)寝室は公開していないようですね。文芸関係のイベントに使うそうです。
簡素な内装の地下に降ります。
地下室の召使をよぶベル。
ティールーム
昔の台所です。
ティーバッグのお茶を飲みました。
ティーカップのデザインはすべて違います。古道具屋で見繕ってきた寄せ集めのようです。選ばせてもらえます。
25年前に私がドイツ人の留学生たちとコーヒーを飲んだのはどうやらこの部屋のような記憶があります。
ボイラーや巨大な湯沸かし器があり、ごちゃごちゃ見苦しかった印象が残っています。
車椅子利用者用トイレ。
舗装してある中庭に出られます。
正面玄関はこの左の高い場所にあります。
このレンガむき出しの増築部分の一階は本館の地下レベルです。
ウェッブサイトによるとストラスフォード・アポン・エイボンにあるシェークスピアの生家、あるいはハワースにあるブロンテ姉妹の牧師館ぐらい有名な、国際的観光地として売り出したいのだそうです。
作品の映像化促進など着々と目的に向かって歩んでいるらしいのですが...
ちょっと厳しい目標です。
エリザベス・ギャスケルってそんなに有名でしょうか?
実はギャスケルがイギリス国外でもっとも読まれているのは、日本なのだそうです!!
ボランティアの案内おばさんが教えてくれました!!
ギャスケルを読んだことがなくても、ビクトリア時代の内装見学は充分おススメできますよ。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。