社会科学上の不満

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ロシア人に対する微妙な心理

2014-03-03 00:01:06 | 外交と防衛

 日本人のロシア人に対する微妙な感情はなぜ起こるのか?嫌いでありながら妙に文化の共通性に驚かされる。バリバリの右翼の方でもカチューシャやポーレシカ・ポーレなどロシア民謡を口ずさむことがある。それ程戦後の日教組教育が巧みだったのだろうか?

 前々から疑問に感じていた。私の周りにはロシア人とのクオーターの方が意外に多かった。しかも彼らは大の共産主義嫌いだった。

 彼らから色々話を聞くに、戦前ロシアから日本に来られたお祖父さんお祖母さんが日本人と結婚し、その孫やひ孫だそうだ。良く子供時代イジメられて、親戚が集まるとその話題で持ち切りになるそうだ。日本人として恥ずかしい限りである。

 彼らの祖父母はロシア革命を逃れてきた亡命ロシア人や日露戦争の捕虜だったそうだ。なぜ、捕虜だったら帰国しないのか疑問であるが、当時の日本はロシア人捕虜を厚遇したそうだ。

 当時四国の松山にロシア人の捕虜収容場があったそうだ。時の松山市長が「敵国兵でもその国のために命を駆けた兵士である。粗末に扱っては日本の名折れになる」みたいな事を市民に言い聞かせため、松山での捕虜の待遇は良く、戦後日本に残留したロシア人捕虜が多かったそうだ。また、日露戦争中、前線のロシア兵は戦闘をせず「マツヤマ・マツヤマ」と叫んで自ら捕虜になる者も多かったそうだ。それほどロマノフ王朝末期のロシア国民の生活は酷かったようだ。

 ロシア革命の亡命者を含め数十万人のロシア人が日本国籍を取得したようだ。またその他多くのロシア人が満州国に亡命している。満鉄のアジア号(130km/h)で大連・ハルピン間を全車両冷暖房の超特急の食堂車のウエイトレスは冒頭の写真のように亡命ロシア人が行っていた。

*アジア号

 日本人がロシア人を嫌う最大の要因が、スターリン(共産主義国)が原因である。ドイツの執拗な要請にも関わらず、日ソ不可侵条約があるため、日本はソ連(ロシア)侵攻をしなかった。しかし、ソ連(ロシア)は終戦間近の8月8日日本に戦争を仕掛けた。まだ日ソ不可侵条約中だったにも関わらずにだ。しかも8月15日以降も北海道に上陸しようとして、再軍備した樋口季一郎中将に撃破されている。またシベリア抑留の悲劇が日本人に刻み込まれている。

 このようなソ連時代の行動がロシア人に対する日本人の悪感情に繋がっている。が、日本の中に溶け込んだロシア人の文化と日本人の文化の類似性が、妙なロシア人への感覚を持つことになるのであろう。

 例えば、コース料理はロシアからフランスに伝わった。寒いロシアは温かい料理は冷えないうちに食してもらおうとコース料理が生まれた。その200年前、千利休により無意味な「膳料理」の作法を壊す趣旨で、懐石料理(コース料理)が生まれた。

 今後、プーチン大統領が居る間に日本とロシアとの関係強化が出来ることを期待している。ウクライナ問題がことなきを願う。 また、日露関係の前進は前提が領土問題である。北方領土の解決が鍵を握る。米国はあれほどの戦死者を出した小笠原諸島や沖縄を返還したではないか。

 

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1 コメント

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なるほど~ (雪まつり)
2014-03-03 06:42:07
ロシアと日本にはそんな繋がりがあったのですね。道北出身の祖母の話でよくは覚えていませんが、戦時中に引き揚げ者の船が攻撃されて遺体が沢山流れ着いたとか、戦闘でかは分かりませんがロシア人の遺体も漂着して、恐ろしかったと聞いたことがあります。北海道では漁船がロシアに銃撃を受け拿捕されることが毎年のようにあります。尖閣諸島付近の中国船にはそんなことしたらマスコミが大騒ぎするのでしょうね…。
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