ドイツ東部ドレスデンの検察当局は13日、内戦が続くシリアなどから押し寄せる難民らに寛容な姿勢を示すメルケル首相の「絞首台」を持ちデモ行進したとして、12日夜の難民排斥デモの参加者に対する捜査を始めた。ドイツのメディアが伝えた。
今年夏以降の難民らの大量流入を受け、デモは過激化している。
「(中略)」
http://www.sankei.com/world/news/151013/wor1510130043-n1.html
「日本もシリア難民を受容れろ」と喚いていた方々、独国は大変なことになっている。しかもこれは序章に過ぎない。ユダヤ人迫害を行った民族である、これは独国に限らない欧州各国そうである。1938年のエビアン会議でヒットラーの提言するユダヤ人の国(土地)を否定したのは当時のヨーロッパ諸国である、受容れ表明したのは旧ソ連だけ、しかし受容れ先のシベリアの過酷さや独の迫害から逃れるため満州に数万人のユダヤ人が逃亡(オトポール事件)、樋口季一郎少将(後に中将)が受容れる。エビアン会議の4ヶ月経たないうちに「ユダヤ教会焼き討ち事件」、その後「水晶の夜」にて独国内のユダヤ人迫害が本格化する、それ以前からユダヤ人排斥(迫害まで行かない)はヨーロッパ中にあった。キリスト教は一神教でありユダヤ教も一神教である、当時は妥協点が見出せなかった。
今回のシリア難民の実態は移民であり、一神教のイスラム教徒である。まして偽装移民に対して独国民は怒り行動し始めた。VWの事件で今後経済が落ち込むことが見えている独国、益々移民排斥は激しくなると素人の私でも容易に予測できる。旧東独国は未だに旧西独国との経済格差に悩んでいる地区である。ネオ・ナチの信奉者も多い。
綺麗事(理想)と現実(現状)とのバランスを取るのが政治ではないのか?綺麗事(理想)を謳うだけなら宗教に任せれば良い。現実(現状)と無理なく折り合いを着けるのが政治である、いや現実(現状)を優先させるのが政治である。我々は現実(現状)世界で生きているのであるから。寝言いや綺麗事(理想)だけでは生きていけない。
こう言うと必ず出現する輩が「綺麗事(理想)を否定するのか?」と言うバカである。キリストが「人はパンのみに生きるのではない」と言ったと言って「パン」を否定するバカが多い、決して「パン」を否定していない。この事が理解できないバカが意外に多い。
繰り返すが、綺麗事(理想)と現実(現状)とのバランスを取る事が政治の要諦である。
しかしメルケル首相は今回綺麗事(理想)のみ追求し現実(現状)を無視した。このツケは大きく周辺国にも迷惑をかけている。前回もこのblogに記載したがハンガリーが国境に武装警察を擁し難民拒否、セルビアとクロアチア間の国境を閉鎖等、バルカン諸国に多大な迷惑をかけている。バルカン諸国の平和は20年程でまた緊張している。
更に、ギリシア問題もあるVW問題で予想以上の経済の落ち込みを迎える独が難民(移民)問題を穏便に押さえることは、最早不可能に見える。遅まきながら、難民(移民)制限法を可決した独国、周辺国にかけた迷惑はどうするのか?