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【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第5回 ナイチンゲール

2021年03月07日 | 妙法

【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第5回 ナイチンゲール2021年3月7日

医療の最前線で人々に勇気と希望を送る白樺会・白樺グループ(女性看護者の集い)の友らに、真心を込めて語り掛ける池田先生。「皆さんは、世界一の妙法を持った尊き仏の使いである。妙法流布という、人間として最高の使命がある。『健康の世紀』『生命の世紀』の道を開いておられる」と賛嘆した(2004年8月、長野研修道場で)
医療の最前線で人々に勇気と希望を送る白樺会・白樺グループ(女性看護者の集い)の友らに、真心を込めて語り掛ける池田先生。「皆さんは、世界一の妙法を持った尊き仏の使いである。妙法流布という、人間として最高の使命がある。『健康の世紀』『生命の世紀』の道を開いておられる」と賛嘆した(2004年8月、長野研修道場で)
〈ナイチンゲール〉
私の辞書に諦めという言葉はない。
人生は闘争。自分の前の一歩一歩を
勝ち取っていかなければなりません。

 「近代看護の母」「クリミアの天使」「看護師の祖」――フローレンス・ナイチンゲールを形容する言葉は数多い。
 
 「自分の生涯の使命は、人類を救うこと」「人類のために苦しむのは、ひとつの特権です」と語る彼女は、波瀾万丈の人生を劇のごとく駆け抜けた。
 
 1820年5月12日、イギリスの大富豪の家に次女として生まれた。両親は結婚直後、約3年にわたる新婚旅行へ。イタリア・フィレンツェ(英名でフローレンス)で生を受けたことから、その名が付けられた。
 
 家族や親族らの愛情を一身に受けて育った少女・青春時代。容姿端麗で幅広い教養と学識を身に付けたナイチンゲールは、社交界でも注目の的だった。
 
 だが、“何かが違う……”。その心が富や名声によって満たされることはなかった。むしろ虚栄と快楽に満ちた世界に疲れ果て、自己嫌悪にすら陥った。
 
 正しい生き方とは何か?
 この世に生まれた使命とは?
 
 「真の人生とは、私たちの家庭のような、広い緑の牧場、静かな流れのほとりに憩う生活ではない」。苦悩は長く続いた。

1855年頃のフローレンス・ナイチンゲールの肖像©Photo by Underwood Archives/Getty Images
1855年頃のフローレンス・ナイチンゲールの肖像©Photo by Underwood Archives/Getty Images

 当時(1840年代)のイギリスは、凶作と大不況で「飢餓の40年代」といわれていた。農民たちの悲惨な現実を目の当たりにした彼女は、近隣の貧しい小屋を見舞い、病人や赤ん坊の世話を手伝った。一方、家庭では重病を患った祖母や乳母の看病に率先して取り組んだ。
 
 そうした経験を通して選んだ道こそ「看護」であった。
 
 今とは違い、看護職の社会的地位が確立されていない時代である。家族は大反対したが、彼女の決意は揺るがなかった。
 
 「諦めなどという言葉は私の辞書にはない」「それ(人生=編集部注)は苦しい戦い、闘争、悪の原則との格闘です。私たちは自分の前の一歩一歩を勝ち取って行かなければなりません」
 
 恵まれた環境を捨て、あえていばらの道へ。独学で専門知識を習得した後、看護師としての第一歩を踏みだす。その本格的な挑戦は30代から始まった。

 「自分を生かすためには、たとえわずかなりとも、自ら何かを掴まなければならぬ。何かを、自分の手で掴みとらなければならぬ。それは与えられるものではない」――このナイチンゲールの「信念の源」は、どこにあったか。それは、かけがえのない生命を守る「覚悟」と「使命感」にあったに違いない。

イタリアのミケランジェロ広場から望む“花の都”フィレンツェの町並み(1994年5月、池田大作先生撮影)。ナイチンゲールは、この地に生まれた
イタリアのミケランジェロ広場から望む“花の都”フィレンツェの町並み(1994年5月、池田大作先生撮影)。ナイチンゲールは、この地に生まれた
〈ナイチンゲール〉
年ごと、月ごと、週ごとに
「進歩」を重ねていないかぎり、
あなたは「退歩」しているのです。

 1853年、クリミア戦争が勃発。ロンドンの病院で看護監督を務めていたナイチンゲールは翌54年、38人の看護団を組織して、戦線へと向かった。
 
 赴任した軍事病院の環境は劣悪だった。院内は収容人数をはるかに超える患者であふれ、不衛生から感染症などが広がっていた。さらに“看護蔑視”の軍医や将校からの冷遇、嫉妬による同僚からの嫌がらせ……試練の障壁が次々と立ちはだかった。
 
 だが、彼女は屈しなかった。
 「価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目ざす無言の、地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する」
 
 目の届かないところにまで気を配り、進んで仕事を見つけては黙々と働き続けた。その姿に医師たちも心を動かされ、彼女を頼るようになっていく。
 
 不眠不休の身を案じ、周囲が「明日にすればいいじゃありませんか」と、床に就くよう進言したことがあった。すると、ナイチンゲールは一言、「明日は明日の仕事がありますわ」と。

クリミア戦争当時の病院で、負傷した兵士を見舞うナイチンゲール©Everett Collection/アフロ
クリミア戦争当時の病院で、負傷した兵士を見舞うナイチンゲール©Everett Collection/アフロ

 敵味方の区別なく、負傷兵たちに献身する日々は2年間にも及んだ。56年、パリで講和条約が結ばれ、クリミア戦争は終結。「今なすべきこと」に全精魂を注いできた彼女は、最後の患者が病院を去るまで任務を全うし、イギリスへ戻った。
 
 帰国後は、“本当の戦いはこれからだ”と、激務の疲れも癒えぬうちに新たな行動を開始。人類の未来を開く“看護革命”に着手するのである。
 
 「年ごと、月ごと、週ごとに『進歩』を重ねていないかぎり、あなたは『退歩』しているのです」
 
 過去は過去。さあ、今ここから、前へ、前へ! これがナイチンゲールの生き方であった。

〈ナイチンゲールを語る池田先生〉
彼女の行動は
「大きな願い」に貫かれていた。
私どもの目的は「広宣流布」である。
その柱さえ不動であれば、
何があろうと、ぐらつくことはない。

 今月21日は、結成35周年を迎える「白樺会(看護の仕事に携わる婦人部の集い)の日」。
 
 池田大作先生は、折あるごとにナイチンゲールの箴言や逸話を通し、白樺会や白樺グループ(同女子部の集い)、さらに婦人部・女子部の友らに万感のエールを送ってきた。
 
 「いつの時代も、現実は、常にさまざまな問題が渦巻いているものだ。しかし、大切なのは、今いるその場所で、勇敢に戦い、自らの境涯を開いていくことである」「『常に進歩しつづける女性』――それは、『月月・日日につより給へ』(御書1190ページ)の妙法を体現されゆく白樺の皆さま方である。そしてまた、心が生き生きと上昇しゆく、わが婦人部、女子部の皆さま方である」(2004年5月11日、各部合同協議会でのスピーチ)
 
 2002年には本紙で「『女性の世紀』に寄せて――ナイチンゲールを語る」を連載。「近代看護の母」の足跡を通して、今もコロナ禍で奮闘し続ける白樺の友をはじめ、使命に生きる私たちへの指針が示されている。
 
 「ひとたび、わが胸に抱いた使命感を、最後の最後まで、赤々と燃やし続けていくのは大変なことである。
 そのためには、どうしたらいいのか? 結論からいえば、人々と『団結』することである。
 ナイチンゲールは、“目的や行為を分かち合いながら、『共感のきずな(団結心)』を育むことが大切だ”と教えている」
 
 「戦い抜く人生は美しい。前に進み続ける人生は、すがすがしい。彼女の行動は『大きな願い』に貫かれていた。ゆえに、くだらない嫉妬や愚かな人間模様など、悠々と見おろしていた。私どもでいえば、目的は『広宣流布』である。その大目的の柱さえ不動であれば、人生、何があろうと、ぐらつくことはない」
 
 「ナイチンゲールの生涯。それは、押し寄せる苦難の波を越えながら、『使命を自覚した人間の力は、こんなにも偉大である』と未来に向かって示し続けた一生であった。
 私たちも生きたい。『わが十年後を見よ』『わが五十年後を見よ』、そして『広布に生き抜いた、わが一生を見よ!』と高らかに叫びながら。世界に『勇気の光』を贈りながら」
 
 一人のヒロインが紡いだ変革のドラマは、時空を超えて、私たちの魂を揺さぶり続ける。

【引用・参考】小玉香津子著『ナイチンゲール 人と思想155』(清水書院)、徳永哲著『闘うナイチンゲール 貧困・疫病・因襲的社会の中で』(花乱社)、フローレンス・ナイチンゲール著『Truth』ハーパー保子訳(サンマーク出版)、モニカ ベイリー編『ナイティンゲールのことば』助川尚子訳(医学書院)、池田大作著『「女性の世紀」に寄せて――ナイチンゲールを語る』(聖教新聞社)ほか

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