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【不二の旅】池田先生と九州 師と共に“永遠に先駆”

2021年03月22日 | 妙法

【不二の旅】池田先生と九州 師と共に“永遠に先駆”2021年3月22日

 池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第5回は九州を紹介する。

“自分たちの力と祈りで、皆が誇れる地域の建設を”――九州総会に出席し、同志を激励する池田先生(1993年5月、九州池田講堂で)
“自分たちの力と祈りで、皆が誇れる地域の建設を”――九州総会に出席し、同志を激励する池田先生(1993年5月、九州池田講堂で)
1977年5月、佐賀文化会館を訪れていた池田先生が、居合わせた高等部員と懇談。近況に耳を傾けつつ、一緒に記念のカメラに
1977年5月、佐賀文化会館を訪れていた池田先生が、居合わせた高等部員と懇談。近況に耳を傾けつつ、一緒に記念のカメラに
若木は勇みて大樹たれ――長崎・諫早文化会館を訪れた池田先生が未来部・青年部の友に声を掛ける(1982年5月)
若木は勇みて大樹たれ――長崎・諫早文化会館を訪れた池田先生が未来部・青年部の友に声を掛ける(1982年5月)
熊本文化会館の開館記念勤行会で。池田先生は友の求道の姿を心からたたえ、ピアノを弾いて同志を鼓舞した(1977年5月)
熊本文化会館の開館記念勤行会で。池田先生は友の求道の姿を心からたたえ、ピアノを弾いて同志を鼓舞した(1977年5月)
1983年3月、鹿児島文化会館を初訪問。“広布の戦いには、必ず勝ってみせるという心意気で!”と望んだ
1983年3月、鹿児島文化会館を初訪問。“広布の戦いには、必ず勝ってみせるという心意気で!”と望んだ
1981年12月、池田先生は宗門事件で最も苦しんだ大分・竹田市へ。岡城址で友と記念撮影し、「荒城の月」を合唱した
1981年12月、池田先生は宗門事件で最も苦しんだ大分・竹田市へ。岡城址で友と記念撮影し、「荒城の月」を合唱した
宮崎研修道場で同志に真心の励ましを送る(1999年3月)。5日間滞在した先生は“日南の大海原のような境涯で対話の波を”と
宮崎研修道場で同志に真心の励ましを送る(1999年3月)。5日間滞在した先生は“日南の大海原のような境涯で対話の波を”と
池田先生が昭和51年(1976年)11月18日に寄せて、したためた「常に先駆の九州たれ」の書
池田先生が昭和51年(1976年)11月18日に寄せて、したためた「常に先駆の九州たれ」の書
九州の友に贈った指針

 「九州男児よろしく頼む」――これが戸田先生の九州への遺言である。
 “東京男児”でもない。“日本男児”でもない。「九州男児よろしく頼む」――この一言に意味がある。
 戸田先生は、現代の広宣流布の総帥であられる。先生の「一言」にはつねに深い深い意味があった。
 この点だけでも、私にとって、九州がどれほど大切であるか。
 
 勝つことは楽しい。誉れがある。誇りがある。自信が生まれる。
 負ければ暗くなる。文句も出る。悲しいし、みじめである。
 ゆえに勝たねばならない。「幸福」は「勝利」にある。「仏法は勝負」であり、一切法は皆、仏法である。一切が勝負なのである。
 皆さまは一切に勝ち、人生に勝って、最高の幸福者になっていただきたい。
 連戦連勝の九州の友のご健闘を、私は最大にたたえたい。
 
 牧口先生、戸田先生も今日の九州の発展を、どれほどお喜びになっておられるだろうか。
 ここ九州の地には、三代の会長の魂が刻まれている。ゆえに、私は後世のために、こう宣言しておきたい。
 「九州創価学会の旗」は、「三代の魂の旗」である――と。
 
 九州は「先駆」を――私は、かねてから、そう訴えてきた。
 「先駆の九州」は即「21世紀の先駆」であり「人類の先駆」である。
 九州の偉大なる使命を自覚していただきたい。
 
 人生は戦いである。戦い続けるのが人生である。戦うごとに強くなる人が幸福者であり、真の「人間」である。
 皆さまは、全員が九州新時代の人である。身も心も軽やかに、きょうから出発していただきたい。
 
 (第14回九州総会<1993年5月>でのスピーチから抜粋)

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